第148話「初めての生」
三人はカウンターに座る。
「ハルティック、こういった時のマナーはありますか?」
「社交の場ではないかと。まず生の魚が出ることがないのでテーブルマナーはないです。普段通り綺麗に御召し上がっていただければ問題ありません」
「わかりました」
「サラティス様、何かご希望の品は?」
「あー、ヨルバドフ。サラティス様は生は初めてだ。お前のおすすめで頼む」
「お、そりゃー責任重大だな」
カウンター席からヨルバドフの手元が見れる。
ヨルバドフはカウンターに置かれた保冷庫から魚の切り身を取りだす。
「ずいぶん小さな保冷庫なのですね」
「ああ、魚によって最適な温度が違うから、でかい保冷庫じゃなくて小さい保冷庫を何個も並べてるんだ」
「なるほど、温度で肉質が変わるのですね。素人が食べても分かる違いですか?」
「いやー。ダヴァンどう思う?」
料理人と素人の違いは隔絶したものがあるだろう。
素人の中でも平民と貴族では雲泥の差があるのが一般的だ。
「難しい話だな。舌が敏感じゃない、食い慣れてない平民なら分からないだろうぜ。不味いに関してはサラティス様はすぐ分かると思う。だけどよ、どちらがより美味いかは流石に分からないと思うぜ。どっちも美味い止まりな気がする。味付けしてない素材での判断は感覚じゃなくて、知識がでかいからな」
「ありがとうございます。ヨルバドフさんのお客はやはり同業が?」
「ああ、漁師の知り合いが寄って騒いでって感じだな」
「料理人じゃなくても魚には詳しい……なるほど」
「ほい、どうぞ」
皿の中には綺麗な長方形に近い形の切り身が乗っていた。
「いただきます」
まずは何もつけずに口の中に。
「……美味しいです!」
サラティスとしては生魚を食べたことはない。
だがネイシャ時代食べたことはある。
水生魔獣の駆除や、航路の保護のため港街、船で活動したことがある。
戦闘の合間であり、料理ではなく空腹を満たすための意味合いが強かった。
美味い魚を選んでではなく、捕れた食べれる物をかたっぱしからであった。
「生臭さが一切ないです。口に入れてひんやりしましたが、舌に乗ったら脂が溶けだしてお魚の旨味が広がって、溶けちゃいました」
「おいおい。ダヴァン。お前の秘蔵っ子か?」
「いや、教えるより教わることのが多いぜ」
「はぁ?貴族様だろ?何故?」
「いいか?サラティス様はいろいろな意味で規格外だ。世間一般的な貴族と同じと考えるな。貴族でありながら、自分で料理もするぞ」
「なるほどなー。師匠に食ってもらう時と同じくらい緊張するな」
「ヨルバドフさん、その包丁はお魚専用ですか?ずいぶん切れ味がよさそうでしたが」
「ああ、特注品だ」
「断面が滑らかですね。肉とはやはり勝手が違いますか?」
「もちろんだ」
一般的に食される肉は筋肉組織が主でできている。
なので噛み応えがあるのだ。
魚は肉に比べて筋肉組織の割合が極端に低く、代わりに脂が豊富だ。
なので舌の中で溶けたと錯覚するほどである。
肉を切るように魚を切れば身はぐちゃぐちゃになる。
「つまり道具だけでなく、コツも身に着ける必要がある」
「料理人希望か?」
「いいえ、そんなことはありません。ただ、気になりました」
「そ、そうか」