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4 奮闘


 小刻みに続く断続音。

 帝国に張り巡らされた列車網。

 そして定期的に走る軍用便。

 エーリカと斯波はその軍用便の将校用客室にいる。作戦室とさえも使用できるように長机と椅子がところ狭しと敷き詰められたそこは、豪奢な内装な兼ね備えている。残念ながら、その広さを使うべき人数はまったく存在していない。ただ二人だけ、エーリカと斯波しか存在していなかった。

 彼らは対面に座っている。彼らの間には何もない。そこは一般客室で見られるような四人がけの箱席だった。

「その左目は?」

「捕まったときの拷問で。そのときに潰れました。どうです?男前が上がったでしょう?」

 斯波は黒い眼帯をめくって見せた。そこには刃物で抉られたような傷跡があった。明らかに意図を持って抉られたもののようだった。

 かわいそう。

 エーリカの脳裏の帳簿に達成すべき事柄がひとつ追加された。曰く、拷問した人間を探し出して殺害すること。我が心の愛する────ああ、訂正、敬愛する教官を傷つけた人間を許すわけにはいかない。これにはまったく色恋沙汰とかは関係ない。うん。まったく関係ない。貴族の私が、平民にそんな感情を抱くわけがない。

 エーリカは自分を否定することにした。

 その方が有益であると確信したからだった。

「ところで、いつまでシャツ姿なんだ?」

 エーリカはその貨車の端に目配せした。そこには封が切られた木箱が積まれている。どの軍用便にも積載されている予備の軍服だ。

 斯波はいくらか入っている軍服のサイズを見比べる。六号。少し小さいな。五号でいいか。シャツもあるじゃないか。ちょうど着替えたかったんだ。

 彼は既にぼろぼろになってしまったシャツと軍袴(ズボン)を履き替えることにした。これらは国家転覆の罪状で拘束されたときからのものだ。上着は拘束生活の際、何処かにいってしまった。

 この時代の将校の服は通常、身銭を切って特注品を作るのが一般的だった。将校は制服ひとつとっても威厳がなければならない。軍服に体を合わせねばならないのは兵卒だけなのだ。しかしながら、予備のものは規格品である。特注品に比べれば似合わないものになってしまう。

 斯波はすべて脱ぎ捨て下着姿になる。その姿は敷島の伝統的なもの、褌だった。銃殺前に着たものだけあって洗濯されていた。侍の端くれたる維持だった。死ぬときぐらいは身綺麗でなくてはならない。

 斯波の肉体は筋骨頑強と形容できた。シャツと上着で隠されていただけで、彼の肉体は軍人として相応しいものだった。どちらかと言えば軍人と言うよりは戦士と形容した方が良いかもしれないが。彼の体躯は幼少時の極東の騎馬戦士たちのそれに由来している。剣術、馬術、弓術をその他戦闘術を叩き込まれる侍の体現だ。しかしながら、その体躯は多くの生傷を伴っていた。拷問の際のものだった。

「君は淑女の前でそんなことをするのか?」

 エーリカの声は怒気がこもっている。それだけでなく、顔面の皮膚は深紅がごとく紅潮している。

「これは失敬」

 そうして斯波は瞬時に軍服を纏う。その間、エーリカの視線は斯波の肉体に注ぎ続けられていたのだが。

 軍服を纏った斯波は勇ましいことこの上なかった。眼帯、軍服、いくつかの刃傷。帝国東部では最も誉められる類いの男に相違ない。

「君のそれがあれば向こうでも困ることはないだろう」

 エーリカは斯波の肉体を指していった。

「向こう、とは?」

「新大陸。旧魔族領だ」

 新大陸。すなわちエーリカや斯波が住む帝国の存在する旧大陸から隔絶した土地。百年ほど前に発見されたその土地には、人間は居住していなかった。魔族や亜人、いわゆる魔法文明の文明が存在していたのだ。それを束ねる魔王と称される君主機構。新大陸は旧大陸がしていたような緩やかな王権体制を保持し続けている。

 そこに参入したのが新興階級たるブルジョアだった。人口、手付かずの資源、遅れた科学文明、〈魔法〉という新たなる技術。資本の増幅機械たる資本家階級がそれを見逃すはずはなかった。

「資本家のお守りですか」

「そう言うな。今や帝国の生命線なんだ」

 帝国の貿易相手は今や新大陸が大きい割合を占めている。また、近年の工業化に伴い、資本家の発言権は次第に肥大化していた。それは遅れている帝国でさえ例外ではない。貴族の連合たる帝国が資本家に手を貸すのも時代の摂理と言えた。

「国を守るためにはあらゆる手段を尽くさねばならん。教範にも書いてあるじゃないか。帝国軍人ハ須ク手段ヲ尽クシテ奮闘スベシ。なんとも素晴らしいことだ。大尉、君こそ、その体現だと思うがね」

「私がですか。買い被りすぎです」

「私の眼が節穴だとでも?私は幼心に聞いたゲロイ峠の戦いを今でも覚えている」

 エーリカは試すように斯波の両目に視線を合わせた。すべてを見透かすような眼だった。何処か嬉しそうな視線。お伽噺の英雄を想うようなどこか色っぽい眼だ。

「煙草を貰えますか」

 斯波は心地悪そうにため息をつきながらそう言った。



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