結
一人で企画を実行する【セルフプランニング】シリーズ。
【SF一人祭2013】第一弾『恋人は会社役員』の第五部です。
コンセプト・ワーキングのプロジェクトが始動して、わがマーケティング事業部も活況を呈してきた。
そうだからと言って、新入社員がたくさん入ってきたり、他の事業部や部門から人材を割いてもらえる訳でもない。あくまでも、わがマーケティング事業部の総員でプロジェクトにあたるしかないのである。
特に忙しさを極めたのは誰あろう、久志部長だ。
わたしも久志部長のスケジュール管理には相当に神経を使い果たしていた。もう半年先までは分刻みで予定が詰まっている。少しでもトラブルやデレイがあれば、それでオシャカになってしまうようなスケジュールだった。
しかし、それを淡々とこなし、こなすだけならともかく間違いなく確実に仕事を終わらせ、次へと進んでいく久志部長に、秘書であるわたしが目を回しそうだった。
「部長、大丈夫ですか?」
わたしは心配になって体の調子を尋ねてみた。
「大丈夫だよ。確実に仕事をこなして前に進んでいる。コンセプトの方も順調だしね」
久志部長の話は仕事のことだった。
「いえ、部長。そうではなくて、わたしは部長のお身体を心配しているんです!」
目の釣りあがったわたしを見て、久志部長はキョトンとしていた。
「あ、あぁ、大丈夫だよ。つい一ヶ月前に健康診断をしたじゃないか」
久志部長の言葉にわたしはキッと睨んだ。
「ダメですよ、誤魔化しちゃ! 部長だけ受けてないと社医からわたしの方に連絡がありましたわ」
わたしの言葉に久志部長は気まずい顔をした。
「申し訳ない。あの日、野暮用が出来たんで先に帰ったんだよ」
久志部長はいつもの笑顔をわたしに向ける。
その笑顔にわたしが弱いことを知っていて、わざと向けてくる。
「もう、仕方がありませんねぇ。この次は絶対に受けてくださいよっ!」
わたしがたしなめると、久志部長は申し訳無さそうな顔をしてうなずいた。
もう、ホントにぃ。
憎めないヒトなんだから。
しかし、わたしが抱いていた危惧は間違いではなかった。徐々にではあるけれども、久志部長の様子が明らかにおかしくなってきていたのだ。
わたしが久志部長に書類を確認してもらった後、部長の目の前でいくつかの書類を整理しながらクリップで留めようと思った時、手の中に握っていたいくつかのクリップを落としてしまった。
普通ならばクリップは全て床やデスクの上に落ちるはずだ。
しかし、そうはならなかった。
全てのクリップが久志部長の着ているスーツに張り付いたのだ。
久志部長はそれにすかさず気付き、身体に付いたクリップを剥ぎ取ってわたしに何食わぬ顔で渡した。
「え? 大丈夫ですか?」
わたしは思わず訊いてしまった。
「うん? うん、大丈夫だ」
怪しむわたしに久志部長は早く書類を提出して来いと促したのだった。
それから、久志部長はやたらと水を要求するようになった。
久志部長は普段から水しか飲まなくて、コーヒーやジュースといった類は一切口にしない。不思議なことにアルコールの類は飲まれるのだが、それでもビール、日本酒、ブランデー、ワイン、ウィスキーの類だけで、濁り酒とかどぶろくなどの透明度の低いモノも口にしない。
以前は五百ミリリットルのミネラルウォーターを午前一本、午後一本、夕方に一本くらいだったのが、最近、特にこの二、三日は一時間に一本、下手をすれば三十分に一本の割合で要求されるのだ。
その癖、トイレに行っている様子はない。だいたい、久志部長がトイレに立つことよりもわたしがトイレに行く回数の方が……あ、いやん。恥ずかしい。
そして、決定的なのは久志部長の体温である。
どうみても熱がある様子で、近くに寄ると熱気さえも感じるのだ。異常なほどの体温上昇だと思うけど、久志部長はわたしに触らせないのだ。額に手を当てるくらい、罰は当たらないのに。
一番熱を感じるのは、部長執務室の中だ。
久志部長一人で執務していると、先程の摂取する水分量と相まって、執務室のウィンドウが曇ってくるのだ。そして、中に入ると異様な熱気。これは人間の体温では有り得ないことだと思うのだけれども、久志部長はこんな方便で言い抜けてしまう。
「この執務室の中、空調が上手く行ってないのだろう。僕も熱いよ」
こんなことを言う久志部長自身が全然、汗もかいていないのだ。
どうにも釈然としない。
キツネに化かされた想いのまま、わたしは部長に代理で取引先へと出向いて打ち合わせをしてくるようにと強引に頼まれてしまった。
「流石は瀬良さんだ。久志部長の代わりを充分に果たしていらっしゃる。わが社にも貴女のような方が居てくれたらと思いますよ」
取引先の社長さんは、そう言ってわたしを褒めた。
「そんなことはありません。まだまだ及びませんわ」
わたしの言葉に社長さんの返し文句。
「ご謙遜なさらなくても」
謙遜などしていないのだがこれも社交辞令かと思ったわたしは、にこやかに笑ってスルーした。
笑ってスルーしたのが拙かったらしく断わる隙もなく接待をされてしまい、帰りが遅くなった。
帰社したのは午後九時を回っていた。
「只今、戻りました」
オフィスのフロアに入ったわたしはすぐに声を掛けた。しかし、照明の消えたオフィスは静まり返っていた。
「誰もいないのね」
わたしは灯りの点いている部長執務室を覗いた。いつもならそこに居るはずの久志部長が居ない。
「珍しいわね。お家に帰ったのかしら?」
わたしはフロアを出て本社社屋への渡り廊下を歩いていくと、廊下のはるか遠くにかすかな人影があった。
あの人影。
あのシルエット。
わたしには見覚えがある。
間違いない。
「久志部長ーっ!」
わたしは手を振りながら駆け出そうとした時、呼び止められた。
「来るなーっ! 来るんじゃないーっ!」
その声は明らかに久志部長のそれだった。
「どうしたんですか!」
わたしは歩きながら久志部長に声を掛けた。すると部長は振り返りもせずに走り出した。
「待ってください、部長ーっ!」
わたしは全速力で走り始めたが、久志部長の姿はあっという間に小さくなった。例え、男と女の足の速さが違うといっても、あの速さは尋常ではない。わたしは久志部長を見失ってしまった。
「何処へいったのかしら?」
トボトボと歩いていると、ガチャガチャという音がかすかに響いてきた。わたしはその音がした方へと駆け出していた。
通路を左に曲がるとその突き当りに重厚な扉があり、その扉の窓から久志部長の顔が見えた。
「部長、どうしたと言うんですか!」
わたしは駆け寄った。そしてその扉を開けようとしたが、その扉はセキュリティが組み込まれていて容易には開かない様子だった。その扉のセキュリティはIDだけでなく網膜スキャンによる生体認証も備わっていて、わたしにはこの扉を開けられそうになかった。
扉の上には、その部屋が何の部屋なのかを示していた。
『メイン・コンピュータ・ルーム』
どうやってこの厳重なセキュリティを解除して中に入ったのか。
そして、どうしてこんな部屋に久志部長が居るのか。
わたしには分からないことだらけだった。
「部長、返事をしてください、部長!」
わたしは声を張り上げ、扉をドンドンと叩く。その様子を見て、久志部長は私の方を見た上で、トボトボと歩み寄ってきた。
「もう時間がないんだ」
重厚なだけでなく、かなりの機密性を持った扉のようで、蚊の鳴くような久志部長の声がかすかに聞こえてくるだけだった。
「何の時間がないのですか? どうして時間がないのですか?」
わたしは考えられる質問を久志部長に浴びせた。しかし、久志部長が返す言葉は、わたしの質問を全くスルーしていた。
「ここは危険だ。早くここから逃げなさい。そして、出来るだけ遠くに」
わたしは分からなかった。
久志部長がなぜそんなことを言うのか、その理由が分からない。
「なぜ、危険なんですか? それはどんな危険なんですか?」
久志部長はまたしても、わたしの質問をスルーした。
「僕はね、アンドロイドなんだよ」
はぁ?
なに、それ?
久志部長は何を言っているの?
そんなこと、にわかに信じられる訳がないわ。
わたしはますます訳が分からなくなった。
「えええ? それは何の話です?」
久志部長は私を無視して喋り続けた。
「僕の動力源は『MM・NFR(超小型核融合炉)』なんだ」
わたしにはもう訳が分からない世界の話だった。
「何ですか、その『超小型核融合炉』って? 核融合なんてまだ実用化していないはずですわ!」
久志部長は坦々と喋りを続ける。
「だが、もう限界なんだ。十年は安全に稼動するはずだったんだが」
わたしはもう、ただひたすらに久志部長の話を聞くしかなかった。
「八年も稼動したんだ、彼らも充分なデータが取れただろうし、僕も当初の目的を達成できる」
八年?
わたしはハッとした。
久志部長、二十七歳から三十四歳の「記録」しかないと言っていたわ。
ちょうど八年だわ!
「僕の耐熱シールドに亀裂が生じたんだろう。それとも制作当時からの不具合か」
え?
久志部長の体温が人並みから外れていたのはそれなの?
体温ってその放射熱だったってこと?
「何しろ、一億度だからね。磁場で閉じ込めを強くしたけれど効果は薄かった」
まさか!
あのクリップの件?
クリップがくっ付いたのはそのせいだったと?
「デューテリウムやトリチウムを取り出すだけでなく冷却するために水は必要だったけど、それも追い付かなくなった」
水を欲していた理由がそれなの?
だいたい、重水素や三重水素ってミネラルウォーターに含まれているモノなの?
「制御はもう限界に達している。というか、もう制御する必要もないけどね」
ちょっと!
それってもしかして?
でも、磁場閉じ込め方式も慣性閉じ込め方式も核融合条件が厳しいから爆発とかする可能性は低いわ。
一体、何をする気なの?
「ふふふ。そんなことはないよ」
わたしの声が聞こえたのだろうか、久志部長はこちらを見てニヤリと笑った。
「たくさんの水を飲んだのは冷却だけじゃない。デューテリウムやトリチウムを通常運転の量以上に集めてたんだよ」
わたしは青ざめた。
「大丈夫だよ、精々このビルの一部を壊す程度の破壊力しかないよ。その代わりに……」
「その代わりに?」
「大量の中性子が発生する。だから、一刻も早く出来るだけ遠くへ逃げてくれ。お願いだ、華織さん」
「嫌よ、どうして貴方がそんなことをするの? 信じられないわ」
わたしはその場に泣き崩れた。
「わたし、わたし、貴方のことが好きなのに。愛しているのに」
わたしの目からは大粒の涙が溢れて止まらなかった。
「人間で居た頃に出逢いたかった」
久志部長の言葉はわたしの心を貫いた。
「兵太さん!」
「もう限界だ。今、デューテリウムとトリチウムを注入した。臨界に達したと同時に磁場を開放する。二分四十秒後に爆発する」
「いやよーっ! いやーっ!」
わたしは叫んだ。
扉に縋り付いて泣いた。
そして大声で泣いた。
すすり泣くわたし。
嗚咽音だけが廊下に響いた。
そして『二分四十秒』などという時間はあっという間に過ぎ去ってしまった。
「時間だ。さようなら」
その瞬間、私の目に神々しい光が飛び込み、わたしの身体がふわりと浮いた感じがした。
憶えていたのはそこまでだった。
激しい痛みで気が付いた時には、既にベッドの上に寝かされているようだったから。
お読みいただき、誠にありがとうございます。
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