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俺たちの進む道には  作者: 風 桜月
2002年9月
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2002年9月 SIDE SAKUYA

 今の俺たちの家より職場に近くて広くて駐車場もついてて家賃も安い。ただしかなりボロっちい部屋があると親父から情報を得た。保証人も前家賃もいらない。この部屋だったら、今まで親父の家に預けていた家電や、妹の家に置いていた荷物も全部持ち込める。

 あとはとーこに言い出すタイミングだけだった。

 とーこには散々世話になっている。一緒に過ごした約四か月間、一度も家賃も食費も光熱費も出したことはなかった。そのおかげで借金の返済が滞ったことはなかったし、携帯が止まることもなかった。

「あのさ。」

 きょうも、とーこが作った美味しい夕食を食べながら、何気ない風を装って話し始める。

「職場に近い部屋を親父が見つけてくれてさ。ボロっちいんだけど家賃もそれなりに安いし、駐車場も付いているし引っ越そうかなって。」

 とーこは俺の顔を見たまましばらく何を言われているのか判らないという顔をして、しばらくして微笑んだ。

「職場に近いなら、さくや朝、ゆっくり準備できるもんね。良かったね。」

「親父ん家に預けている家電とかも運べるし、妹の家にある荷物もそろそろ置き場所が無くなったって言われてたし。」

「さくや、何。言い訳みたいだよ。」

「いや。だって、俺、ここの家賃一回も払ったことねぇし、お前には恩を感じているし、裏切ったみたいだから。」

「裏切ったの?」

「そんなつもりはねぇけど。」

「じゃあ、いいんじゃない?さくやの落ち着く場所が出来るなら、それで十分。お引越しの前にお掃除に行こうね。」

 とーこは、俺の事しか考えていない様子だった。普通違うだろ。俺の為にこの家を借りて、毎日食事作って、俺の為に心地よい空間を作って、俺が帰ってくるのを待って、とーこの中は俺の事だけで回ってたはずだ。だから、俺が部屋を借りると言ったら怒るか泣くかすると思った。それがこんなにすんなり受け入れられて俺自身ビックリしている。

 こんな時、思い知る。とーこは本気で俺が幸せになることを祈っているんだって。

「来月から、住もうと思っているんだ。」

「そっか。じゃあ、今週末にでもお掃除に行く?」

「そうだな。」

「良かったね、さくや。」

 とーこの瞳には少しの揺らぎもなかった。とーこは今、精神的にキツイはずだ。それを置いて出ていくなんてひどい奴だと思う。でも、いつまでもとーこの世話になっている訳にもいかない。今が潮時なんだ。そう自分に言い聞かせて、俺はとーこから逃げた。


 あっという間に週末は来て、家庭用洗剤だの雑巾だの掃除用具を沢山持って親父が見つけてくれた部屋に向かった。

 そこは、もう爺さんか婆さんしか住んでないような木造の二階建てでとんでもなく古かった。玄関のドアノブを少し持ち上げて鍵を突っ込まないと鍵が開かない。

「モダンだね。」

 冗談で言っているのかと思ったら、とーこは本気で部屋の外観を眺めている。

 鍵が開いたら、玄関の隣が風呂だった。脱衣所はもちろんない。その隣がトイレ。そっから廊下が少しあって扉があって、扉を開くと左側に台所、右側に和室が二つあった。

「これは、お掃除し甲斐があるね。」

 ストーブが一つ。瞬間湯沸かし器が一つ。これだけあれば冬は越せる。

 とーこと一緒に過ごしていた家より数十倍ランクは落ちるが、家賃を払っていくことを思ったら、これで精一杯だった。屋根があるところで眠れるんだから、良しとしよう。

「とーこ、水汲んでくるね。」

「まだ、水通してないぞ。」

「近くに公園があったの。」

 そんなとこまでよく見ていたな。そう言うより先にとーこは玄関から出て行った。

 この空間で、一人で飯を食うことを考える。一人で寝ることを考える。今までとーこと普通に二人でしていたことを一人ですることを想像する。

 出来るだろうか。そこまで考えて、バカバカしいと思った。とーこと出会う前、オンナに捨てられた時、一人で2LDKに何年も住んでいたことがあった。でも、その時も淋しかったから夜の街を飲み歩いたんだった。基本俺は一人に向いていないのかもしれない。

 とーことの家を出てきた手前、とーこに淋しいとは言えない。だからと言って、もう夜の街を出歩いて他のオンナを最初からオトすのは面倒くさい。実紗はこんな部屋には呼べない。あのオンナにはこんな部屋は似合わない。実際、今だって歓楽街の真ん中の高級マンションに住んでいる。どこの男からその金が出ているのかは聞いたことがないけれど、こんな部屋に呼んだら卒倒しちまうんではないかと思う。

「さくや。水拭きとから拭きどっちがいい?」

 考え事をしている間にとーこは帰って来ていて、洗剤と雑巾を持ってどこから拭き始めようかウロウロしていた。

「どっちでもいいぞ。」

「じゃあ、さくやはから拭きね。」

 雑巾を一枚渡されて、とーこの仕事ぶりを眺めていた。とーこは洗剤を入れたバケツで雑巾を濡らすと固く絞って畳を拭いていく。雑巾はみるみる汚くなっていって、とーこは雑巾をバケツで洗ってまた畳を拭く。その後、もう一つ、水だけ入っているバケツに新しい雑巾を入れてまた固く絞って畳を拭く。俺がから拭きをする頃には、畳はかなり綺麗になっていた。それを和室二部屋と台所分繰り返して、全部の部屋が綺麗になる頃には三時間以上経っていた。

「よし。後は水道が通ってからだね。」

 台所とトイレと風呂は今の段階ではどうしようも出来ない。

「いつ、水道通すの?」

「水道と電気は今日でも良かったんだけど、ギリで三十日かな。ガスは立ち合いが必要だから荷物運ぶ日に通してもらう。」

「とーこ、あと手伝えることある?」

「引っ越しが弟のトラック使ってやるんだわ。だから荷物運ぶの手伝って欲しいんだけど。」

「いいよ。」

 本当は荷物運ぶのは力仕事だから、弟と俺で出来る事だった。でもとーこに何か任務を与えないと、とーこは消えてしまいそうだったから。

「疲れた。ラーメン食って帰るべ。」

「この辺に美味しいラーメン屋さんあるといいね。」

 ドアノブを気持ち持ち上げて鍵をかける。かかったかどうか何度も確かめて車に乗り込んだ。


 とーこの家と俺の部屋だと車では二十分くらい離れている。公共の交通機関を使うとなると地下鉄の乗って終点駅からバスに乗り換えて来ることになる。その距離がとーこにとって遠いのか近いのか判らないけれど、少なくとも徒歩圏内ではない。

 俺の職場からは近いから便利だけど。

 俺は完全にとーこから独立することが出来るんだろうか。

 今まで、家賃や光熱費、食費や酒代、タバコ代まで甘えていた。それは、ここの家賃の安さでどうにかなる。そうじゃない。精神的にとーこから離れていけるんだろうか。

 子供じゃねぇんだ。そんなコト、考えなくても大丈夫だ。

 俺は一人でやっていける。実紗が載ってる雑誌もいっぱいあるし、淋しきゃまた夜の街に繰り出しゃいい。

 そこまで考えて、違うことに気付く。

 違うんだ。「とーこ」から離れるのと、他のオンナから離れるのとは違う。

 前にも思ったことがある。とーこは誰も触れた事のない心の大切な部分に触れて温めてくれる。誰も言ったことのない言葉をいとも簡単にサラッと言ってくれる。

 そんなとーこと離れることが出来るんだろうか。

 一人暮らしを決めたのは俺。勝手を通したのも俺。

 けれど、自信がなくなってきた。

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