第四十一部 王族
彼女が去った後、クル——ジャンがのこのこ帰ってきた。
「あいつは?」
「ここにはいないってどこか行っちゃった」
そう流永が言うと、ジャン安堵したのか一息吐いた。
「どうやって誤魔化した」
あいつは勘がいい、とジャンは付け加えた。
「ああ、それは……」
と、流永はレイの一件をいった。
放屁の法螺のことだ。
その話を聞いたジャンは、はじめ体を曲げ、くつくつと笑いを抑えていたようだったが、とうとう我慢できなくなり、
「あーはっはっはっ」
腹を抱え、大声を出して笑った。
「我ながら傑作だろ」
流永も、にやにや笑った。
アドリーヌにすでにバレていることは、おくびにもださない。
ジャンはしばらく笑い転げ、やがて、それがおさまると、
「そういえば……」
と、首をまわして教室を見渡すように見た。
「レイ。ちょっとこっちに来てくれないか」
レイを呼んだ。
「は、はいっ」
レイは緊張からなのか、挙動がぎこちない。
「な、なんでしょうか……」
「あっはは、今まで通りでいいよ」
「そうは……いきませんよ」
レイは、やや伏し目になっている。
まあ、そうだろう。庶民が貴族、それも王族と友達付き合いするなど聞いたこともない。
領地がシュルスレーのみとはいえ、彼の父親の身分は伯爵よりも高い。
ジャンは流永へ目線を変えた。
彼は、王族と庶民がすぐさま馴れ合う関係になれないことぐらい知っている。
彼は夢想主義者ではない。
ただ、流永へはそれができるという期待があった。
「お前はどうよ」
「そりゃあ……」
と、流永はここまでいったとき、はっ、と何かに気づいた顔をした。
流永は何を思ったのか、身を後ろへずらしてジャンから遠ざかった。
彼は子犬が主人を見るような目をして、
「いや、まさか貴方様がジャン閣下だったとは……」
肩をすぼめ、ことさら慇懃な態度をつくり、
「え、今まで通り?いやいや滅相もない。閣下にそのようなまね、畏れ多くてできませぬ」
と、最後には、地面にひざまづいてしまった。
しかし、一連の仕草ことごとく芝居くさい。
ジャンは呆れた顔をした。
「今までのご無礼、どうかお赦しくだされ……」
と、流永はなおも続ける。
「今気づいた感じはやめろ。そもそも、わざとやってるだろ」
「いやいや、まさか……」
と、流永は頭を少し上げ上目づかいでジャンを見てみると、彼は口をへの字にして流永を見下ろしていた。
「俺は騙されないぞ」
とでも言いたげな顔である。
流永は深くため息を吐いた。
そして、
——チッ
舌打ちをした。
「はぁ〜あ。少しぐらい騙されろよ。つまんねぇ」
流永は顔をしかめて、演技した甲斐がねえ、とあぐらをかき、膝の上にひじを乗せ、頬杖をついた。
ついでに、そっぽも向いている。
この態度の変わり様。
まばたきする間もないほどである。
「さすがに変わりすぎだろッ」
ジャンが驚いた顔でそういうと、流永はしかめた顔をさらに歪め、
「わかったわかった。こう言えばいいんだろ、ばーかばーか、しね、かす」
と、単純直截な罵倒をぶつけた。
「なんでそうなるんだよ」
そう、ジャンが首を振ると、
「これは俺からの愛のしるしだ」
「意味わかんねぇよ」
「テメェが王族だろうといつも通り接してやるって言ってるんだ」
「それ、俺のセリフじゃねぇの」
「そんなことは知らん」
流永は腕を組み、ジャンと睨み合った。
ジャンも負けじと倨傲の体をつくり流永と張り合った。
レイたちはこの状況を黙って見守っている。
二人はしばらく睨み合っていたが、ふと流永がぷっと息を吐き出し、
「アーッハッハッ」
二人同時に大笑した。
レイは二人の間の機微がわからず、首を傾げた。
「さすがリュウエイ。俺の見込んだ通りの男だ」
ジャンの期待通り、貴族だろうが王族だろうが流永には態度を変える理由にはならないらしい。
流永は大笑したあとも、ニヤニヤ別の意味で笑っている。
よっこらせ、と立ち上がり、
「なあ、王子様」
と、ジャンのことをそう呼んだ。
クルとジャンで名前がごちゃごちゃに混じって面倒くさくなったのだ。
王子様と呼ぶのが、何かと彼に合っているし、わかり易い。
ただ、彼自身そう呼ばれるのはあまり好まない。
「いや、王子様はやめてくれ」
ジャンがそう言うも、流永はすでに彼のことを王子様と呼ぶと決めてしまっている。
「いいや、お前は王子様だ、誰がなんと言おうと王子様だ」
流永は、強引に彼を王子様と呼ぶと宣言してしまった。
ジャンは苦笑しかない。
「まあ、ともかく」
と、流永は話題を変えた。
「王子様、さっそくだけど……」
ジャンは流永が何を言おうとしているのかわからない。
流永は手を合わせ、拝むような仕草をした。
「ごめんね」
「は……?いや、もしや」
ジャンは馬鹿ではない、むしろ秀才の部類だろう。
流永の急な謝罪に一切を悟った。
「それってもしかして……」
「ええ、そのもしかしてですわ」
背後の窓に己が妻の顔が湧き上がるように浮かんでいた。
「うわァァァ、出たァァーッ」
ジャンは飛び上がって目の前にいた流永に抱きついた。
「そんな……化け物みたいに驚かなくてもいいでしょうに」
アドリーヌは少し悲しそうな顔をしたが、ジャンはそんな彼女の心情などお構いなしに、
「お化けだァーッ」
と、流永に抱きついたまま恐ろしいものを見るような目をして叫んだ。
アドリーヌは彼の追い撃ちにさらに落ち込む……なんてことはなく、そもそも夫を探して烈火の如く教室に乗り込んだ彼女である。
きっ、と目元を鋭くすると、
「そうですか。旦那さま、今そちらに行くのでちょっと待っててくださいな」
と、声だけ優しくしていった。
するとアドリーヌはしゃがみ、この穴ですわね、と彼女もジャンがしたように壁に開いた穴に身体を突っ込んだ。
しかし、
「あれっ、ちょ………」
彼女の身体が半分ほど通ったあたりで詰まってしまった。
いや、詰まったというより引っかかったという方が正しい。
蹴り破ってつくった穴だけに周囲はギザギザ尖っている。それがドレスのヒラヒラを引っかけたのだ。
一同、困惑。
流永は目を半目にし、
「なあ、お前の嫁さんってお転婆なの?」
と、訊いた。
「かなりのお転婆だな」
ジャンはアドリーヌを見下ろすばかりで、手を貸そうとしない。
やがて、彼女は自力で穴を通り抜けた。
無理矢理通り抜けただけに、ドレスの所々が破れてしまっている。
「ハァ……」
アドリーヌは大息をついた。
「少しは手を貸しなさい」
「ええー……」
ジャンはいやな顔をした。
「お前のお転婆に一々付き合っていたら俺の身が持たないよ」
ジャンは、自分で抜けられたじゃないか、と意地悪く笑った。
「貴方も助けてくださいよ」
彼女は流永にも水を向けたが、
「僕が約束したのは黙ってることだけですしぃ」
流永は無邪気な笑みをして答えた。
アドリーヌは二人の回答に眉間にシワを寄せて困った顔をしたが、すぐにジャンの方に向き直し、
「ともかく、なんで私に黙って学院に通っていたか。説明してください」
といった。
ジャンは、その質問を聞いて面倒くさそうな顔をした。
「だって、お前。俺が学院行くって言ったら、ついてくるって言うだろ」
「言いますわね」
「夫婦揃って登校とか恥ずかしくて死ぬわ!」
ジャンは吼えた。
ただ、理由は他にもあるらしく、
「それに、貴族だってバレたくねぇから身分隠してたのによ」
「なんでそんなこと……」
「なんでって……レイみたいになるだろうからさ」
ジャンはレイを顎で指した。
彼女は伏し目になって縮こまっていた。
「まあ、権威とか興味なさそうなのがこいつ含めて三人いるからいいんだけどよ」
と、今度は流永を指さした。また他の二人はサメラとルイのことだろう。
「それにお前……涙もろいからなあ。すぐ泣くだろ」
「な、それは関係ないでしょう!?」
思わず人に知られたくないことを吐露され、アドリーヌは恥ずかしそうに顔を赤くした。
だが、ジャンは淡々と続ける。
「大ありだ。あと少ししたら俺は(首都)イアエラに戻らなきゃならないからな」
ジャンはアドリーヌから目を逸らし、窓の外の景色を見つめた。
「俺は別にお前一人残ってもいいけどよ、俺が色々やってるのに自分は学院で友人と遊ぶなんざ、お前自身が許さないだろう」
ちらり、と優しい目で妻の顔を見やった。
責任感が強いのだ。
あと一ヶ月もすれば、ジャンは若年ながら、不安定になりつつある国政の手伝いに行く。
アドリーヌとしては、自分一人そんな重圧から逃れて学院で過ごすなど、ジャンがいいと言っても己自身が許さないのだろう。
アドリーヌはバツの悪そうな顔をしている。
確かにジャンの言う通り、イアエラに行くことは聞いていたし、ついて行くことも決めていた。
彼女はどこまでもこの夫を佐けていこうと思っていた。
惚れぬいている。
ただ、それはジャンも同じであった。
でなければ、ここまでアドリーヌのことを理解はしていないだろう。




