2002年4月 SIDE SAKUYA
指定された時間より早く着いた今時珍しい喫茶店の中で、俺はとーこと向かい合って座りながら、隣にいる先輩を初めて面倒な人だと思った。
メールをしたんだ。もう二度と逢わなければそれで良かった。はずだ。
いや、むしろ、メールをしたんだから二度と逢いたくなかった。
今までそうやって逢わなくなったオンナなんてごまんといた。とーこもその一人で良かったんだ。
なのに、こんな風に逢ってしまったら面倒なことになる。
「誘ってくれてありがとう。嬉しかった。」
「いや。」
とーこは微笑みながら、当たり障りないことを言っていた。隣で先輩といつきさんが聞いているからか、全く核心には触れてこない。そこがもどかしかった。
見たことのない営業スマイルのような笑い方も気に入らなかった。だからか、俺はいつもよりもぶっきらぼうになっていたようだ。
「怒ってる?さくや?」
「いや。」
面倒くさい。その言葉しか頭にない。
「じゃあ、もう少し、さくやを怒らせようかな?」
「どういう意味?」
「あのね……。」
とーこは大きく息を吐くと、俺を真っ直ぐ見つめて「今の彼女さんと別れて、あたしと付き合って欲しい。」
とんでもないことを、微笑んだまま言い放った。
「はぁ?」
思わず、本気で不機嫌な声が出る。
ちょっと前に、実紗と逢ったばかりだ。実紗は近くに引っ越してくるって判ったし、俺はこれからの彼女との生活を明るく考えていた。だから、実紗と別れる気は全くない。
「あたしを、見て欲しい。」
「それは、出来ない。」
どこに、どんな自信を持って、そんなこと言ってんだ、このオンナ。
こんな面倒なオンナだとは思わなかった。
この後、どんなヒステリックなことを言い出すんだ?
その面倒を思って身構えていたら、とーこはホッとしたように一つ、息を吐いた。
「そうだよね。」
あれ?
「ありがとう。聞いてくれて。」
その言葉で、視界がぐらりと揺れる。この感覚、前にも味わった。とーこは相変わらず微笑んでいた。その落ち着き方は今まで逢ったどんなオンナとも違っていて、俺は戸惑う。
俺は、こんなオンナに逢ったことがない。
淋しかったから、酔った勢いもあったから、俺はとーこに勘違いをさせる言葉を言ったろうし、甘えていた。だから、とーこは俺に付き合って欲しいと言ったんだろう。
なのに、断っても泣きも怒りもしない。面倒なことは何一つ言ってこない。
何でだ?
「そこまでだ。」
先輩の声が煩い。俺はその謎を解きたくて、とーこがもっと何か言うのを期待していた。なのに、とーこは「はい。ありがとうございます。」言ってまたホッとしたように息を吐いた。
「お前ら、携帯出せよ。」
「は?」
展開についていけなくて、俺は先輩を見る。
「もう、連絡を取るな。お互いアドレスを消せよ。」
何で、この人に命令されているんだ、俺。
「好きにしてください。」
そこで逆らうのはもっと面倒なことになりそうで、俺は自分の携帯を出すと先輩に渡した。
酔って遊んで、一夜を共にして二度と逢わなくなったオンナなんていくらでもいるけれど、こんな面倒なことになったのは初めてだ。
もう懲り懲りだった。
それに、とーこと逢わなくても、もう俺には実紗が近くにいる。それだけで十分だ。
先輩が返してきた携帯の画面には『瞳呼さんのアドレスを消去しますか?』
俺は『YES』を選択した。その操作を隣で先輩が確認していた。俺の目の前でとーこが同じことをしている。
俺はこのオンナともう二度と逢わない。
先に会計を済ませて店を出た。時計を見ると十九時二十八分。とーこと話していたのは正味二十分くらいって事になる。
先輩に呼び出されてなかったら、こんな後味の悪い思いをしなくて済んだのに。
歩きタバコは嫌いだったけれど、どうもイライラして、一本唇に押し込むと火をつける。
地下鉄駅前に設置してある灰皿で立ち止まって、この荒んだ気持ちを抑えようとした。
そもそも、俺、何でこんなにイライラしてんだ?
遊んだオンナはいくらでも捨ててきた。その中には言い合いになって喧嘩して捨てたオンナもいた。メアドを消して自分から消えたオンナもいた。それと、今回の何が違うってんだ?
先輩の介入があっただけで、何も変わらない。
いや、違う。
とーこだ。とーこだからだ。
とーこは俺の心の誰も触れた事のない場所をそっと癒してくれていた。誰も言ったことのない優しい言葉をふとした瞬間にかけてくれていた。
そのとーこを、俺はいとも簡単に捨てた。
捨てたんだ。




