承
一人で企画を実行する【セルフプランニング】シリーズ。
【SF一人祭2013】第一弾『恋人は会社役員』の第三部です。
始めの一ヶ月間の久志部長の仕事振りは、次長や課長はもちろん、係長や下手をすると平社員にまで解らないことを尋ねる腰の低さで、取引先情報、リサーチ情報は基より、マーケティング事業部のありとあらゆることを貪欲に吸収していった。
わたしにも、こと細かく仕事の説明を求められた場面があり、わたしが答えに窮することもあった。でも、久志部長はそんな私を決して責めたりしなかった。
「いいんだよ。誰だって分からないことは答えられないんだから」
そう言って、いつもの微笑を投げ掛けてくれる。その微笑に、わたしはいつの間にか「癒し」を感じるようになっていた。
二ヶ月も経つと、久志部長の仕事振りは玄人跣になっていた。誰の仕事よりも詳しく、誰の仕事よりも分かり易かった。おまけに正確無比であり、二度目のミスや失敗は絶対に無かった。
それでありながら、部下には手厚く、失敗を庇い、もちろん失敗を叱るのだが、必ず次につながるように導き、常日頃から「失敗を恐れるな」と声を掛けまくる始末で、そのたくましさに社員が圧倒されていた。
徐々に事業部の社員達の間にも久志部長に対する信頼や信用が増し、事業部社員の全員が久志部長に心酔する状態となり、遂に事業部内では『久志イズム』という言葉さえ語られるようになったのだった。
「最後に『赤坂料亭』で十九時、二十一時にお開きとなってます。今日の予定は以上です」
毎朝、わたしは久志部長にスケジュールを伝える。それがわたしの日課でもある。
「ありがとう、華織さん」
久志部長はいつもの微笑をわたしに返してくれる。それがわたしには嬉しい。
「いえ。それがわたしの仕事ですから」
わたしは心底、そう思っている。
「華織さんにはもっとマーケティングの仕事をしてもらいたいのだが、僕がこんなに忙しいからついつい君に頼ってしまう」
わたしはそれでいいと思っているのですけど。
「申し訳ない」
すまなそうな顔をする久志部長。でも、わたしは久志部長のそんな顔は見たくない。
「そんなことはないです。わたし、この仕事が好きですし、好きでやってますから。それに……」
「それに?」
わたしの言葉に反応した久志部長は、私の顔を覗き込んだ。
わたしはドキッとして顔を書類で隠した。
「な、なんでもありません!」
わたしは慌てて、久志部長の執務室を出る。
あぶない、あぶない。
危うく「貴方のことが好きですから」って言いそうになったじゃないの!
気を付けなきゃ。
久志が事業部長に就任して半年。
マーケティング事業部は驚くほどの躍進を魅せ、マーケティング事業部の報告結果を反映させた販売促進マニュアルやメソッドは、営業部は元よりディーラー様にも好評で販売成績が確実に上がったという報告が続々と寄せられ、マーケティング事業部の評価はうなぎ登りだった。
ある朝、久志部長が突然、朝礼を行った。事業部の社員は突然のことにビックリはしたが、久志部長に心酔する社員達は彼の言葉を聞き漏らすまいとすぐに集まってきた。
「みんな、おはよう」
「おはようございます!」
久志部長が挨拶をすると社員達は大声で挨拶を返した。
「みんな、今日も元気があって良い感じだ」
久志部長はみんなに顔を見回しながら笑顔を振り撒いた。
「さて。今日はみんなに社長からの言葉を伝えたい。これは良い知らせでもあるが、半分悪い知らせでもある」
社員達はザワザワしたが、久志部長は笑顔だった。
「まずは良い知らせだ。それは、このマーケティング事業部のデータが全面的に採用されて、次世代の新型車のコンセプト・ワーキングに中心的存在で参加するように、という指示があったのだ!」
久志部長の驚くべき発表に、社員達は歓声を上げた。
「わぉー!」
「スゴイじゃないか!」
「やったー、やったぞ」
社員が騒ぐのを制して、久志部長は言葉を続けた。
「そして、悪い知らせだ。このコンセプト・ワーキングのメインワークはマーケティング事業部で行えとのことだ。どういうことか分かるか?」
久志部長は社員の顔を見回した。
「我々のマーケティング事業部は、従来のマーケティングの仕事にプラスしてコンセプト・ワーキングの仕事も行わなければならない訳だ。出来るか?……出来なさそうなら断わるのだが、どうすべきか。僕はみんなの意見が訊きたい」
騒いでいた社員が一瞬のうちに静かになった。そして社員達はまた、ざわめき始めた。
わたしには迷いは無かった。だから、わたしは久志部長を見詰めて右手を高々と挙げた。
「出来ます! やりましょう!」
わたしの発言が口火となって、それを皮切りに声が続々と上がった。
「やりましょう!」
「出来ますとも」
その声は若手ではなく、課長や係長の声だった。
「鬱屈してきた我々の想いを今こそ晴らすのだ!」
最後に次長が涙を流しながらそう訴えたのだ。
わたしは意外に思った。若手から血気盛んな声が上がると思っていたのに、次長や課長連中が真っ先に声を上げるなんて。わたしは久志部長を振り返った。すると、久志部長はグッジョブサインを出していた。それも次長や課長達に向けて。わたしはビックリしていた。久志部長はいつの間にか、次長や課長の心までも掴んでいたのだ。
フロア内は「ガンバロー」だの「やるぞー」だのとシュプレヒコールが飛び交っていた。
「分かった。みんなの心は分かった。では早速、社長に報告しよう。『ヤル気満々です』とね」
「うぉーっ!」
久志部長の言葉にフロアに居た全員が声を上げた。
わたしは改めて久志部長の凄さに驚き、そして彼に惚れ直したのだった。
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