第四十七部 打ち明け
夕暮れ時。
「よおッ、帰ったぞー」
あっはっはっ、と見たいものを見ることが出来、流永はいつになく上機嫌にジャン邸(正確にいうと彼の父の館)へ帰ってきた。
そうして、玄関を開け、中に入ろうとすると、
「「お帰りなさいませ」」
と、待機していたのか、ずらりと並んだメイドや執事達が一斉に頭を下げた。
「ホウ、ホウ」
流永は立ち止まって目を丸くしている。
そう、しばらく立ち止まって驚いていると、
「どうだッ、貴族にでもなった気分だろう?」
右手、従者たちの最後尾から出てきたのはジャンだ。
どうやら、これらは流永を驚かせよう、と彼がさせたものらしい。
「いいねッ、面白いなッ!」
流永は、絡繰りがわかると声をあげて笑った。
「とりあえず部屋に案内してやれ」
と、ジャンが横にいた執事にいうと、執事は頭を下げ彼のもとを離れた。
「では、お部屋にご案内いたします」
執事は流永の目の前まで来、綺麗な動作でお辞儀をした。
「おうッ」
流永は、身分は平民のくせに胸を張って傲然と構えた。
部屋は屋敷の二階にあるらしい。
階段を登り、廊下を少し歩いて、一つの扉の前に来ると、
「此方で御座います」
と、執事は扉を開けた。
「ホウ、ホウ」
流永は呵呵と笑った。
広い。
部屋には、まず右手に、おそらく二人用のベッド、奥の窓際に円テーブルと一人用ソファ二つ、左手の壁際に、姿見、ホテルで見るような机、濃い色をした椅子があり、またドアの側に予備用なのかいくつかの椅子と円テーブルが置いてあった。
「もし、何かご入用で御座いましたら、何なりとお申しつけください」
執事はこれまた丁寧に頭を下げ、部屋を退出した。
その後、流永は腰に差した剣を抜き取って机の上に置きカバンをベッドの上に放り投げた。
そして、しばらく窓際のソファで寛いでいたが、ふと、ドアをノックする音が聞こえた。
流永が返事する間もなくドアがガチャリと開いた。
「よお」
入ってきたのはジャンだ。
彼の後ろにはアドリーヌの姿も見える。
流永は壁際の椅子に移動した。
ジャンとアドリーヌは、ドア脇からそれぞれ椅子を取り、流永の前に座った。
その手には酒瓶が握られている。
「どしたの?」
流永はきょとん、とした顔で首を傾げた。
「いや、ちょっと話がしたくてね」
と、ジャンは何か含みのある笑みを浮かべたのだが、
「嘘おっしゃい。自分の家に初めて友人が来て、はしゃいでいるのでしょう」
と、アドリーヌに己が夫の内心をぴしゃりと言い当ててしまった。
ジャンは途端にバツの悪い顔をした。
いたずらが失敗した子供のような顔だ。
「別に……それは言わなくてもいいだろ」
「友人なら隠し事は無しでしょ」
ジャンとアドリーヌは流永に目もくれず、言い争いを始めてしまった。と、いっても雰囲気は談笑のようなものだが。
流永は右足の足首を左の膝に乗せて足を組んだ。
(自分たちの部屋で話せばいいことだろうに)
と、そう思いつつ、二人を制止させることもなく、ただ眺めている。
しばらくして、二人の言い争いが終わった。
「満足かい」
流永は左膝に乗せた右足首に肘を乗せ、頬杖をついている。
二人は流永をほったらかしにしていたことをおもいだした。
「あ……悪い」
「……ごめんなさい」
と、二人は息を合わせたように揃って頭を下げた。
流永はその謝罪をニタニタ笑って受けた。
「あれだろ、故郷の話を聴きに来たんだろう?」
朝、馬車の中で話した事だ。
「いや、別にそれ目当てで来たわけじゃないけどよ」
実際、ジャンはアドリーヌに言われたように、自分の家に友人が泊まるとなってはしゃいでいた。
彼は父親の手伝いをするとはいえまだ二十にもなっていない。
せっかくだから寝る前に軽く駄弁ろう、とまるで修学旅行の学生のように浮ついていた。
まあ、修学旅行生は酒を飲まないが。
とにかく、話せれば内容なぞなんでもいい。
「嫌なら話さなくていいんだぜ?」
「別に隠すことじゃないからね」
ジャンなら信じてくれるだろう、と他の人間であれば流永はこんな突拍子もない話を信じてもらえるとは思っていないが、ジャンならば、と一種信頼のようなものを感じていた。
それは、老人と初めて会った時のように、過去に拘泥しない、ということではなく、彼との「友情」という漠然としたものに近い。
彼と出会ってまだそんなに経っていないが、二人は不思議とうまが合った。
「話してやるよ」
流永は組んでいた足を入れかえた。
「と、いっても、そう大層な話じゃないけどな。……簡単に言えば、俺ァ異世界から来たのよ」
と、流永はあっさりと言った。
何故か不敵な笑みを浮かべている。
「いせかい……?」
「………」
ジャンとアドリーヌは揃って首をひねった。
結婚して短いというのに二人はよく息があう。
「どういうことだ」
「紙とペンはあるかい」
流永は図で説明しようとした。
「引き出しにある」
と、ジャンは机を指した。
流永は、そこにあったインキ瓶と羽ペン、紙を取り出し円テーブルに置いた。
円テーブルはドア脇から持ってきた。
「そうだな……」
流永はまず、中央が切れた一本線を描いた。
「今、王子様達がいるのがこっち」
一直線の切れた片方を、とんとん、とペンで示した。
「そして、俺が元々いた所がこっち」
もう片方をさした。
「ざっくり言えば、こうだ」
と、流永は切れた部分に、一直線と水平になるように線を引いた。
「俺の元いた世界とお前の元いた世界、これは断絶している。俺の天地にお前は無く、お前の天地に俺は無い」
流永の説明を聞き、ジャンは眉をひそめ考え込んだ。
アドリーヌは、わからなかったのか、相変わらず首を傾げている。
ジャンはテーブルの上の紙切れを手に取った。
流永のかいた図だ。
ジャンは、顔をしかめながらも、
「つまり……、俺の全く知らない所、異界から来た、と?」
「まあ、そんな感じかな」
流永は頷いた。
ジャンはなんとなく理解できたようだ。
だが、アドリーヌは首を傾げたままで、
「どういうこと?」
と、ジャンの袖を引っ張った。
「御伽噺の世界から来たようなものさ」
と、言ったのは流永。
「こことは繋がっていない所。本の中にある世界のようにね」
そこまでいうと、アドリーヌもなんとなく解ったのか、こくりと頷いた。
「しかし、お前がこの世界の人間じゃないとはな」
「うん。ちなみに年齢も違うよ」
「なるほど」
「そうなのね」
二人は不思議と納得した顔で頷いた。
二人の脳裏には子供っぽく無邪気に笑う流永の顔が浮かんでいた。
「実際は一、二歳下なんだろ」
ジャンの言葉にアドリーヌも、こくこくと頷いた。
二人とも、普段からの言動で明らかだ、という顔をしている。
流永は口をへの字にして不服そうな顔をした。
「心外だなぁ。えーとね、確か今より七歳くらいは上だよ」
流永の言葉に、ジャンとアドリーヌは顔を見合わせた。
二人は少しの沈黙の後、声を上げて笑い出してしまった。
「面白い冗談だなッ」
「そんなわけないでしょ」
二人はおかしそうに笑っているが、流永は真顔である。
信じていないようだ。
しかし、流永はそれ以上の弁明はせず、ジャンの顔をじっと見ていた。
少しして、笑っていた二人は流永が嘘を言っている気配が無いと気づいたらしい。
笑うことを急に止めた。
途端、静寂が訪れた。
この夫婦は相変わらず息が合う。
二人は顔を見合わせ、
「おい……、まさか?」
と、流永と対面しているジャンが訊いた。
流永は返事をせず、にこにこ笑うのみである。
ジャンは訝しむように流永を見て、
「お前のいうことが正しいとすると……俺等より歳上ってことになるよな」
と、まるで割れ物に触れる如く慎重に訊いた。
「正確な年齢はわからないけどね」
流永はあどけない声でいった。
「とても歳上には見えないんだが」
「三つ子の魂百まで、っていうだろ」
たとえそうであっても、それは人間の根幹の部分であって、日々成長し得る精神や性格といった部分は含まないであろう。
ましてや、人間社会において、人がましく生きてゆけば、幼稚性は失われていくものだ。まあ、たしかに流永は学院に入るまで老人と二人暮らしだったが。
「そうじゃ無くて。お前のそのガキっぽいところを言ってんだ」
と、ジャンの指摘に、流永はニヤニヤ笑ってまた別のことを言った。
「僕はね、大人になりきった男なんて嫌いなんだよ」
だからいつまでも子供っぽいままだというのだろうか。
流永は眉をひそめるジャンとアドリーヌに、
「まあ、俺ァ元々おかしい人間だからな。あまり気にすんな」
と、流永はひとり大声をあげて笑った。
——ふっ
と、ジャンも同意を示すためか、軽く笑い、
「ああ、そうだな、異世界から来たっての抜きにしても、お前は意味がわからん」
と、いった。
彼の頭に、子供のような笑みをする流永と、寿限無を唱えて上級生をいなした流永の姿が浮かんでいた。
また、それを聞いて流永はさらに呵呵と笑った。
ジャンも同じく声を上げて笑った。
二人は似通っていないが、前に述べた通り、不思議とうまがあった。
ジャンはいくつか異世界のことを質問し、流永はそれに答えてやった。
「そうだな、大きく違う点でいえば、魔法は無いし、エルフ等々もいない。知的生命つったら人間だけの世界さ」
ジャンは目を見開いた。
「ならどうやって生きている」
この世界は、魔法が生活の奥深くまで入り込んでいる。
ジャンは、その魔法がない世界というものが、どうにも想像できなかった。
「そりゃあ、科学よ」
「科学ゥ?」
なんだそれは、とジャンは首を傾げた。
「俺も苦手だったからよく分からんが——」
流永も、説明しようとしたが、いい言葉が浮かばず、唸り声を上げながら首を捻ってしまった。
「説明しにくいことなら別に他のことでもいいんだが……」
「いや、そうだな、簡単に言えば魔力みたいなものだよ」
「つまり?」
「この世のあらゆる物は細分化していけば、分子、原子と凄まじく小さいものになっていく。世界から俯瞰したところの砂粒ほどのもんだ。そして、それらの反応によって、鉄は錆びるし木を熱すれば火がつく。それに鉄鉱石を綺麗な鉄にするのもたしかそうだったはずだ」
ただ、魔力も原子や分子のようになっているかは知らないが。
「すなわち、それがお前等の魔法ってことか」
「そんな感じだね」
存在しないものを説明するのは難しい。
そういえば、ヨーロッパのあたりの誰かが、高度に発達した科学は魔法と区別がつかない、と言っていたと聞いたことことがあるし、まあいいだろう。
と、ジャンと流永で盛り上がっている中、一人蚊帳の外に置かれて不貞腐れた面をしている者がいた。
「随分と楽しそうですね」
アドリーヌは、むすっとした顔でいった。
「私も混ぜてよ」
貴族の言葉が苦手なのか、時々言葉が乱れる。
まあ、それならジャンの敬語なんて一度も聞いたことがないのだが。
「おお、そうだなッ」
と、ジャンは「わるいわるい」と大仰に頷き、手を伸ばしてぐいっとアドリーヌの肩を抱き寄せた。
ぴたり、と二人の肩が密着した。
アドリーヌの頬が赤みを帯びた。
「こっからは酒でも酌み交わそうぜ」
ジャンは先程から手に持っていた酒瓶をテーブルの上に置いた。
「コップは?」
「ある。アドリーヌ」
円筒状の何の変哲もないグラスが三つ、三人の前に置かれた。
流永はグラスを手に取った。
全面にくぼみがいくつもつけられている。
「ほら」
と、ジャンに促され、お酌してもらった。
「おう、わるいな」
流永はケタケタ笑った。
まだ飲んでいないにも関わらず、既に酔ったかのように浮ついている。
流永もまた楽しいのだ。
「王子様のお酌たあ、豪勢だッ」
「そうだとも、ありがたく味わえ」
「お姫様のもあればいいんだけどな」
「馬鹿いえ、そりゃ俺のもんだ」
そこまでいうと、二人で馬鹿笑いに笑った。
流永は酒の入ったグラスを透かすように見ている。
(久しぶりだな)
流永は酒を飲んだことがある。
シュルスレーにいた頃、何度か買って飲んだ物だ。
リーウィアが来てからは控えるようになったが、あの酩酊感はいいしれない気持になる。
流永は一杯呷った。
「じゃあ、今度はこっちが聞いてもいい?」
と、何か企んでいるような笑みをした。
「いいぞ」
ジャンは顎を引いた。
「それじゃあ、お前さんらの馴れ初めが聴きたいな」
「俺たちの?」
「うん」
「別に面白くもなんともないぞ?」
「聞きたいから」
「……そうか、わかった」
と、ジャンはアドリーヌの肩を抱きつつ話し始めた。
「あれは爺さんの所から戻って一ヶ月ぐらいの時だったか……。ああ、爺さんってのはノーステール公のことだよ。それで——」
と、ジャンは、アドリーヌに縁談を申し込むところから話し始めた。
そして、数回の顔見せの後、やっと結婚を果たしたこと。
「——と、色々あってこうなってるのさ」
と、ジャンは説明が終わると、アドリーヌの顔を引き寄せ、
「えっ……」
ちゅ、と口づけた。
アドリーヌは目を見開き、顔は一気に火照った。
両手で頬を押さえた。
「な、何するのッ、ひ、人前で!」
ジロリ、とジャンを睨んだ。
しかし、彼女は厳しい目つきをしながらも、口角が弛んで幸せそうな顔をしている。
この二人は遊びに来たのか、いちゃつきに来たのか。
「まあまあ、いいじゃないか、見せつけてやろうぜ」
ジャンはニヤニヤ笑いながら、妻の頭を撫でて宥めた。その手つきは絹を撫でるように優しい。
「他に聞きたいことはあるかい?」
ジャンは流永の方を向いた。
流永は、何を思ってか、ニコニコ笑っている。
「じゃあ、お国自慢でも聞かせてよ」
「おう、わかったッ」
ジャンは勢いよく頷いた。
と、風が一陣、窓を揺らした。
外は一面の闇である。
夜も更けた。
しかし、流永の部屋の灯火はいまだ消えない。
流永は、目の前のバカップル二人を眺めながら、酒を啜っている。
「お前の国の話も聞かせろよッ」
ジャンがいった。
流永の元いた世界のことだけでなく、生まれ育った国のことを聞きたいらしい。
「おうッ」
流永はグラスを傾け、中の酒を一気に干した。
テーブルをちょんと叩いた。
講談師にでもなったつもりなのだろうか。
「それじゃあ、日本の話をしましょうかッ」
流永は酒の勢いもあり意気揚々、いつになく饒舌をふるった。
部屋の灯は三人の顔を照らし、しばらく消えそうにない。




