2002年5月 SIDE TOOKO
ビックリした。
それはもう、心臓が飛び出るほど。
いたるさんにお持ち帰りされて、これから飲もうって時に、メールが来た。
それは、もう絶対来るはずのないメールで。
『この前は、悪かった。逢いたい。』
あたしが心の底から待ちわびていたメールだった。
目の前に、お酒が置かれる。
「ごめんなさい。」
「どうしたの?」
「帰らなきゃ。」
「え?」
いたるさんが怪訝な顔をする。当然だ。だって、今さっき玄関を入ったばかり。要するにあたしたち何もしていない。
「母が、具合悪いみたいなんです。」
こんな時間にそんな嘘は適当じゃないかもしれなかったけれど「帰らせてください。」あたしは必死だった。
相手が聞き分けのない男だったら、もしくはいたるさんが強引な人だったら、多分OUTだろう。判っていたけど、それでも帰りたい。
「送ってくよ。」
いたるさんがいい人で良かった。心から思う。
「すみません。」
「いいよ。今度また、一緒に飲んでくれれば。」
「本当、すいません。」
お家まで道案内しながら、いたるさんの車の中であたしはずっとドキドキしていた。
いたるさんが何か話しかけてきたけれど、そんなことは右から左に流れて、ずっとさくやのことばかり考えていた。
「あ、この辺で。」
お家の前まで行ってしまったら、車の音でママを起こしてしまうかもしれない。
あたしはお家から街灯三つ分手前で車を停めてもらった。
「また逢おうね。とーこちゃん。」
「はい。ありがとうございます。」
深々とお礼をして、Uターンしていく車を見送る。そのテールランプが見えなくなるより早く、あたしはさっき来たさくやからのメールを見直した。
何度見直しても、そのメールは確かに受信BOXに入っている。本物なんだ。
震える指で返信した。
『さくやが謝ることは一つもないよ。いつでも逢えるよ。』
さくやに謝ってもらうことは一つもない。本当にそう思っている。だから、謝るために逢わなければならないと思っているんだったら、そんなのは嫌だ。でも、もし純粋に逢いたいと思ってくれているなら……『今から迎えに行く。』あたしがごちゃごちゃ考えるよりも先に、さくやらしい強引なメールが届いた。
今からって、もう深夜ともいえる時間だ。さくやはカレンダー通りにお休みがないから、日付変わった今日もお仕事だろう。しかも、前にここに来て、車をボコボコにされかけてるのに。
『一時間後にロータリーで。』ってメールが来たっきり、ぷっつりと連絡が途絶えた。
あたしはこの展開についていけなくなる。
あの時、あの古臭い喫茶店であたしたちは確かにお互いのメールアドレスを消去した。
それを、斗亜さんもいつきさんも確認した。なのになんで、さくやがあたしのアドレスを知っているんだろう?あの状況じゃあ、斗亜さんにもう一度あたしのアドレスを聞くなんてことは出来ないだろうし、さくやとあたしには共通の友人なんて今のところ、いない。
まさか、覚えてた?
確かに、あたしのアドレスは覚えやすい単語と数字の羅列だけど……。
酔ったら何もかもを忘れてしまうさくやが?しかも、あたしなんかのアドレスを?
頭が混乱して約束の駅のロータリーにあるベンチでタバコを吸っては消し、また火をつけてふかした。
それよりも、どうしよう。
あたし、さくやに逢う心の準備なんて出来ていない。あんなこと言った後なのに、どんな顔して逢えばいいの?
表向きは冷静に、頭はフル回転で焦っていたら、向こうから見慣れた車が走ってきた。
車内の青色のランプが大好きな人の顔を照らしている。
ベンチから腰を上げるのに、こんなに苦労したことなんてない。一言目に何て言ったらいいのか、車までの四歩で考えなければならなかった。
助手席のドアを開けると、懐かしいエアフレッシャーの香りと大音量の音楽。そしてこっちを向いているさくや。
「迎えに来てくれてありがとう。」
何パターン化考えた中の、一番当たり障りないバージョンを口にするとさくやはフッと笑ったようだった。
「乗れよ。」
そのハスキーな声にあたしは素直に従った。
どこに行くとは告げられていない。
大音量の音楽だけが二人の空間を埋めている。
けれど、決して居心地が悪いわけではない。さっきからシフトを変えながらさくやの左手はあたしの右手の上にあった。
夜中の道に続く街灯が、まるでずっと彼方まで続いているような錯覚を起こす。あたしはこのままさくやに誘拐されてもいいとさえ思った。
何回か道を曲がって、次第に細い道に入り、最後には舗装されていない道路を進み、車が止まった。
さくやが、先に降りる。
さくやが閉めたドアが運んできた外気で、いま、どこに来ているのかが判って、あたしも急いで車を降りる。
助手席の傍まで来ていたさくやがあたしの手を摑んで、先を歩き出す。
足元が不安定な道なき道を導いてくれて、着いた先には初めて一緒に来た時と同じ表情の海が広がっていた。
手を強く引かれ、気付いたら抱き締められていた。
「さくや。」
「悪かった。」
さくやの声とあたしの声が重なる。「俺が、悪かった。」
「さくやは一つも……。」
最後まで言い終わるより前に、キスが降ってきた。今までのどんなキスよりも強引で熱い。
こんなキスされたらさくやの事、忘れようなんて思えなくなる。
「逢いたかった。」
あたしが一番に言いたかった言葉をさくやはスッと言ってくれる。
「どうして……。」
「お前が大切だって気付いたんだ。」
その言葉は、今のあたしには痛かった。
あたし、さくやを忘れようとして、別の人と一夜を共にしようとした。
そんなあたしに、こんな素敵な言葉をくれる。
「あたしなんか……。」
「お前がいなかったら、今の俺はいない。」
「どうしたの、さくや?」
「本当の事を言っただけだ。」
今日のさくやは、今までのどのさくやより、真剣に見えた。酔っていないってこともあるのかな。目が凍りつくくらいに冷たいのに、眼差しは優しい。
あたしたちはしばらく抱き合ったまま夜の黒い海を見ていた。
寄せては返す波を見ながら、あたしはもう諦めないって心に決めた。
さくやが、ここにいるのは彼女と別れてくれたって事じゃないって判ってた。
さくやは、彼女とあたしの両方をとったんだ。
あたしは、捨てられた訳じゃない。ちゃんと選ばれた。
だったら、彼女がいようと、その彼女とさくやが別れられなかろうと、あたしはさくやを諦めない。
さくやの中で一番素敵な女性になれるまで、あたしはさくやの傍にいる。そう決意した。




