御茶ノ水アリサは青春したい 2
ホームルーム終了とともに駆け出そうとしたら、案の定御茶ノ水に襟を掴まれ、捕まってしまった。
「そういえばヤマダは帰宅部だな」
「それがどうした」
「青春は一度きりだ。帰宅部なんてやめろ。いますぐ部活に入るのだ」
「余計なお世話だよ。帰る家があるんだ、俺にはな」
「部活終わりの放課後デートが最高のシチュエーション。パパのギャルゲーで私は完璧に理解したのだ」
学習素材がくそすぎる。
「日本の青春をしっかり演じるために、退屈な授業を我慢して受けたのだぞ。さあ、部活に行くぞ」
「俺は帰る」
「運動部と文化部どっちがいい?」
「人の話聞けよ、おい!」
「カレシがボウズは嫌だからサッカーにしとくか」
御茶ノ水は机の中からプリントを取り出して机においた。入部届けだった。不可解なことに、俺の筆跡でサインがされていた。
「おい、やめろ!」
慌てて取り上げる。「むっ」唇を尖らせる御茶ノ水と目があった。
「入らないぞ、部活なんて」
「なぜだ」
「時間の無駄だ。家に帰って漫画読んでいる方が有意義。それにバイトもあるし」
「私はそうは思わない。青春は一度きりだ。私といっしょに同じ部活で汗を流そう」
「……今12月だよ。始めるにしても中途半端だろ」
「時期は関係ない。やりたいと思ったときがきっかけなのだ。さあ、やりたいものを言え。文化部か?」
「そんなもんはない。やりたいことがないから帰宅部なんじゃないか。わかれよ、それくらい」
「軽音楽部にしとくか」
「話聞け!」
「音楽にかける青春というのも悪くない。バンドマンはモテるぞ。もっとも浮気は死罪に値するがな。さ、行くか、部室に」
「頼むから俺の意思を尊重してくれ!」
これ以上巻き込まれるのはごめんなので鞄をつかみ、駆け出す。
「あ、まて!」
幸いなことに御茶ノ水は足が遅かった。
ロッカーで即刻ローファーに履き替え、エントランスから外に出るため扉を開けようとしたら全て封鎖されていた。
「は? あっ、え? なんで?」
内鍵は開いている。にもかかわらず扉は接着されたみたいに開かない。
「えーなにこれどういうことぉ?」
俺と同じように戸惑う生徒たちの隙間を縫うように金髪が息を切らせてやって来た。
至るところで息を飲む音が聞こえた。それほど彼女は美しい、
「はぁ、はぁ、な、なぜ逃げる、ヤマダよ」
汗ダラダラじゃなければ。
「いや、ヤバイやつに絡まれたら逃げるだろ、普通」
「なにヤバイやつだと!? どこだ、どこにいる! 私にまかせろ、ヤマダ! あのときから私は地元でカラテを学んだのだ!」
「お前だよ!」
「むっ、なんだと、まさかとは思うが、貴様、私をヤバイやつだと言ったのか?」
「そうだよ、どう考えたってヤバイだろ! いきなり来て部活入れって何様だよ」
「アリサ様だ」
「……」
「まったく言葉に気を付けろ。寛大な私だったから許してやるが、もしお付きのものが今のヤマダの発言を聞いてたら今頃お前は床に転がってるぞ
」
「ふぐぁ!」
何者かに組伏せられた。「きゃぁ!」エントランスの生徒たちから悲鳴が上がる。
「な、な」
身動きとれない。どういう状況?
「あ、いたのか」
「ヘイ、偉い人に対する敬語の使い方を身体にレクチャーしてあげてもいいんだぜ?」
ドスのきいた声が俺の背中に降りかかる。背筋が凍った。
「下がれ」
御茶ノ水の号令に押さえつける力が少し緩くなった。
「なんでお前がここにいる」
「はっ。護衛として転入いたしました」
「ふむ。扉の閉鎖も貴様の仕業だな」
「左様でございます」
「うむ、なかなか察して動けるようになったではないか。20ポイント!」
「ありがたき幸せ!」
「まあ、それはともかく離してやってくれ。彼はまだ生まれもった地位というものを理解していないだけなのだ。念を覚えたての頃は、王にすらなれると勘違いしてしまうように」
「出過ぎた真似をいたしました」
解放される。慌てて後ろを見るが誰もいなかった。こわい。
「あ、開いた」封鎖されていたエントランスも解放されたらしい。淀みのようにたまっていた生徒たちは流れるように出口から出ていった。
人の流れの中で俺と御茶ノ水だけが残される。立ち上がって制服についた埃をはたきながらなに食わぬ顔で学校から出て行こうとしたら鞄を御茶ノ水に掴まれた。
「さ、見学に行くか」
「勘弁してつかぁさい」
「ホールはここから近いぞ。二分でつく」
やばい、このままじゃ自由意思が無くなる。巻き込まれ事故を危惧する俺を引っ張って、少女はホールに移動する。
「お待ちしておりました」
軽音部の顧問の先生がペコリと頭を垂れた。異様な光景だ。強面の男性教師が一回りも年下の少女にへこへこしているのだから。
「お好きな楽器をお選びください」
不貞腐れたようにギターやベースを持ってマネキンのように立っている部員たち。けっこう学校内では有名な人たちだったが、御茶ノ水のまえでは霞んで見える。
「ふむ、なかなかいいぞ。雰囲気はグッドだ。廃部寸前の軽音部を天才的転校生が組んだバンドで復活させる、いい、実にいい青春シチュエーションだ」
恍惚な表情を浮かべる御茶ノ水。
「は、いや、うちはべつに廃部寸前というわけでは」
「なんだと」
「部員も二十人で、けっこう実績もありますし」
「順風満帆ではないか」
いいことだよ!
「く、それではつまらんぞ。廃部寸前になれ、そうだ、タバコだ、そこのお前、タバコ吸え! それでばれろ! 軽音部を廃部に追い込むのだ」
「ええ! いやっすよ!」
御茶ノ水に指差された茶髪の男子生徒は狼狽した。
「タバコや酒を嗜んでる画像をインスタにあげろ、いますぐだ! ただしヤクはダメだぞ! 犯罪だからな!」
「そこのルール守れるのになんで他は守れないんだよ!」
たまらず突っ込んで御茶ノ水の口を塞ぐ。
「冗談です、今のは冗談! 健全に部活しましょう」
「ぷっはぁ! 離せ、ヤマダ」
俺の手の平を弾いて、再び酸素に声を溶かした御茶ノ水は叫んだ。
「真面目ちゃんかよ! 健全なんてロックンロールじゃないぞ! 君らとは音楽性が違ったみたいだ! 私たちは別の道で音楽を突き詰めることにする!」
「あ、えっと」
すたすたと入ってきた入り口から出ていく御茶ノ水。残された俺はたくさんの怒りの視線に射抜かれながら、「大変失礼いたしました」と頭を下げて脱出した。
お札をやたらめったらばら蒔かなくなったので、まだましかと思う自分が怖い。
外に出ると寒気が体を包んだ。底冷えという言葉を表すように地面から体温が奪われていくみたいだ。白い息を吐きながら御茶ノ水は言った。
「このままでは青春が失敗してしまう」
意味がわからないと肩をすくめると眉間にシワを寄せて彼女は言った。
「焦燥感だけがある。何者にもなれずに終わるのが青春の浪費だ。一番惨めな終わり方だ。それは避けなければならない。いますぐセバフチャンに連絡して元ビー◯ルズのメンバーを転入させるよう手続きを行う、ジョンの代わりに私がやるから」
「ふざけたことばかり抜かしてるんじゃあないぞ。人に迷惑かけるな」
「どこかに私と同じように音楽を志している者がいれば……」
ちょうどその時、入り口のドアを開け、ギターケースを背負った一人の女生徒が御茶ノ水の前を横切った。
「ベネっ!」
「きゃ!」
ほとんど通り魔だ。喜色満面で女生徒の前に立ちはだかる御茶ノ水。
「良いタイミングだぞ。わかっているではないか」
「え、え、なによ、あんた」
「背中に背負っているのはなんだ?」
「え、ベース、だけど」
「よし、お前、仲間になれ!」
海賊王もびっくりするくらいの脈絡のなさで女生徒を捕まえた御茶ノ水は ニコニコと女生徒の肩に手をやった。
「え、やです。ごめんなさい」
当然の拒否に御茶ノ水は心底意味がわからないと言った風に首をかしげた。
「なんで?」
「や、だって他にバンドメンバーいるし」
「掛け持ちしろ。そして自然な流れで解散しろ」
「無理よ。悪いけど自分のバンドで手一杯なの」
「無理だとか無駄だとか聞きあきたし、あったとしても私たちには関係ないぞ」
鼻息荒く宣言した御茶ノ水の勢いに引き笑いを浮かべる女生徒。
「あなたみたいな人嫌いじゃないけど」
「ちっ、めんどくさい女だな」
了承を得られないことに苛立ったらしい御茶ノ水はちらりと俺の方をみてから、何事かを耳元で囁いた。
「どうだ?」
顔をあげ真剣な眼差しで見つめる。
「……やる。バンド組みます」
なにを囁きやがった。
「うむ。そう言ってくれると信じていた」
「ただし、ちゃんと入金してよね」
「ばか、声に出すな!」
やっぱり金で解決しやがったな。
女生徒と別れ再び二人きりになる。
「いやまあなんていうか……」
御茶ノ水は俺の流し目にしどろもどろだ。
「バンドどうしてもやりたいって言うんだけどさ、家族が貧乏らしくて困ってるらしくてさ、だから少し貸してあげるわけでさ、これでバンドする時間があるってわけでさ」
「やたらめったら金をばら蒔かないって約束しただろうが……」
「や、だからこれは必要経費っていうかさ。たまたまそうたまたまお金が必要な人に必要な分だけ資金援助してあげただけっていうかさ。これは貧困女性の調査というかさ」
いいわけが下手なやつだ。
「性格は変わらないってわけだな。幻滅だ。悪いが俺は家に帰らせてもらう」
「ううっ、だってまどろっこしいこと嫌いなんだ、もん」
御茶ノ水と目があった。
潤んでいた。
えー、これぐらいで泣くなよぉ。
「お金が解決してくれるなら、手っ取り早くていいだろ!」
うっわ、逆ギレだ。
「だからやたらめったら金まいてたら日本経済が崩壊するだろ!」
「金使わないほうが崩壊するだろ! 貯金ばっかしたって、使わなければ便所の紙にも劣るのだぞ。私はたくさん持ちすぎで一人じゃ使いきれないから分けてやってるだけじゃないか!」
涙が溢れて彼女の顎からポタポタと垂れている。
「いやいや根本的に間違ってるから。そもそもなにしに来んだよ、お前。俺の日常を引っ掻き回しに来たのなら迷惑だから帰ってくれ」
「っつ」
御茶ノ水は下唇をぎゅっとかんで俺を睨み付けたが、
「うるさい! ばかっ」
と怒鳴ると踵を返して校舎に向かって走り出して行った。
木枯らしとともに少女の足音が遠ざかっていく。
なんだこいつ。
ようやく平穏が帰還してきたので、俺は自らの爪先を校門に向けて自宅を目指すことにした。
「?」
目の前に壁が現れた。
「あれ?」
いや違う。
転んだのだ。重力が足の底以外にかかっている。
「貴様……アリサ様を泣かせたな」
どうやら俺は命の危機を迎えたらしい。
先ほど人物に組伏せられているらしい。地面の臭いと砂利が片頬に当たって痛いので辛うじてそれがわかった。
「今すぐ死ぬか、アリサ様に謝ってから死ぬか。選ぶ権利をやるよ」
「……っ」
腹がたった。
こいつらはなんでも自分の思い通りに事が進むと思っている。
性格がひん曲がっているのだ。
貧乏人に命がけの死のゲームをさせているところをパピオンマスク被りながら見学するようなくそ野郎共だ。いや、想像だけど。
「なん、なんだぁ、あんたらはぁ!」
「へい」
頭を押さえつけられて、唇が切れた。口内に血の味が広がる。
「アリサ様の健気な姿を見てたら怒りしかわいてこないぜ」
「んなこと、言われても」
まったく身動きがとれない。なんて馬鹿力だ。
「いいかい、アリサ様はあんたに会うために父親に直談判を繰り返し、今日を指折り数えて待ってたんだ、何回も何回もシミュレーションして劇的な再会をやり直そうとしてな。不器用だから、全部が全部、上手くいかなかったが、あの方の努力を笑う権利があんたにはあるのかい?」
「知るかよぉ、そんなこと」
「ちっ、ムカつくやつだぜ」
がんと髪を掴まれてアスファルトに顔面をぶつけられる。鼻血が出た。
「人見知りのアリサ様があんなにいろんな人に話しかけてるのだってあんたのためなんだ」
「……」
「アリサ様は日常がつまらなそうに過ごしているあんたを少しでも楽しませようと、ギャルゲーで勉強して練習して、満を持して会いに来たんだ。それをあんな蔑ろに扱うなんて」
髪が強く捕まれる。やめろ、剥げてしまう。
「……」
「聞いてんのかよぉ、ああ?」
「あいつ、……どこ行った」
パッと離されたので、力を込めることができずにガツンとおでこから落下してしまった。痛い。
「アリサ様は屋上だ。落ち込むと必ず一番高いところに行く」
ばかと煙はなんとやら。
「有象無象が蟻のようにセカセカ動いているのをみるのがお好きな方だからな」
やっぱくずだった。
俺は手のひらに力を込め、体重を支えながら、立ち上がった。俺を押さえていたやつは見当たらなかった。まるで忍者のようなやつだ。鞄を背負う。土に汚れた顔を手の甲で拭い、重い足を引きずって屋上を目指すことにした。