6 サムライハート
避難民の列が蠢く。驢馬に牽かせた馬車。
着の身着のまま飛び出してきたであろう人民たち。武装していると思われるものもいるが、それは一握りだった。
その集団を支配しているのは諦めと恐怖に他ならなかった。男たちは死への恐怖と飽くなき闘争を繰り広げながら、自分の手の届く範囲範囲だけは防護しようとしていた。まばらに続く避難民の縦列。その外側にはやはり漁師や兵役経験者と言った男たちが自律的に動いている。少なくとも彼らは帝国臣民、中でも男子たるの義務を果たそうとしているのだ。主は戦士たれと命じた。皇帝陛下は家を守れと命じた。どうして、その義務から自身の命を投げ出そうか。
しかし、彼らは不利な状況にあると言う事実は変わらないのだった。彼らに接触し、襲撃を行うのは正規兵崩れの野盗や宗教的熱狂のなかにいる聖戦士達である。たとえ、銃で武装した一般人たちがいくらいようが実際のところ、全く関係がない。鎧袖一触だろう。宗教的熱狂のなかにいる人間は驚くほどに頑強である。彼らの望みは命を賭して神の教えを実行することであり、迫り来る敵兵がいくらいようとも、彼らには関係のないことだった。一切の迷い無く、彼らは殉教を受け入れるのだろう。
遠くから嘶きが聴こえる。
奴等が来た!
殉教者たちが徒党を組んで我らを地獄に落としに来たのだ。
帝国臣民よ、義務を果たせ!
避難民の男たちが──その殆どは老人にも近い──戦列を組む。各人の感覚は一メートル程だ。この時代の小銃はボルトアクションである。銃身の垂直に右側に飛び出た取手を左に回し、それを手前に引く。すると複雑な機構に伴い、銃身の上方には穴が出現する。そこに弾丸と火薬が薬莢によって束ねられた弾薬を装填し、取手を戻す。すると弾薬は発射位置に固定される。取手を再び右に回すと、発射室の固定が完了し、その中で火薬が燃焼しても周囲には何も影響を及ぼさなくなる。再び発射したければ、もう一度取手を左に回し、それから手前に引けば良い。弾丸にエネルギーを与え終わり、空となった薬莢は取手と一体となった部分に取り付けられた鉤爪で引っかけられ、右上方に弾き飛ばされる。すると、発射室は空になり、また弾薬を装填できるようになるのだ。
一度に一発しか射撃できないと言う武器の特性上、ある程度密集しなければ射撃の効果が薄まってしまうのだ。先込め式のマスケットを用いた戦列歩兵時代の延長に過ぎなかった。ただその射撃時間が短くなり、反して射程が長くなっただけだ。騎兵の触接を受ければ、密集していない歩兵はすぐさま斬り臥せられる。
しかしながら、密集しすぎると砲弾の餌食になってしまう。頭上から鈍角に降り注ぐ砲弾が着発式であればまだ良い方だった。着弾地点の周辺の人間しか死亡しないからだ。しかしながらそう言った砲弾だけではない。時限信管と着弾信管を織り混ぜた砲撃が登場したのだった。着発式による攻撃は勿論のこと、様々な時限信管を用いることによって、敵頭上での砲弾の破裂が可能になった。これにより砲弾の破片による殺傷が急激に増えたのだった。この頃はいまだ、歩兵が肩を寄せあった密集銃剣突撃が主流であったから尚更だろう。
同数の獣が相手だったならば、男たちは勝利したかもしれない。例えば、狐や鹿だったならば。しかし、相手は兵士や殉教者である。意志を持って、明確に攻撃体制を採っている。もはや思考の時間ではなかった。ひたすらに武器を以て敵を屠り、敵に屠られる時だった。
誰かの号令。射撃。再装填。号令。
数度の一斉射撃の。幾人かのサルファの騎兵が倒れる。十数人の規模の騎兵部隊だった。目的は偵察か、もしくは小規模攻撃による避難民の漸減を狙っているのだろう。
白刃が煌めく。彼らは襲歩に移った。逃げ惑う避難民と自分達との間に立ちはだかろうとするあわれな兵士たちにその鋒を向けた。
「神は偉大なり!」
サルファ騎兵の戦叫が響く。
その突撃を横合いから殴り付けたのは、銃兵隊の一斉射撃だった。
猟師たちのように、人間相手に慈悲を持たない統制された射撃だった。そしてサルファ騎兵の一団は人生最期に初めて極東の戦士を見た。
斯波と一ノ瀬は武士の伝統に則り、騎兵突撃に移り、銃兵隊は蛮声を張り上げながらそれに続く。歩兵による騎兵への突撃。それが成功したのは奇跡としか言いようがない。少なくともギースラーの回顧録にはそう書かれている。
斯波の一行が遊撃戦を続けて二日後、議会は対サルファ宣戦布告を議決し、皇帝へと上奏した。
征南戦役が布告され、サルファ汗国は十数万の帝国軍に踏み潰された。現在、同地は帝国軍政地域に指定されている。