5 奴等を通すな!
「距離一〇〇〇。目標敵戦車。弾種着発。修正は各砲ごと。照準が済み次第各個射撃。以上、臨時小隊長命令終わり。斯波小隊長に恥ずかしいところを見せるんじゃないぞ!やつらを通すな、各個に撃て!」
◆◆◆
十年前。帝国南方、サルファ汗国との国境。ゲロイ峠。
帝国南方と国境を接する国家は破綻していた。もともと帝国とは古来から銃火を交える中だったが、ここ数十年はそう言ったこともなく、平和的に共存していた。
しかしながら、時の権力者の庇護のもと勃興した復古主義によって力をつけ始めたのが宗教勢力だったことが災いした。
権力機構と一体化した宗教勢力はその統合を保つため、敵を大っぴらに喧伝し始めた。
帝国人は神の教えをねじ曲げている。
帝国人は悪魔の手先だ。
それを援助したのは列強諸国。帝国と領土問題を抱える国や、大陸における覇権国家を産み出さないように振る舞う海洋国家などだった。
しかしながら、そう言った国家間の外交によって被害を受けるのは何時だって民衆なのだ。国内のあらゆる地域から迫害を受けた帝国系住民はひたすら帝国国境を目指した。ゲロイ峠。帝国に繋がる唯一の路である。歴史的には、ゲロイ峠を自然国境として帝国とサルファ汗国が妥協した地域だった。
避難民の行列が蟻のように連なっている。
その行列は度々野盗やはぐれ兵士の略奪を受けていた。もはや彼らを守ることものは誰もいないのだ。
ゲロイ峠を含む一帯を管轄していた国境警備連隊の部隊長は苛立っていた。
いくら待っても帝都からの電話が鳴らないのだ。
「ボケがッ!帝国臣民がこれほど困っとるんに!帝都のボケどもは何を考えるんかッ!」
黒い口髭を生やした禿頭の老人は老人とは思えないほどの強さで壁を殴った。木製の壁にはヒビが入り、破片が溢れる。執務室の机の灰皿には、あふれんばかりの吸い殻が山のように。なっている。ここ数日、彼は執務室にこもっていた。
ギースラー中佐は騎兵出身の指揮官である。戦闘で脚を負傷したことを切っ掛けに第一線を退き、後方勤務に転換した。国境警備任務も彼の意向だった。徹底的な愛国者かつ皇帝崇拝者だった彼は喜んで国境警備に赴いた。愛すべき祖国の土を寸土も失わないために、彼は自分の人生を捧げるつもりだったのだ。
その勤務は彼が白骨になるまで、平和に終結するはずだった。サルファが急速に過激化する等とは誰も想定していなかったのだ。
もはや限界だった。ギースラーはもはや我慢することは出来なかった。
「部隊集結!甲武装!」
その命令は国境警備連隊全力出撃準備を表している。
誰もが助けにいきたいとは思っている。しかし、その命令は出ていない。愛国者たる軍人だったギースラーさえも無許可越境は出来ないのだ。
だが、座して眼前で同胞を見殺しにするわけにはいかないのも事実だった。結局、部隊とは見なされない規模での偵察を派遣することになった。抜擢されたのは陸軍大学校を卒業したばかりの若い中尉、斯波栄志砲兵中尉だった。
国境警備連隊は精鋭の現役兵が配属されるような部隊ではない。徴兵検査をスレスレで受かるような二線級の部隊である。それとは対照的に、士気は旺盛だった。同胞を救いにいく。その事実は彼らを現役兵を越える兵士たらしめているのだ。
十数名の兵士が小銃と銃剣握りしめ、国境を越えた。秋の夜空の下、褐色の詰襟軍服の上に黒い外套を纏っている。斯波はキャップ型の戦闘帽ではなく、勤務時の制帽を被っている。とある人間が見れば、政治将校かと思われる服装だ。加えて、臨時編成の小銃分隊のなかで異質だったのが、指揮官たる斯波と彼の配下である一ノ瀬が騎乗していることだった。
斯波の幼少の頃の教育が生きていた。彼らは帝国本領から召集された兵卒ではない。極東からはるばる軍務に身を投じた中央集権的な軍国主義国家〈敷島〉の武士階級の出身である。如何に貧乏武士といえど、最低限の戦闘技術は保持している。一ノ瀬さえ、騎乗は得意でないとはいえ、最低限の対騎兵戦闘は出来る。極東の侍の伝統は火薬と鉄量の時代に至っても、帝国本領のコサック騎兵にさえ劣らない。
小銃分隊の兵士たちが持っている小銃は小柄な人間の胸の高さほどまである長銃だった。銃剣を取り付けると、人の背丈と同等ほどになる。古来のファランクスの如く、槍として使用するためだ。一方、斯波が肩に負い紐で吊っている小銃は騎兵銃と言うそれよりかはいくらか短い銃だ。馬上で取り扱う必要性から銃身が切り詰められているのだった。
一ノ瀬と斯波をはじめとした〈敷島〉の権力機構たる武士階級は騎兵銃の取り扱いさえ習得している。彼らは馬上戦闘を一通り叩き込まれるのだ。しかしながらその技術はその道の一流の兵士を百点とするなら彼らの技術は七〇点やそこらだろう。彼らの強みは一点特化型の戦士ではないと言うことだ。彼らは万能型の戦士である。それは鉄量による戦争の時代になっても変わらない。
騎兵銃と敷島式の軍刀を手にした斯波を先頭に小銃分隊は進む。回天の時は近い。