第二部 老人の家
老人の家へは街から一時間半かかった。
山の中にあるため、道は獣道のような荒れた道しかない。
流永は三十分ほど歩いたところから、
「ねえ、つかれたぁ」
とか、
「歩きづらいィ、服だぼだぼォ」
と、駄々をこねはじめ、老人は仕方なく流永をおぶってやった。
流永は背中の上から、
「じいさん、ありがとうー!」
と、手足を、ばたばたと振って子供のように(身体は実際に子供なのだが)はしゃいだ。
「わかった。わかったから大人しくせい」
老人は深くため息を吐いた。
自分から拾ってきたものの、先行きが思いやられる気がした。
「ほれ、着いたぞ」
ある山の中腹についた時、老人は背中の流永に向けていった。
一時間半も歩いたのだから、当然森の中で、周りは鬱蒼とした木々しかないのだが、不思議とこの山の中腹のみ、ぽっかりと穴が空いたように開けていて、草原になっていた。
奥の方に小さな小屋が見えた。あれが、この老人の家なのだろうか。
流永は目をキラキラと輝かした。
「わあ!すげぇ、草原だ!」
何がすごいのかはわからないが、流永は老人の背から下りると、家の前の草原を走り回った。
流永は草原を一周して再び老人の元に戻ってきた。
流永は老人を見上げている。
「どうした?」
「服が大きい」
体が小さくなっているのだ。
十七歳の時に合っていた服は、当然今の流永には全く合わない。
それに、元々流永は締め付けられるような感覚が嫌いで、実際の背丈よりもやや大きい服を好んで着たから、今は原型がわからないほど、服が潰れてしまっていた。
「そうさな……」
老人は、そう呟くと、ひたひたと歩き、小屋の中に入っていった。
流永はぐいっと背伸びをした。
少しして、老人は小さな布を手に持ってきた。
「これなら着れるじゃろう」
と、老人は手に持った布をばさっとはたいた。
埃が灰神楽のように舞った。
着てみると、古いせいか、毛が立っていて肌に刺さりごわごわする。
流永は感情のまま動くたちだから、
「これやだっ」
と、着てすぐに脱ぎ捨ててしまった。
「我慢せい」
老人はそう言うのだが流永は、
「いやだ」
といって聞かない。
見た目はともかく、これでも中身は十七の立派な青年である。
老人は深くため息を吐いた。
「少し待っておれ」
と老人はとぼとぼ、と再び山を降りていった。
やがて、老人は先ほどの城郭都市で買ってきたのか、新品の子供用の服を持って帰ってきた。
流永はそれを着た。
流永と老人は小屋(老人の家)の前に無造作に置かれた丸太の上に座った。
「何故あんな所にいたとは思うが、まあそれはいいじゃろう。とりあえず名や生地があるならいえ」
「伊庭流永だよ」
流永は、にこにこ笑顔で応えた。
「生まれた所は?」
「日本」
「ニホン……?」
老人は小首をかしげた。
「聞いたことがないな」
「そりゃそうでしょう。なにせ異世界だもの」
まだ、異世界と確定したわけではないが、言葉が通じることと己の願望も合わさって、流永はここは異世界と決めつけていた。
「いせかい?」
老人は、はじめその言葉の意味を理解しかねた。
「うんっ」
流永は異世界という言葉に感動するように頷いた。
急に目の前に広がった未知の世界に、わくわくしているのだ。
それは、フロンティアに挑む探検家の心境に似ているかもしれない。
「こことは違う世界って意味だよ」
「はあ、そうか……」
老人は難しい顔で返事をした。
「まあ、そんなことどうでもいいじゃないか」
と、流永は無邪気な笑みを見せた。
たしかに流永の前世がどうであれ、この世界には関係ない。
流永は、その持ち前の性格からか、過去のことなど全く気にしていないようであった。
「そうじゃな」
老人も明るい顔に戻った。老人はこれから流永に何かさせたいようで、流永の経歴を聞いたところで仕方がない。
「なら、あれか。とりあえず、ここについて何もわからない、ということか?」
「そうそう」
流永は頷いた。
「言葉は通じるのに、のう」
「なんだか、元々言葉は通じるんだね」
この世界で何故日本語が通じるのか、それとも流永がこの世界の言葉を勝手に理解できるようになったのか、理由はわからないが、流永はこの世界の言葉がわかった。
「文字は読めるのか?」
「文字?」
老人は家からペンと紙きれを取り出してきた。
丸太に座り直すと、その紙きれの上に、さらさらと何かを書いた。
「読めるか?」
「読めないね」
どうやら、流永が理解できるのはこの世界の言葉だけであるらしい。
「それで、これからどうするの」
流永は気がはやっている。早くこれからのことを知りたかった。