2002年4月 SIDE SAKUYA
『FIVE』の帰り道、酔っぱらって気分がいい俺に反して、とーこは少し沈んで見えた。
「なした?」
「何でもない。」
「何でもないはずないだろ。酔って気分でも悪いか?」
「だったら、良いね。」
その遠回しな言い方にちょっとイラついてきた。
酒は楽しく飲みたい。金を払って飲んでんだ。気分よく帰りたい。
「なんだよ、その言い方。」
「何でもないって。」
「お前、今日、変だぞ。」
「変にもなるよ。」
「なしてよ?」
とーこが沈んでいる理由に思い当たる節が、全くない。
「さくやが、栞ちゃんを口説くから。」
「俺、口説いたか?」
一緒に楽しい酒を飲んだが、口説いた覚えはまるでない。
「今の彼女と別れたら、次は栞ちゃんと付き合うって言ったじゃない。」
とーこの大きな瞳から涙が次々と溢れて、俺はそんなこと言った覚えはなかったけれど、とーこを傷付けた事を後悔した。
「俺、そんな事言ったか?」
「言ったよ。」
「覚えてねぇ。」
「さくやはいいよね。酔って口説いて、記憶がなくなれば、無かったことに出来て。でも、とーこは酔わないから、忘れないんだよ。」
きっと、今までも酔って記憶を無くして、とーこを傷付けてきたんじゃないかって、その時気付かされた。
「悪かった。」
「いい。謝らないで。」
「何でよ。本気で悪かったって思ってるから謝ってるべ。」
「その本気も、明日になれば忘れているから、いい。」
反論できなかった。確かに俺は酔えば記憶を無くす。でも。
「でも、お前と初めて逢った日のコト、覚えていたべ。あれはタバコの賭けがなくても忘れてなかったぞ。海の事だって、忘れていなかったべ。全部じゃないかもしれないけどな、俺はお前の事は覚えているんだぞ。」
すると、とーこの動きが止まった。
「今日の事は忘れた。どんなオンナだったか、口説いたかどうかも覚えてねぇ。でも、俺はお前を口説いたことも、抱き締めたことも、覚えているぞ。それはお前が俺にとって大切で、手放したくない存在だからなんじゃねぇの?わかんねぇけど、俺はお前の事は忘れねぇ。」
街中だったから抱き締めることは出来なかったけれど、繋いだ手を引いて肩を抱いてやった。
「さくや。ズルいよ。」
「なにがよ。」
「さくやの事、もっともっと好きになっちゃう。」
「なれば、いいんじゃね?」
本当に不思議な話だったけれど、とーこといる時の記憶は断片的にだったが思い出すことが出来た。さっきオンナを口説いたって言われても思い出せないこの俺が、だ。
だから、さっきとーこに言ったことは本当だった。決してとーこにいい顔見せようとか、とーこの機嫌をとろうとかそういう気持ちは全くなかった。
とーこの頬に流れた涙を拭ってやって、地下鉄駅に降りていく。
「俺は、酔ったら何もかも忘れちまうサイテーなヤツだ。けど、何故かお前との思い出は忘れられねぇ。信じてくれとは言わない。ただ、俺は半端な気持ちでお前といるわけじゃないって判ってほしい。」
とーこはしばらく考えて、頷いた。
「とーこはさくやを信じるよ。さっきはごめんなさい。」
「とーこは謝らなくていいんだって。」
「だって、あんなひどい事、言っちゃったから。」
「それは、俺がひどいことしたからだろ。」
とーこが語気を荒げることなんて想像してもみなかった。いつも穏やかで、優しくて、俺を癒してくれる。それだけ傷付けたって事だ。
「違うよ。とーこが勝手に傷付いただけ。」
「違わねぇ。俺がとーこを傷付けた。」
「じゃあ、約束して。」
とーこはまだ潤んでいる瞳で俺を見上げた。
「何をよ?」
「もう、とーこの目の前で女の子を口説かないでね。」
こんなにとーこを傷付けるなら二度とやるもんか。
「おう。」
「ゆびきり。」
とーこの細い小指に俺の小指を絡めて小さな子供みたいに約束をした。
守れなかったら針千本くらい飲んでやる。
いや、守れないことなんてないはずだ。今日の後悔はぜってー忘れねぇ。




