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う、動けない…。
寝返りをうとうとして、体にまとわりつく重みに眉をしかめる。
半覚醒の手足は緩慢な動きでしか応えてくれないから、どうにも理解できない圧迫感を振り払うことができないのだ。
それでもと、グズグズ足掻いていたら不意に肩口の締め付けが和らいだ。
「起きました?梨々子さん」
………思い出した…この声、ふわりと柔らかな口調、ホストでお隣さん…。
「起きました…」
恐る恐る目を開ければ、予想通り至近距離にクールフェイス。
サラッとした知的な男の子だって第一印象だったんだけど、満面に笑みを浮かべたこの表情はまるで子犬そのものの人なつっこさがあって、思わず見とれちゃう。
って、ダメよ、ぼけっとしてる場合じゃない。
「昨夜から盛大にご迷惑をおかけして、お礼も言いたいし…放してもらえる?」
「いやです」
にっこりって、あなたねぇ…。
そうなのよ、好きで寝っ転がったままなわけじゃないの。
目覚めた時ほどの締め付けはないにしろ、囲われた腕も、絡まった足も、がっちり私を拘束してて動くに動けないのよ。
「いやって、どうして?ずーっとベッドにいるわけにいかないでしょ」
そもそも一緒に寝てること自体、不自然な関係なんだからさぁ。
忌々しい手足をばたつかせながら不機嫌に言い放つのに、彼は動じる様子もない。どころか更にきつく私を抱き寄せると、髪に鼻先を埋めてきた。
「ちょ、ちょっと!昨夜お風呂入ってないんだから、あんまりくっつかないで」
「平気、梨々子さんの匂い好きだから」
匂いって、何?犬、ホントに犬なの?!
「そういう問題じゃないでしょ!」
「一晩中抱きしめてたんだよ?今更でしょ」
「全然!はーなーしーてー!!」
耳元で叫んだのが効いたのか、僅かに緩んだ力に乗じて腕を突っ張って、何とか目を合わせることのできる距離を稼ぐことに成功。
でもね、ライはゼイゼイ喘ぐ私を見つめると、昨夜見た寒気のする微笑みでもって言ったの。
「放さない。ぜーったい、放さないんだからね」
子供か、あんた…。
諦めも人生に必要だったと悟る頃、無駄な抵抗をする体力は消え失せていた。
このボクは、一体何を考えてるのやら、なんとしても私を解放しないおつもりのようで。
「やっと理解できた?梨々子さんは僕のモノって」
「いえ全く。更に混迷を極めました」
やけに嬉しそうなライに、投げやりに答えると一つため息をつく。
年増女を抱きしめてご機嫌だった彼の表情が寂しそうに歪んだけど、知るもんですか。
理不尽な独占欲と、所有物に対する態度の理由を聞かなくちゃ、現状を受け入れるコトなんてできるわけないじゃない。
「おかしいなぁ…大抵の女性は僕が欲しくて躍起になるのに、梨々子さんは手に入れてもちっとも嬉しそうじゃない」
うーわぁー、事実であろうだけに腹の立つ物言い。
ああ、そうね。ライが抱きついてきた日には、お客さんは卒倒しちゃうかもね。何たって一番人気のホストだもの。
「相手の意志無視で張り付かれて喜ぶほど、私は男に不自由してるようにみえるのかしら?」
たっぷり嫌みのスパイスを利かせてあげたのに、ちっとも気にする様子のない奴は首を振った。
「ううん。梨々子さんはきっともてるんだろうなって思うよ」
「嫌み返しなの?腹立つわね」
もてる女が2年も独り身通すわけないでしょ?
むくれてほとんどつまめない背中の肉を抓りあげてやったら、さすがに顔を顰めた。
でも、いい男って不細工にならないから余計むかつく。
「痛いなぁもう。ホントのこと言ったのに怒るなんてひどいや。僕の知ってる梨々子さんはすごく優しい人なのに」
「昨夜初めて話したのに、私の性格がわかるの。へーすごーい」
取材用の外向きの顔と、気分最悪吐いてデロデロになったお疲れモードの、一体どこに優しさがあったのか教えて欲しいもんだわ。
ったく、ホストなんて人種は二枚舌ばっかり。
「初めてじゃないでしょ?ホントになんにも覚えてないんだね…」
そう言って憐れっぽく目を伏せるなんて反則だと思わない?ね、思うでしょ?私、いじめっ子みたいじゃない!
一体いつ、この子に会ったって言うの?どこに行っちゃったのよ、私の記憶!
「えー、廊下ですれ違う以上の出逢いがあったと?」
昨夜から会った会わないで、やたらと立場が悪くなってる気がするんだけど、責められるようなことじゃないわよね?実際ライもそんな口調じゃないけど、相手が覚えてて自分が忘れてるって、まるでこっちに非があるみたいなんだもの。
だから、どうしても下手に出たりして。伏せられた黒目がちの瞳を覗き込んでみちゃったり。
「梨々子さん、猫飼ってない?」
「はい?」
突然変わった話題について行けないで疑問に顔をしかめると、へこんでたはずのライが笑ってた。
今泣いたカラスが…
「猫、拾ったでしょ?」
「猫?」
猫、ねこ、ネコ…拾った、わね。えーと、2年くらい前だったかしら。大雨の朝に猫…。
ヒットした記憶に、なぜか言葉が口をつく。
「…あなたも捨て猫みたいね…」
「うん。そう言ってたね、あの時」
お日様みたいに顔をほころばせたライに、たわいもないやり取りが蘇ってきた。