第四十三部 準備
「飽きた」
アドリーヌが来て半月ほど経った頃、流永は突如そういった。
「何に飽きたんだよ」
ジャンが問うた。
「生活」
流永は机の上に、ぐでー、と伸びている。
「それだけじゃわからねぇよ」
「毎日がつまらん」
流永は大きくため息を吐いた。
アドリーヌが来て、はじめのうちは面白かったが、慣れるとそうでもなくなる。
そもそも、授業が退屈だ。
魔法の授業といえば、週に一、二回しかない。
「なんで毎日毎日、文字とにらめっこしてなきゃいけないだぁ」
流永は愚にもつかない言葉を吐いている。
「当然だろ。学校は教養を身につけるための場所だろうが」
ジャンは吐き捨てるようにいった。
流永は机に頬をつけてふくれっ面をした。
しかし、ジャンの言う通りだ。
学院はノーステール公が、領内の子女に一般教養を身につけさせるためにつくったものだ。
元々、貴族専用の学校はあったものの、庶民も通える教育施設はなかった。
大体の国はそうだ。
平民は家業を継いでいれば良い、という考えがある。
大陸中央付近にある共和国などは、その社会体制から学校には誰でも入れるが、それなりの金が必要である。
流永の所属する高等部も金がかかる。しかし、初等部は指定する範囲内に居住する者ならば学費免除、しかも昼食までついてくるという、この世界で見れば、かなりの先進性を持っていた。
全てノーステール公の政策である。
王国内のことではあるが、前国王が彼に全幅の信頼をおいていることは前に述べた。国内の学院のほとんどは前国王の時代に造られたものだ。
流永も街を歩いていると、時々その名を聞く。
その功績も耳にし、流永は会ったことがないにも関わらず、彼に、英雄的な、魔王のような印象を受けてしまっている。
流永はふと、手で顔を扇いだ。
この頃、少し暑くなってきた。
彼はしばらく、机の上にうつ伏せになっていたが、ふと、何か気づいたのか、勢いよく起き上がった。
「なあ、王子様」
「どうした」
ジャンは苦笑しつつ、流永の方を向いた。
何度かやめるよういったものの、流永はいっさい気にせず呼び続けるため、もう諦めたかたちになっている。
「後少ししたら首都に行くんだろ」
「おう」
「連れてってよ」
流永は愛嬌のある微笑をした。
ジャンは一瞬、流永から目を外した。
その笑顔は、なんとも言えない人を惹きつけるような魅力がある。
ジャンは小さくため息を吐いた。
(どうにも)
彼の顔を見、
(敵わないなぁ)
と、思いつつ不思議にも思った。
流永はよく子供のように笑うが、それはどこか、言葉にならない魅力があるように思える。
まあ、ジャン自身それが何か全く掴めていないのだが、とかく彼の願いを叶えてやろう、とそういう気になってしまう。
「リュウエイ」
ジャンも微笑をした。
彼も彼で、その美貌が映え、絵画のような美しさである。
「お前は得な奴だよ」
流永は首を傾げた。
いまいち言われたことがよくわかっていないらしい、が首都へ連れて行ってくれることはわかったようでニコニコ笑顔になった。
「副長さんいるかな」
弾むような声でいった。
騎士団副団長シャリアのことである。
「ああ、副団長のこと」
ジャンは察しがいいのか、流永の思惑の中の人物がわかったようだ。
流永は、当たり、と言わんばかりに、こっくり頷いた。
と、流永はジャンとの話が済んだと見れば、
「なあ、リー!お前はどうする」
と、すぐに顔の向きを変え、リーウィアの方を向いた。
「何を?」
彼女は当然何のことかわからず戸惑った。
「王子様と首都に行くんだけどお前も行くか?」
「え……、ちょ、ちょっと待って!」
リーウィアは唐突にそんなことを言われ、さらに困惑した表情をした。
「俺がいない間どうする。レイちゃんに預かってもらうか」
流永は勝手に話を進めた。
現在、リーウィアと流永は一つ屋根の下で暮らしている。
料理など家事は、流永が面倒くさがって大体をリーウィアがこなしている状況である。
ただ、まだ十一歳であり、彼女を一人家に残すのはさすがの流永も憚るおもいがした。
そこで、仲のいいレイの家に下宿すればいいのではないか、と思ったのだ。
「なんか勝手に話が進められてるような気がするけど……」
レイは呆れ顔でそういったものの、
「でも、まあ、楽しそうだなぁ」
ちょっと長いお泊まり会のようなもののように考えているのか。
レイは夢を見ているように、顔を少し上へ傾けた。
「それとも一緒に来るか」
「えっ、えっ?」
前兆などない。急に言われたのだ。
リーウィアは一生懸命考えているらしいが、焦ってしまって思考がまとまらない。
「出発はあと半月も先だからゆっくり考えればいいさ」
ジャンが優しくそういった。
彼は、容貌も見惚れるほどだが、性格も爽やかで人を人くさいと思わず、初対面で彼を嫌うような人はまずいない。
「じゃあ、あの、考えますッ」
ジャンが偉い人、と聞いているので、リーウィアは少し緊張気味に答えた。
ジャンは優しい笑みで頷いた。
「そういえばよ」
と、流永は話題を変えた。
身体が凝ってきたのか、立ち上がって背伸びをした。
「十一月くらいになんかあるんだろ?」
「ああ、競技大会のこと。あれは十月だな」
流永は、それだッ、と人差し指を立てた。
「学校いってなくても出たいから何とかしろ、と?」
ジャンは察しがいい。頬杖をつき、ため息を吐いた。
「そうだね」
流永は頷き、お願いね、と両手を合わせペロッと舌を出した。
「わかった、なんとかしてやる」
ジャンもまた、この大会に王族として、生徒として参加する予定であった。
その競技大会。
勉強尽くしの学生生活では、唯一といっていいほどの巨大なイベントである。学院対抗で、個人戦と二人一組のチーム戦がある。
有り体にいえば、武術試合のようなものだ。
国内の生徒が首都に一堂に会し、当日はすさまじい人混みができる。
元々は、各地より選抜された生徒を騎士団なり中央の官僚なりにスカウトするために、特別授業と称し、首都に集めたのがきっかけであったが、当時ノーステール公の側近であった者が発した意見が元で、現在の学院対抗試合の形式となった。
「それとさ」
と、流永にはまだ願い事がありそうである。
「まだあるのか」
と、ジャンは驚いてみせたが、内心、金の無心かな、と思った。
(まあ、それもいいか)
貸しても構わないと思った。
下手な奴に金を貸してしまうと、それが習慣化し、何度もせびってきたりもするが、流永なら大丈夫だろう。
何が、とはいえないが、たとえ、重ねて無心してきたとしても貸してやろう、そう、ジャンは思った。
彼に投資しておいて損はない、という政治家としての勘である。
ジャンは、流永が人には見せぬ何か巨大なものを持っていると思うのだ。
それは、ログライツと戦った時(ジャンは副団長経由で詳細を伝え聞いている)の勇気か、上級生にじゅげむを唱えた機智か、とかく流永には期待するところがある。
ジャンは、「さあ、こい」と若干胸を張って流永の次の言葉を待った。
しかし、流永は彼の思惑とは全く別のことを言った。
「手形ちょうだいよ」
「……なに、手形ぁ?」
ジャンは思わず顔をしかめた。
「国の中で通じりゃ、それでいいからさ」
「一体、それを何に使うんだ」
と、ジャンが問うと、流永はさも当然といった風に、
「もちろん、旅するんだよ」
「はぁ……」
ジャンは返事ともため息ともつかない音を出した。
「金はどうする」
旅をするなら、よけい必要だろう。
「大丈夫、あるから」
流永は微笑った。
育ての親である老人か、あの小さい老人、どちらかはわからないが、この街に来た時、彼にそれなりの金子を渡していたところ、それなりに金はあるようだ。
旅費ぐらいはあるだろう、と思っている。
「そうかい」
金の出所が気にはなるが、そうずけずけと他人の内側を覗きたがるような性格をジャンは持っていない。
旅費が足りなくなったら自分が出せばいいと思っている。
突如、流永が身体を曲げた。
と、思えば、
「わっーはっはっはっ!」
大口開けて鐘が鳴るように激しく笑った。
「ど、どうした」
ジャンは驚いた表情をした。
同じ教室にいるレイ達も、また同じ顔をしている。
「いや、」
流永は胸を張り、一瞬目線を天井に移した。
「おもしろくなってきたなぁ、ってね」
再びけたたましく笑った。
(掴みどころのない奴)
教室中呆然となる中、ジャンは、かろうじてそんなことを頭に浮かべた。




