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13話 ジュブナイル

 というわけで、大会に向けて特訓が始まった。

 いや今までもなんやかんや適当に指導はしていたのだけれど、正直な話、本気で強くしよう、強くなろうという意識はなかった。

 大会まであと一週間しかない。棋力は急に付くようなものではないが、やれるだけやろう。

 というわけで、とりあえずふくには詰将棋を課した。

 詰将棋とは、いわばパズルのようなものだ。

 終盤、どちらが先に相手の喉を切り裂くかという局面で、この詰将棋によって培われた力が大いに発揮される。

 もっとも、それは、通常の将棋における話だ。ついたて将棋においてこの力はあまり意味を為さない。

 が、まず大前提として『相手玉を殺す』感覚を身に付けてもらわなければならない。

 そのためには、玉の追い詰め方を知識として詰め込み、感覚にまで落とし込んでほしい。その感覚は、きっと、ついたて将棋にも応用できる。

 とりあえずふくには一日目三手詰め、二日目五手詰めを徹底的にこなさせた。二百問掲載されている本を五周ずつするよう課した。最初のうちは時間をかけても、最悪答えを見ても良い。が、最終的には問題を見たら即座に答えが浮かぶ状態にまでなってもらう必要がある。

 まぁ間違いなく、通常の人ならば無理だ。が、ふくの吸収力をもってすれば、一日十時間もやればその水準には達せるだろう。

 三日目は、ついたて詰将棋。ついたて将棋用の詰将棋だ。

 わたしと海鵺は初日についたて詰将棋を徹底的にこなし、二日目からはひたすらスパーリングした。

 やはり実力は海鵺の方が頭一つ抜けているようで、わたしの勝率は三割くらい。正直、無茶苦茶悔しい。

「まぁでも以前は全く歯が立たなかったから、わたしも強くなってるのかな」

「あの時の私がムキになって本気以上に頑張りすぎていただけ。これくらいが普通の実力」

 すました顔で言う。おいおい、本番は本気以上に頑張ってくれよ。今は普通の実力でいいけど。これ以上勝率下がったらモチベ下がっちゃう。

 四日目は、ふくを育てるの中心にスパーリングをした。大会では審判もやらなきゃいけないので、その練習も兼ねて。

 五日目になり、道場へ出向いた。といっても、わたしがホームグラウンドとしていた道場ではない。地元から少し離れた、ついたて将棋もできる、数少ない道場だ。

 目的は、ふくに、実戦の空気に慣れてもらうこと。

 もちろんわたしや海鵺も普段から真面目に張り詰めた空気の中で対局をしている。が、見知らぬ他人と対局をする緊張感は出しようがない。

 だから、仲良しでない、面識のない人々と緊張しながら対局をする、この独特の空気感を知っておいてもらいたかった。

 本番で、少しでも実力を発揮できるように。

 という事で朝からひたすら指し続けた。

 昼、つかの間の休憩時間、適当にコンビニで買ってきたおにぎりを食べながら雑談していると、突然ふくがきゃあと歓声を上げ、立ち上がった。

「はっちゃん! はっちゃんだよね!!」

 わたしの背後、入口の方へ手を振る。

 何事! と思いつつ振り返ると、はっちゃんだと思われる女子が、ぱぁと表情を明るくして寄ってきた。

「ふぅちゃん! 久しぶり!!」

 ふたりはきゃあきゃあと手を取り合って騒ぐ。女子特有のアレ。

 と、取り残されたわたしと海鵺を思い出したのか、「あっ、」とふくが振り返る。

「イナミ先輩と海鵺先輩、幼馴染の伊井初(いい・はじめ)ちゃんです」

「どうも、こんにちは」

 人当たりのよさそうな笑みで挨拶をしてくる初。

 コミュ力の高い人はどうしてこうも自然に自然な笑みを作れるのだろうかと、ぎこちない笑みを返しながら思う。わたしが表情を作り慣れていないだけか。将棋というゲームの性質上、ポーカーフェイスを身に付けざるを得なかったし。

 ていうかぎこちないながらも笑みを浮かべようとしたわたしとは対照的に、海鵺はぶすっと、露骨に不機嫌そうだ。まぁただでさえわたしに横取りされたって思ってる状態だし、そうなるのも無理はないと思うけど、ほんとに君はそれでいいのか。君の将来が心配だぞ。

 そんなことを思いながら、親し気に会話する二人を眺める。

「……ん?」

 ふと、制服に見覚えがある気がした。んん、どこかで見たような。

 と。

「初。友人かい?」

 奥から、初と同じ制服の人が現れた。

 その人物に、わたしの身体がビクンと跳ねた。

 火炉一蘿(かろ・ひとかげ)

 ふざけた名前だが、正真正銘、本名。純日本人。

 そしてこの女こそが、先日動画で見て驚嘆した、化物。

 現在日本に四人しかいないついたて将棋六段。

 プロ制度が整えば真っ先にプロになると言われている。

 全国に行くに当たって、最大の壁。

 それが、この人。ヒトカゲだ。

「あ、火炉先輩。こちら幼馴染のふぅちゃんと、……えっと、同じ高校の先輩方?」

「あたしのお師匠さんたちだよ!」

 ふくがわたしたちを紹介する。お師匠さん『たち』という言葉に、隣で海鵺の頬が緩んでいるのがわかった。まったく、単純な奴め。こちらは目の前に立ちはだかる英雄に、心臓がキリキリ痛んでいるというのに。

「はじめ、まして。ヒトカゲさん」

「……どうも。できれば名字で呼んでくださいね」

 そういえば何かのインタビューで、自身の名前を嫌っている旨のことを話していたな、と思い出した。

 実際、嫌っているのだろう。「できれば」という言葉とは裏腹に、その声には強制的に従わせる圧力がこもっている。

 しかし、その目は静かで、落ち着きはらっている。

 というより、単純に、興味を持たれていない。

 まぁ当然だ。わたしはついたて将棋プレイヤーとしては、無名も無名なのだから。

 とはいえ、

 これでも将棋なら、不本意とはいえ少しは名が知れているのだけれど。

 そんな思いもあって。ほんのわずかにわたしの中に残るプライドが、声を上げた。

「今日は、大会前の調整ですか?」

「初の、ですけどね」

 これも知っている。彼女は対局に向けて、調整も対策もしない。ただただ、日々棋力向上に努めるだけだと聞いている。

 それこそが彼女の強さの源であり、付け入る隙でもある。

 千載一遇の、チャンスだ。

「一局、指しませんか?」

 踏み込む。

 もちろん彼女の棋譜はとっくにすべて確認し、研究を続けている。が、実際に対峙してみなければ、それは感覚になじまない。

 つまり、本番前に対峙する機会を得られるかもしれない今を逃す手はない。

 が、

「いえ、今日は初の付き添いなので。審判に徹します」

 すげなく断られる。やはり、そう都合よくはいかない。なにしろ彼女は日本で四本の指に入る実力者なのだ。無名の雑魚と対局をするくらいならば、後輩を育てる方に力を注ぐのは自然な選択だ。

 当たり前だ。今のは踏み込んだところで、上手くいくはずがなかったのだ。クソ。

 と思っていると、

「それなら、私が初さんのお相手をするわ」

 今までずっと傍観を極めてきた海鵺が割って入る。ヒトカゲと戦うことがかなわないなら、せめて初の実力を見極めておきたいという事か。

「わー! お願いします!」

 こちらの思惑も知らず、初は無邪気に喜んだ。

 ふくの幼馴染だからだろうか、ふくと似たようなにおいを感じる。

「「よろしくお願いします」」

 二人は頭を下げ、対局スタート。

 が、

「…………えぇ」

 海鵺が圧倒的なパワーで、初を叩き潰した。

 見た感じ、初も弱くはない。多分、わたしと同じくらいの実力だ。

 そして往々にして、自分と同じくらいの実力だと感じた場合、その人は自分よりだいぶ強い。

 そんな初を、怪物的な剛腕で切り伏せた海鵺。

 ただの実力以上に、今日は、絶好調なようだ。以前の対わたし戦の時をもしのぐ、鬼神のごとき強さに、わたしの鼓動がわくわくと高揚する。

 大会でこれほどの力を出せたならば、ヒトカゲにも一撃入れられるかもしれない。

 希望が、可能性が見えた。

「海鵺を大将にして、なんとかここで一勝。ならわたしが初さんかもう一人を倒せば。もう一人の情報がほしいな……」

 ぶつぶつと思考を垂れ流すわたしに構わず、海鵺が挑発するような声を出した。

「どうかしら。火炉さん。一局、指さないかしら」

「………………そうですね。念のため、叩き折っておいた方が良いかもしれないですね」

 展開の早さについていけないわたしを放置して、早速対局開始。審判の席にはふくが立ってしまった。

 仕方ない。わたしは海鵺の後ろについて観察することにした。

 一方初も、ヒトカゲの後ろについた。

 ここで海鵺が一発入れるか、あるいは善戦するのであれば、全国が本気で見える。運の要素がかなり物を言うついたて将棋であるから、一局勝負ならある程度下剋上が見込める。

 と、期待を胸に背後で観戦し、

「…………参った」

 あっさりと、海鵺が投げた。

 いつもの早投げだ。

 が。今回ばかりは、それも仕方ない。

 何しろ、海鵺に残された手段は、粘って粘って粘って、決して逆転できない苦しい展開で醜く延命をするのみだったのだ。

 そもそも、序盤から、実力差が如実に表れた対局だった。

 海鵺は序盤巧者だ。先行逃げ切りタイプ。だというのに、その海鵺があっさりとリードを許した。そしてそのまま距離を広げられた。劣勢になってから、どれだけ勝負手を放とうと、手ごたえが全くない。まるで、すべて読まれているかのような妄想じみた感覚。恐怖。

 後ろから見ていて、ヒトカゲの駒がどこに暗躍しているのか、全く読めなかった。

 嫌な汗が背中ににじむ。

 これだけの大差がついたのは、単純に相性の問題もあるのだろう。タイプが似た者同士だから、海鵺がヒトカゲに対し勝っている要素がない。

 が、それにしても強すぎる。

 絶好調、最高最強鬼神のごとき強さの海鵺に、一分の勝機も与えなかった。

 ありえない。

 心の内で叫ぶ。なんだこの強さは。ありえない。動画で見て、十分に感じていた強さに、さらに磨きがかかっている。

 こんな正真正銘の化け物相手に、一体、どう立ち向かったら良いんだ。



 その日の帰り、ふくと別れ、海鵺と二人。

 海鵺が、ぽつりと漏らした。

「あいつには、私たちは、誰も勝てないわ。絶対に」

「ヒトカゲさんが強いのはわかるけど、ついたて将棋は運要素もあるし、絶対とは言わないでしょ。今回は運も悪かったし」

「あれは、運なんかではないわ。勘よ。勘で、私の陣形を見抜いた。本能が、ずば抜けているわ。下手をすると、通常の将棋以上に、一発入れられる確率が低いわ」

 そんな事、あるわけがない。心は否定するが、声が出ない。

 後ろで見ていただけのわたしにも、それは現実味のある感覚なのだ。対局者として向かい合った海鵺は、きっと、わたしの何十倍もそう感じたのだろう。

「……どうしようか」

「ふくを、大将にしましょう」

「……………………捨てるのか」

 わたしの言葉に、こくりとうなずく。

 捨ての大将。

 わたしと海鵺でヒトカゲ以外の二人を倒して、全国へ出る。

 合理的だ。

 全国に行くだけならば、一番正しい選択。

 物語的ではないし、王道でもない。ジャンプには到底掲載できない。そんな戦い方をしていては、全国に出てから通用しない。

 だが、わたしたちにとって重要なのは、全国に出ること、そのものなのだ。

全国に出た後勝ち進むかどうかは、もはやどうでも良い。

「そう、だね。そうするしか、ないよね」

 拒絶する心を喉の奥に押し込め、肯定する。

 苦渋の決断。

 全てを手にするためには、わたしたちには、力が足りな過ぎる。だから、一番重要なものを得るために、捨てなければならない。

 正々堂々と戦う、正義の心を。誇りを。

「んじゃ、まぁ、強くならないと。だな」

 ともあれ、彼女らと当たる前に負けては意味がない。彼女らを倒した後に負けても意味がない。全て勝たなければ、全国にはいけないのだ。海鵺を避けたところで、ほかのレギュラーも強者揃いであることは容易に想像がつく。わたしも海鵺も、ついたて将棋歴自体は浅いんだ。挑戦者という気持ちをもって、強くならなければ。

 改めて、気合を入れなおした。

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