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俺たちの進む道には  作者: 風 桜月
2002年4月
30/92

2002年4月 SIDE TOOKO

『実紗と逢うことになった。二十九日の約束はナシだ。判ってくれ。もう忘れろ。』


 そのメールが来てから、あたしはベッドの上で微動だに出来ないでいる。大声を出すことも泣くことも出来ない。

 ただ、事実を受け止めるだけ。受け止めきれない事実を頭に理解させようとするだけ。

 いつの間にかひよりちゃんがあたしの膝の横にちょこんと座ってガラス玉のような瞳であたしをじっと見ていた。


 遅かれ早かれ、こんな日が来ることは判っていたんだ。「彼女がいる」さくやと、友達になるために斗亜さんはあたしたちを逢せてくれた。「彼女がいる」さくやを勝手に好きになったのはあたし。「彼女がいる」さくやに期待したのも、あたしの勝手。

「もう忘れろって……何?」

 おかしいよ、さくや。あたしは最初から「判って」いたよ?さくやに彼女がいること。

 とーことのことは遊びだっていうことも。

「とーこ判っているのに。」

 もう二度と逢えないと言われたのと同然。あたしは絶望的な気分になる。

 彼女と逢ってしまったら、とーことのこの数日間なんてさくやの思い出にも残らないんじゃないかな。

 「忘れろ」って事は、あたしはさくやとの思い出を捨てなければならないのかな。

 あの優しい瞳も、反則な言葉も、抱擁も、キスも。

「嫌だ。」

 息が苦しい。「嫌だ。」血液が逆流するのを感じる。

 泣きそうだった。ひよりちゃんがそんなあたしの頬をペロペロと舐める。

 さくやが忘れたとしても、さくやに忘れられたとしても、あたしはこの思い出を捨てたくはない。大切にしたい。

 あたしは決意した。

 さくやの幸せを応援するって決めたじゃない。だったら、あたしの思いは封印しなきゃ。

 でも、思い出は持っていこう。

 これから進む、あたしの道へ。


 ご飯が食べられなくなって、二日になる。

 あたしの悪い癖。落ち込むと食べ物を受け付けない。

 眠れない。愛想笑いが増える。そして、がむしゃらになる。

 さくやからのメールが来てこの二日だけで業務成績はガンガン上がって、体重が一気に減った。

 終業してから、携帯にメールがあると、つい期待してしまう。

 さくやじゃないかって。

 そんなコト、あるはずないのに。


「何か食べたら?」

 ママの言葉も今は耳に心地よくない。でも、笑って見せる。

「今日、お昼食べ過ぎたから。」

 見え透いた嘘と、見え透いた愛想笑いにママがため息を吐く。ひよりちゃんは何かを知ってるって顔であたしを見てる。あたしはそれだけで、泣き出しそうだった。


 決めた。『FIVE』に行こう。

「あたし、今日出かけてくるわ。」

 あの、思い出がいっぱい詰まった場所へ。あそこに行ったら、思い出のカケラたちがあたしを癒してくれるかもしれない。

 夜は遅かったけど、あたしは着替えて家を出た。

 後ろでママが何か言ったようだったけれど、あたしには聞こえなかった。


「おー。瞳呼。久しぶりだな。」

 斗亜さんにドーナツを渡しながら、いつもの席に納まる。

「桜夜は?今日は来ねーのか?」

 突然の、その問いに胸が痛くなる。

「約束してねぇの?」

 していた。約束。けれど、反故にされた。でも、そんなの期待したとーこが悪かったのだから、こんな場所で愚痴る事すら出来ない。

「はい。」

「瞳呼。桜夜に振り回されたんだろ?」

「そんなコトありませんよ。」

「一人で来てくれるのも嬉しいけどよ、何か変だぜ、お前たち。」 

 渡してくれたおしぼりを取ろうとして、手首が摑まれた。

「まさか、あいつに泣かされたんじゃねぇだろうな?」

「そんな……。」

 一番痛いところを突かれて、斗亜さんに返す言葉がなかった。

 そのまま、手首引っ張られて、今日は一段と空いているテーブル席の奥に強制連行された。

「桜夜に泣かされたんだろ?」

「泣かされていませんよ。とーこが勝手に泣きそうになっただけです。」

「じゃあ、変わりねぇだろうよ。」

「とーこが勝手に、期待して、絶望して、泣きそうになっただけです。」

 あたしの上の猫三匹は、穏やかに話すことに協力してくれてる。

 あたしは愚痴りに来たんじゃない。この椅子に座っている感覚とか、さくやが握ったマイクとか、そういう小さなものに思い出を見出したかっただけ。

「桜夜が何かしたか?」

「優しくしてくれました。」

「それだけじゃねぇだろ。」

「とーこは、ここにいてもいいんだって、思わせてくれました。」

「何か、もう逢わないみたいな言い方だな。」

「もう逢わない方が、良いんでしょうか?」

 例え斗亜さんに「もう逢わない方がいい」と言われたとして、それを守れる自信はないけど、あたしは好きになると一直線だから、ちゃんと第三者の意見も聞いておいた方が良いと思う。

「どうした?」

 斗亜さんの声は、普段より二トーンは低い。目が真剣だ。

「何かあった?」

 その声は本当にあたしを心配している声で、あたしはその声なら信じてもいいかもしれないと思ってしまった。

「さくやが、忘れてくれって……。」

「はぁ?何を?」

「多分、今までのコト、全部。」

 言ったそばから思い出して、あたしは顔を歪めたみたいだった。

「おい、瞳呼。大丈夫か?」

 お酒も入っていないのに、あたしは、今日の事を斗亜さんにぶちまけていた。

 今日、さくやが彼女と逢うために反故にした約束を、あたしがどんなに大切にしてきたのか。忘れてくれと言われた時の気持ち。忘れられない思い。

 今日は空いているからか、斗亜さんはずいぶん長いこと話に付き合ってくれた。

「彼女がいるって、ちゃんと判っていたんです。だから、とーこが悪いんです。」

 自分で、自分に言い聞かせないと、崩れてしまいそうで、あたしは自分に嘘を重ねた。

「瞳呼は悪くないだろ。」

「だって……。」

「その気にさせた、アイツが悪い。」

「その気になったとーこが悪いですって。」

 あたしは微笑むことすら出来た。だって判っていたことなんだから。

 あたし、さくやと彼女が幸せなら、その幸せを応援できるって心から思っていた。

 さくやが幸せなら、あたしも幸せだと。

 でも、違う。いや、違った。

 やっぱり、あたしはさくやが好きなんだ。彼女がいても、彼女しか目に入らなくても。

 あたしの方を見て欲しい。


 なんて、嫌なオンナなんだろう。

 こんなあたしなんてさくやは好きになってくれないだろう。

 こんな自分は大嫌いなのに。


「お前、今日は帰るな。今から、親に連絡しろ。」

 斗亜さんの目は怒っていた。あたしが我儘を言ったからだろうか。

「でも……。」

 明日はお休みだ。子供じゃないんだから、外泊くらい許されるだろう。でも、これ以上斗亜さんに迷惑をかけるわけにはいかない。

「俺に逆らうのか?」

「判りました。」

 その声はドスがきいてて怖かった。あたしは夜通しでお説教されてもいいやと思いながら、ママに電話して「友達のところに泊まるから。」言って一方的に電話を切った。

「よし。」

 まるで、良く芸が出来た犬にでも言うようにちょっと甘くなった斗亜さんの声に、あたしは少し安心する。これ以上、居場所がなくなるのも、拒絶されるのも嫌だったから。

 斗亜さんはカウンターであたしが持ってきたドーナツを取り出すと、三つ一緒にお皿に乗せてあたしの前に差し出した。

「まず、お前、食べろ。」

「とーこ、今日夕食たくさん食べてきたから、お腹いっぱいなんです。」

「嘘吐け。」

 あたしの言い訳は一瞬で却下された。

「お前、いつから食べてないんだ?」

「食べてますよぉ。」

「だから、俺に逆らうのかって?」

「違いますけど。」

「言わなかったら、今ここで、桜夜に電話するぞ。」

 それは困る。大いに困る。でも、あたしの上の猫三匹はあたしの本性を斗亜さんに知られるのを本当に怖がっていた。

「それは止めてください。」

「じゃあ、言えよ。それとも、言わせてやろうか?」

 胸元から携帯を取り出した斗亜さんの腕を摑んで、あたしは唇をかんだ。

「お前が食べてない事くらい、判るんだよ。ついでに寝てないことも。」

「食べてるし、寝てますよ。」

「それだけ、ダメージがデカかったってことだろ。」

 斗亜さんはあたしの言葉なんて聞いてない。畳みかけるような言葉にまた微笑んでしまった。

「大きかったけど……それはとーこのせいで……。」

 言った途端、斗亜さんの腕があたしの頭を包み込んで、気付いたらおでこが斗亜さんの胸にくっついていた。

「瞳呼。お前、泣くってことを覚えろ。」

 あたしの上の猫三匹は、この時に剥がれ落ちた。

 ポタン。涙が膝に落ちる。

 あたし、さくやの事で今まで泣かなかった。

 ポタン。もう一つ涙が膝に落ちて、黒いスカートに染み込んでいく。

 あたし、泣けなかった。

 でも……。

 泣いていいんだ。


 結局『FIVE』が閉店になってからも、あたしは斗亜さんとお店の中で話していた。

 いつきさんが「眠いから先に帰る。」って言った時に一緒にお店から出れば良かったのに、タイミングを外してしまった。

 あたしたちは、本当に他愛のないお話をした。あたしがひよりちゃんを拾った日のお話とか、斗亜さんがいつきさんと出逢った日のお話とか。

「瞳呼。明日、付き合え。」

「いいですよ。」

「帰るぞ。」

 途端、あたしは困ってしまった。だって、斗亜さんが帰るなって言ったから、あたしは終電なんて気にしないで飲んでいた。今からの時間、帰る為にタクシーに乗らなきゃならないとしたら、あたしはそんな大金持ち合わせていない。

「とーこ、帰れません。」

「大丈夫だ。俺んとこ、来い。」

「でも、いつきさんは?」

「多分、寝ているだろうな。気にするな。」

 気にしますとも。いや、気にしない方がおかしいでしょう。

 そんなあたしの思惑をよそに、斗亜さんはさっさと帰り支度を始めてしまった。だからお店にいるわけにはいかない。あたしも慌ててジャケットを羽織ってバッグを持つ。

「ご馳走様でした。」

 言って開いたドアを、あたしはさくやと四回通った。そんな事を思い出していた。


 斗亜さんといつきさんが、閉店が遅くなるとよく泊まるというホテルの部屋で、あたしは三日ぶりに眠りに落ちた。

 さくやの夢は、見なかった。



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