期末テスト
若干、堅苦しい文章ですが、ご容赦ください。
期末テスト・・・・・・聞くだけで、気が重くなってくる。ところで、何故期末テストは行うのだろうか。期末テストを行うのは誰のためなのか。そして、期末テストを通して何を伝えたいのか。
そもそも、期末テストとは何なのだろうか。「学校で、それぞれの教科や科目に、どれだけの学習効果や、教育効果があるのかを試す試験である」と定義してある。と言う事は、各教科での日々の積み重ねが、いかに実践で応用できるのか。また、その科目について、どれだけの学習効果、教育効果が出ているのかを明確にするための試験ではないのか。しかし、一般的に学校では「何月何日何曜日に何何のテストをする」と言う事を生徒に明確にあらわし、また「何の教科の何からなにまで」という範囲までもを明確に掲示している。そうする事により、生徒はただひたすら、テストの日に向けて勉強するであろうことが予測される。と言う事は、本来の“学習効果”“教育効果”というものはあくまでも個々の基礎であり、身についた真の学力ではないのではないだろうか。その日に向けて勉強した結果、記憶に宿す事の出来たものが多いのではないだろうか。と言う事は、“学習効果”と言うのは、個人個人の勉強量によって変わってくるし、基本的に“教育効果”を定期テストで計る事は少し矛盾しているのではないだろうか。ここで、一つ例を挙げてみよう。
「麗子さんは、英語が全くわかりませんでした。なので、テストに向けて一生懸命勉強しました。するとどうでしょう。なんと、あんなに英語のわからなった麗子さんは、テストで100点をとりました」
100点と言うのは極端だがこの例であると、元々、麗子さんは100点を取れるほどの英語の知識は持ち合わせてはおらず、学校での“学習効果”と言うのは皆無に等しく、また、テストに向けて焦りを感じ自学自習した事によって得られた点数なのである。と言う事は、学校での“教育効果”というのもまた、皆無に等しいのである。また、最悪の例を挙げてみよう。
「麗子さんは、英語が全然わかりませんでした。そのため、テストが近づいてくると同時に焦りを感じ、勉強をしました。が、全く身につかずとうとう当日を迎えてしまいました。麗子さんは、諦め、潔く赤点を取る事にしました。テストが始まり、重苦しい空気の中、麗子さんは適当に『記号で答えなさい』と言う問題を解いていきました。テストが返却され、点数を見た麗子さんは驚きました。なんと、適当に解いた問題が2問あっていて、2点取れてしまったのです」
どうだろう。まさに最悪の例としか言いようがない。勿論、適当に解いて2点と言うのは全く意味を持たない点数であり、麗子さんの身の為にもなっていない。一番いけないのは、自学自習での“学習効果”“教育効果”すら得られていない事である。これでは、何の意味で期末テストを催しているのか全く意味がわからない。
今の話は、麗子さんサイドからだったが、学校側はどうなのだろう。