2002年4月 SIDE SAKUYA
ハッと気付いたら天井がやけに近くにあった。タバコとエアフレッシャーの香りでここが車の中だと知る。
外は、もう真っ暗。昨日残業して妹の家に行こうと思ったら、妹の酒乱の旦那が暴れているってメールが入って、疲れているのにそんなところに行くのは嫌で、ビールを数本買って車を止めて飲んだ。それから数時間寝てそのまま仕事に行って、帰り道、猛烈な睡魔に襲われてここに車を止めて寝たって訳か。
携帯を見て時間を確認すると十九時を過ぎていた。
頭の奥深くでサイレンが点灯する。俺は何かを忘れているようだ。
タバコに手を伸ばして、あと数本しかないのを確認しながら一本唇に押し込んで火をつける。
ゆっくり煙を吐き出しながら、携帯を操作して一件の受信メールを見つける。
それは昨日の日付でとーこからのものだった。
やべ……
俺、また約束を反故にした。
酔ってない時の記憶力は優れている方だと思う。これは、一昨日海に行く約束をしたのに、昨日残業で行けなくなったとメールした時に返信されてきたものだ。
その内容は、今まで出会ってきたどんなオンナとも違う。
約束を反故にされたら、今までのオンナは大抵怒った。どうしても、すぐに逢わないと気が済まないと抗議の電話をかけてきたオンナだって少なくはない。
けど、とーこの返信は俺の身体を気遣ったもので……そんなオンナ出逢ったことがない。
「俺、最低だ。」
実紗を、愛してる。その気持ちは変わらない。でも、とーこにも興味がある。多分、俺以外のタチにとーこを取られたら、俺は冷静ではいられないはずだ。でも、これは愛しているとは違う。いや、違うはずだ。そう自分に言い聞かせてもう一本タバコに火をつけながら携帯の電話帳を開いて目的の人を見つけ、通話ボタンを押す。
「おう、桜夜じゃねーか。どうした?」
先輩はいつもの調子で、先輩の後ろから聞こえるざわめきもいつも通りで、俺はちょっと安心する。
「先輩。俺、天罰にあったんです。」
「はぁ?いきなりどうした?」
先輩の反応はまさに正常なもので俺は自分で言っておきながら、何が言いたかったのか判らなくなる。
「いや、やっぱいいです。」
このまま誰かと話していたら何か妙なことを口走ってしまいそうで通話を終わらせようとした俺の耳に、先輩の真剣な声が滑り込んでくる。
「どうした?桜夜。」
その声は、めったに聞くことがない先輩の本心から話しているときの声で、俺はその声から逃げることなんて出来ない。
「天罰に、あったんです。」
「だから、何だよ、その天罰って?」
タバコの灰が落ちそうになったことに気付いて灰皿の端でタバコを叩くと灰が落ちるように気持ちも次々ホロホロとこぼれだして、いつの間にか俺は先輩相手にこの数日間に起こったことをその時思ったことことまで加えてしゃべっていた。
とーことの約束を何日も守れないことを気にしている自分。彼女にかまってもらえなくて淋しいからって次々オンナに手を出して次々捨てているくせに、とーこ相手にそうはできない自分。今日また、約束を破ったことが天罰だと思った自分。
「最低なんすよ、俺。」
「そんなことは、前から知ってる。」
「言いますね。」
「本当の事だろうに。」
嫌味なほど甘い言葉を並べたてられるより、俺には先輩の辛辣な物言いが合ってる。
「ただな、桜夜。一つだけ言っておく。」
電話の向こうの空気がまた更に真剣になったことを感じて、俺は知らず姿勢を正す。
「瞳呼は素人だ。遊ぶなら他にしとけ。傷付けるな。」
「傷付けるつもりなんか……。」
「じゃあ、何でキスした?」
俺の言葉に食い気味に言われた事実に反論の仕様がなくて黙っていると、先輩が苦笑したのが判った。
「お前にとっては、酔った勢いかもしれんがな、瞳呼はそうは思っていないかもしれないって判るか?」
「判ってます。」
本気で、判っていた。それに「あの時は」遊びなんかじゃなかった。
「じゃ、いいんだけどな。……泣かすなよ。俺はあいつを妹みたいに思っているんだ。」
先輩に、よっぽど可愛がられているんだろうことが判って、俺は何だか嬉しかった。
「俺は……大切に思っているんですよ。」
「じゃあ、今日のコト謝りゃいいじゃねぇか。」
「ですね。」
「判りゃいい。お、忙しくなってきたんでまたな。また、顔出せ。」
「ありがとうございました。先輩。」
通話が切れた携帯。そのまま、メール作成画面を開いた。




