2002年8月 SIDE SAKUYA
とーこが過呼吸を起こすまで追い詰められてるとは知らなかった。もともと、真面目すぎるんだ。息抜きの方法を知らないから、自分を責めてしまう。結果、パンクする。そんなとーこが見ていられなくなって、俺はとーこを夜の街によく連れてった。
先輩が亡くなってから、行く店は決まってトランスのたけるがやってる『CACA』ってとこで、たけるは俺と同じ年ってこともあって気兼ねなく飲めた。
たけるには、年下のさあやて彼女がいて、彼女がカウンターに立つことも少なからずあった。『CACA』のいいところは、ワンドリンクでカラオケが歌い放題ってとこだ。
とーこはあまり歌わなかったが、とーこが俺の歌が好きだということは判っていた。歌本をとーこに持たせ、リクエストに何曲でも応えた。
そんな時、とーこは笑顔で、楽しそうだった。
たけるにも慣れて、とーこがいられる場所が一つ増えたように思えた。
そんなある日、たけるとさあやが喧嘩を始めた。初めは些細なことだったんだろうが、互いに譲らず大声を出して今にも掴みかからんばかりの勢いだった。
さあやが、そこにあったティッシュの箱をたけるに投げつけたのが悪かった。たけるの目つきが変わった。
「ふざけんな。」
カウンターにあったチーズ用のナイフに手が伸びる。寸前にとーこがそこにあったチーズ用のナイフと他のナイフを全てたけるの手の届かない位置によけた。
瞬間、灰皿が客席の壁に飛んでくる。
ガッシャーンと派手な音がして灰皿が砕け散る。この状況はヤバい。
俺は平和主義者だ。喧嘩はなるべく避けたい。が、この状況でそんなこと言ってる場合ではない。
「怖い。」
さあやが、店にいた客とドアから逃げようとする。
「ふざけんな!戻ってこい!!」
「うっせーんだ!」
たけるの手にはカシスの酒瓶。途端とーこが「さくや!たける抑えろ!!」と聞いたこともない声で言って、自分もたけるを抑えにかかった。
が、一瞬遅かった。さあやが店を出ていくのと同時に、店の入り口の壁にカシスの酒瓶が叩きつけられた。
「たける抑えとけって言ったべ!!」
また俺の知らないとーこの声がする。まだ暴れそうなたけるを必死に抑えながら、とーこの変貌ぶりにビックリする。
「たける、落ち着け。」
「さあや!戻ってこい!」
「もう、帰って来ねぇって。」
「うっせー。連れ戻してやる。」
「止めとけ。」
「あいつ、ぜってー許さねぇ。」
「判ったから、今は落ち着け。」
灰皿の被害に遭ってない方の客席に強引に座らせて、たけるを落ち着かせていると、とーこは箒と塵取りがセットになったものを店のどこかから探しだしてきて、灰皿が投げられた客席の方を片付け始めた。最初はソファーの上やテーブルの下なんかを掃いていたが、突然ソファーを持ち上げると、壁に立てかけてソファーの下まで掃き始めた。
「とーこ、何やってんだ?」
今までキレてたとは思えないキョトン声でたけるがとーこに声をかける。
「灰皿が粉々で、ソファーの下まで欠片が落ちてるからお掃除しているの。」
「このソファー、相当重いぞ?」
「そう?」
軽く返事をしていたが、座っている感じからでも判る。このソファーはオンナ一人で持ち上げられる重さではない。まして、とーこは非力だ。どこにそんなパワーがあったのだろう。
灰皿の欠片を掃除し終わると、カシスの酒瓶の掃除にかかっている。
とーこが掃除をしている間、俺はたけるからさあやとのなれそめや今日の喧嘩の原因なんかを聞いていた。恋愛には色々ある。特に俺たちのようなオンナ同士の恋愛には。たけるは性同一性障害だから男だけれど、それでもやっぱり恋愛は難しい。
今回の喧嘩にも他のオンナが絡んでいた。さあやが、他のオンナに手を出したらしい。
あらかた掃除が終わって、とーこが俺たちの座っているところにちょこんと座った。
「細かい欠片がまだあるかもしれないから、気を付けてね。あと、ちょっとベトベトするかも。」
「悪かったな。とーこ。」
「なんも。」
さっき、俺に命令のような口調で叫んだとーこは何だったんだろう。ここにはいつもの穏やかなとーこがいた。
「俺、とーこが取り上げてくれなかったらナイフ投げてた。」
「だろうなって思ったから、一番最初に手から届かない位置に移したの。」
「とーこが叫んだときはビックリした。」
「あれは、咄嗟に出ちゃった。」
とーこの父親は酒乱だったと言っていたのを思い出した。もしかしたらとーこはこういう場面に慣れているのかもしれない。
「お前、こういう場面に慣れてんの?」
すると、とーこは曖昧に微笑みながら「まあね。」曖昧な返事をした。




