第六部 歳を知る
流永の身体を巡った激痛が治まるまで約二日かかった。
龍の血を飲んでから三日目でようやくまともにご飯が食べられるようになった。
その三日目の朝食を食べ終わった後のこと。
「これからどうすんの?」
と、流永は訊いた。
「じいさんは、龍の血とやらを飲ませて何させたいのさ」
流永の質問に老人はとぼけたような顔をした。
「いや……どうするかノゥ」
老人はその豊かな真っ白な顎髭をしきりに撫でている。
「とりあえず龍の血さえ飲んでくれれば儂としてはよかったからの。正直、その後のことなど考えておらんかったわ」
老人は口をへの字に曲げて何か考えている様子である。結構行き当たりばったりな性格なのだろうか。
流永はもてあまして、そこらの雑草をちぎり始めた。
十数枚程ちぎったところで、不意に老人が声を上げ、
「学院にでも入るか」
と、いった。
(魔法の学校……)
ライトノベルの異世界ジャンルというものを知っている流永にはすぐに察しがついた。
主に魔法などを習う学校だろう。
「でもさ、俺に教えんの魔術でしょう?」
魔術は前述の通り禁忌である。
「いや、魔術を使うからといって魔法が使えなくなる、ということはないからの。魔法も並行して覚えればいいじゃろう」
「じゃあ、入ろう」
流永は即答した。
どんな人間がいるのか、どんな学校なのか、流永は魔法学院に、異世界なのだから前の世界の学校とは全く違うものだろう、と期待を溢れさせた。
学院、と聞いて流永は主に魔法を習うところと解釈した。
概ねはあっているが、例えば剣術、魔法に優れていれば、王国の騎士団に誘われることがあるし、学院に在籍時に築いた人脈を商売に有効活用したりと、学院に在籍しておいて将来に役立たないということは無いといっていいだろう。
老人が流永に学院を薦めたのも、将来が見透しやすくなるからだ。
「そういえばおぬし、今何歳じゃ?」
「歳?」
と、流永は笑いながら、
「中身は十七ですよー。でも外はわからないなぁー」
あっははは、と大口を開けた。
「十七ァ?」
老人は流永を訝しむような見た。
「おぬし、そんなんで十七じゃと?」
「中身はね。元の世界じゃ立派な十七歳でしたよ。まぁ、ここに来てからは縮んだようだけどね」
「ハァ……」
老人は深く、それはもう深海ぐらい深いため息を吐いた。
「おぬし……。本当に十七なのか?」
「おう」
流永は元気よく頷いた。
老人はめまいがする思いをした。今までの流永の行動を思い出してみれば、とても十七の青年には見えない。
むしろ今の姿で年相応だとおもう。
老人は首を振った。
(やめよう)
多分、彼について考えても無駄だろう。おそらく彼の行動を理解することなど不可能な気がする。
老人は流永についてのいっさいの思考をやめた。
周りを見渡せばいつもの光景である。しかし、流永という存在は新しく現れた光景だ。
その些細な変化である。だが、ここまで疲れるとは、しかも見た目は子供のくせに中身は立派な十七歳だというではないか。
老人は再度、首を振った。
老人がそう考えている間、流永は呆けたように空を眺めていたが、ごろんと地面に寝転がった。
そういえば、この世界に来てから日がな一日寝てばっかである。
「少しは体を動かしたらどうだ?」
老人が見かねていったが、
「まだ怠いもん」
と流永は大きくあくびをかいた。全身の痛みは消え去ったが、まだ倦怠感が残っている。
老人は諦めたようにうつむき、街に行ってくる、といった。
「多分帰るのは夕方ごろになるじゃろう。……昼ごはん?鍋の残りで我慢せい」
と、流永のわがままを言うのを無視して山を下りていった。
流永は嫌な顔をしながらも、その背に向かってパラパラと手を振って見送ってやった。
流永は大きくあくびをかいた。微弱だが風が吹いている。
仰向けになって見ることなしに空を見ている。
山の中だからか、そこここで色々な鳥の鳴き声が聴こえてきた。
(暇だなぁ)
横になっているが、まだ朝で全く眠くない。
流永はまったく一刻もじっとしていられない性分である。
横になったまま、ゴロゴロと坂を転がる丸太みたいに転がっていたが、
「……おぇ……気持ちわる……」
回りすぎて朝食を戻しそうになった。
流永は懲りて回ることはやめたが暇である。
雑草をちぎったり、家の周りの草原を何度も歩き回ったりして、時間を頑張って潰した。
そして、
「ようやく昼だ……」
まだ昼には少し早いが、流永は今日の朝の残り物である鍋の中身をお椀の中にかっさらって食った。
昼食後、一時間ほどうたた寝したのち、
(探検しよう)
と、急に思い立った。
老人が帰ってくるといっていた夕方までまだかなり時間はある。
家の周りの森の中をくわしく見たことがない。
流永はよーし、と意気込んだ。
「なにがあるかな〜」
流永は鼻歌をうたいながら森の中に入っていった。
夕方、空が茜色に染まってきた頃、老人が両手に荷物を抱えて帰ってきた。
「おい!」
家の前の草原に流永が見当たらず、老人は声を上げた。
だが、返事はない。
家の中も見てみたがいない。
「こまった」
まさか森の中に入ってしまったのだろうか。もし、そうだとしたら早く探さなくては取り返しのつかないことになる。
流永が十七歳だと言っていたのは本当は嘘ではないのか、森の中は迷いやすいと知らないのか。とさえ思ったが、あいつならやりかねないと思い返した。
森の中は同じ光景ばかりで迷いやすい。
すぐに探さねば、と持っていた荷物を足元に置き、森の中へ入ろうとしたその時、
「お、じいさん。おかえり」
ちょうど森の中から流永が現れたのだ。
「……」
老人は苦しそうに顔をしかめて黙っている。
流永は、そんな老人の感情など知らないといったふうに、
「おなか減った。ごはん!」
と元気よくいった。
老人はしばらく声が出なかったが、やっと捻り出した言葉として、
「よ、よく迷わなかったな」
といった。そして同時に遭難したらどうするのだ、という怒りも込み上げてきた。
流永のこたえは単純だった。
「この体じゃ遠くまで行けないでしょ。近くを見て回ってただけだよ」
と、流永は当然でしょ、と首をかしげた。
きょとん、と不思議そうな顔をしている。
そんな流永の表情をみて、怒る気力も失ったのか、老人は大きくため息をはいて、
「飯にするぞ」
と力なくつぶやいた。
「鍋が飽きたといっていたからな、街で買ってきたわい」
「おおー。じいさんありがと!」
流永はにこにこ笑った。
老人は変な顔をして流永をみやった。
その屈託のない笑顔を見ているとさっきまでの怒りが馬鹿馬鹿しく思えてくる。
老人は微笑し、
「ほれ、準備をする。おぬしも手伝え」
と、流永の頭を二度、撫でるように叩いた。
「おい、渡すものがある」
翌朝の朝食後、老人は流永を呼び止めた。
「……?」
「昨日、おぬし食ってすぐ寝てしまったじゃろう?」
老人のいう通り、流永は夕食を食べてすぐに寝てしまった。家の周りを探検したといっていたから、疲れが溜まっていたのだろう。
「渡しそびれたものがあってな……」
と、老人は葉っぱのようなものを取り出してきた。
「なにそれ」
流永は小さく縮んだ背を伸ばして、その葉っぱみたいなものを、じろじろと覗き込んだ。
「歳を知ることができる」
「年齢ってこと?」
「ああ」
「血が必要になる。手ぇ出せ」
流永は言われるがまま手を差し出した。
「痛たっ」
老人はその人差し指を、ちくりと小刀で傷つけた。
傷口からぷくりと出てきた血を、持っていた葉っぱのようなもので拭いとった。
「何やってんの?」
流永は老人の手元を見ている。
血で濡らした葉っぱのようなものを、広げていた。
「これは……」
あまりの光景に流永は絶句してしまった。
なんと、その葉っぱがきらきら輝きはじめたではないか。
流永は目を見開いた。
(これが魔術……)
流永はやっと願いが叶うような、感動する目つきで見ている。
老人はそんな彼の視線に気づいたのか、
「これは魔法じゃ」
「魔術じゃなくて?」
「ああ。知り合いにつくって貰ったものじゃからのう」
どちらにせよ、流永が初めて見る神秘には違いない。
流永は感動するように身体を大きく揺さぶった。
しばらくして、葉っぱに模様のようなものが浮かび上がってきた。
「おぬしは……今は九つのようじゃの」
「九歳!」
流永は突然叫んだかとおもうと、自分の掌と老人の掌を重ね合わせた。
「すごい、小っさい!」
流永は何故か楽しそうに笑った。
彼は自分の体が縮んでいることは知っていたはずである。何故、再確認して、そして驚いているのだろうか。
老人はなんともいえず、首を振った。