2002年7月 SIDE TOOKO
事件があった日から、よく眠れない。心療内科の先生に何種類かの睡眠薬を出してもらっていたけど、うとうとすると悪い夢を見てうなされた。そんな時は決まってさくやが起こしてくれて、背中をトントンとあやすように叩いてくれる。
今朝も三度目だった。
こんなんじゃあ、さくやも眠れないだろうに。申し訳なくて、あたしはメゾネットの上のソファーで寝るからって言ったら、切れるような目で見つめられた。
「馬鹿なことは考えるな。」
「でも、さくやが睡眠不足になっちゃう。」
「そんなやわに出来てねぇよ。」
「ごめんね。」
「謝るな。」
そんな会話の最中、さくやの電話が鳴る。
「誰だ、こんな早く。」
お布団から少し遠くに置いた携帯を手繰り寄せて「いつきさんだ。何だこんな時間に。」そういうと、さくやは電話に出た。
あたしはあまり聞かれたくない内容だったら困るから、少し離れて携帯をいじっていた。すると、さくやが何やら探しだしたから、とりあえずペンとメモ用紙を渡す。
「はい。はい。判りました。いつきさん大丈夫ですか?こんな時に聞くことじゃないですよね。はい。はい。判りました。じゃあ、後で。」
携帯を床に置いて、さくやは静かな声で「先輩が、死んだって。」と言った。
「うそでしょ?」
さくやの目は嘘を吐いてる目じゃなかったけれど、こんな急に、信じられなかった。
「いつきさんと食事をしている時に、急にだって。」
さくやも、あたしも、身体を起こす。
その事実をあたしはまだ飲み込めてない。
二人とも黙っていた。手元で、あたしの携帯が鳴る。
「いつきさんからだ。」
着信元を確認して、あたしは電話に出た。
「もしもし。」
「斗亜が亡くなったの。」
「うそ……。」
「こんな時に嘘は吐けないよ。」
いつきさんの声は冷静だった。
あたしはまだ信じられないまま、斎場の場所とお葬式の時間とをメモする。
「いつきさん。無理しないでくださいね。」
「ありがとう。」
通話は切れた。でも、あたしはまだ夢を見ているようだった。悪い夢なら覚めて欲しい。いつも、さくやが起こしてくれているように。
「花火大会。」
「ん?」
「花火大会、行こうって言ってくれてたの。断らなきゃ良かった。」
せっかく誘ってくれていたのに。
そういえばあの事件以来『FIVE』にも行ってなかった。何日斗亜さんに逢ってなかったろう。最後に斗亜さんの顔を見たのはいつだっただろう。後悔ばかりが先に立つ。
胡坐をかいたさくやが両手を広げて「とーこ、おいで。」って言ってくれたから、あたしは迷わずさくやの胸に飛び込んだ。
「うそだよね。斗亜さんあんなに元気だったもん。」
「ああ。」
「うそだよね。」
あたしたちは、ずっと抱き合っていた。お互いの傷を癒すにはそれしかなかった。
「俺、黒い服なんて持ってねぇぞ。」
「とーこはあるけど、正式な喪服って訳にはいかないよ。」
「お前のサイズの服が、入るはずないだろ。」
確かに、さくやとあたしでは肩幅が違いすぎる。
「買いに行かなきゃだな。」
「とーこも行く。」
「お前に付いて来てもらわねぇと、どんな服選んだら良いのか判らねぇよ。」
お洋服を買いに行くとなると、お葬式までにはあまり時間がない。急いで出かける準備をした。
「車、ここまで持ってくるから、着いたらメールするわ。」
「ありがとう。」
あたしが、外を歩くのが苦手なのを見越しての行動に感謝する。さくやはどこまでも優しい。そして、それを普通だと思っている。そこが魅力的だ。
しばらくして、さくや用に設定してあるメールの着信音が鳴ったから、急いでお家を出た。
「服って、どこが安いんだ?」
正式な喪服が買えるほど金銭的に余裕はない。せめて黒のシャツとパンツが買えれば十分だった。いくつか店名を挙げて近いところから攻めることにした。
けれど、この暑い時期に黒の長袖シャツを見つけるのはなかなかの難題だった。
何店舗か回ってようやく黒の長袖シャツと、パンツが見つかった。パンツを試着しているさくやの携帯に着信が入る。
その着信音で彼女からだと判った自分が嫌だった。
シャツとパンツをお会計して車に乗りながら、さくやは言いにくそうに「お前、今日、葬式、一人で行ける?」と聞いてきた。
「彼女が一緒に行くんでしょう?とーこの事は心配しなくていいよ。大丈夫。」
本当は一人で遠いところに行くのはまだとても怖かったけれど、さくやが彼女に逢えるのだから大事にした方がいい。
「今日、仕事前に来るから、葬式終わったらすぐに仕事場に送って行かなきゃならないんだ。悪いな。」
「さくやが謝ることは一つもないよ。良かったね。彼女と逢えて。」
「こんな機会じゃなきゃもっといいのにな。」
やっぱり、さくやは彼女と逢いたいんだ、もっと。それを思い知らされて辛くなった。
あたしが、じゃない。さくやの気持ちを思って辛かった。だって、逢いたいと思っているのに逢えないなんて、本当に辛いと思う。
一旦、お家に帰ってお葬式用に黒い服に着替える。黒いバッグは一つしかなかったから、さくやはポケットに入るもの以外は全部あたしに持たせた。
「彼女と一緒の時必要になったらどうするの?」
「上手くやるさ。」
まあ、お葬式の最中、ハンカチとティッシュくらいしか必要ないだろうから、問題はないと思うけど。
「じゃ、先出るから、気を付けて行くんだぞ。」
「うん。さくやも気を付けてね。」
出がけに行ってらっしゃいのキスをした。それだけで、一人で遠いところに行く恐怖が半減した気がした。
あたしは家を出る時鍵がかかっているか何度も確認しないと怖くて外出できない。ドアノブを何度も回して確認して出かけた。
途中でイベントで顔見知りになった千佳さんからメールが入る。
『瞳呼ちゃん。斗亜さんの事聞いた?斎場まで、一人で行ける?大丈夫?』
千佳さんはあたしがひったくりに遭ったのを知っている数少ない人の一人だった。
『千佳さん。ご心配いただきありがとうございます。今、地下鉄に乗るところです。一人で行けそうです。』
送信して、地下鉄に乗った。斎場までは最寄りの地下鉄駅から歩いて五分ほどの距離にあると説明を受けていた。やっぱり五歩歩いては後ろを振り向かずにはいられない。
自転車が後ろから通り過ぎるとしゃがみこんでしまう。
斎場まで普通なら五分で着く予定が十五分ほどかかってしまった。
斎場に入って最初に千佳さんの姿を見つけてようやく安心する。
「千佳さん。」
「瞳呼ちゃん。大丈夫だった?」
「はい。ありがとうございます。」
見回すと、まださくやは来ていない様子だった。
お葬式が行われるお部屋の外の椅子に憔悴しきった様子のいつきさんが座っていた。周りに何人か『FIVE』で見かけたことのある顔が揃っている。
一番愛しい人を亡くした時ってどんな気持ちなんだろう。
それは永遠に聞けない問だった。




