2002年6月 SIDE TOOKO
さくやは注文の多い同居人だった。例えばトイレットペーパーはダブルじゃなきゃダメとか、ビールはこの銘柄じゃないと飲まないとか、お水は買ったものしか飲まないとか。生活のリズムもあたしとずいぶん違っていた。
けれど、だいたい毎日、この家に帰って来てくれた。
さくやは、左薬指に指輪をしていた。きっと彼女とお揃いなんだと思う。
「さくや。」
「ん?」
「この家にいる時だけでいいから、その指輪、外してくれない?」
本当はそんなこと言いたくなかった。この家に帰って来てくれるだけで十分なはずだから。けれど、彼女とお揃いの物をしているさくやを家に迎え入れるのは何だか嫌だった。
「そんなことで、いいのか?」
「うん。ごめんね。」
玄関近くのサイドボードに小さいガラスの器を置いておいた。するとさくやはこの家に帰ってきた時は必ず左手の薬指にしている指輪を外してくれた。
さくやが帰って来てくれた日は、夕食を作り、お風呂を沸かし、数日に一度はお洗濯をして、朝は朝食とお弁当を作って、まるで新婚さんみたいな生活をしていた。
夜になると、あたしは眠かったけれど、さくやの晩酌に付き合った。さくやは六本パックのビールを毎晩飲み干していた。そして、携帯をよく気にしている。きっと彼女からの連絡を待っているんだと思って、それが少し、切なかった。
晩酌も終盤に差し掛かると、さくやは諦めたようにあたしにキスをする。そしてそのままキスは首筋へおりて耳元で「お前が欲しい。」と言われる。
さくやは淋しいんだと思う。彼女から連絡がないから。だから、あたしは代わりなんだ。それが判っていても、さくやと身体を重ねた。
そんなある日、いつものようにさくやに誘われ身体を重ねようとしている時に、さくやの携帯が鳴った。その着信音はいつもの着信音と違うから、きっと彼女の物だろうと咄嗟に悟った。
「どうしたの?出なよ。」
「けど。」
「切れちゃうよ。」
あたしは起き上がって、自分の携帯を持つとメゾネットの扉のある階段を下りて、さくやの会話が聞こえないようにした。
部屋着のボタンが半分まで外されていて、さっきまでのぬくもりが逃げてゆく。ボタンを直しながら、さくやと彼女の事を考える。
さくやと彼女が上手くいったら、この家も必要なくなるんだな。あ、でも通勤に便利だし、一人でもやっていけるか。そんな時はここでさくやと過ごした思い出だけを想いながら生活するんだろうな。
階段の上の扉が開いて、さくやが下りてきた。
「さっきは、悪かった。」
「さくやが謝ることは一つもないよ。彼女だった?」
「今、飲んでるから飲みに来いって。」
「良かったね。行ってくると良いよ。」
「そこ、違うだろ。俺はお前の事抱いてたんだぞ。」
「でも、彼女とは久々に逢えるんでしょう?」
「俺、行く金ねぇし。」
「いくらあれば遊べるの?」
「判んねぇ。」
メゾネットの階段を上って鞄の中からお財布を出すと一万五千円ほど入っていた。全部貸しても良かったけれど、明日の通勤が不安だったから、その中から一万二千円出すと、さくやに渡した。
「これで遊んできて。」
「意味判んねぇ。」
「意味判る。久々に彼女が連絡くれたんだからこれを逃す手はないでしょう?」
「お前の気持ちはどうなんのよ?」
「今はとーこのことはどうでもいいの。はい。準備して。」
強引にさくやに準備させて玄関に向かわせる。
「鍵、落とさないでね。行ってらっしゃい。」
「サンキューな。」
さくやの後姿はにじんで見えた。ドアを静かに閉めてその場に座り込む。
さくやが幸せなら、あたしも幸せ。よくもそんな白々しいことが言えたもんだ。嘘吐き。
やっぱりさくやにはここにいて欲しい。できれば、あたしと一緒に幸せになってほしい。
少し乱れたソファーの上でしばらく泣いた。こんな時、慰めてくれるひよりちゃんも、もういない。
泣いてても、仕方ないんだ。負けない。どんなに彼女の事を愛していると言っていても、さくやが今、帰って来てくれるのはこの家なんだから。本性を見せて安らいでくれているのはこの場所なんだから。愛しているという言葉以上の物をあたしは受け取っている気がする。
あたしは、さくやの安らぎの場所になれればそれでいい。
愛されるより、その方がずっとさくやの内面を見られるような感じがするから。
これは浮気なんかじゃない。本気だ。
さくやがあたしをどう思っているかは、この際どうでもいい。
家を提供して、ご飯を作って、ビールを買ってくれるオンナ、とでも思ってくれててもいい。
でも、あたしは本気でさくやを愛している。
この愛はさくやの幸せを祈る愛なんだって、もう一度自分に言い聞かす。
彼女と出かけたんだったら、良かったねって言ってあげなきゃ。
久々に彼女に逢えて良かったねって。さくやは彼女と幸せになるのが一番なんだから。
あたしの本気を見せつけてやる。そう誓った。




