あらましキャリー
そもそもは神田の『猫の世話は当番制にしましょう』という発言から事が始まった。
金銭で物事解決というのは、世間に染まっていない高校生としては、汚く映るもので「困った時はお金で解決」なんて大人の判断はできなかった。
別に一人暮らしな訳だし、神田との家も近く、ご近所付き合いの延長上だと思えば特に問題は無いように思えたので快諾した。
始めのうちはご飯やトイレの世話、ノミ取り(ちゃんとした薬剤)などを交代でやっていたのだが、神田の「この子って室内専用のネコらしいから家の中で飼えないかしら?」と聞かれて二つ返事で「いーよぉい」とか答えたのが運のつき。それ以来、神田は僕の居住区に入ればまるで自分の秘密基地よろしく寛ぐようになってしまった。
別に僕は自分の家の様になんて前置詞を置いては無いし、用が終わったらさっさとお帰り頂きたい。だってあれじゃん、他人が家に来るって凄い負担になるじゃん。掃除とか、お茶とか。まぁそのあたりは僕やってないけど。
自分の家から持って来たであろう毛布を「ネコ用だからね」と僕の家に置くのは構わないんだけど、用途が「私と猫が一緒に寝るよう」なのは腹が立つ。つーか猫も違う所で寝てるし。
隣のアパート狭いし自分の家に居場所とかないのかね? それなら気持ちは解る。理解はできねぇけど。
・・・・・・・・・・・・・
神田は起きて僕に「コーヒーのブラック。濃い目でお願い。アメリカンが好きよ」と注文してきた。濃い目のアメリカンってなんだよ。エスプレッソ+ホットウォーター=アメリカンコーヒーだぞ。薄いんだぞ。アメリカンって薄いんだぞ。どうでもいいか。
取りあえず彼女のご所望の濃いめのアメリカンコーヒー(ブレンドコーヒー)を用意してあげると「美味しい、うふふ」と微笑むので、ぼんやり眺めてみた。 なんでこいつこんなに馴染んでんだよ……。 なんだか自分の家より落ち着くわーとか舐めた事を言ったらケツ叩いて追い出してやろう。人の家で落ち着いてんじゃねーよ。ゆとるなよ。
「つーか何しに来たのお前」
「その子猫は母親が恋しい年頃でしょうから、愛を降り注ぎにね」
その子猫は、お前との睡眠を断って途中から俺の足元をうろちょろしてたけどな。ついでに今は俺の膝の上だ。 だめだ、お前の愛が必要とされてるか怪しいぞ。
なんとも穏やかな瞳で僕の膝の上のネコを見るのは良い事なんだけどさ。なんだろ、僕は少しぬるくなったコーヒーに口を付けて窓の外を見ると凄い晴れてるのに何だか、心が晴れなかった。どうでもいいんだけどさ。
「要は暇だった訳な」
「暇じゃなかったら来ちゃいけない?」
「そう言うセリフは出会って数日の男に使っても効果が無いのは分かった」
「私って関係は時間じゃ無いと決めてかかってるタイプなの」
「決めてかかっちゃったよ。軽薄な女を誤魔化す良い訳だな、それ。」
「重すぎたらお姫様抱っこ出来なくなっちゃうわよ?」
「お前がされたいだけじゃねェの?」
「イチイチああ言えばこう言う……いいじゃない、女の子が自分から部屋に上がってくれるって結構なステータスだと思うのだけど」
「いや全く……」
その通りなんですよね。
こう言う事を軽く言われるとなんとも男として見られて無いと言う事で。少し位男と見てくれないと僕だって怒っちゃうんだぞ。プンプン。
神田がコーヒーを口に運ぶタイミングで会話が途切れた。丁度いいので少し神田を観察してみる。
背丈は158cm位、細身、裸眼、髪型はロングの前髪パッツン、コーヒーを運ぶ仕草から上品さが伺えるが狭いアパートに住んでいる、切れ目、良く笑う為か口角が上がっている、実年齢よりも年上に見られそう。良く言えば切れ長美人、悪く言えば近寄りがたい。目つきが良ければなぁ……。つーか切れ長美人ってなんだよ、褒めてんのか貶してるのかもわかんね。どうでもいいわ。
どうでもいいので観察終了。
さて、このままずっと「帰れよ」と呪ってもいいのだが、折角の休日をもっと有意義に過ごす方法でも考えますかね。 僕の一人が好きって言うのを諦めれば、割と可愛い子とコーヒーを飲みながらくつろいでるって凄い良いご身分。あれー、なんでこんなにイラつくの?
「名前」
「苗字で呼べよ、馴れ馴れしいな」
「……」
しまった、素が出た。
凄い冷めた目で睨まれてるけど、取りあえず無視することにした。ついでにさっきの発言も無かった事にしよう。
「急にどうした?」
「その子」
目線が膝の上のネコに移った。
「シュレディンガーはあんまりだわ……」
「いや、君が付けたんですけどね……」
シュレディンガーの猫の事を調べたのだろうか? 有名だからって取りあえず付ける名前でもないしな。もう生きてるか死んでるか解らない猫なんてねぇ。
「犬なら吉田と付けるのだけど……と言う訳でそろそろこの子にもちゃんとした名前を授けましょう」
「前半部分聞き捨てならねぇよ……」
どうでもいいや。
溜息を付いてコーヒーカップを口に付けて思考停止。 なぜなら僕が考えた名前は没にされそうな気がするから。
そうさ、女の相談なんてそんなもんなんだろ? チョキチョキに書いてあったしな。
「竹井なんてどうかしら」
「こいつが結婚できなかったらどう責任取るつもりだよ」
僕じゃ取れないから勘弁してほしい。神田も「そうよね……」とまた思考の海に潜ったようだ。ぁいやー、お前も中々に失礼な奴よのう……。
元シュレディンガーが興味無さそうに「にゃぁ」と鳴いて僕の膝上から窓際に移動した。さて、僕は新しいコーヒーでも入れますかね。
もちろん濃い目のアメリカンです。
・・・・・・・・・・・・
結局この日は夕方8時まで猫の名前を考えていたが、特に成果と言う成果は無かった。要は何も決まらず「今日は満月だからもう帰るわ」とよく解らない別れの言葉を吐いて神田は家を去った。
玄関まで送ったついでに空を見ると確かに満月だ。がるる、血が飢えるぜ。いや、嘘だ。
満月時限定の変身能力もお月見なんて趣味も無い僕はさっさと家に入りリビングのマグカップをかたずける。あいつ、片づけて帰れよ。まぁ良いけど。子猫は神田が帰り際に与えたエサを貪ったらすぐに就寝してしまった。まぁ子猫は一日の半分以上を就寝に使わないと体力が持たないらしいのでおとなしく寝て居て貰おう。
ソファに陣取っている癖に神田が持ってきた毛布を使わないのはやはり匂いが気になるのか? ……深く考えると神田が哀れに思えてしまいそうだったので辞めた。その代わりに子猫にその毛布を掛けてやるとゴロゴロと喉を鳴らしながら伸びをしてまた眠った。 このツンデレちゃんめ。
さて、ここからがようやく僕の時間帯になる訳だ。
ご飯にしますかお風呂にしますかそれとも私にしますかなんて自問自答してみる。ちなみに私を選ぶとテンションが上がり、無意味に逆立ちとかしたくなる。ただそれだけ。どうでもいいね、ホント。
順当にお風呂の準備をしながらご飯を作る事にした。最近のお風呂は本当に便利で助かる。なにせボタン一つでお湯を入れて温度まで維持してくれるんだから少し前の蛇口を捻ってお湯を入れて~なんてもうやってられない位。ほんと大助かりって事でボタンをポチっとな。別に押してもお仕置きだべーとかは聞こえてこないのが少し残念だ。なので自分で言ってみる。嘘だ。
そして今日の献立を考える。ご飯はある。冷凍しておいたご飯をレンジでチン。暖かくなったご飯を塩で握っておにぎりの完成です。 おかず? そんなものメンドくさいから作りません。そんなもんでしょ、男なんて。いや、普段は作るよ。ホントに。ただ最近は猫の世話とか神田の相手とかで色々精神ポイントを使ってるもんでね。ご飯は質素なんすよ。なんなら猫のが動物性蛋白質を取ってるくらい。これが事実なんだから少しやるせない。 うーん、明日はラーメンでも食べに行こうかなぁ……。
なんて事を考えながらオニギリをムシャムシャしていたらチャイムが鳴ったので対応する。皿を使うと洗わないといけないのでしょうがないけどオニギリを持ったまま玄関までいき「はいはい」とドアを開けると、そこに神田が居た。
「なんのようですかね?」と尋ねると僕のオニギリに視線を合わせた後に僕の顔をみた。
「あなた……まさか晩御飯がそれって事は無いわよね?」
そのまさかなんですよね。変な物を見る目で見ないでほしいんすけど。良いじゃないですか。リアル男子の食事だぜこれ。本当の男の料理とはオニギリであるって格言もある位だし。あれ、無いか。
「満月の夜になんの用だよ」
「満月の夜にをつけるだけでずいぶん意味深になる物ね」
「お前が始めたんだけどな」
帰り際にな。
「そうだったかしら。と言う訳で満月の夜に携帯電話を男の家に忘れてしまったので取りに来たのよ」
そう言うと神田は靴を脱ぎ僕を通り抜けてリビングへ向かう。あれーお邪魔しますとかないのかねぇ。
リビングに着くと神田はソファーの上を探していた。まぁご自由にどうぞって感じで一つ。そんなこんなで塩味しかしない晩御飯を食べ終わった僕はデンプンまみれの手を洗い、神田が今日使っていた逆サイのソファーに腰かける。こちらに背を向けてソファーを探す神田の姿はなんとも眺めがよくて眼福なものです。ちなみに神田はミニな。何がとは言わないけど。
「おむすび」
「ん?」
僕が神田を見ながら瞑想にふけろうかとした所に話しかけられた。しかしこいつは単語から会話を始めようとするのが好きだな。あれか、主導権を握りたいがための処世術かなにかかね。どうでもいいけど。
「僕が食べてたのはオニギリだぞ」
「どうでも良いわよ、そんな事」
「そんな事でどうも悪かったな。」
ホントすいませんねぇ。
「子猫の名前。どう?」
「あん? あー、いいんじゃないか。可愛らしくて」
僕が同意すると「でしょう」と言って神田は満足げに笑った。そんな嬉しそうな笑顔につられて僕も「うふふ」なんて笑顔になる。いや、普段はこんなキャラじゃないっすよ自分。ただこいつの本気の笑顔はなんとなく僕に限らず人を穏やかにする効果がある様な気がする。流石は見ず知らずだった僕に愛を説いただけはある。まぁ……色々残念な所は残念なんすけどね。案外どうでも良くない情報。ついでにもう9時を回るってのも必要な情報。
「なあ、今日どうしても携帯って必要か?」
「どうしてもって事はないんだけどね」
「それなら明日の学校終わりにしないか? もう9時も回るし、男と二人で居るのは親が心配するだろ」
「………………そうね、そうするわ」
「ああ、取りあえず見つけたら明日お前のクラスに届ける。見つからなかったら明日放課後に探しに来いよ。 僕はもう風呂に入って寝るんだ」