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責任感が強すぎる

作者: 黎め

 私は多分、いつかの人生で、諦めて、しがみついていた手を離したことがある。生きるということを、諦めて、自死というほど積極的ではなくとも、自ら生の放棄をしたことがある。何もかもが辛くなった時あるいはどうでもよくなった時、ふと心に浮かぶ揺れる思い、死にたい、という要望を、採用するかしないか、選びそうになった時に自ずと湧き出るブレーキは、「そんなことをしたら誰々が悲しむ」ではなく「また繰り返すのか?」「結局あれでどうなった?」「リトライするんじゃなかったの?」といった、奇妙な思いだった。

 思い、といったものの、今ここに記すため懸命に言語化したまでで、こんなはっきりした物体ではない。どよん、と嫌な雰囲気をまとったつかみどころのない思念、前向きに検討するのではなく後ろから引っ張られ足止めをくらってやむを得ず、といった向き合い方をさせられるもの。決して明るく手を差し伸べられ、生きる希望が湧いてくるようなものではない。

 そうして腹の底に、消失への渇望と己の学習能力のなさに対する罵りのようなものをどよん、と携え、私はさっさと寝る。寝ている間は幸せだ。夢の中は平安だ。寝ている間だけ、私は忙しく考えることから解放された。


 難しいと思われることを考えるのが好きだった。起きている間じゅう、答えのないことを考えていた、つもりだった。ある日偶然、というにはあまりに運命的に、私は戦場へ駆り出される。

 適当な態度で向き合っていた私は殺されかけた。いつでも死にたい思いを楽々召喚できるような日々を送っておきながら、いざ生死を目の前に突きつけられた私は、その本気度に圧倒される。生きるということにここまで真摯に取り組むことがあるのか、そのガチ感は、殺しにかかってきておきながら、触発された私から生への欲望を引き出した。

 もう中途半端に生きている場合ではなかった。私は取り組まざるを得なくなる。

 まるで夢の中の出来事のようだった。現実味がなく、熱に浮かされているような日々、しかし確実に使用前、使用後、では全く異なる、後戻りはできない一線を越えた私が誕生していた。


 当然、みな多様な考えを携えて生きている。ある刺激に対しそこに起こる反応が様々であることはいうまでもない。狂うことも死ぬこともできる、去ることも放棄するのも自由だ。

 きっと責任感がそうさせている。負傷する覚悟なしに踏み入ってはいけない場所に、引き連れてきたことを心苦しく思っている。

 あくまで概念の上で、だが、戦場の中知識や知恵、認知などを味方につけ、歩み続けることはできると、できているかどうかはわからなくとも少なくともそうしたいと願うことはできると、その証明がここに一人いるということを、私は知らせなければいけない、と思っている。駆り出されなければ辿り着けなかった。手を引き導かれたことに私は感謝している。


 なぜか揺れる思いがついてまわる人がいる。きっと今夜も死にたい思いとの戦いが、各地で繰り広げられている。傷ついてもいい、覚悟がなくともよい、それでもまた繰り返すのなら、受け入れてしまう方が労力はずっと減る。どよん、としたものを腹の中に沈めたまま、安心して眠ればよい。驚くべきことに、躍起になってその責任を取ろうとする人たちによって、この世は保たれている。

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