目を覚まさない
男は切羽詰まった様子だった。
「マイちゃんが虐待を受けているのは間違いないんです!今動かなければ手遅れになるかもしれません!」
児童相談所の一室で上司に向かって叫ぶ。男は正義感に溢れているが故、時折空回りしてしまうこともある。上司はそれを理解していた。
「落ち着け、まだ動く時じゃない。今はもっと多くの情報を集めるんだ」
「しかし...!最近はマイちゃんに会うこともできません。これ以上情報を集めろだなんて...」
「正義感だけじゃやっていけないんだ。確実に子どもを助けるために耐えなきゃいけない時もある」
「...でも!」
「お前もわかっているだろう?今までのやり方で上手くいったことなんてなかったじゃないか。少し頭を冷やせ」
「...わかりました、少し考えます」
上司の言うことはいつも正しいことは理解している。フラフラと男は部屋を出て、ほとんど使われていない会議室に入る。道中買った缶コーヒーを片手に天井を見つめながら考え込む。
「やっぱり、慎重に動いた方が良いのかな」
男の心中は揺らいでいた。上司の言葉が頭の中にループしている。
「お悩みのようですね」
突然の声に体を震わせる。いつの間にか部屋の中に誰か立っている。現代日本では明らかに異質な、黒いローブに身を包んだ人物。低い声から男と認識したが、顔も見ることが出来ない。
「えっと...あなたは?ここの職員ではないですよね?」
「私が何者かなど些細なこと。それよりもあなたの話をしましょう」
ローブの男は続ける。
「今日、あるマンションの一室で人が死にます。あなたがよくご存知のマイという少女の家です。少女を助けたくはないですか?」
「マイちゃんが!?なんでそんなことがわかるんですか」
「私は情報通でしてね。どんな情報でも私の耳に入ってくるのですよ。今、少女を救えるのはあなただけ...どうですか?」
得体の知れない人物の話が、今までループしていた上司の言葉を上書きする。なぜかは分からないが、男の心はローブの男に傾いていた。
「俺はどうすれば?」
「どうすれば良いかは、もう分かっているのではないですか?」
男は走り出していた。少女が待つマンションへと。息を切らしながら走り続け20分程。やっとマンションに到着した。目的の部屋まで立ち止まることはない。
部屋の前に到着するとすぐに玄関の扉を乱暴に叩く。何度も何度も、少女を助けるために。
「開けてください!児童相談所の者です!今すぐここを開けてください!」
大声で呼びかけるが中から物音一つ聞こえない。男は焦っていた。
ふと、ドアノブに手をかける。鍵が掛かっていない。扉を開けたところで異変に気付く。空も薄暗くなってきているというのに、部屋の中は電気が点いておらず薄暗い。そして部屋の奥から漂う鼻が曲がるほどの匂い。
震える足で以前通された居間へ向かい、恐る恐る居間の扉を開ける。
悲惨な光景だった。
居間中に散った赤黒い液体。椅子に座る2つの人だったもの。そして、それを見つめながら笑う少女の姿。
辺りを見る余裕もなく、男は悲鳴を上げ這いつくばりながら部屋を飛び出して行った。
部屋の隅に立つ黒いローブの男の姿は目にも入らなかっただろう。
ありがとうございました。