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1 砲兵令嬢


 砲兵たちよ、エーリカの命令だ!

 砲兵たちよ、帝国が君を呼んでいる!

 幾万の砲兵諸君、

 烈火の砲兵令嬢に報いるために、

 我らが皇帝の為に 撃て、撃て!


 ──〈砲兵令嬢の行進曲〉の歌詞より抜粋──


◆◆◆


 一本のロープが延びている。その先は冬の寒空へと無限に繋がるかと思われた。しかしながら、それは終わりを告げる。切り落とされた歪な楕円の回転体と小さな直方体が奇妙に組合わさった物体が、そのロープの終端に存在し、宙に浮かんでいるのだ。気球だった。

 その直方体部分に乗り込み、白い息を吐きながら、望遠鏡を覗き込んでいるのは帝国西部方面軍集団直轄親衛砲兵連隊副連隊長、斯波栄志砲兵中佐だった。彼が右目で覗き込んでいる望遠鏡は彼の私物で、帝国天文協会から購入したものだった。そのとき、彼は一ヶ月分の給金をはたいたと言われているが真偽は誰も分からないのだった。

 親衛の名を関するこの砲兵連隊には番号が無い。他の部隊、第一五沿岸砲兵大隊や第一列車砲連隊のように、通常はナンバリングされるのが常である。

 また、帝国の藩屏たる貴族が直率する部隊、特にその指揮官たる人物が高名であればあるほど、その部隊には固有名が付与される。例を挙げれば、東部に存在する親衛歩兵師団〈抜刀隊〉、南部に存在する〈高地連隊〉、近衛騎兵隊〈薔薇連隊〉や帝国西洋艦隊〈人民艦隊〉などだろう。

 しかしながら、親衛砲兵連隊には番号も固有名も無い。それはその慣例ができる前から彼らが存在していたからだ。

 彼らの指揮官はエーリカ・ヴィーラント・ヴァン・ピラーチア。帝国北部に領地を持つ貴族の当主だ。栄養失調なのかと疑われるほどに小柄で、中等学校の女児かと間違われ、帝都の邏卒に調査されたことも一度や二度ではなかった。目を引くのは透き通った白い肌に全てを飲み込むような漆黒の眼だ。加えて、癖のあるうねった銀髪は異様に目立っていた。

 エーリカは現在、連隊本部の天幕の中にいた。彼女は眼前の長机に広げられた周辺地図を覗き込んでいる。と言っても、彼女の身長では全てを見渡すことが出来ないため、彼女の特注の軍長靴の下には木箱が横たわっていた。

 天幕の片隅には薪ストーブが置かれ、内部の人間を暖めている。彼らの装いも外套に毛皮帽という有り様で、彼らが冬季戦に臨んでいることを際立たせている。

「連隊長、〇五三〇になりました。軍集団よりの命令に基づき、第六軍団主力援護のための攻撃準備射撃開始します。よろしくありますか?」

 通信幕僚がエーリカに敬礼する。右の掌を額の前に持ってくる軍隊式だった。

「うむ、よろしい。大いにやってくれたまえ!」

 彼女のあどけなささえ感じさせる甲高い声音は、軍隊に似つかわしくないものだった。しかしながら、誰もが彼女に敬意を払っている。彼女は〈烈火のエーリカ〉の二つ名を持つ女傑なのだ。

 またの名を〈砲兵令嬢〉。

 帝国において、最も鉄量と火力を信奉する人間だった。


◆◆◆


 協約暦一九二三年。

 帝都郊外。

 陸軍女学院。


 春の陽気に包まれる中、似つかわしくない男が座っていた。大尉の階級章をつけ、片隅のベンチに腰かけるその男は斯波栄志と言った。帝国東部の生まれの男である。帝国を構成する地方国家〈敷島〉を統治する中央集権の官吏たる武士の生まれではあったものの、長男ではなかったため、帝国本領軍に士官した変わり者だった。周囲の人間と比較しても、小さい背と低い鼻、そして焼けたような肌の色はどうにも目立って仕方なかった。陸軍大学校に入校できていることからも彼が無能ではないことが分かる。同期との仲も良かった。しかしながら、教官たちはそうではなかった。彼を東部出身だということで差別し、配属先も人気が無く、人材の墓場と言われていた砲兵将校にした。彼自身は砲兵将校を目指していたため、後者については問題なかったのだが。

 彼が陸軍女学院に来たのは実際のところ、左遷とさえ言えた。観戦武官の砲兵将校枠として国外派遣を多く重ねる彼のことを疎んだ陸軍の一派がそうしたのだった。

 彼の現在の職務は、陸軍女学院で行われている兵科説明会の砲兵担当教官だ。黒板を据え、その前には幾つかの背もたれの無い丸椅子が並べられていた。それらのどれにも生徒は人は座っておらず、座っているのは二人だけ。斯波と彼の部下の軍曹だけだった。

 軍曹の一ノ瀬は故国から彼に付き従った忠義の人間だった。斯波の幼い頃の剣術指導や近代軍教練を担った斯波家の古い家臣だった。家臣と言っても、もはや貧乏武士といっても遜色なかった斯波家は家臣の副業を許していたため、むしろ平民風に言えば、近所の親切なおじさんとでも言うのが適しているだろう。一ノ瀬は元敷島の兵士だった。しかしながら、現在の状況を見れば、彼らにとってはそれは関係の無いことだったのだろう。

「一ノ瀬、これでははるばる帝都観光に来たようなものだな」

 斯波が呟く。丸椅子にやくざなようすで腰掛け、煙草の煙をくゆらせている。その煙が眼球を撫でるが、少しの涙も見せることはない。もはや彼には煙と言うのは恐れるべき存在ではない。戦場での硝煙よりはマシだし、加えてもはや煙草は彼の一部なのだ。

「こういうこともあるでしょう。なにせ我々は砲兵なのですから」

 そういうと一ノ瀬も嗜好品に手を伸ばした。彼の場合は葉巻だった。

「騎兵が大人気だぜ。姫様は何時だって白馬の王子様が好きなんだ。そのとなりにいるのは自分と信じて疑わないのが姫様たる条件なんだから」

「それはちと共和国の連中に聞かれるとまずい類いのジョークですな」

 斯波はきつい冗談を好んでいた。彼自身、人種や宗教、職業の貴賤などにまったく興味がないために、あえてそれを害するような発言をする傾向がある。すべてを平等視するがゆえに、すべてを貶して見せるのだった。それを理解してくれる人間は彼のことを人間的に認めていたし、そうでない人間は親の仇のように彼のことを無視していた。

「失礼。砲兵の説明会場はここであっているか?」

 驚愕を以て、軍人二人の鼻面を叩いたのは一人の少女だった。明らかに特注の小さな詰襟軍服をまとった少女。銃さえも満足に持てないことはすぐに理解できる。

 目算で十二歳もいってないような少女。こんな人間が兵隊に?なんのための軍隊だ。斯波は吐き捨てた。彼は前線に女子供を立たせないためならばすべての苦難を甘んじて受ける質の男だ。何よりも女学院の設立にこそ反対していたといっても良い。

 しかし、職務は職務である。軍人たる彼には命令に反するという選択肢はなかった。これでも彼は官僚たる軍人という立場でしか生きてこなかった人間だ。それを捨て去るということを選択できるほど、彼の生い立ちは順風満帆なものではなかったということだ。

「そうですよ、お嬢さん。失礼ながら、お名前は?砲兵に興味がおありで?」

「エーリカ。エーリカ・ヴィーラント・ヴァン・ピラーチア。

 私は好きなんです。

 圧倒的な工業力が造り出した火力と鉄量ってやつが!

 来るべき総力戦のために。帝国の未来は砲兵にあるのです!」

 彼女はひどくにこやかに笑った。

 彼はひどく困惑した。

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