第十九部 街に下り
老人との試合より数日後。
「忘れ物はないな?」
「うん!しっかり確認したからね」
流永は肩にかけた鞄をポンと叩いた。
いよいよ今日、街に下りる。
流永十五歳。元の世界から年齢を数えると既に二十歳は越えているが、今の流永にそんなそぶりは一切見えない。
きっちり十五歳。いや、もう少し幼くも見える。
「それじゃあ、行ってきまーす」
流永はバイバイと頭上で大きく手を振った。
「気をつけろよ」
老人は手こそ振らなかったが、顔を粘土のように、やわらげた。
流永はうきうきと肩を弾ませて坂を降りていった。
城郭都市の入り口が河を挟んで両端にあることは以前触れた。
シュルスレーといい、東西を流れる河がその中心を流れる直径五百メートルほどの小さな街である。
しかし、この街は交通の要所でもあり、対岸への橋代わりや関所の役割も一括して兼ねているので、小さな街といえど、その殷賑ぶりはむしろ大都市よりも勝っているだろう。
流永は門番に交通手形を見せて中に入った。この交通手形は老人に貰った。
ちなみに、この街は河と垂直になるように穿たれた中央街道を中心にして、いくつかの街路に分かれている。中央街道は商店街となっており、そこから枝分かれするように伸びた街路は主に住宅街となっている。
時刻は丁度昼頃、街は荒れんばかりの賑わいぶりである。
流永はそんな雑踏をかき分け、とある街路に入り、ある一軒の家の前に立った。
人攫いの一件があった後も、流永は老人にせがんで、何度かこの街に入ったことがある。
ある時、この家の前に連れられ、将来学院に入るときにはここで住め、と老人にいわれていた。
「………」
以前は、ちらりと見ただけだったが、改めてよく見てみると窓が破れていたり壁に蔦が這ったりして、まるで廃墟のようである。いや、人が住んでいないから廃墟であっているか。
学院に入学する前に試験がある。小等学院には試験はないが、高等学院にはある。まあ、試験といっても魔法がどれくらい使えるかの検査だが。
なんでも先代の国王アルマ・ルートレイグの友人、ノーステール公の、できるだけ多くの子供に学問を、という意志だそうだ。
ノーステール公はルートレイグ王国の西にある。以前は王国の属領であったが、現在は王国を凌ぐほどの国力を持つ大国である。
公は自国で大規模な改革を行った後、先代の王が公に心酔していたのをいいことに、公は自分の領地のみならず王国についても色々口を出し、王もそれを容認していた。
先代の王は数年前に亡くなったが、公は隠居はしたもののその威望は今なお公国のみならず王国にも轟いている。
流永もこの街に来てから、ノーステール公という名を少なからず聞いていた。
(名君のようだ)
話を聞く限り良い話ばかりである。
(まあ、俺には関係ないな)
一介の平民である流永には家族など遠い存在である。
(それよりも……)
その検査は一週間後に行われる予定だが、それまでは掃除に追われるなあ、と思った。
幸い資金はある。
ここを出る時、老人が、銀貨五十枚と五銅貨百枚を渡してくれた。
大銅貨のことは以前に触れた。銀貨は一枚で五銅貨三十枚という計算である。
(雑巾とはたき、か)
流永は家の中には入らず、まず掃除用具を買うことにした。ついでに今日の昼食と夕食は街の出店で済まそうとおもった。
日が傾き始めてきた。
街路は未だ人々の喧騒が行きかっている。
流永は、街の中央の商店街で昼食を済ませてから、掃除用具を買った。
丁度、昼頃と時間も相まって、商店街は人間が荒波なようにひしめきあっていた。
流永は何度かこの街に来たものの、そこまでの勝手は知らない。掃除用具を売っている店を探さなければならなかった。
彼は、時には波に順じ、時には逆らいながら、やっとのこと、掃除用具の売っている店を見つけた。
見つけた頃は、既に疲労がすごかったが、山は登山するだけで終わらないように、ここで終わりではない。
「はぁ……」
ため息しか出ない。
流永は必要そうな掃除用具一式を買い揃えると、再び人の怒濤に揉まれながら、なんとか家の前に辿り着けた。
(明日で掃除終わらせて、残りの日で家具を買うか)
と、流永はこれからの計画を決めた。
普段はノリと勘で生きているような流永だが、意外にも計画を立てることが得意だった。
元来流永は頭の回転が速い。
不思議なことだが、彼は先のことを考え、予測できる頭脳を持っていながら、それを使うことがほとんどなかった。
むしろ先のことを考えないようにしていた。
これは性格によるものだった。
何でいちいち先のことを考えなきゃいけない、わからない方が楽しいじゃないか、と流永は思っており、実際に彼が考えるということはかなり少ない。
また、考えると疲れる、ということも理由の一つだった。
流永は家の中に入った。
(ひどいな)
くるりと周りを見渡した。
玄関の先は廊下で窓はない。部屋が左に二つ奥に一つあり、右手に階段が見えた。
ゴミはないものの、埃だらけで所々クモの巣が這っており、さながらお化け屋敷である。
流永はとりあえず荷物を置こうと、靴を脱いで中に入った。
玄関の構造を見るに、この家は欧米のように土足のまま家の中で過ごすよう造られているようだが、彼はどうも日本人の習慣が抜けないらしい。
流永は、うへぇと嫌な顔をした。
(とりあえず…)
と、流永は人差し指を立てた。
すると、そこから風が巻き起こり、廊下の埃やクモの巣は捕えられ、くるくると、一ツ所に集められた。魔術だ。
便利なものである。
流永はそのまま、手前の部屋の埃も風で一つにまとめた。
その部屋に荷物を置くと、彼はまとめたゴミを、手のひらの上でくるくると浮かべて外に出、そのゴミを家の傍の路地に、ポイッと投げ捨てた。
明日はこうやって家の掃除をするつもりだった。
流永はそのまま、ぷらぷらと街を歩き始めた。
商店街で夕食を食べるつもりだ。
陽は赫々と輝き、夜へと向かい始めているが、街はまだ、人々の喧騒にまみれていた。
(賑やか賑やか)
流永は喧騒に身を任せながら歩いている。
この街は休むことがないらしい。
流永の家の前などの街路はともかく、橋代わりにもなっている中央街道は、朝も夜も人というものが途切れることがない。
ただ、午後11時になると堀に架けられた橋が上げられ、門も閉まってしまう。
それでも、閉まった門内が静まることはなく、食いしん坊や酔い潰れが街中を闊歩している。
このシュルスレーという街は、交通の要衝であることは以前ふれた。
流永は埃を払った部屋で寝た。
翌朝。
街の街路はそこまで混んでいない。
ただ、人通りは多い。
老人とこの街に来た時も、決まって朝っぱらに来て、昼になる前に帰った。
流永は緩やかな人通りを進み、朝食を買って食べた。
中央街道の商店街には出店も多く、買い食いには困らない。
流永が買ったのは牛乳と、細長のパンにハムや野菜が挟まったものだ。
一口パンをかじるたびに、牛乳を一口飲む。
流永はまるで機械のように、パンがなくなるまで、その動作を繰り返した。
流永は朝食を食べ終わると、さっさと家に帰った。
これから家中の掃除をしなければならない。水拭きもするつもりで、流永に、朝の心地よい風に浸っている暇はなかった。
事実、この日は一日かかって、なんとか掃除を終わらせた。
風の魔術は大いに役に立った。が、水拭きは手動であった。
次の日も特に波瀾はない。
流永はこの日と次の日の二日間で、破れた窓の修繕と、家具の買い入れを終わらせた。
彼の計画性は高い。が、今回は、面倒だからさっさと終わらせよう、と思ったからのことで、前にふれたように、普段は考えて動くなんてことはない。
流永はようやく、人々で賑わうこの街の一員になった思いがした。
この街に来て既に三日が過ぎ、入学式までは、あと四日である。
朝食は相変わらず、商店街の出店で買ったのだが、
(めんどうだなぁ)
と思った。
家を出て買いに行くことがである。
家に、古びているがまだ使えそうな、かまどがある。
料理をしよう、と流永は決めた。
流永の料理経験は、前の世界にいた時と合わせても、わずかだが、持ち前の楽天的な性格とカンで、なんとかなるだろう、と思った。
流永はそうと決めたら早い。が、食材を売っている店などは、朝はほとんど閉まっている。
出鼻をくじかれるようだが、一度家に帰って、出直すことにした。
昼になった。
中央街道は人々の熱気で湯気が立つほどの賑わいようである。
流永は人の波に押しつぶされそうになりながら、目当ての食材を買い集めた。ついでに調理器具も買い込んだ。
さて帰ろう、とおもったが、今の流永は両手に、食材がたんまり入った袋を持っていた。中には卵も入っている。
この人混みの中でこわれやすい荷物を持って歩くとどうなるか。答えは明白だった。
それに、またこの人混みに入ることは億劫だった。
流永は、街道を外れ、路地に入った。家の近くに路地の出口があり、そこへ向かおうとした。
まさか、人攫いに会うことはないだろう。もし会ったとしても、今の流永なら負けることはない。
以前と変わらずここは、薄暗く、ゴミが散乱して異臭を放っていた。
異臭は我慢するしかない。
流永は気晴らしに鼻歌をうたいながら路地をゆるゆると歩いた。
路地は薄暗い。
流永は両手に食材と調理器具が入った袋を持って、ゴミを踏まないようにあるいていた。
歴史が繰り返されるように、個人の身に起こる出来事もまた、繰り返すのだろうか。
「おいッ!」
路地のT字路に差し込んだ時、急に呼び止められた。
流永が声をかけられた方をみると、若い、刈り上げをした男が、ナイフをチラつかせながら、こちらを見ていた。
流永は逃げようか、と他の道を見たが、どの道も3〜4人のチンピラ風の男がまとまって、塞がれていた。
(いやだなぁ)
流永は眉をひそめた。
この不良たち自体は弱いだろう。束にかかってきたとしても、流永はそれを打ち負かすに違いない。九歳の時とは違うのだ。
と、そんなことはどうでもいい。
気掛かりなのは両手にぶら下げられた荷物である。
卵の他にも、ぐちゃぐちゃになりやすい食材が、いくつかある。
さすがに、この食材を完璧に守り通すことは不可能であった。
(龍化を使って上に跳ぼう)
と、思ったが、その矢先に腕をガシッと掴まれた。
「いやっ……ちょっと…」
流永は困った顔で掴んできた不良を見たが、
「逃げんなよ」
と、不良は低くドスのきいた声を言い、刺すように睨みつけた。
「はぁ」
ため息しかでない。
まさか魔術を使うわけにもいかない。もし魔術だと気づかれたら学院には入らない。どころか明日から極悪のお尋ね者である。
「金目になるもの全部出せ」
不良達は必要なこと以外いわない。
今の流永の腰には、彼の持ちうる全財産が入った巾着袋がぶら下げられている。
さすがに、これを取られるわけにはいかない。
食材は諦めるか、と流永が失望しかけた時、
ドサッ
流永の目前に、不良の一人が勢いよく倒れた。それは、ノびている。
流永もそれを取り囲む不良達も、その一人が倒れてきた方向を見た。
「こらッ!寄ってたかって弱い人をいじめてッ」
そこには、短髪靡かせる少年がいた。
彼は人差し指を、ぴしりと突き出し、正義感に満ちた瞳で不良達と流永を見つめていた。
「あ゛あ゛?」
まあ、こんな宣戦布告に似た宣言をされてしまえば、不良達も黙っているわけにはいかない。
彼等は、その貧相な顔に影をつくり皆一様に彼を睨んだ。
少年の身長は百六十センチにも満たないだろう。
不良の一人が彼をせせら笑いながら、
「ハハッ、子供はこんな所に来ちゃいけないってぇ、お母さんに習わなかったかナァ!」
と、いきなり少年へ殴りかかった。
しかし、その拳はむなしく空振り、逆に体勢を低くして不良の懐に入り込んだ少年に、どかんと鈍い音と共に吹っ飛ばされてしまった。
少年は、その強い意志をまといながら、拳を前に押し出して構えた。
「さぁッ、ボクが相手だッ、かかってこい!」
不良達は、この少年がただのガキでないことに気づいたようだ。
今度は、流永を掴んでいる男を除いて、全員が彼に踊りかかった。
しかし、路地は狭く、二人並ぶのがやっとの広さである。
不良達は、ちょうど二列縦隊になって襲いかかる形となった。
こうなれば少年に利がある。不良達は窮屈に、しかも順番やってくるのだ。
不良達と彼の技量の差は先程確かめられた。
少年はその都度、彼等を蹴散らしていけばよかった。
「うわぁっ」
「ぐはっ」
不良たちは、狭い路地を固まって少年に向かっていったものだから、自由に身動きができない。
少年は、彼等を容易く、ちぎっては投げちぎっては投げ、と簡単に制圧してしまった。
「おいッ。その人を離せ!」
そして、最後の一人である、流永を取り押さえていた不良を指差した。
流永を押さえている男は、目の前の状況を見て、ぶるぶる震えていたが、小心者というのは追い詰められた時、飛躍してしまうものだ。
「こ、こいつの命が、お、惜しくないのか!」
窮鼠猫を噛む、という。
小心者というのは追い詰められれば、逃げるという安易な選択肢より、相手に捨て鉢くらわせる、という―不思議な―飛躍した論理にいきつきやすい。
男はまさしくそれであった。
流永から手を離して逃げれば、十分逃げられたであろう。少年は流永を助けにきたのであって、男を倒しにきたわけではない。
男は目の前で、大勢の仲間がたった一人の少年に倒されるところを見た。
元々気が立っていた男は、その、見た、ということで、今までは敵愾心だったその「気」が化学反応のように、恐怖に様変わりしてしまったのだ。
男はナイフの切っ尖を流永の首元に当てている。
「ひ、卑怯だぞ!」
少年は後ずさりして拳をゆるめた。
流永は為されるがままにされている。
無関心な目で少年と男を見た。
老人とドンパチやってきたのだ今更こんなのに怯えはしない。
男は恐怖か、もしくは自分自身の行動に驚いているのか、歯の根が噛み合わず、しきりとカチカチと歯を鳴らしている。
少年は男を睨みつつ、歯噛みしていた。
「はぁ……」
流永は右手に持っていた荷物を左手に持ち替えた。
「なあ」
と、首を曲げ男へ不気味な笑みを見せて、空いた右手で彼のナイフを持っている手を掴んだ。
「なん……ッ!?」
流永は思いっきり頭を後ろに振り抜いた。男の顔面に彼の後頭部が直撃し、男はのけぞり流永から手を離した。
その隙に流永は男の束縛から抜け出し、くるりと身体を反転させると、右手を龍化させ、腰を落とし、男の腹を上から突きあげるようにして、力まかせになぐった。
男はたまらず地面に寝転んだ。
少年は唖然としている。
流永は、つま先で小突いて男が立ち上がらないことをみると、荷物を持ち直し、少年の近くによった。
「いやぁ、ありがと!」
流永は顔をほころばせて、先程とは違い、明るい笑顔になった。
流永は笑うと子供のようなあどけない顔になった。
「うん、どういたしまして」
少年は流永の謝意に丁寧に応えつつ、
「でも……、君一人でも切り抜けられたんじゃないかなって思ったんだけど……?」
と、逃げようと思えば逃げられたんじゃないか、と訊いた。
流永はケラケラ笑って、
「これがあったからね。壊れたらどうしようもない」
と、両手の荷物を示した。
卵とか入ってるからね、と少年に説明してやった。
「なるほど」
少年は理解したようである。
わずかな沈黙のあと、少年は少し驚いた顔をした。
流永も、次のこの少年の行動には驚いた。
「も、もしかして……学園生の方であってますか…?」
急によそよそしく、しかも敬語で弱々しくいってきたのだ。
流永にはこの変化が一切理解できず、仏頂面で少年を見た。
先程までの意気猛々しい少年はどこにいったのだろうか。
とりあえず流永は少年の問いに答えてやることにした。
「いんや、今年入学する身だね」
流永はゆっくりとした口調でいった。
すると、少年の顔はみるみるうちに、ぱぁと明るくなった。
この少年は笑うと少女みたいな顔になった。
流永は表情豊かだなぁ、とのんきに思った。
少年は、ぐいっと身体を流永に近づけると、
「そうなの⁉︎ボクも今年試験を受けるんだよ!一緒だね!」
「ホウ、ホウ」
流永は鳥の鳴き声のような声を出した。
まさか、偶然助けてくれた人が同じ学園志望者とは。
「いやぁ、もしかしたら学園の先輩の方かなぁって思っちゃってさ。もしかしたら失礼だったんじゃないかって」
少年は、あははと人差し指で頬をかいた。
「………」
流永はあらためてこの少年を見てみた。
背が低く華奢だが、しっかりと締まった体つきをしている。
「どうしたの?」
少年は、彼のことをまじまじと見てる流永に気づいた。
「いんや、ただちょっとね」
と、流永は微笑で返した。
「そいじゃ」
流永は荷物を持って帰ろうとしたが、
「ちょ、ちょっと待って」
と、少年に引き留められた。
流永はおもわず振り向いた。
「な、名前を教えてよっ。ボクはレイ…レイ・メイルート」
(レイ)
流永は、ただ覚えやすそうな名前だな、とおもった。
「おれァ、伊庭流永……じゃないな。リュウエイ・イバだ」
この世界は欧米よろしく姓名が日本と逆である。
「リュウエイくん……。よろしくね!」
少年は輝かんばかりの笑顔をうかべた。
「おうッ。また試験で」
「うん!」
流永もニッ、と笑い返した。
その後、流永は家の中の整理整頓に追われたり、食材の買い出しをしたりと、わりと忙しい毎日だったが、試験前には全て片付いた。




