2002年4月 SIDE TOOKO
その地下鉄駅の名前は聞いたことがあったけれど、降りるのは初めてだった。
お仕事を急いで片付け定時を待って退勤して、すぐにさくやにメールしてから三十分。
指定された場所は、あたしには馴染みがなかった。
まだ短い日が落ちそうな夕方とも夜とも言えない時間に、慣れない場所を歩いているとカバンの中で携帯が揺れた。
急いで取り出して発信者の名前がさくやだと判った途端、もうすぐ逢うのにいきなり緊張してくる。
「とーこ発見。」
その言葉に、ビックリしてキョロキョロしていると「水色の看板見えるか?」近くの目印を言われて急いで見つけた水色の看板の方向に歩いたけれど、さくやの姿が見当たらない。
「こっち。黒のプレリュード。」
てっきりさくやが徒歩で来ていると思っていたから歩道側しか見てなかったけれど、視線を巡らせたら真っ黒な車の中の青いランプに映されたさくやの横顔が見えた。
助手席側のドアを開いて「遅くなってごめんね。」エアフレッシャーの香りと流行の曲が大音量で流れている車内に納まった。
「まだ時間じゃねぇし。」
ステレオのボリュームを絞ってこっちを向くとさくやはやんわり微笑む。
さくやを照らしているのは車内に取り付けてある水色のライトだということが判った。さくやが乗っているのはいかにもさくやらしい車。
「お前、飯は?」
「食べてないよ。」
「コンビニ、寄る?」
「ありがとう。」
サイドブレーキを下して車を動かす。今時マニュアル。そのシフトチェンジの滑らかな手さばきがいっそうさくやを格好良く見せた。
「お店以外でさくやに逢うの初めてだから、緊張する。」
あたしはありのままを伝えたのに、さくやはフッと笑って「意味判んねぇ。」軽く流した。
「からあげくん食べたいから、ローソンな。」
「とーこ、どこでもいいよ。」
そう、さくやと行けるならどこでもいい。さくやと同じ時間を過ごせるなら何をしていてもいい。
滑らかに駐車場に停められた車から降りると、さくやはさっさとコンビニのドアを開いてあたしを通してくれた。
「さくや、優しい。」
「普通。」
初めて逢ったファストフード店でもさくやはこう言った。この人は、自分が優しいってこと、気付いていないのかもしれない。でも、そこがさくやの素敵なとこなんだ。
ドリンクホルダーにはからあげくんとじゃがりこ。流行の曲を控えめに流しながら車はあたしの知らない道をどんどん進んだ。
「お前の夕食、それ?」
じゃがりこの事を言われているって判って「そう、何で?」聞き返す。
「ちゃんとしたもの食わねぇから、そんなカリッカリなんだぞ?」
「カリッカリって……。」
さくやの表現の仕方に笑ってしまった。たしかにじゃがりこはおやつであってご飯と呼べるものではない。けれど、仕事で疲れているときはこれしか食べたくなかった。結果、最近痩せ続けている。
「さくやだって、それしか食べないんでしょう?」
からあげくんを指差すと「ビールがありゃ腹いっぱいになるんだって。」あたしよりも不健康な答えが返ってきた。
いつの間にか街頭は所々にしかなくなっていて、気が付いたら車は舗装されていない道なき道を突き進んで、唐突に止まった。
「着いたぞ。」
そう言われても、どこに着いたのか判らなくて戸惑ってしまう。でも、さくやが連れてきてくれたところなら、そこがどんなところでも良かった。
ドアを開くと潮の香り。
「海だぁ。」
さくや、約束覚えていてくれたんだ。嬉しくなって声が弾む。
「海、来ようって言ったべ。」
運転席を降りたさくやは、あたしの手を引いて暗い道を半歩先に歩んでくれた。
「覚えていてくれたの?」
「俺をなめるな。」
砂に足を取られないように下ばかり見ているあたしには見えなかったけれど、さくやは苦笑したようだった。
少し歩いて、ようやく波打ち際が見えるところにたどり着く。
「わぁ。海だぁ。」
嬉しくてはしゃぐと、不意に手を引かれぐらついた体勢を整える前にさくやに抱き締められた。
「とーこ。」
今までの人生で、そんな切ない声で名前を呼ばれたことなんて一度もない。あたしは自分の腕をさくやの背中に回して良いのか悩みながら小さく小さく囁いた。
「逢いたかったんだよ。」
「俺も。」
間髪を入れず返ってきた言葉は、またあたしを苦しくさせるには十分なほど反則だった。自棄になってさくやを強く抱き締める。
「さくやは……。」
囁いた言葉は、果たしてさくやに届いたんだろうか?




