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俺たちの進む道には  作者: 風 桜月
2002年7月
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2002年7月 SIDE TOOKO

 『FIVE』に行くのは久々だった。斗亜さんから電話が来て久々に遊びに来ないかと誘われ、さくやと日をずらしてお店に向かった。今日の手土産はチーズタルト。今日も、夜に慣れたオンナには見られないように、服装はOKそうだった。重たい扉を開くと今日は人がまばらにいて、いつもの特等席は空いていた。

「おう。瞳呼。久しぶりだな。」

 言った斗亜さんの髪は銀髪になっていた。

「お久しぶりです。髪、染めたんですね。」

「おう。似合ってるか?」

「格好良いです。」

「桜夜に染め方教えてもらってよ。上手く染まってるだろ。」

「はい。」

 いかつい斗亜さんに、この色はかなり似合ってた。ま、さくやには負けるけど。

「あ、これどうぞ。」

「ありがとう。」

 心なしか、いつきさんの態度が冷たい。そういえば、この間、さくやが夜に彼女に呼び出されて出て行った夜、いつきさんと彼女はメールで繋がってるから気を付けるようにとさくやから言われていた。

「瞳呼。今日、時間あるか?」

 週末だったから時間ならあった。

「はい。」

「最近、ここ以外にビアンバーが出来たんだと。ここハケたら行こうと思っているんだけど、瞳呼も付き合う?」

「はい。」

 興味があった。ここ以外のビアンバーに足を踏み入れたことがない。どんな場所だろう?

「瞳呼。いい顔してんな。最近良いことでもあったか?」

「そうですか?いいことあったかなぁ?」

 顔に幸せですとでも書いてあるのだろうか。さくやは毎晩帰って来てくれる。毎晩あたしが作ったご飯を食べ、ほぼ毎晩身体を重ね、あたしが作ったお弁当を持ってお仕事に行ってくれる。お仕事の関係でさくやの方が帰ってくるのが早いから「お帰りなさい。」は言えないけれど「行ってらっしゃい」は言える。これを幸せと呼ばずしてなんと呼ぶのだろう。

「もう彼女探しはいいのか?」

「格好良いタチの方、いるんですか?」

「残念ながら、桜夜より格好良い奴は、今のところ俺くらいだな。」

「斗亜さんにはいつきさんがいるじゃないですか。」

「桜夜にも実紗ちゃんがいるしね。」

 突然会話に入って来て、念押しをするようにいつきさんが強めの語調で言った。そんな事、言われなくても判っているのに。

「ですよね。」

 ここは、穏便に流そうと思ってあたしの上の猫三匹があたしを微笑ませた。

「しばらく、一人で考えてみようと思っています。とーこ、一人向きなのかも。」

「そんな事ないだろ。瞳呼は瞳呼で可愛いぞ。」

「斗亜さんって優しいですね。」

 しばらく他愛のない話をしながら飲んでいた。ここにさくやはいない。でもなんだか満ち足りてた。

「あ。そーだ。瞳呼、実紗ちゃんが表紙になったの見てないでしょう?」

 いつきさんが一冊の雑誌を取り出す。それはこの歓楽街の案内の情報誌で、表紙一面に化粧が派手な女性が写っていた。

「桜夜の彼女だよ。綺麗でしょう?」

 まるで、自分の事を自慢するように言われて、どう反応するのが正解なのか判らなかった。表紙のオンナの人は確かに目鼻立ちの整った綺麗なお顔をしていた。この人がさくやのカノジョ。

「綺麗ですね。凄い。さくやの彼女、表紙になっちゃうんだ。」

「表紙だけじゃないよ。お店でもいつもナンバーワンなんだから。」

「そうなんですか。」

「瞳呼じゃあ、全然かなわないでしょう?」

 何でそんな事を言われなきゃならないのか、全然判らなかった。まるであたしがさくやを彼女から盗ろうとしているみたい。あたしは、さくやの幸せを願っているっていうのに。

「かなうとか、そんなこと、想像したこともなかったです。」

「ま、桜夜も実紗ちゃんにソッコンだしね。」

「おい、いつき。止めとけ。」

 具合が悪くなってきた。こんな時はタバコをふかすに限る。何でこんなに執拗にさくやと彼女の事を言われ続けなきゃならないんだろう。タバコに火をつけながらいつきさんを盗み見ると勝ち誇ったような顔をしていた。

 意味が判らない。いつきさんも昔、さくやを好きだった時期があったはずだ。それはさくやから聞いてる。なのに綺麗な彼女が出来たらそれを祝福して、あたしみたいなオンナがさくやを好きでいるのは許せないんだ。変なの。


 お店がある程度ハケてきて斗亜さんといつきさんがお店を閉める準備をしだしたから、あたしもお荷物を片付け始めた。

 新しいビアンバーは斗亜さんのお店から徒歩五分くらいの距離にあった。

 白い壁に赤いソファーの南国調の作り。斗亜さんのお店よりやや広いお店をたけるさんという性同一性障害の店主が一人で切り盛りしていた。

「あ、斗亜さん。先日はありがとうございました。」

「わざわざ挨拶に来てもらって悪かったな。」

 斗亜さんとたけるさんはもう顔見知りっぽかった。奥から、あたし、斗亜さん、いつきさんの順でカウンターに座ると直ぐにチャームのお菓子が出てくる。

「瞳呼、まだ飲めるか?」

「カシオレ、薄めでなら。」

「じゃあ、カシオレ薄めと、ビール二つ。ここ会計別にして。」

「はい。」

 たけるさんは何人かいるお客さんを次々さばいて、ようやくあたしたちのところにやってきた。

「お前も飲めよ。」

「いただきます。」

 たけるさんもビールを注いで、あたしたちは乾杯した。

「こいつが、瞳呼。で、俺のカノジョ、いつき。」

「初めまして。」

 たけるさんは表情のコロコロ変わる愛嬌のある面白い人だった。会話は楽しくて、さっきまでのムカムカした気持ちは昇華されていった。

「斗亜。桜夜呼んで。ちょっとだけど実紗ちゃん来れそうだって。」

「そんなの、本人たちで連絡取りあってるだろ。」

「サプライズだってば。呼んであげて。」

 いつきさんがチラチラあたしの方を見ながら斗亜さんにさくやを呼ぼうとさせているのは判った。斗亜さんの誘いならさくやは断れないはずだ。斗亜さんはメールをするのが面倒だったのか電話をかけ始めた。

「おう。お前、今どこよ。」

 この時間だと、お家でテレビでも見ながらビールを飲んでるはずだ。

「お前を驚かすことがあるから、来いよ。うちの店でなく新しい店。はぁ?道が判らん?迎えに行ってやるから来い。判ったか?」

 スエットを着て寛いでいるところを呼び出されて機嫌が悪くなっているさくやが想像できた。それでも、斗亜さんの誘いは絶対だ。来ることになったらしい。

「ね、何時に来るって?」

「準備したら来るってよ。一時間くらいじゃね?」

「実紗ちゃんに連絡しとくね。」

 何かと言えば「実紗ちゃん」「実紗ちゃん」と煩い。そんなに現実を見せつけたいのだろうか。判っている。さくやが愛しているのは彼女。あたしは、さくやと彼女が幸せになってくれればいいって心から思ってるってどうして判ってもらえないんだろう。

 しばらくして、斗亜さんの携帯に着信があって、さくやを迎えに店を出て行った。


 すると、いつきさんがメールをする。一分も経たないうちにお店に夜のオンナが入って来た

 この人が、さくやの「カノジョ」

 さっき、雑誌で見たから間違いない。顔立ちとメイクが派手で、綺麗でスタイルもいい。夜のお仕事でナンバーワンをとるって聞いてたけれど、こんなに綺麗なら頷けた。

「あ、実紗ちゃん。久しぶりぃ。」

 普段のいつきさんからは考えられないような甘ったるい声。

「いつきさん。久しぶり。こっち座りましょう。」

 カウンターの後ろのボックス席にいつきさんを誘って、二人はそこでコソコソと何やら話し始めた。

「瞳呼も来れば?」

 誘われた意味が判らない。けれど、いつきさんの誘いを断る理由を思いつけない。

「お邪魔します。」

 カシオレあと半分。タバコあと二本。これで場がもつだろうか。さくやの彼女が冷たく笑いながら何故かあたしのことを上から下まで値踏みするように見てきた。

「いつきさん、本当に久しぶりです。」

「実紗ちゃん、元気ぃ?」

 あたしをずっと見つめながら、さくやの彼女はいつきさんとだけ話していた。

「店に来てよ。」

「行きますよ。桜夜と一緒に。」

 いつきさんと話しているのに、目線はずっとあたしを向いたまま。

 あたしはどうしたらいいのか判らなくなって、タバコに火をつけようと少しうつむいた隙に「へぇ。コイツなんだ。ブスじゃん。」聞こえるように囁いた声が耳に入る。「でしょう?」クスクス笑いながらいつきさんも答えている。

 今、この人、あたしの事、コイツって言った?

 いぶかしんで見上げると、彼女はあたしを見つめたまま「私、浮気とか絶対に許せないんですよね。」と、判りやすく笑った。

「判るぅ。」いつきさんも、あたしを見つめてる。

 そこで、気付いた。

 いつきさんが彼女にあたしの情報を流して、あたしがさくやを好きって判っていて、こんな話をわざと判るようにあたしの前でしているんだ。

 オンナなんだなって、すごく思う。何だか彼女が綺麗じゃなく見えてきた。

 こんな事を言うために、わざわざお仕事を抜けてお店まで来たんだろうか?

 あたしは、さくやを好きでいる事は諦めないって決めたけれど、さくやの彼女でも浮気相手でもない。それに「浮気」じゃない。「本気」だ。

 ただ、一方的にあたしがさくやを好きなだけ。さくやの幸せを祈ってる。

 こんなに綺麗でさくやに愛されているのなら、その状況で満足できないのかな。

 あたしをけん制しなくても、あなたは十分さくやに愛されているのに。

「ま、桜夜は私だけですけど。」

 勝ち誇ったように笑って彼女は席を立った。

 と、同時くらいに、さくやを連れた斗亜さんがお店に入ってくる。

 いつきさんは何事もなかったようにカウンター席に戻っていく。あたしも何事もなかったようにしなければ。カシオレの入ったコップとタバコを持ってカウンターに戻る。

「桜夜、逢いたかった。」

 案の定もう出来上がっているさくやに過剰なまでにハグをして、さくやとさくやの彼女はL字になっているカウンターのちょうどあたしから良く見える場所に座った。


 彼女のハグに気をよくしたのか、今日はさくやの機嫌もいい。

 いつも、誰も信じないって書いてあるお顔が、今日は優しい。

 カウンターに座った二人はとてもお似合いなカップルに見えた。

「たけるさん。カシオレください。」

「瞳呼ちゃん、薄めじゃなくていいのか?」

「いいんです。」

 酔わないとこの状況で座っていられない。いきなり席を立つのも不自然だし、後一杯くらいはここにいなきゃ。

 さくやと、どんな会話しているんだろう?

 さくやは、どんな声で彼女としゃべっているんだろう。

 幸せなのかな。だったら良いな。苦しいけど、辛いけど、さくやが幸せだというのなら、さっきは嫌な態度とられたけど、さくやとあたしが浮気していると思い込んでいるなら当然の態度だったのかもしれないし。何より、さくやが笑って話しているのが嬉しい。

 すると、さくやの彼女がカラオケを歌うと言って席を立った。

 画面を見ると、歌うのはホイットニー・ヒューストンの『I Will Always Love You』だった。さくやの彼女は、さくやを見つめたまま、その曲を歌い上げた。決して上手ではない。ただ、情熱的だった。

 さくやも満足そうな顔をしている。

「瞳呼、大丈夫なのか?」

「何がですか?」

「桜夜の彼女がいるからよ。」

「さくやが、幸せそうだから、嬉しいです。」

「お前、それ本気で言ってんの?」

「本気ですよ。さくやが幸せなら、とーこも幸せですから。

「成長したな、瞳呼。」

「そうですか?」

「お前が、そんな強いオンナなんて思わなかった。」

 頭をポンポンって撫でられた。斗亜さんの向こう側でいつきさんが氷のように冷たい目であたしを見ていた。誰も、斗亜さんを盗ろうとしている訳じゃないのに。

「先輩、俺たち帰ります。」

 来たばっかりなのに、さくやが立ち上がった。

「実紗、店に送って、俺、終電で帰ります。明日、甥っ子の百日なんですよ。」

「おう。呼び出して悪かったな。」

「いえ。ありがとうございました。」

 そういえば、明日、さくやの三人目の甥っ子のお百日をお祝いするって言ってた。そういう小さい情報を知っているのが嬉しい。

 さくやがお店を出て行ってからも、なんとなく帰るタイミングを逃してしまって、結局カシオレ七杯とタバコ二箱を消費してしまった。

 それでもちっとも酔えなくて、結局、始発の時間までお店にいた。

「瞳呼、大丈夫か?」

 さすが、夜の商売をしているだけあって、斗亜さんは足元もしっかりしている。いつきさんはすごく酔っぱらっていた。

「大丈夫です。今日はありがとうございました。またお願いします。」

「おう。気を付けて帰れよ。」

「斗亜さんといつきさんもお気をつけて。」

 一礼してお店を出て、始発の地下鉄に乗る。昨日の飲み方だったら今日、早く起きるのは辛いだろう。さくやを起こしてあげなくちゃあ。お家の最寄りの地下鉄駅で降りてそんなことを考えながら小路に入った。

 朝早い空気が凛としている。


 途端、宙に浮いて地面に叩きつけられた。何が起こったのか判らなかった。数秒経って痛みを感じた。数メートル先を自転車が走って行った。それで自分がひったくりに遭ったことに気付く。幸いバッグは盗られていない。起き上がろうとしたら雨が降ってきた。

 まるで、安上がりのドラマみたいだ。他人事のようにそう思った。キャミソールのワンピースの肩ひもが片方千切れていた。歩くとあちこち痛い。雨はどんどん強くなってくる。表通りに出て一番近いコンビニを探す。見つけたお店の中に入って店員さんに、ひったくりに遭ったので警察を呼んでくださいとお願いした。

 その店員さんは優しくて、警察を待っている間、裏から消毒液や脱脂綿を持ってきてくれた。キャミソールの肩ひもだけはどうしようもなかったので、ちょうどポーチに入っていた安全ピンで留めた。

 警察は直ぐに来た。ひったくりに遭ったことを伝えると、まず病院に連れて行ってくれた。朝早すぎて病院はまだ開いてない。待合室で待ちながら徐々に痛みを増す身体をさすりながら、カバンが盗られなかったことだけが救いだと思った。あたしは右肩にカバンをかけて、なで肩だから、必ず右手で持ち手を持つ。その右手がなかったらカバンは盗られていた。

 病院が開いてレントゲンを撮ったり検査をしたけれど、幸い骨折はしてなくてひどい打撲と擦り傷で済んだ。右半身は真っ青を通り越して真っ黒になるくらい打撲がひどかった。

 そんな、検査の途中で、さくやからメールが入った。

『百日祝い行ってくるから。今日は何時に帰れるか判らない。』

 こんなおめでたい日にさくやを心配させちゃいけない。あたしは何事もなかったように返信した。

『気を付けて行ってきてね。沢山お祝いしてきてね。』

 病院に行っている間に雨は止んだ。


 警察の人に付き添われて、現場検証をした。現場に行って、どこからどうやってどんなふうにカバンを盗られそうになったのか再現して写真を撮る。身体が痛くて、上手く表現できないところもあったけれど、だいたいは出来た。その後、警察署に行って調書を書くためにひったくりに状況を説明したりした。その時は、アドレナリンが出ていたのか、あたしはずいぶん饒舌だった。

 調書を取り終えて、パトカーでお家まで送ってもらった。


 気が付けば夕方だった。もう、いいかな。さくやに言ってもいいかな。さくやは今日は泊まってくるかもしれない。でも、今のうちに言っておいた方が後々面倒がない気がした。

 メールの画面を開いて、しばらく悩んで、当たり障りのない文面を考える。

『楽しんでいるところごめんね。今朝、ひったくり未遂に遭ったの。今まで警察にいたんだ。たいしたことないから大丈夫なんだけれど、帰ってきた時にビックリしたら困るから、一応、報告しとくね。』

 これで、大丈夫かな。心配かけないかな。勇気の握り拳を作って、メールを送信した。

 さくやが心配しすぎないといいな。

 ひったくり未遂に遭って直ぐは痛まなかった傷がジンジンと痛み出した。

 あたしはメールを送ってから、もしかして自分はさくやに帰って来てほしくてこんなメールを送ったんじゃないかって自問自答した。

 さくやの事だ。放っておくはずがない。

 ビールでも飲んでいない限り、帰って来てくれちゃうだろう。

 何て嫌なオンナなんだろう。心配しないで、なんて言いながら、さくやの帰りを待ってる。

 ズルい自分が顔を出す。

 けれど、今日はこんな気分で一人で眠れそうになかった。

 ごめんね。さくや。

 親族の集まりを邪魔してごめんね。きっと、さくやの甥っ子のお百日をお祝いするなんて楽しい行事だったに違いない。成長を見られて、さくやは幸せだったに違いない。

 そこに水を差してなんてひどいオンナなんだろう。

 罪悪感でいっぱいになる。

 帰って来てくれてら、謝ろう。

 あたしの不注意でひったくりに遭ったんだから、あたしが悪い。

 なのに、あたしはさくやの優しさを利用した。

 でも、この時、あたしはさくやなしでは、立っている事さえ出来なかった。

『直ぐ帰る。待ってろ。』

 そのメールを見た途端、身体に力が入らなくなってソファーに座り込んだ。

 身体中が痛い。

 やっぱりさくやは、あたしを放ってはおかなかった。

 さくやは優しいから、放っておけなかったんだ。申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 先に、飲んでるか聞けばよかった。

 けれど、あたしの中のズルいあたしは、ホッとしていた。

 さくやが帰って来てくれさえすれば落ち着ける。きっと痛みも怖かったことも全部忘れられる。

 こんな事、考えている自分が浅ましくて嫌いだった。

 さくやを縛っている自分が醜く感じた。

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