2002年6月 SIDE SAKUYA
地下鉄に乗る前から後悔していた。電話に出たことを。
あのままとーこを抱いて、寝かしつけてからでも電話は出来た。実紗の機嫌は少し悪くなったろうが、その方が双方傷付かずに済んだのに。
久々に実紗から電話があったと思ったら「飲みに行かない?」と言う誘いだった。
金もないし断っても良かったが、とーこが金を貸してくれた。あいつ何なんだ?俺の事を好いているくせに彼女と出かけるって言っても嫉妬の一つもしない。今まで出逢ってきたどんなオンナとも違う。
熱を出して夜間救急センターに連れて行った一件以来逢ってなかった実紗は、今夜も夜のオンナ丸出しなケバいメイクとイマドキな服装で、逢った途端俺の気持ちはアガった。
「体調は?」
「何の事?」
これは、これ以上聞くなって事だ。実紗との会話は難しい。
「桜夜、最近かまってあげてないから、変な虫でも付いたんじゃないかって心配なの。」
「何だそれ?」
「桜夜は、私のモノよね?」
実紗は俺と逢う前から相当飲んでいたらしくかなり酔っぱらっていた。呂律が回っていない。上から目線も、モノ扱いも実紗じゃなきゃイラついて言い返していたところだけど、相手は実紗だ。慣れている。
「俺には実紗だけって言ったろ。」
「本当に?」
「実紗は俺の自慢のカノジョ。信じろよ。」
ここでキスでも出来れば一気に落とす自信はあったけれど、実紗は俺とはキスをしなかった。
唇は本当に気持ちが通った人とだけとか言っていて、俺はまだ実紗とキスをしたことがない。
実紗は夜のオンナだから百戦錬磨だろう。男にも同じように言ってるんだろうか。ふとそんなことを思ってしまう。
「いつきさんがね、桜夜がオンナと歩いていたって言ってたの。それって本当?」
今度逢ったらボコボコにしてやりたい。先輩の彼女だからって容赦しないぞって言ってやりたい。
「ああ。友達。」
「桜夜の友達って、どこまで?どこからが浮気でどこまでが友達?」
実紗は酔っぱらって絡んでくる。面倒くさい。俺は実紗と楽しく飲みたいだけなのに。
「それより、飲もうぜ。新居はどうよ?」
「ねぇ。ごまかすの?どこまでが浮気?」
実紗はどこまでも絡んでくる。仕事で何か嫌なことでもあったんじゃないだろうか。
「ヤったら浮気じゃねぇの?満足?」
「ふぅん。私は気持ちが動いたらもう浮気だと思うけど。」
目が座ってる。いつきさんに何を吹き込まれたんだろう。オンナ同士のそういった友情って怖い。俺は実紗の機嫌を取り戻すべく別の話題を探した。
「この間の表紙、なまら良かったな。実際はもっと綺麗だけど。」
この歓楽街の案内の情報誌の表紙にピンで載った実紗を褒めると、実紗の顔つきがコロッと変わった。
「また、ナンバーワンになっちゃた。」
「実紗なら当然じゃね?綺麗だもんな。」
小悪魔のような微笑も、凛とした表情も作りが綺麗に出来ているからこのオンナは美人だ。まぁ、だから付き合っているようなもんだけれど。
「私、頑張っているの。褒めて。もっと。」
「実紗は頑張ってるよ。すごいな。偉かったよ。」
そう言ってやると、実紗の頭が俺の肩に寄りかかってきた。
「私、すごく頑張っているんだから、心配かけないで。オンナ友達もダメ。全部別れて。桜夜は私だけのモノでいて。」
その理論は全然理解できなかったけれど、そこでYESと答えてやることで実紗が安心できるんだったら嘘ならいくらでも吐けた。
「判ったよ。心配かけて悪かったな。」
頭にキスを降らせる。実紗からは甘ったるい香水の香りがした。
「気持ち悪い。」
「はぁ?」
「飲みすぎた。」
急いで実紗をトイレに連れていく。実紗は大半の物をリバースして、水を大量に飲み、それでも化粧だけは直して店を出た。会計の時、とーこのことが頭をよぎった。
「私、帰る。」
「一人で帰れるのか?」
「タクシーに乗せて。」
ちょうど空車のタクシーが通ったから手を上げて停める。開いたドアに実紗を押し込むと実紗は運転手に住所を告げて、ドアが閉じる前に「じゃあね。」とだけ言って行ってしまった。
こんな時間に地下鉄はもう走ってない。知ってる飲み屋ももう閉まっている。タクシーで帰るしかないか。
あれ、俺、今、何て思った?
「帰る」って確かに思った。とーこが待つ家に帰ろう。そう思った。鞄の中でヨーキーのキーホルダーがカシャって揺れた。
とーこに借りた金でタクシーに乗るのは気が引けたけれど帰りたかった。空車のタクシーを見つけて手をあげると、俺は俺たちの家の住所を告げた。




