第一章 邂逅(弐)
第一章 邂逅(弐)
「司令部より返信ありました」
通信士であるディアムが艦長に報告する。続く内容のせいで声のトーンが落ちている。
「……メンテナンスは無理、ですか?」
「はい。損傷軽微なら、そのまま作戦行動へうつれ、とのことです」
艦長のアルフェの言葉が肯定される。
(……予想どおり、ですね。ただでさえ無茶な命令でスケジュールが圧しましたし、作戦行動自体に問題がない損傷ですから……でも、不安だからメンテナンスしてください……)
少しの間だけ軍帽で顔を隠す。その間に表情を意識して引き締めると、帽子をかぶり直した。
「装甲表面にいくつかの損傷ともいえない傷。最大の破損箇所が艦橋近くのメンテナンスハッチ。対空迎撃機能、航行能力、他もろもろオールグリーン、ですからねぇ」
クリシアが溜息とともに言葉を吐き出した。
地上の基地からの出航から大気圏離脱テスト、そしてその後の作戦は、船体とデータのチェックポイントこそあるが、問題がなければそのまま続行されるのが当初からの予定であり、現在、そのとおりに進行している。軽微な損傷程度では停止命令は下りないことは、彼女達にも想定できる事態だった。
「メンテナンスの許可が下りない以上、当初の予定通り行きましょう」
アルフェは艦長として命令を下す。
「ファーラミィ少尉。破損部の状況はどうですか?」
「えとぉ、調整しましたけどぉ、ノイズが多くてぇ正常な数値が検出できません」
(やっぱり、無理、ですか)
アルフェは一考する。おそらく最後のライダーギアの攻撃にで、メンテナンスハッチを破壊して入り込んだ実弾か爆薬によって、周辺の伝送系ケーブルが損傷したのだろう。
(調整でどうにかなれば良かったんですが……)
「試作実験艦ですから、しょうがないですね。」
クリシアが困ったように首を傾げた。
本来なら戦闘艦にこのような外部に面したメンテナンスハッチは無い。そこが装甲の穴になるからだ。しかしこの「インサニア」は試作実験艦だから建造時の設計変更や修正、機能追加の皺寄せで、ほんの一部だが外部からメンテナンスする必要がある構造になってしまっていた。
そう多くないこの穴だが、先ほどの戦闘で、たまたま敵のライダーギアの攻撃がそこを直撃してしまったのだった。
「……その周辺のデータ収集を停止。通電その他も最低限を残して切ってください」
「了解しましたぁ」
(正常でないデータは無意味ですし、通電させ続けて漏電とか起こっても困りますし……きっと正しい判断です。うん、きっと)
ファーラミィの操作を待ちつつアルフェは軍帽をかぶり直した。
「次の作戦を開始します。全体スケジュールを三十分後方へ修正。司令部へ連絡を」
インサニアのはるか遠く、しかし宇宙空間ではごく近くに、巨大な建造物があった。
軌道エレベーター「ユグドラシル」。地上から大気を貫き伸び、さらに低軌道上をぐるりとめぐる「サークレット」を貫き、静止衛星軌道を越えて釣り合いが取れる先まで伸びている。その全長、じつに6万キロ以上。それが二本、地球から伸びており、「サークレット」と接続されている。地球を極方向から見たら、ちょうど「φ」のような形をしていた。
建造後、宇宙への進出速度は加速度的に早まった。当時はまだ重力制御機関は存在せず、ロケットのような非効率な噴射式から、高効率のエレベータ式に切り替わったのは一種の革命だった。単純に宇宙へ行くコストが千分の一以下になったのだから。
その宇宙開拓期を担った「ユグドラシル」は、多少の変化はあっても現役である。宇宙と地上の物流の要であると同時に、無限とも言える太陽光発電システムによる電力の伝送路、静止軌道に設けられた宇宙港など、担うべき役割は多い。
アルフェはちらりとだけその建造物を見た。五千キロ以上離れており、細い線としてだが肉眼で見えるほどの建造物。移動を続けるインサニアからは、ほどなく見えなくなってしまうであろう地球圏の象徴。また少しだがそれに繋がった地球の表面も視界に入った。
(……また、帰って、これます……よね?)
彼女の心の中だけの祈りは、誰にも届きはしなかった。
この時代、エネルギーの供給源は大きく二種類ある。
一つは無尽蔵ともいえる太陽光発電システム。燃料の供給の必要も無く、半永久的に発電し続けるそれは、宇宙コロニーや基地などの建造物に設置されていた。また宇宙に設置されたそれらは、天候などの不安定要素を受けることなく発電し続けられる特徴もある。そのため地上へも軌道エレベータ「ユグドラシル」を通して電力が供給されていた。
もう一つは核融合炉発電システム。これは戦闘艦をはじめとした移動するものに搭載されている。月面や小惑星から採取されるヘリウムⅢ(スリー)を燃料として補給する必要はあるが、コンパクトで高出力であるため、搭載する以外でも基地などで補助電源として利用されている。
この核融合発電システムは、旧来の火力や原子力と違い蒸気タービンを用いないのも特徴だった。そもそも宇宙では重力が無いので対流が起こらないため、蒸気タービンは使えない。そこでドーナツ型の炉の内部で制御されるプラズマリングが発生させる自発電流を、間接的に取り出す方法が実用化された。最小限の廃熱しか発生しないのも、宇宙空間では都合が良かった。
インサニアはそのドーナツ型の核融合発電炉を主電源用として二基、補助電源用兼推進エンジン用を三基、計五基もの発電炉を搭載している。これは主、副、補助の三基を搭載するのが基本の戦闘艦の中でも多いほうだった。単純な総出力はインサニアの倍はある大型空母クラスに匹敵している。
これほどの出力を擁しているのは、もちろん理由があった。
「各推進エンジン用核融合炉、アイドリング解除。出力規定どおり上昇中」
「推進システムぅ、チェック終了ぉ。オールグリーン」
艦橋では次の作戦のための作業が続けられていた。
「ファンネル・アーム、亜光速航行モードへ」
「了解」
アルフェの命令でインサニアの形が変わり始める。
細長い三角錐ともいえる形をしていた艦の、前方の半分が三つに別れる。まるで三本の巨大な腕のようなそれは、何かを掴むかのように大きく広がった。
「ファンネル・アーム、展開完了。アーク・シールド展開完了。電磁誘導幕も展開完了」
そしてその広げた腕の間にアーク・シールドによって幕が張られ、また見えないが腕に搭載され、海上での推進に使用した巨大な電磁石による磁場も展開されている。まさに漏斗が、艦の前半分によって形成されていた。
「航行ルート上の情報来ました。誤差五パーセント圏内含めクリアです」
全ての準備が終わり、各員の動きが止まると艦橋が静寂に包まれた。
(本当はここで、作戦前の励ましや発破の言葉を発したりするのも艦長の役目でしょうけど)
アルフェは軍帽を押さえる様にかぶり直した。
誰も彼女のほうを見ないが、命令を、言葉を待っているのが判る。
(無理無理無理無理むり、むりです……! そんな気の利いたことできません!)
いくつか言葉の候補は脳裏に浮かんだ。しかし彼女は全てを否定する。これから行う作戦内容を考えると、どのような言葉も軽く、無意味に感じてしまったからだ。
彼女は苦悩を一切表に出さず、無表情のまま、ただ命令だけ下した。
「作戦目標へ向かって亜光速航行開始!」
「「了解」」
複数人の声が重なる。まるで一つの声に聞こえるような完璧な同調だった。
ただ、副長であるクリシアだけが彼女を見て、小さな溜息を漏らしていた。
インサニアにはいくつかの推進システムが搭載されている。重力を無効化できる重力制御や擬似慣性制御のようなアーク・ドライブ、姿勢制御用のフライホイールなど。しかし単位時間あたりでもっとも出力が高いのは、旧来の推進剤を使った噴射方式だった。それはこの艦の後方に三基の巨大な推進エンジンとして搭載されていた。
丁度三角錐の底面の頂点に搭載され、各々が自己主張するかのように出っ張っている。核融合炉を動力源とするため、これ一基で通常の戦艦一隻を戦闘速度で動かせる出力を持つ。その分巨大であり、また逆噴射口も備える故に出っ張っている。
そして。第二宇宙速度に達するまで使用されることも無かった推進エンジンが文字通り火を噴いた。正確には核融合炉の電力でプラズマ化された推進剤を、電磁誘導で後方に加速、噴射してその反動で艦を前方へ推し進める。火は、このプラズマ化した推進剤そのものだった。
インサニアは強力な推進力を得て加速する。
通常の艦船はもとより、高速戦艦の最大戦速をも超え、さらに加速を続けた。
ところでこの艦には、もう一つ、他には無い推進システムが搭載されている。むしろこれの実験のために、インサニアは建造されたといっても過言ではない。
「ラム圧、上昇を確認」
「集積物質密度ぉ、規定値の七十パーセントを超えましたぁ」
「集積口開放」
「開放します」
漏斗のように広がった艦首のために、宇宙空間に漂う星間物質が漏斗の口に集まりだす。そこにあった蓋、集積口が開放され、集められた星間物質が艦内に流れ込み始める。
「集積物質密度ぉ、規定値の八十五パーセントですぅ。点火可能領域ですぅ」
「バサード・ラム・ジェットエンジン、点火!」
移動するものが前面に受ける圧力をラム圧という。かつてまだジェットエンジンが実用化される前、複雑なジェットエンジンの加圧システムの代わりに、このラム圧を使うエンジンが考案された。それがバサード・ラム・ジェットエンジンである。
理論は簡単で、何も無い吸気口から後方に管を伸ばし、その途中を狭くする。狭くすることで自然に吸気が圧縮、加速されるので、燃料を混ぜておけば点火するだけで後方に連続的な噴射が可能となる。構造も管の太さを適度に増減させるだけなので、製造もたやすい。
しかしながら点火までにある程度の速度が、ラム圧が必要なため、静止状態での点火は不可能であり、またラム圧事態も外部の気圧や温度の影響を大きく受けるため、制御が非常に難しいという欠点があった。そのためこのエンジンが実用化される前に通常のジェットエンジンが実用化され、机上の理論で終わった経緯がある。
ところがその後も、超高高度などジェットエンジンが有効でない環境下において、実用化の研究が繰り返された。
このインサニアもまたその実験の一つと言えるだろう。
旧来の実験と異なるのは、大気圏外であることと、ラム圧になる星間物質が水素やヘリウムを主とした希薄なガスであること、そして燃料自体にこのガスを使い、点火させる方法として核融合を起こすことだ。
「第一次点火確認。炉心圧力上昇してますぅ」
取り込んだガスを炉心内で、ラム圧と極めて強力な磁場で圧縮して核融合を促し、強力な熱エネルギーを発生させる。一定を越えた時点で核融合が始まると、あとは次々に送り込まれる圧縮されたガスがさらに核融合を起こす。
ガスは極めて希薄であるが、内宇宙なら到達可能な速度で核融合に足る量を得られる。
「炉心圧力ぅ、規定値に到達しまいたぁ。第二次点火に移行しますぅ」
そして核融合を起こした物質自身を推進剤として、また核融合の熱による爆発力を推進力として後方に吐き出し、その反動で加速する。
「重力制御、出力最大。総員衝撃に備えろ!」
三基の核融合推進エンジンに囲まれた、底面の中心に巨大なノズルがある。そこから眩いばかりの光と物質が噴出された。
瞬間的にかかった荷重は重力制御によって相殺されるが、タイミングのラグによって一瞬だけ身体が押し付けられるのを感じた。
加速することでラム圧が高まり、さらに加速していく。燃料と推進剤を外部に依存するこのエンジンは、理論上、亜光速まで加速が可能だった。
「第二次点火を確認。加速開始しましたぁ。問題ありません!」
報告に艦橋の緊張が緩む。
(目的地まで七時間……また……)
しかしアルフェの心は、まるでインサニアの加速の加重がかかっているかのように強い過負荷を感じていた。
「目標、バサード・ラム・ジェットエンジンの点火を確認」
薄暗い艦橋で、一人の少女が報告した。
彼女は中央のカプセルに横たわり目を閉じていた。髪から肌まで全てが白い少女は、しかし正確に情報を報告している。
「望遠最大で観測続行」
「了解」
下された命令に、しかし少女は何もしない。ディスプレイの映像は拡大されたのに。
命令を下した人物は、艦長席に座った女性だ。彼女もまた白かった。しかしその相貌は開き、ディスプレイに写ったインサニアを凝視していた。否、睨み付けていた。
二人だけが今ここに居た。二人は良く似ていた。色だけでなく容姿そのものが。
しかし儚い少女と違い、女性は生命力の力強さを感じる。
よく見比べてみれば、身体の年齢差はほぼ無い。単純に生命力が二人の印象を変えていた。
(……殺してやる……)
不吉な一言。誰にも、少女にも聞こえないほどの呟き。
そのままインサニアが見えなくなるまで、彼女はディスプレイを睨み続けていた。
(ここは、どこだ?)
リクトが気が付いたとき、暗闇の中で体中にケーブルが巻きついた状態だった。ケーブルを解き、宇宙仕様のパイロットスーツのヘルメットに常設されているライトで周囲を照らす。
(狭いな。どこかの通路……いや共同溝か?)
ケーブルの類は電力や通信用のようだが、壁には何かのパイプもあった。
(真空?……宇宙か?……そもそも何があった……)
光の反射具合から真空であることはわかるが、強い衝撃を受けて気を失ったのだろうか、直前の記憶が曖昧だった。重力があるのは重力制御下に居るからだろう。
(地球へ降下して、インサニアへ攻撃をして、皆が隊長が死んで……俺も攻撃して……)
徐々に思い出す。あの一瞬の判断と行動も。
インサニアへの攻撃を決定した時点から、リクトは妙な違和感を感じていた。
なぜ敵艦がわざわざ信号弾まで使って位置を知らせてきたのか。
なぜ攻撃部隊が来ている時に、回避や迎撃に向かない大気圏離脱行動をとったのか。
また艦橋を覆っていたアーク・シールドの切れ目を見つけた時、撃てるだけの装備を撃ちまくっていたが、その時、その違和感は最大になった。
自分の意思で判断して行動していたはずが、相手にコントロールされているような違和感。
(罠か……)
その閃きは、違和感を恐怖へと上書きした。
その後は咄嗟の判断だった。
たまたま視界に入ったハッチに、残っていたミサイルやランチャーを撃ち込んだ。軌道制御のためにワイヤーを射出して一時的に相対速度を合わすと、旧式独特の腹部のハッチを開いて飛び移ったのだった。
(そのままこの共同溝を切れたケーブルと滑り落ちて、絡まって止まったのか……)
おそらくその時にむちゃくちゃな加重がかかって気を失ったのだろう。
(……壁に叩きつけられなかったのは、ただ運が良かったんだよな)
血の気が引いた。しかしパイロットスーツのおかげか、幸い肉体へのダメージは無かった。
(時間は……え? もう六時間も経ったのか?)
左手首の汎用パネルの時計を見て驚いた。あの作戦開始からすでに六時間も経過している。
(まずい。酸素が残り少ない!)
ライダーギアに乗っていた間は外部から酸素が供給されていたが、今はスーツの緊急用ボンベで賄っているはずだ。通常消費だと五時間程度だが、気を失っていたため消費が少なかったのだろう。しかしいつ尽きてもおかしくない状況だ。
(エアロックか、どこかに行かないと)
破壊した箇所から一度外に出てエアロックのハッチを目指すことも考えたが、そのハッチが開かない可能性があるし、確実に敵に補足、拘束されるだろう。
ならばと逆に奥へ向かうここがメンテナンス用の共同溝なら、ケーブルやパイプがどこかへ繋がっているはずで、そこから艦内へ入れるかもしれないからだ。重力制御下に居るということは割りと内部に入り込んでいるはずだ。どこに繋がっているかは判らないが、敵に補足される可能性は外を回るよりは低い。
リクトはケーブルを身体から外すと、共同溝を進んでいった。
「……見飽きたな」
ぼそりと操舵士が呟いた。
装甲シャッターを下ろしているが、外の様子は正面ディスプレイの他、操艦用のそれにも表示されている。
最初こそ亜光速特有の前方が青白く後方が赤くなる世界、光のドップラー効果に興奮もしたが、数時間見てれば飽きるのは当然だった。
「ベアトリーチェは、もう休んだんでしたっけ?」
通信士が聞いてきた。
「ああ。きっちり三時間休ませてもらった。単にすることが無いから暇なんだよ。って、ごめん。ディアムのほうがもっとすること無いよな」
操舵士ベアトリーチェは、通信士ディアムに謝った。
「まあ、亜光速航行中は通信できませんからね」
電波もまた光の一種である。光のドップラー効果の影響を受けるので、周波数が変化してしまう。理論上は補正が可能だが、そこまでして通信を行う相手は居ない。
亜光速航行中は操舵士もすることが無い。軌道補正などはコンピューターが自動で行うからだ。あくまでいざというときの対処のためにここに居る。
逆にそのいざという時も無い通信士は、一番暇だと言えた。
「クリシア副長は、何してるんだ?」
ほぼ真後ろの副長に対し、ベアトリーチェは席の上くるりと回りって背もたれに腕と顎を乗せて聞いた。口調に階級差を感じない。艦長不在ということもあり、彼女はあまり階級自体にに頓着していないようだ。
「作戦内容の見直しと、艦内状況の確認、ですね」
「まじめだねぇ」
クリシアの返答に、ベアトリーチェは呆れたように言う。
「アルフェ艦長ほどじゃないですよ」
艦長も含め、今ここに居ないのは現在休憩中だ。少しずつ時間をずらして休みを取ってる。
「……艦長、ねぇ……」
ベアトリーチェの口調に、明らかな嫌悪が乗った。
「確かにまじめだけどねぇ。融通が利かないというか、上の言いなりというか。まあ能力は誰よりも上だろうけど」
「……ベアトリーチェ中尉は艦長が嫌いですか?」
あくまでにこやかに、しかし強い口調でクリシアが聞く。
「あ……いや、嫌いってわけじゃない。なんというか……そう、馴染めない感じなんだ」
ベアトリーチェが困ったように呟く。
「まあ、それは解りますね。なにか壁があるというか。エファやファーラミィも同じようなことを言ってましたし、全員感じているんですね」
ディアムも賛同する。何かしら全員が艦長に対して感じているとうことだ。
「貴重な意見、ありがとうございます。まあ、その感覚は私も解るのですが」
クリシアの口調が柔らかくなる。ベアトリーチェとディアムが内心安堵した。
「なんというか、副長も感じているなら、艦長に問題があるんだろう? 改善を進言したほうがいいんじゃないか?」
「かもしれませんね」
でも、とクリシアは続ける。
「優しい人ですから、それはできないでしょうね」
アルフェは睡眠カプセルの中にいた。わずかな重力と淡い光。そして精神を安定させる環境音と空気イオン。極限まで人間をリラックスさせ、疲労回復させることを目的としたその中で、彼女は夢を見ていた。
よく見る夢。それはアルフェがもっとも好きな時間。
まだ彼女が宇宙に上がる前、夕日が空を黄金色に染める黄昏時。夢はいつもここから始まる。
心地よかった風が少し冷気を含み初め、薄着の彼女の身体を撫でてゆく。
腰掛けたコンクリートも徐々に冷え始める。
そばから元気のいい声が聞こえる。見ると、まだ幼い男の子が草むらの中ではしゃぎ回っていた。知り合いではない。その時に会ったきりの少年だ。
彼女自身の時間からみても、それほど昔ではない。しかし、もう男の子の顔は思い出せない。
それは寂しいことだった。二度と彼に会えないことは判っていた。だから会えないことより忘れてしまったことが寂しかった。
(……私が帰ってこれたのは……いえ、帰ってきたのはあなたのおかげ。会えれば……いえ)
いつのまにか彼女は軍服を着ていた。
(会わないほうが、いいですよね。……もし一瞬でも軽蔑の眼差しを向けられたら、もし一言でも侮蔑の言葉を言われたら、もし、もし、私があなたを殺してしまっていたら……それが判ったら……きっと私の心は砕けてしまう)
アルフェは自らを抱くように、身体を縮こまらせる。
(最後に残ったもの……あの時、あなたがくれた心が、無くなってしまう)
彼女は泣いていた。夢の中だから、心の中だから、彼女は泣いていた。
けたたましい警報が鳴り響く。
反射的に覚醒したアルフェは、備え付けの端末から艦橋に連絡を取る。
「どうしました?」
声はいつもどおり、感情を含んでいない。夢の中の彼女の心は表に出ていなかった。
『火星軍から攻撃を受けました。予想より手前に防衛ラインが敷かれていた模様です』
「損害は?」
『ありません。アーク・シールドで全て防げています』
アルフェは時間を見た。経過時間からアークの生産量と残量を瞬時に計算する。
(まだ大気圏離脱時の消費が回復してない……もう少しだったのに。予定より早く攻撃を受けてますし、作戦終了までアーク・シールドが維持できるかは微妙……うう、だからメンテナンスして時間が欲しかったのに……)
「すぐに行きます。総員第一種戦闘態勢へ!」
けたたましい警報を聞いて、リクトは心底驚いた。
(見つかったのかと思ったが……違うな。これは攻撃を受けている?)
通路の角から向こうを伺いながら、断続的に発生している不規則な微小な揺れを感じた。
重力制御された宇宙船の中では、どのような揺れも感じることはない。加速でかかる加重は重力制御によって相殺され、人が感知することはできないからだ。
しかしその重力制御も、想定外の加重は相殺するのにラグが発生してしまう。例えば重力制御の出力上昇が間に合わない急加速や、攻撃を受けた事による複雑な加減速である。そのラグによって発生する僅かな加減速を人は揺れとしれ感じるのだ。
(何と戦っている?……地球圏に金星軍でもやってきたか?)
火星軍は地球圏まで攻める力は残っていない。それは彼自身よくわかっていた。そうなると地球軍と互角に戦っていると聞いている金星軍が候補にでてくるが、金星は今、地球から見て太陽の向こう側のはずだ。この時期に大遠征をする可能背は極めて低い。
(それに……)
リクトは通路を曲がって思う。
(誰も、居ない?)
彼は共同溝を奥へ進んで、うまいことメンテナンス用のエアロックへたどり着いていた。そこから内部へ入ると、周囲への警戒を強めつつ艦橋を目指していた。
そしてほどなく、人の気配が無いことに気が付いた。
警戒して監視カメラやセンサーももちろんだが、ヘルメットを脱いで音にも気をつけていた。ところが空調の音以外、何も聞こえなかったのだ。人の歩く音、話し声、ドアの開閉音、誰か居るなら何かしらするはずの音が、何一つ聞こえない。
(幽霊船……じゃ、ないよな?)
煌々と明かりがついていて重力制御なども行われている戦闘艦には、その名称は似合わない。
(まだ、自動操艦の方が、しっくりくるな)
完全自動の無人艦。もしくは遠隔操作艦。それならあるかもしれないと思えた。
(……一気にいくか)
警戒しながらの移動は時間がかかる。無人艦なら対人警戒は解いていい。その分移動が早くなる。
(と、その前に)
通路の途中にあった端末の前で足を止めた。
(見つかるのが怖くてスルーしてたけど、この分ならアクセスしてもさほど問題ないだろう)
手早く情報を引き出す。
当然ながら地球軍でないリクトには、セキュリティが最低の情報しか引き出せない。艦内地図や現在位置など、当たり障りのないものしか見ることはできない。
しかし、今はそれが重要だ。勘で艦橋に向かうより、地図で確認したほうが確実だから。
「え?……」
引き出せた情報のうち、現在地の表示を見て手が止まった。もう一度操作しなおす。操作ミスをしたと思ったからだ。しかし表示される内容は同じだった。
現在地の一般公開表示は、安全性の担保のために存在している。広い宇宙空間で闇雲に脱出しても、救助される可能性は高くない。しかし的確な位置と進行方向が判ることで、生存率の高い方向に脱出することも可能となる。故に現在地に虚偽はありえない。
リクトは次に時間を確認した。
(時計が狂っている……わけはない。それなら酸素ボンベが尽きているはずだ)
自分の体験と体感時間が、時計が間違って無いことを裏付ける。
「なら、なんで……」
信じられないことに、現在地は火星近辺を指していた。
現在、火星と地球は最接近している時期だ。しかしその距離は実に五千万キロにもなる。最新の高速宇宙船でもおいそれと移動できる距離ではない。通常の惑星間航行船で一ヵ月。軍の高速艦でもその半分の二週間はかかる。
実際リクトも火星軍のステルス高速艦で移動して、地球圏近くにたどり着くまで三週間も狭い艦内で過ごした。
それが、たった六時間程度で移動しようとしている。
「これが……この戦闘艦の、本当の秘密か……」
距離という絶対的な障壁。今まで火星はそれで守られていたと言っても過言ではない。
補給も考えれば、火星圏へ攻めこむには大艦隊に加えて多数の補給艦も随伴しなければならない。当然、反対側の金星軍に対し防御力が落ちるし、それほどのリソースを注ぎ込むほどの価値は、資源もエネルギーも乏しい火星には無い。
しかし、それが日帰りで可能な距離となるなら話は変わる。
リクトは視界が揺らぐのを感じた。資源もエネルギーも技術も、全て負けている相手に勝てる道理など存在しない。
(……?)
同時に疑問が沸いた。前回の攻撃が、この戦闘艦の実践テストだとすると、今回は何のために来たのだろうか。
しかし考えるまでも無く、その答えはすでに出ている。
「……降伏勧告……ならいいよな……」
リクトは艦内地図で現在位置と艦橋の位置を確かめると、拳銃を握り直して走り出した。
「現状報告を」
アルフェが艦長席に着いた。短期睡眠休憩に入っていた彼女が一番遅い。
「減速シークエンスを一時中止しました。ファンネル・アームは収納済みです」
「接触予定より一時間早くぅ、火星軍からの遠距離攻撃を受けましたぁ」
「アーク・シールドを緊急展開しましたので、損害ありません」
「敵ぃ、最大望遠で十二隻をぉ確認。艦種はぁまだ特定できていません」
「アークの残量は?」
「七十八パーセントです」
アルフェは軍帽を被りなおす。
「クリシア副長、現状から予定通り進行して、作戦を完遂できると思いますか?」
「……無理、だと思います」
彼女にしては珍しく難しい顔をした。すでに作戦に対する考察は終わっているのだろう。
「シールドを張ったまま減速はできません。無理やりできなくはないですが、アークの消費量も上がります。そうなったら目標への攻撃まえにアーク・シールドが維持できなくなります。待ち構えていた以上、相応の砲火にさらされるでしょうから、単艦突破は不可能かと」
亜光速航行からの減速は、蓄えた星間物質を核融合エネルギーで逆噴射することで行う。逆噴射といっても三基の推進エンジンの逆噴射口から放出すため、ファンネル・アームは閉じたまま行える。しかし、前方に向かって噴射するため、展開したアーク・シールドが邪魔になるのである。アーク・シールドを支えているのは艦自身なので、帆のような効果になってしまうのだ。艦首のみに展開することもできるが、噴射と接触するのは避けきれない。
向かう先には残存する全ての火星軍が待ち構えている。攻撃を受け止めるアーク・シールドが無くなれば単艦の戦艦程度、撃沈させるのにさほど時間はかからないだろう。
(……困った、困った、困った、困った……十分なアークが無い、攻撃を予定より早く受けている、作戦シークエンスを続行できない……八方ふさがりすぎる……減速できないと……)
アルフェは軍帽を一度脱いだ。そして大きく息を吸うと、被りなおす。
(減速……しなくて、いいかな)
「テスト要項を修正します」
クリシアはじめ、全員が思わず振り返った。
「現時点で作戦シークエンスの続行は不可能と判断から破棄します。目的のみを最優先」
「げ、減速しないんですか?」
クリシアがアルフェの言葉に驚いていた。
「ファーラミィ少尉。火星との相対速度は? またこの速度での目標までの時間は?」
「現在、時速三メガキロですぅ」
宇宙では地上と桁が違うため、キロの上のメガやギガが普通に使われる。この場合、正確には時速三ギガメートルなのだが、時速はキロとセットで使われることが通例になってしまっているため、時速三百万キロメートルが、通例的に時速三メガキロと略されてしまっている。
「目標まではぁ、直線航路で約十八分ですぅ」
「では防衛艦隊突破後、攻撃シークエンスへ移行します」
「ちょっと待って下さい。相対速度がありすぎて攻撃できません!」
クリシアの意見に、しかしアルフェは無表情で答える。
「減速シークエンスは最後までできていませんが、亜光速というわけではありません」
「それでも、地球から月に7分程度で着く速度です。速過ぎます」
「分かっています。ファーラミィ少尉」
「は、はいぃ」
「レーダー観測情報を適時処理。目標までの進路上の敵および障害物を最優先で通達。ディアム少尉は、敵通信から敵の動きを推察、適宜に報告を」
「「りょ、了解」」
「エファ少尉は、アーク・シールドの制御、およびアーク残量の管理」
「了解」
「ベアトリーチェ中尉、目標までの操艦、まかせました」
「あ、ああ、わかった。いや、了解」
「クリシア副長は、艦のダメージコントロールをお願いします」
「了解、です」
クリシアが「テストを中止して」と言い掛けたのが分かった。また全員の戸惑いや驚愕も分かった。アルフェ自身、自分らしくない判断だとも思う。
(……人を殺さなくて済む、チャンスだよ……)
心の奥底で何かが呟いた。その誘惑に乗りたくなる。
(成功、失敗、どっちにしろテストとしては不十分になる。だから殺さない方向が正しいのかもしれない……)
しかし彼女には、心の奥底で呟く何かは死神だとわかっていた。
(失敗すれば、皆が廃棄処分にされる可能性が高い……)
天使は呟かない。戦場に天使なんていないのだから。
「では、即座に作戦開始です」
「敵艦、減速せずに突っ込んできます!」
火星軍最遠防御艦隊の旗艦の艦橋に、報告が響き渡る。
「よし。予定通りだ。そのまま敵艦の行動を阻害するように撃ち続けろ。撃沈する必要は無い。減速させなければこちらの勝ちだ!」
火星軍は、前回のインサニアの攻撃から、敵艦の行動と制約を予測していた。まったく同じ行動をとる可能性は、実は制約のための高いと予想されていたのだ。
制約とは、そのあまりにも速すぎる相対速度だ。
リクト達は早々に地球圏に向かったので知ることはなかったが、その後の調査からインサニアが、時速数百万キロに達する移動をしてきたことが解っていた。これ事態、宇宙戦争の常識を覆す大事だったが、それは同時に減速しなければまともな戦闘ができないことも示していた。
通常宇宙では戦闘艦同士の撃ちあいは起らない。互いに相対速度がありすぎて、出会っても一瞬で通り過ぎてしまうからだ。そのため動かない拠点への攻撃の際にのみ、防衛艦隊との艦隊戦が起る。
逆に言えば、減速させなければインサニアは火星を通り過ぎるしかないということだった。
相手が単艦であるなら、艦隊戦の撃ち合いで撃沈させることも可能かもしれないが、一撃でコロニーを破壊できるレベルの兵器を持つ相手に対し、コロニーを背に撃ち合うわけにはいかないという判断もある。
そういう判断も踏まえて配置されたのが、この最遠防衛艦隊だった。
「敵艦進路上に機雷散布終了しました」
「よし。このまま罠まで誘導してやろう」
「前方にぃ機雷原を確認! 接触まで十八秒!」
「艦首にアーク・シールドを集中! 総員対ショック体制。あと、なるべく避けて!」
「わかってるよ!」
ファーラミィから受け取ったデータが、操艦用ディスプレイにに追加される。撒かれた位置、範囲からもっとも機雷の密度が薄い箇所に向けて、ベアトリーチェが進路を修正する。
「く、速すぎる……」
相対速度がありすぎて、発見から接触までの時間が短すぎるのだ。
「三、二、接触します!」
ズズズ……
今までで一番大きな揺れが起った。席から投げ出されるほどではないが、多少は身体を支える必要があった。
「損害報告! あと、アークの残量を」
「アーク・シールド消滅。艦に損害はなし。シールドの再構築でアーク残量は五十二パーセントまで低下します」
クリシアの報告に何人かが安堵する。しかし今のでアーク・シールドが一時的に消滅した事実は、それ以上の罠だと耐えられないことを意味している。
(よかった、よかった。ぎりぎりすぎでしょう……ベアトリーチェありがとう!)
「攻撃シークエンスへ移行! ファンネル・アーム、ソルブレイカーモードへ」
アルフェは頭の中だけで感謝を叫びつつ、言葉は次の命令を出していた。
再び艦首が分かれ始める。しかし今度は広がるのではなく、根元のもう一つの間接によってアーム自体は、並行を保ったまま開いていく。丁度三本のアームによって、通路のような空間が形作られていく。
「ファンネル・アーム、展開完了。磁気チェンバー構築開始」
「アームの超電導コイルに異常なし。核融合炉、炉心圧上昇開始します」
エファとクリシアが各々報告を続けていく。
「磁気チェンバー構築終了」
アルフェは軍帽を被りなおした。
(……生きるために殺す……しかたながいけど、たぶん皆に恨まれるよね……)
「炉心開放。ソルブレイカー、発射体制へ」
「了解。炉心開放します」
アルフェの命令でエファは次の段階へ進める。
バサード・ラム・ジェット推進の吸気口が開き、今度は逆に眩いプラズマが流れ出した。三本のアームの間の空間を磁気に沿って流れ、長細い棒状になる。
「プラズマ量、規定値に到達。炉心閉鎖」
「超電導コイル、出力上昇中。異常なし」
細長い棒状のプラズマが、磁気によってさらに細く、短くされていく。
原子は互いに斥力によって、ある程度以上近づくことは無い。高温でプラズマ状になり、電子を失った原子核は、さらに電気的な反発によってさらに弾かれる。ところが、あまりに高温になりすぎると、斥力を超えて原子核同士がぶるかるようになる。
しかしそこまでの熱量はインサニアには作り出せない。代わりに電磁力によってプラズマの動く空間自体を狭めていく。高温のプラズマは動けなくされていき、ついには原子核同士がぶつかり始め融合し、別の原子核に変わって行く。その時、僅かな質量欠損が起り、その分がエネルギーとして放出される。これが核融合である。
インサニアのアームの間の空間から、眩い光があふれ出した。
本来は炉心内で行う核融合を、インサニアは艦首のアームの間の空間で行ったのだ。
「核融合反応を確認。ソルブレイカー、いつでも発射可能です」
「航路途中にぃ、小惑星郡を確認しましたぁ! 障害物にしているようですぅ」
エファの報告と、ファーラミィの報告が重なる。
「小惑星郡を回避! ソルブレイカー発射は一時停止して」
恐らく火星の資源惑星だろう。小さいといっても相応の質量がある。加えてこちらの相対速度だと、まともにぶつかったら間違いなく致命傷になる。
(……ですよね。対策しますよね……防衛艦隊の攻撃と機雷郡で速度を維持させたまま、小惑星にぶつける二段構え……撃たせなければ向こうの勝ちですから。少ないリソースで最大の効果。さすがです……お願いします。今度も避けて、ベアトリーチェ!)
「火星軍の大艦隊を確認しましたぁ! 発砲も確認……」
報告途中で艦が断続的に大きく揺れた。防衛艦隊とは桁が違うのが揺れでわかる
真空の宇宙空間で主に対艦兵器として用いられるのはビーム砲である。重金属のプラズマを磁力によって発射する。自らの回転によって安定したそれは、着弾相手にエネルギーを転化して破壊する。破壊力の割りに総質量が小さいため反動が小さく、無重力で真空の宇宙では命中率も信頼できる。小型化は難しいが、威力に比例した大型化が容易であるのも特徴だった。
そして相対速度が速いといっても、宇宙空間で等速直線運動をする相手に命中させるのは、さほど難しくない。インサニアは良い的になっていた。
「シールドに着弾を確認! 損害はなし」
「ああ、もう! 小惑星避けるのが精一杯で、回避行動がとれないのに!」
ベアトリーチェの愚痴は、正しく火星の戦術を現していた。
「アーク・ドライブの使用も許可します。可能な限り回避を!」
「了解! それならまだ何とか……」
砲火によってアークが削られるのと、アーク・ドライブによって消費するのと、どちらが多いかははっきりわからない。それなら被弾が減る可能性が高いほうがましだろう。
「小惑星郡まで、あと五秒……二、一、通過しましたぁ」
直径五十メートルにも満たない小惑星だが、ほんの数メートル横を通過した。にもかかわらず視認はできなかった。秒速で百キロ近く。百キロ先のものが一秒後横にある状態。それほどの速度である。レーダーによる誘導がなければ、避けることは不可能だ。
ドガン
攻撃とは別種の、響くような揺れと音がした。
「下部装甲に破壊を確認!」
「被害状況、および攻撃方法を分析」
「……破損は装甲表面のみ。貫通せず。周辺の溶解を確認。損害軽微です」
クリシアの報告に一同が胸を撫で下ろす。装甲表面のみなら同じ箇所に受けない限り、損害は無いに等しいからだ。
「分析結果でました。おそらく石です。推定百キロ以下の岩石かと。それがアーク・シールドを貫通したと思われます」
エファが報告を上げる。
(小惑星を動かした際に残った石、でしょうね……まだ火星側に理性が残ってて良かったぁ)
アルフェもようやく安堵の息を吐いた。火星軍が小惑星を粉々にしてばら撒く無茶をしていたら、インサニアは散弾を食らったスイカのように、真っ赤に溶解してはじけ飛んでいただろう。しかしそんなことをすれば火星は資源衛星を失うばかりか、飛び散った岩石が自身の生活圏に降り注ぐ。さすがにそこまでは捨て身になってはいないらしい。
「方位補正。標準を目標へ固定。急いで」
「だ、だめですぅ」
アルフェの命令に、しかしファーラミィが異を唱えた。
「目標前方にも、小惑星郡がありますぅ。射線が塞がれていますぅ」
「敵艦、第二防衛ライン突破!」
「予測射線上に、防衛ライン形成完了しました」
火星軍の司令室で、年老いた司令官が報告を聞いている。
(こちらの思惑通りに踊っているが、それでもギリギリを通ってくるか……)
敵の目標は、進路から推察するに、火星の大型コロニーの一つ「マーズ1(ワン)」。そこにあのコロニー破壊兵器、ソルブレイカーを撃ち込むつもりだろう。
極めて強力に圧力を掛け、同時に電磁力によるスピンによる見えない核炉を与えられた光の弾は、早々に自らの核融合資源を使い果たす。そのため周囲から資源を吸収し、核融合を始める。資源が多ければ多いほど核融合による発生エネルギーの総量は上がる。
鉄以上に重い重金属は核融合には向かない。水素などが最適ではあるが、核融合が強力なら軽元素は範疇に入る。
(宇宙空間で、もっとも軽元素が、常温気体が詰まっている場所、それがコロニーだ)
マーズ2(ツー)の悲劇からの調査結果が脳裏に蘇る。
敵艦から撃ち出された時点のエネルギー量だけで考えれば、ちょっと強力な拠点攻撃兵器でしかない。しかしコロニー撃ちこむ事で、コロニー自体が持つ大気を飲み込み成長する兵器と化す。コロニーには多くの人々が居り、彼らを核融合の光で焼きながら、そして飲み込みながら成長する。まさに悪魔の兵器だ。
「マーズ1(ワン)の避難状況は?」
「コロニー外への退避率、コンマ二パーセント。外壁シェルターへの非難率は九十六パーセントです」
一億人が住む火星圏最大のコロニー、マーズ1(ワン)。この短い時間を考えれば、二十万人がコロニーの外へ避難できたのは、驚くべき数字だといえる。
「敵艦。予測進路から外れます」
マーズ1(ワン)へ向かって進行していた敵艦。進路妨害と射線妨害のために資源衛星を置いたのは正解だったようだ。あの速度なら一度火星圏から外れれば、容易にはもどってこれないだろう。
「敵艦の発射体制は解除されているか?」
「いえ、まだ発光を確認しています……あれ? これ、旋回している?」
「なんだと?」
「敵艦の艦首方向が、進路上からずれていっています」
「回頭九十度、完了」
「進路方向ぉ、射線上ぉ、障害物をぉ、確認できません」
「アーク・シールド。防御方向を限定します。アーク残量二十七パーセント。維持限界です」
「敵艦隊、こちらの意図に気付いたようです。集中砲火の指示が出ています」
アルフェは目標との間に障害物を置かれた時点で、そこからの攻撃を諦めていた。ソルブレイカーは、岩石相手だとだたの威力の高い熱弾でしかない。目標に到達前に無力化されてしまう可能性が高いからだ。
そのため艦の進路を脱出可能な方向に修正し、しかし射線は確保できるように艦の向きを変えたのだった。無重力の宇宙空間では、物体は等速度直線運動を行う。もともと速すぎる艦の速度を考えれば、脱出による加速は不要なのでとれた作戦であった。
(策士策に溺れたのか、堤も蟻の穴で崩れたのか、塞翁が馬なのか……火星軍はやるべきことをやり、私たちもやるべきことをやって、結果がこうなった、だけですね……)
アルフェは難しい顔を軍帽で少し隠した。
「発射シーケンス、カウントダウン三十より開し……」
「動くな!」
「ひしゃぃ!」
突然の乱入者の怒声のような強い声に、アルフェの言い終わりかけた言葉が裏返った。
思わず全員が声のしたほう、艦長席の副長の居ない方の出入り口を注視する。
そこには銃を構えた火星軍のパイロットが立っていた。
「全員動くな!……なんだ?」
銃を構えながら順にこちらを見た相手を見る。そして彼女達がまだ若く、そして全員が同じ顔をしていることに、異様な恐怖感を感じた。
(なんだ? この連中は?)
リクトは軽く混乱していた。しかし彼女達六人以外、艦橋には誰も居ない。いくら四百メートル超えの戦艦の艦橋とはいえ、席の数はそれほど多くない。隠れられる場所はほとんど無い。
「う、動くなよ……」
銃を一番近い艦長席の少女に向ける。少し高い位置に座っていることもあり、その綺麗な顔に照準がつけやすい。
「いくつか、聞きたい」
「……なんでしょう?」
銃を向けられた少女は無感情に答えるが、その目には明らかな怯えが見えた。立場的に気丈に振舞っているのがわかる。その僅かな情報は、リクトの罪悪感を微妙に刺激した。
「ここは、インサニアの艦橋、だな?」
「はい」
リクトは銃を一人に向けたまま、時々周囲に視線を走らせる。反撃を警戒してのことだが、他の五人は自分の作業を行いつつ、こちらを盗み見しているだけで、何かをしようとする気配は無かった。
「今、火星まで来ているな?」
「……見てのとおりです」
彼女の視線を追った先、艦橋の正面ディスプレイにの端に、確かに見覚えのある惑星が写っていた。信じられないことだったが、今までの情報から真実だと理解するしかない。
「搭乗者はお前達、だけか?」
「…………はい」
応えるのをしぶったのを見て、リクトは銃口を彼女に近づける。
「……投降しろ。この銃の弾は十五発ある。全員を殺せるぞ」
「……」
沈黙。簡単に了解できることではないだろう。第一、体勢が良いとはいえ六対一だ。普通ならリクトのほうが勝ち目が無い。いいところで相打ちだろうか。
「ひとつ、発言しても、いいですか?」
艦長の少女が、一度正面を見てからリクトを見た。その相貌には、何かしら意思があった。
「な、なんだ?」
確実に年下の少女に、一瞬だがリクトは気おされた。
「……全員対衝撃体制!」
彼女が強く発言した直後、艦橋が、艦が、大きく揺れた。
席に座っていた少女達は、自らの席につかまり耐えた。
立っていたリクトは、その揺れで大きくたたら踏んだ。銃を構えてられなくて、入り口側の
バーを掴んで辛うじて転倒を避ける。
リクトにはわからなかったが、ファーラミィがアルフェに送った信号、瞬きのモールスによる集中攻撃の着弾タイミング。彼女はそれを正しく使ったのだ。
ビーム砲の集中攻撃をアーク・シールドで受けたインサニアは、その反動として大きく艦を揺らした。それは進路すら、ずらされるほどの攻撃だった。
リクトが揺れに耐え、なんとか踏みとどまった一瞬、その銃に取り付く影があった。
艦長席から跳ね跳んだアルフェが銃に掴みかかると、銃口を身体の外を向くように固定してリクトの腕に抱きつき、勢いのまま身体を縦回転させて引きずり込むように相手の体勢を崩しにかかったのだ。
いくら鍛えた兵士の肉体といえど、全体重に勢いも加わった彼女の技に逆らうことができず、リクトは彼女に引きずられ、そのままうつ伏せ状態で床に叩きつけられてしまう。
「っが……」
勢いを殺さず、アルフェは彼の身体の上に乗りかかると、銃ごと右腕を捻りあげた。
「艦の姿勢を補正! 発射タイミングを再修正して!」
押さえ込んだまま、彼女は指示を飛ばす。
「すでに姿勢は補正済み!」
「タイミングを再計算しました。発射カウントを二十から開始します。二十、十九」
「ちょっと待て!」
彼女達のやり取りに、組み伏せられたリクトが唸る。しかし誰も相手にしない。
「何のカウントダウンだ? まさか、あれか? コロニーを撃つ気か?」
「十二、十一、十、九」
彼の叫びは誰のも届かない。
「待てよ、ふざけるな、コロニーには一億の人間が住んでるんだぞ?」
「四,三」
「待て、待て、待て! それは虐殺だ! おい! 止めてくれ!」
声が途中から嗚咽交じりに変わって行く。彼の懇願は、やはり誰も聞きはしなかった。
「一」
「発射!」
インサニアが進行方向横に向かって、光の弾を撃ち出した。
それは慣性の法則にのっとって、インサニアからみて常に正面に、しかし全体からみれば斜めに飛んでいく。
火星軍の集中砲火が、インサニアからその光の弾へ変わる。しかし皮肉にも、彼らが防御用に配置していた小惑星郡によって、その攻撃は届かない。
光の弾の射線上には一つのコロニーがあった。
火星へ人が移住してから建造された最古のコロニー「マーズ1(ワン)」
増改築を繰り返し、歪ながらも最大の人口を抱えたコロニー。
そこへ光の弾が命中した。
「ぜはっぜはっ」
夕日も沈み、暗くなるほんの少し前の黄昏時。
人工岸の斜めになったコンクリートブロックを伝って、一人の男が海から這い上がってきた。
ボロボロのパイロットスーツを着ており、初老ながらかなりがっちりとした立派な体躯をしている。リクト達から隊長と呼ばれていた男だった。
彼の体は限界の悲鳴を上げていた。衝撃等によるダメージのほかに、長距離を泳いだため筋肉の疲労がピークだった。それでも男は、崩れそうになる手足に鞭打って筋肉に僅かに残った体力を使わせる。コンクリートブロックから這い上がり、手入れもされず伸び放題だった草むらに潜り込むように移動した。若いころから続けてきた軍隊の異常ともいえるスパルタな訓練に、このときばかりは感謝する。
(一息、つけるか・・・?)
彼は周囲に注意を払って、人の気配等々が無いことを確認する。とりあえず今のところは誰もいないようだった。
(俺だけ・・・か?)
海に落ちた時点で生きていたのは自分だけだった。かなり運が良かったと思っている。
ルナティックと交戦状態に入り、自らのライダーギアも敵艦のアーク・シールドに接触し、吹き飛ばされた。幸いだったのはコックピットが無事だったことと、装備にあった基地破壊用の高性能爆弾が誘爆し、ライダーギア自体を吹き飛ばしたことだった。その爆発で敵は自分を撃破したと誤認したらしく、その後の攻撃はなかった。
とはいえ、爆発の衝撃でとびかけた意識をなんとかつなぎとめ、海へ落下するまえに脱出できたのは、彼の軍人として鍛えられた精神と肉体の他に、よほどの幸運が重なったからだった。あと少し衝撃が強ければ意識が保てなかっただろうし、半壊した機体の脱出装置が正常に作動したのも幸運だった。
しかし脱出後も困難は続いた。海に叩きつけられる前に、スーツに装備していた緊急用の保護バルーンを展開したものの、衝撃が体を貫いた。バルーン自体、携帯性を優先して、海面に緊急着地する際に人がかろうじて生きられる程度しか衝撃を軽減する機能を持っていない。
数度海面をバウンドした後、ようやく動きが収まった。
しかしのんびりバルーンを広げていたら、地球軍の監視に引っかかりかねない。痛む身体を無理に動かしてバルーンを自壊させる。
当然彼自身は海へ落ちる。これも緊急用のフロートでなんとか浮かぶが、流され岸を見失ったらおしまいである。
波間に陸を確認すると、そちらに向かって泳ぐ。ダメージの蓄積した身体は、一挙動ごとに痛覚に訴えかけた。もし海流に流されていたら、どんなにがんばってもたどり着けないが、あきらめるわけにはいかない。
それから五時間後。日が暮れる直前になって、ようやく岸にたどり着いたのであった。
疲労とダメージの蓄積で、もはや体力は残っていない。
(だが、帰ってきたぞ・・・)
ごろんと仰向けに寝転ぶと、黄昏の、赤く染まった空と雲を見る。
(妻の眠る地球に・・・やっと・・・)
震える手で胸ポケットの携帯レーションを取り出し、無理やりほお張った。海水に体力を奪われている。回復させなければ、そのまま死んでしまいそうだった。
飲み込んだ直後に急激な睡魔が来た。警戒などをする余力は、もうなかった。
男はマーズ1(ワン)で暮らす息子夫婦と孫の顔を思い浮かべながら、静かに目を閉じた。