十八部 試合と哀愁
春になれば木々も雑草も青々とした葉を生やして陽の光を目一杯吸い込んでいく。
老人の家の周りは広場になっており、普段なら、さらさらと草の葉揺れる草原となっているのだが、何故か四月に入っても荒れ果てていた。
それも、老人と流永の試合が原因である。
この日は、その試合を行う最後の日だった。数日後には学院に通うため流永は街へ下りる。
「じいさん最後だよ、最後!」
流永は何が嬉しいのか、きゃっきゃっと笑っている。
「分かっとる」
「もうすぐ学校だね!」
流永の話題はすぐ変わる。
「分かっとる」
老人はため息を吐くようにいった。
流永が行く学院はここから一時間もないところであり、寂しいわけではない。
流永と試合をして老人も疲労が溜まってきていた。流永はまだ若いからか寝れば疲労はとれるが、年寄りはそうはいかない。
それでも流永と試合をしているのは、彼を多少の荒波では揺らがない人物にしようと思っているからである。
普段好き勝手に行動する流永に、老人も疲れはするのだが、その無邪気な姿に愛情も自然と湧いてくるものだ。
かといって、流永にそんなそぶりは一切見せない。
老人は顔をさらりとなでた。
「では、始めるかの」
「おうッ!」
両人とも構えた。
老人は片手に杖を持っている。
流永は両手両脚を黒く染めた。
龍化だ。皮膚の硬質化など、かなりの身体強化ができる。
魔力を込めて殴ればある程度の防御の魔法魔術は壊せるし、指を立てて切り裂くこともできる。
流永はくっくっ、と喉を鳴らすように笑った。
流永の周辺に、幾つもの真ん中に穴の空いたドーナツ状の環陣が現れた。その環陣は幾何学模様をしている。
「約束の丘は光る、その先、久闊を叙せッ」
流永は魔術を詠唱した。
魔術は名前が無く詠唱のみである。魔法には名前がある。
ちなみに、魔術は何故か実際の効果と一切関係のない文言で詠唱が組まれていることがほとんどで、今の魔術も白い槍のようなものを無数に出す魔術だが、「光る」以外は一切関係ない。
以前、流永はこのことを老人に訊いてみたことがあるが、老人もその理由は分からないようであった。
流永の出した無数の環陣の中央から無数の白い光線が飛び出し、一直線に老人のもとへ襲いかかった。
老人は片手に持った杖を横に振った。
すると、老人の正面に環陣が現れ流永の攻撃を防いだ。と息をする間もなく今度は黒々しいうねる槍が、環陣の展開されていない両脇と頭上から急襲した。
流永はこのうねる槍を八条矢車と呼んでいた。流永が自分で創り出した魔術である。
魔法を独創することは不可能に近いが、魔術は以外と簡単にできる。土や風など自然なものを自由に操れるからだろうか。
老人は地を蹴って退く。それと同時に地面をぐらりと傾けて流永の足場を崩し、無数の環陣を彼の周囲に不規則に展開した。
それら環陣は光り輝きながら回り始めた。
流永を目を見開いた。
「東を望め、辿り着きしは復活の象徴、古き友誼よ今ッ」
その環陣を見るや、流永は焦るように口早に防御魔術の詠唱を唱えた。
その瞬間、
轟ッ
と、防御魔術を展開させるや否や、流永の周りの環陣が一斉に大気を揺らして、周囲の地面を丸ごと削るほどの大爆発を起こした。
流永は間一髪、魔術の詠唱が間に合い無傷だった。八条矢車は健在。
「あぶねぇ……」
そう呟きつつも、流永は既に後方へ飛び下がっていた。老人と対峙している間は一瞬でも気を抜けばお陀仏だ。
(やっぱすごいな)
老人が、である。流永も魔術と龍化を使い、今ではそれなりに強くなっていると自負している。ただ、老人の前にかかると、まるで大人に歯向かう幼児のように一捻りに倒されてしまう。
流永あの黒いうねる槍(八条矢車)を老人に向けた。
それは八本あり、それぞれ流永の意のままに操れる。また、伸縮自在。
「……!」
流永は飛び退がった場所からさらに、パッと横へ飛び退いた。
老人が風の刃で攻撃したのだ。
以前、老人が魔術とは自然を操るものだ、といったように地面や風、火や水、また土、など自然にあるものなら自由自在に操れる。
これらは魔術の基礎にあたり、流永もこれらは無詠唱で操れる。
しかし、その延長で先程の防御魔術などは詠唱(八条矢車などいくつかは無詠唱でも使えるが)を唱えなければ使えない。
ただ、魔術の基礎といっても風を刃にするには大気を固めるだけの魔力と繊細な技量が必要となってくる。老人の魔術はそのかなりの量の魔力と技量が伴っているが、それに比べれば流永はまだまだ未熟である。
ちなみに、流永が見えない風に気付けたのは魔力を見たからだ。魔力は普段見えないが、それを可視化するものが魔術にも魔法にもある。
彼はその魔術の方を使っていたので老人の風の刃に気付けた。
流永は颯と八条矢車を突き出すが、老人はそれを避け、黒い槍は標的を見失って四方に空振った。
老人は退き際に魔術を放ち、ピィッと流永の頬寸前を掠めた。
「……!」
流永はドウッと地を蹴り、龍化による膂力の強化で老人の周りをハエのように飛び回った。老人はあまり動かず泰然としている。
流永は飛び周りつつ八条矢車を放ち魔術を撃った。
老人はそれを防御魔術で防ぐ。
そのまま数合、両人の魔術が烈火の如く交差した。
(埒があかねェ)
流永はそう思った。
流永は一度大きく老人との間合いをとった。彼は楽しそうに笑っている。
元々体を動かすのは好きだし、更に魔術を使えるとなると、この何度も行なっている老人との試合は、流永にとって、たまらないほど面白かった。
流永は老人を取り囲むように、ものすごい音を立てて、地面から巨大な円柱を林立させた。
老人から流永が見えなくなり、流永からは岩林の中心を目指せば老人の真ン前に躍り出ることができる。
流永はこの機に岩の林を縫うように駆け老人へ迫った。
そして、流永は殺風景な林を抜け老人の袂まで緊迫した。
「さぁッ!」
流永は気合の声を上げた。
「万事緩やかなれども惑う夢、輝ける道行き燦然とッ」
衝撃波の魔術が波打って、老人へ襲いかかった。
同時に地面が揺らめき老人の足場を崩した。
だが、技量も能力も老人の方が上だ。
老人は環陣を地面に敷き、流永が崩した地面を強制的に平らにし、直径六センチ程の小さな環陣を前方に無数に並べた。
(防御魔術?)
流永はそれを初めて見た。
ただ、その並んだ環陣はなんだか、今までと雰囲気が違い、妙な圧迫感を身体中で浴びた。
流永の放った衝撃波が老人に直撃する。
直前、老人の出した環陣に触れた衝撃波はまるでそよ風のように消えた。
(……⁉︎)
流永は追撃の八条矢車を出すが、それも環陣に触れた途端パンッと粉々になって消滅してしまった。
八条矢車はそれなりの強度はある。それは先程の爆発の際、八条矢車が無傷だったことから分かるが、まさかその八条矢車が手も足も出ないとは。
流永は手を龍化させた。龍化は魔力を込めて殴れば、相手の展開した魔法なり魔術を砕くことができる。
流永は拳に力を入れたが、何故か、それはなんとなく嫌な感じがして寸で止めた。
流永は環陣に触れないようさらに肉迫し、
「約束の丘は光る、その先艱難を越え久闊を叙せ!」
顔がぶつかりそうな程の近距離でありったけの魔力を込めて放った。
それは、撃った時の衝撃で流永の周りの地面が陥没してしまったぐらいだ。
老人は数メートル退がるが、到底避けられそうにない。
老人は再びあの無数の小さな環陣を正面に並べた。その環陣群は、先程とは比べようにないほどの、すさまじい魔力と圧を帯びていた。
光る槍は空気を引き裂く音を上げながら、吸い込まれるように老人目掛けて突っ込んだ。
だが、流永の光る槍はまだ老人の展開した環陣に触れていないにも関わらず、一つ残らず金粉のような飛沫を撒き散らしながら虚しく霧散した。
老人は、その歳とは思えないほどの速さで呆気に取られる流永の目の前に立ち、その喉筋に杖の先を当てた。
流永はその杖を、顔を動かさずに見て、ため息を吐いた。
「参りました…。負けだ、負けだぁー」
流永は尻餅をついた。
「あっはははっ」
負けたはずだが、流永は清々しく笑っている。
「ダメだダメだ、勝てねぇや。じいさん、あの魔術は一体何なのさ?」
これまで何度も試合をしてきたが、初めて見る魔術だった。
老人は気まずそうな顔をした。
「いや……。使うつもりはなかったのじゃが……」
「……?」
「あれは、そうじゃなぁ………」
老人は眉間に手を当てて考えるそぶりをした。
「特別な魔術……かのう?」
「ホウホウ」
流永は興味津々に聞いている。
「爺さんに教わってないよ」
流永は言外に、その魔術を教えて、何で今まで使わなかったの、何で教えなかったの、を合わせて聞いた。
「忘れておった」
かなりとぼけた答えだ。
「稽古に使うには危険じゃからな、使わないようにしとったら、教えるのも忘れてしもうた」
老人は頭をかいた。
流永はしゃがんで地面の土を弄りながら聞いている。
「危険なの?」
「ああ、あれは魔力と空間を捻じ曲げる魔術じゃからの」
魔力は大気中にある魔法や魔術を使うために必要なものだ。詳しくはよくわからない。酸素や窒素と似たものだろう。
「見ておれ」
と、老人は先程の小さな環陣四つを地面に四角く並べた。
老人は傍に落ちていた小石一つ拾うと、環陣の方向へ胸の辺りからピンっとそれを投げた。
すると、小石が環陣の真上にくるや否や、パンッとはじけて跡形も消えてなくなってしまった。
環陣から小石までは一メートル以上ある。
流永は顔をしかめた。
近距離で老人へ渾身の魔術を放った時、流永と老人の距離は一メートルもなかった。
下手をすると流永も粉々に消えていたのかもしれない。
「何より怪我がなくて良かった」
老人は、ほっと胸を撫で下ろした。
「今度帰ったら教えてよ!」
「いいぞ」
流永は晴れ渡るような笑顔を見せた。
「………」
老人もそれに微笑み返し、わしゃわしゃと流永の頭を撫でた。
無邪気でどこか素っ頓狂な流永を老人は愛おしく思った。
「さて、飯にするか」
「じゃあ、俺は疲れたから寝る」
老人は食事の準備に家の裏手へ行き、流永は地面に寝転んだ。
既に夕暮れ時。
流永は山の木々に邪魔されて見えなくなっていく夕日を見つめていた。




