第三十七部 王国のこと
三方を畑に囲まれた集落がある。残る一方は、川とその向こうに連なる緑の山々。
一見、のどかな田舎である。
だが、よく見れば他の村とは比べものにならないほど人が激しく出入りし、熱気が立ちこめている。
ここはイージタート、と呼ばれている。
現在、三集会の本部として、この集落始まって以来の活況を示していた。
三集会……この名は、流永はあの脱獄事件で初めて知ったが、三集会はその全身組織まで含めれば数百年の歴史がある組織である。
流永のいる、このルートレイグという王国は北と南で宗派が異なっており、北は大恩正義派、南はルキス正教の信徒が多い。
ただ、王家は代々大恩正義派であり、宗派の違うルキス正教の人間は冷遇されてきた。
南部のルキス正教の人々は、なんとか発言力を得ようと集まった結果、三集会の全身組織であるシュルエ同盟が出来た。同盟の名称は同盟結成の地に由来している。
この同盟は南部三州、ランカブルク、プラハーバ、スルーエを巻き込んだかなり巨大なもので、この同盟には正教派の貴族も参加しており、結成以降、中央の王家に対してそれなりの発言力を有してきた。
しかし、時を経るにつれ、同盟内の貴族が宮廷の大臣などに近づき利益を得るようになると、彼等は領地経営よりも権力闘争に明け暮れるようになり、貴族と民衆の溝は深くなっていった。
そして、昨年、両者の溝を決定的にする事態が起こった。
南部一帯を襲った不作である。
農民は農産物がとれず、喘ぎ苦しんだが、彼等の領主である南部の貴族達は自分の領地の農民よりも己の利益を守ることに奔走し、領民への支援は僅かにすぎなかった。
そのことを知った領民及び同盟内の非貴族たちは憤激し同盟は解散、新たにミスト・ニーナという民衆からの人望が厚かった若い神父を当主に戴き、先に挙げた南部三州という意味の他に、農民、商人、神父の三つの階級が一致団結するという意味も入れ、三集会という組織が誕生した。
その三集会の本部であるイージタートには、大きな建物は、集落の中心に聳える教会以外、存在しない。他は平屋か二階建ての建物ばかりである。
その内の一つ、平屋の建物に入る影があった。その影は神父の格好をしている。
中は薄暗い。
彼が建物の中に入ると、すでに先客が椅子に座っていたようだ。
先客は鳶のような目で、ギロリと睨んだ。
神父もその人物を認識し、声をかけた。
「貴方の娘さん、無事に着いたそうですよ」
と、丁寧に言った。
二十代後半ぐらいだろう。糸目で常に笑っているような柔和な顔をしており、物腰柔らかく穏やかな雰囲気をまとっている。
神父は近くにあった木の椅子に座った。
ギィと木が軋んだ。
そして先客に顔を向けた。
「まさか、貴方が捕まるとは思いませんでしたよ」
「…………」
と、その先客は睨んだまま厳のような顔を神父に向けて黙っている。
彼は三集会幹部ログライツ・ヴォーパラー、先日脱獄騒ぎを起こし、実の娘リーウィアを流永の所へ赴かした張本人である。
どっしりと椅子に腰掛けている。
また、彼に質問する神父も尋常な者ではない。
神父の方はミスト・ニーナ、三集会首席として名実ともに三集会のトップを務める男だ。
「……そんなに、信頼できる御方だったのですか」
「ああ」
ログライツは腕を組み、ミストから顔を逸らした。
ミストは微笑した。
「なるほど。貴方がいうなら、立派な御方なのでしょうね」
と、穏やかな顔をログライツに向けた。
そのミストの反応に、ログライツは無愛想に、ふん、と鼻を鳴らしただけである。
ミストは誰にでも分け隔てなく接し、その優しげな雰囲気もあり、様々な人から好かれているのに対し、ログライツの評価は変人で通っている。
彼は無愛想で必要なこと以外ほとんど喋らず、側から見れば何を考えているか全くわからない。嫌われているわけではないが、かといって好かれているわけでもなかった。
ただ、ミストだけはログライツにとって唯一と言っていいほどの理解者であった。
この二人は三集会に入る前からの付き合いがあるのだ。
「要件は?」
ログライツは、ミストが娘のことで話しに来たのではない、と知っている。
水を向けられたミストは暗い顔をした。
「あの人の言う通りでしたよ……」
ログライツも顔を険しくした。
「まだ正確な数はわかりませんが、結構な人数のようです……」
三集会と王国が対立関係にあることは常々言われている。
しかし、三集会の上層部の方針は一律して不戦であり、対話による解決である。
つまり、ここにいるログライツ、ミスト、及び他数名の幹部達である。
——チッ
ログライツが虚空に向けて舌打ちをした。
要件とは、三集会内部に王国との戦争を望む者がいるということである。
彼等、内通者(ジファクトやミストは戦争を望む者達をそう呼んでいる)達は他の三集会の人間に、
——王国は我々を見捨てるつもりだ
——王国頼むに非ず、独立して我々で自由を得ようじゃないか
などと、吹聴してまわっているという。
すでに三集会の一部でその声に同調する者も現れ始めている。
「………」
ログライツは、木の地肌が剥き出しになった壁を、睨むように見つめている。
王国内では昨年から不作が続き、南部の領主である貴族達は己の権益を守ることに走り支援は僅かででしかなかったことは前に述べた。だが、現国王の弟、アーノルドが人格者で、身銭をきって困窮する人々へ食料などの物資を大量に送り続けており、農民達はそれで食い繋ぐことができた。
三集会も、ともすれば暴動を起こしかねない農民達をなだめたり、食料を分け与えたりと、慰撫に努めてきた。
また、アーノルドと三集会は頻繁に連絡を取り合い、どうにかしてこの事態を穏便に済ませようと対策をしていた。
ちなみに、彼等が王国との不戦を望むのは王への忠誠からではない。
大陸北部のほとんどを有する帝国の存在である。
帝国は南下政策を国是としており、ここ数十年でも幾つかの国が帝国によって滅亡した。
そして現在、この帝国の領土と面しているのはルートレイグ王国なのである。
もし、「内通者」の言葉通り王国内で反乱でも起こしたらどうなるか。
国内は名状しがたい混乱に陥り、帝国はこの機を逃さず侵略してくるであろう。
そうなれば、王国は北と南で板挟みとなり、庶民は飢えと反乱・戦火による混乱の渦中に巻き込まれてしまう。
(そうなれば尋常じゃない数の死者が出る)
一体、誰が混乱を引き起こそうとしているのか。
ジファクトはその「内通者」達に見当がついていた。
帝国ではない。もし手を出すにしても、国内の混乱が目的なら領土を面する北側でもいいはずだ。
(おそらく、手引きは教皇庁……)
正教派の、である。
元々、南部三州はルートレイグ王国ではなく、ルスルト王国という独立した国であった。
まあ、そうはいっても四百年ほど昔の話ではあるが。
と、いうのも約五百年に魔術師を中心とした農民や獣人など亜人を巻き込んだ大規模な反乱があり、ルキス教はその反乱の余波を受け、大きく三派に分かれた。
正教派、大恩正義派、一点派。
ルスルトは正教派に属し、ルートレイグは大恩正義派に属した。
そして四百年ほど前、ルートレイグはルスルトの後継者争いに介入、そのまま強引に占領し、新たな領土に加えたのだ。
元々、ルスルトは肥沃な土地なのだが、小国故に他国に侵略される危険性を常にはらんでおり、彼等は自衛策として教皇庁へ莫大な献金を行い属領的な立場になることで自らの保全を考えた。
当時、ルスルトの国境は北部に位置するルートレイグを除き全て正教派の国々であり、まさか自らが信仰する宗派の総本山に喧嘩は売るまい。
唯一ルートレイグは大恩正義派であるが、もしルスルトがこの国に占領されるとなれば教皇庁は巨大な収入源の一つを失うことになり、当然、教皇庁はそれを嫌がって諸王国へ、ルスルトを救援するよう命じるであろう。
大陸中部には大恩正義派の国家はルートレイグ一国しかなく、まさか一国で周辺の国々を相手するような馬鹿はしないはずだ。
と、当時は思われていたのだが、ルートレイグはルスルトで起こった後継者争いに介入、その争いに勝つと、そのまま属領化、そして自らの領地としてしまった。
巨大な収入源を奪われたくない教皇庁は、周辺諸国に呼びかけ何度か征討軍を結成したものの、全てにおいて敗退、征討は失敗した。
そして、ルスルト王国があった地はルートレイグの領土の一部となった。
(まだ諦めてなかったのか)
ジファクトは呆れる思いがした。
もう四百年も昔の出来事である。
占領した当初こそ彼等は取り返そうとしていたが、ここ百年はそんな話聞いたことがない。
ちなみに、大恩正義派は北部の諸宗教を取り込み、やや多神教の雰囲気がある。その為か、彼等は他の宗派に対して明確な敵対意識は持っていない。
ただ、正教派からの一方的な嫌がらせもあり、教義面ではなく感情的な面で彼等を嫌悪しているのはあるが。
三集会も、その全身組織の時代から今まで正教派が多数を占めているが、大恩正義派を憎むような者はほとんどおらず、長い年月を経て、彼等のことも受容している者が増えてきているのだ。
あと、アーノルドと三集会は親密とはいったが、他の貴族、主に南部の貴族達には三集会のことは嫌われており、ログライツが囚われの身となったのも彼等の策謀の内であろう。
リーウィアを手許から離したのも、王国との対立より内通者や貴族達に狙われ始めたからだ。
「とりあえず……」
ミストはこの場を去ろうと立ち上がった。
「私は彼等を宥めてみようと思います。貴方はもう少し詳しく探ってみてください」
ミストは去り際、よろしくお願いします、と軽く頭を下げた。
「わかった」
ログライツは低い声で頷いた。




