3 新大陸
「教官、その姿、あまりにも無様すぎないか?格好良かったあの頃は何処へやらだな」
その言葉と銃声の主はまるで天使と悪魔の合の子のような人物だった。その人物はお伽噺のような翼を広げる馬ほどの大きさの竜の背にのって、回転式拳銃を天上に向けていた。その銃口からは煙が立ち上っており、その銃声が銃殺を停止させたのだった。
竜の背の人物はゴーグルに飛行帽と言った飛行士のような格好をしている。竜は魔族領からの輸入物だろう。近年は帝国の物流に部分的ながら導入されているらしい。斯波も見るのは初めてだった。
竜が優雅に着陸する。鴉のように賢そうな動作だった。ひらりと翻るように竜の背から降りると、その人物はゴーグルと飛行帽を脱ぎ去るのだった。
「私は北方貴族連盟議長にして大海賊バルバロッサが血筋、エーリカ・ヴィーラント・ヴァン・ピラーチア大佐だ。
この場の責任者は誰だ?」
飛行帽から銀髪が流れ出る。その幼女の姿は卒業から何一つ変わっていなかった。小柄で、透き通った白い肌、漆黒の眼、癖のあるうねった銀髪、何一つ変わっていないのだ。
「自分であります、大佐殿」
若い少尉はそう言って敬礼した。彼も地方貴族の端くれらしく、妙にかしこまった敬礼だった。北方貴族連盟とは先代の皇帝を輩出した血統だ。帝国の中では最も古い言って良いほどの歴史を有している。事実、帝国の最初期は現在の北方の一地方国家に過ぎなかった。
「刑の執行を停止しろ。今すぐにだ」
大佐の階級章のついた褐色の詰襟を着たエーリカは少尉のもとに歩み寄った。そして兵営の中では絶対に聞くことのない若く高い声できっぱりとそう命じた。
「しかし、軍法会議の結果は陸軍大臣の認可を受けております。しかも国家転覆の罪状です。いかに大佐と言えども……」
少尉はいかにも真面目な初級将校らしく振る舞う。職務に実直であるのは素晴らしいことだ。うまくいけば師団参謀ほどにはなれるのではないか?斯波は縛られたままそう思う。
さっきまで死ぬと思っていたんだが。人生はどうなるか、まるで分からないものだ。
「話を聞いていないのか?帝国の電信網もあてにならんな。これを見ろ」
エーリカは肩にかけていた雑嚢から書類を取り出す。紙の左側が綴じられた数枚の書類だった。少尉はそれを見て、一瞬だけ魂が抜けたような顔をする。
「私は陛下直属の任務で動いている。畏れ多くも大元帥陛下の命令書だ。陸軍大臣の命令がなんだと言うんだ。良いから銃殺を停止しろ。二度は言わんぞ、少尉」
どこからか誰かを呼ぶ声が聞こえる。
結露を言えば、少尉の上官が少尉を呼んでいたのだが。
彼は慣れない駆け足で少尉のもとに走り、エーリカにお座なりな敬礼をしたあとで少尉に耳打ちした。
「銃殺は停止だ。今すぐ釈放しろ。大臣から直接電話が来た」
その命令に従い、斯波は解放された。その手際はなんとも素早かった。
「お久しぶりです。いつのまにやら、天上の人になってしまいました」
斯波はエーリカの階級章に視線を移した。大尉の自分と比べると、もはや天地の開きが生じている。これは貴族特有の昇進に他ならなかった。でなければたった二年で斯波を抜かすことなどできない。
「教官、君はまったく阿呆だな」
エーリカはやや傲慢に言い切った。
「君ほどの男がなぜクーデタ紛いを?」
まったくたわけだよ。エーリカは誰にも気づかれずにそう呟いた。
「すこしばかり、夢を追いたくなりまして。乾坤一擲、男子たるの本懐とでも言いましょうか」
「これだから男ってやつは駄目なんだ。喜んで自分の命と弾薬を等価にさえ考える」
残されたやつはどうするんだ、とでも言いたげだった。
「とりあえず、ついてこい。君には仕事がある」
「はあ」
要領の悪そうな返事だ。彼自身、事態が急転直下すぎて、頭脳が処理を拒否しているのだ。
「これから何処へ?」
「西だ」
「帝都ですか」
「いいや」
エーリカは斯波の襟首を掴み、彼の顔を自分の口元に寄せる。そして囁くのだった。
新大陸だ!