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008

 他サイトにも重複投稿。


(株)三上人材派遣会社 広報担当:左松直老「この前書きおよび本文はフィクションです。実在の人物、団体、国家とは一切関係有りません」


 お願い:誤字、脱字がありましたら報告頂ければ幸いです。


 注意:改稿版です。元の話とは話の流れは変わっていないです。

    若干グロいけど18Gを付けるべきか迷う。

    問題があれば付けようと思います。

    個人的には問題ない範囲だと思っております。

 人を殺すことは案外、簡単な事である。

 物理的に殺すのか、精神的に殺すのか、社会的に殺すのか。

 そのどれか一つでも満たせば、簡単に人間とは崩れ去るモノである。だが、それを安易に為されないように秩序や法が存在し、個人の自由と存在意義、権利、幸福が守られる。

 ならば守る側がそれを放棄した場合、人間の生存は難しいのか?


「ワタシ達は人を守る為の集団ではないわ。けれど、人を簡単に殺すような集団でもないの」

 ある日、女傑と呼ばれる女が放った言葉である。それを直接聴いたのはリュウと呼ばれる少女と、サイという無機質な表情を滅多に崩さない男。リュウとサイを引き連れて向かった某所での事だった。

 この言葉は彼女自身が常、日頃から内心に秘めた行動規範の様なものでもある。

 二人を引き連れて行ったのは先日、この二人が適任であるという女傑、三上愛花の判断によるモノだった。

「依頼を拒否すると言う事かな」

「そうは言っていないけれど、あまりいい気がしないのは事実よ」

 女傑が座る革張りの椅子向かいに、三人掛けの同じ様な革張りの椅子がある。

 部屋の場所はとある駅前にあるビルのレンタルオフィスだった。十七階にあるレンタルオフィスを営んでいる会社の一角、間仕切りに机だけの質素なオフィスが主流なレンタルオフィスとは違い、しっかりとした部屋をそれぞれを各会社に月単位で貸し与えるという方式の高級レンタルオフィス。そこに設けられた質素などという言葉は贅沢で、オフィスとして使う予定などまるっきり無いと言わんばかりに物は二つだけ。

 普通ならば客用の椅子が長椅子である場合が多いが、何故かこの部屋は入り口に近い場所には一人用、一脚だけ椅子が用意されていた。呼んだのは一人だけであり、それ以外には客が来ないと言う前提での配置のようにも思えるが、実際にはそういう思惑での配置ではない。

 その女傑の対面にある三人掛けの長椅子に二人。同じサングラスをかけ、同じ生地、同じ仕立てのスーツを着た男が少し離れて座っていた。

 彼等の間ではごく一般的な個性を喪失させる服装であり、サングラスは相手に視線や心理状態を読まれないようにしつつ、有る程度の威圧感を与える為の物である。だからこそどちらが上司で部下か解らない上に、話している相手が本当に重要な人物か量らせない様にに個性を喪失させ、並列的な運用の中にある人間だと位置づける意味があった。

 この人間はただの使いであること、決定権はないが、したたかに言質を取ることだけを目的としている事を女傑は理解していた。

 それに引き替え、男達の彼女等に対する際の心持ちは全く違うはずである。

 女傑はすぐ動ける様には座らなかったし、後ろに控えているのは足手まといになりそうな少女と、唯一危険視できる人間は表情を崩さない能面のような男だけだった。

 この状況で不穏当な発言でもあれば始末するに他愛もないと判断されるだろう。確かにそれが女傑の狙いであり、実際に男二人にはその通りに見積もられていた。二人の人間がいるにも関わらず左側の男しか喋らない。女傑の右の後ろに控えているのがサイで、明らかに右向かいの男は差違に対する警戒を解かなかった。

 一つ、女傑は後々の為に仕掛けておくことにした。

「サイ」

「はい、ボス」

 右向かいにいた男が、明らかに動揺した。正確には僅かに目線が動いたであろう事を眼輪筋の微動から読み取れた。それはサイと呼ばれた男から目線を外さずにいたはずの右向かいの男が、サイの存在を一瞬、認識できなかった事に因る。

数秒前までは女傑から三歩ほど後ろに蝋人形のように立っていた。だが突然、少し屈んで女傑の耳元に顔をよせていた。

恐らくサイを常に認識し続けるのは生身の人間には不可能だろう。常に表情を変えず、生きているのか疑わしいくらいに生体動作を抑制し、完全に無機物のように振る舞う。

 それだけならば必ず認識し続けられるが、一瞬でも別の人間とサイを比較した場合、比較対象に非常に近い性質を発揮する。

 この状況であれば、サイは女傑である三上愛花という存在に寄った。

 物理的に女傑の耳元まで動いた事は事実だが、それよりも人間の認識中で女傑の存在に近くなったのである。

 記録として完璧に残せるカメラ等の映像、音響機器各種では全く効力を発揮しないが、このサイの持つ能力は生身の人間であれば殆どが有効である。人間の視覚情報、聴覚情報は意外に曖昧なものであり、少し似ているだけで簡単に同じ物として認識してしまう事がある。蝶の群れの中に色味の近い蛾が紛れ込んでいても、同じ様なものとして見落とすように。

 更にサイの場合、通常の人間が起こす『音』がない。

 呼吸音、服による生地の擦れる音、足音、触れている物から起こるはずの音までも。人間は有る程度脳内で起こりうる状況の予想立てをして、それが現実と合致した場合に把握し、認識している。その認識の範疇外に身を置いて他者の状況認識を阻害した。

 その通常から乖離した技能を有するのがサイ・フィッシャーマンという男だった。

 このサイの行動一つで、男二人の警戒度は一気に跳ね上がる。

 きっとこう思うだろう。『次はあの男にもっと注意しよう』と。




 その男は元来「そういう」星の下に生まれてきた人間ではない。

 生まれはある東南アジアの国で、そこは住みよいとは言い難い国だった。そこで六人兄弟の五番目として生まれた男は祖母、父母、兄弟合わせて九人で狭苦しいトタン張りの家で暮らしていた。

 父は日雇いで金持ちの経営する豪華なホテルから出るゴミの運搬作業をしたり、工事現場での作業等をその日その日で掛け持つ不安定な生活で、生まれながらに困窮する家庭にあった。

 学校など金持ちの道楽であるように幼い彼には見えたし、兄や姉達も十代で日銭のために働きに出るような生活環境だった。

 当然、建物などに基準が有るような場所でもなく、そこら中にひしめいた違法建築物の集落は当然その国では貧民街と呼ばれ、反社会勢力の潜伏場所でもある。

 幸福とは縁遠い街で、その男は生まれた。

 貧民街での道は自分が歩く場所が道だ。ガラス片や鉄片、家々の屋根を伝って流れてくる赤錆びた水が、人間の糞尿が堆積した汚水の川に流れ込んで行く。そのすぐ脇を裸足で皆歩いていて、底のゴムが抜けそうなコピー商品のスニーカーを履いていたらソイツは「金持ち」で、誰もが羨んでいた。

 彼が四歳になった頃、その日は唐突にやってきた。


 四歳の彼は母のいる自宅の表に出ていた。靴など与えられていない彼は既に足の裏が硬く、素足で整地されていないゴミだらけの狭い道で遊んでいた。落ちていた何の部品かも解らない木の板で蟻の列を遮ってジャマをしてみたり、蟻が運んでいる虫を取り上げてみたり。子供に良くある大人から見れば意味を見いだ出せない遊びに興じていた。それまではただ何気ない日々の、ただの一日だった。

 音がした。聞き覚えのない、地面にも響き渡る音が。次に声、遠くの方から叫び声がした。身長よりも軒の低い家から母が身をかがめて出てきた。母が何事かと彼に問うと状況を理解できなかった彼は首を横に振って分からないと返す。

 間髪を入れず、二回目、三回目と地響きと耳に痛い破裂音が聞こえる。

 何事か分からない彼はその音のする方向をじっと眺めていたが、母が彼を抱きすくめた手の力が母の恐怖心を伝えてきた。彼は頭だけを動かして母の顔を見やろうとしたが、母は音のした方向を見据えたまま、動くことはなかった。

 音がする。聞き覚えのない音が徐に近づいてきて、怒号と悲鳴を巻き上げている。幼いながら彼はここに居てはいけないのだと直感した。逃げたいのだと自分の心は言っているが、立ちすくんでしまった母は彼を離すことはなく、抱き寄せる力を強くした。

 だが、十数メートル先で轟音は止まる。

 次に聞こえたのは小気味よい破裂音だった。それを聞いた母は彼を抱きかかえ、身をかがめて自宅に駆け込んだ。その対応は手慣れたもので、幼い彼にはまだ何の音か覚えに無いが、母には時たまに訪れる暴虐だと知っていた。

 手入れだと母は咄嗟に思ったのだろう。小さな炸裂音は拳銃の発砲音で、近所にマフィアが逃げ回っているのだと考えたらしい。

 炸裂音と甲高い金属の断続的な機械音が響き、辺りのバラックの薄壁を貫いた弾丸がカラカラと音を立てて余所の家の壁に当たって落ちていた。

 抱きしめられたままじっとしていたが、音は止まない。その音が何の音なのか皆目見当も付かなかった彼は、母が怯えたまま動かない事に不安を禁じ得なかった。

 外から聞こえてくる音に人の声が混じっている。『誰か助けて』『やめろ、撃たないでくれ』誰か知らない人の怒号と悲鳴に辺り一帯が支配され、その声は一気に減っていった。

 何が起きていて、こらからどうなるのか。幼い彼にも、その彼を抱いていた母にも分からなかった。

 甲高い音と炸裂音が聞こえる中、家の入り口の布張りが揺れた。入ってきたのは彼の兄で、次いで姉二人が走って続いた。

「お母さん大変、警察とムルパティメラーが撃ち合いしてるんだ」

「おいで、そんなもの良いからこっちにおいで」

 それを聞いた三人は大慌てで走り込んで、幼い弟を抱きかかえた母の下に姉二人と兄が入ってきた。窮屈な思いをしたものの、姉二人と兄に挟まれて家族の分だけ彼は安心感を覚えた。

 外では人の声が段々と減っていった。誰も声を上げなくなったのか、上げられなくなったのか。そんなことは幼い彼には分からなかった。父は仕事で不在。母と子、五人一固まりになって生きている実感を共有する以外には恐怖心を紛らわせる方法が無い。

 小さな木材とトタンで出来た家の奥。五人で小さく固まっていると銃声が止んだ。代わりに別の家が荒らされているのか家財が叩き付けられるような音や何かを折ったり、叩いたりする音に変わった。

 銃声の主が銃撃戦を終えて家捜しをし始めたらしい。それがこの家に来ないことを必死に祈った。母が居るか分からない神に祈っていたのはこの時が初めてで、またそれが最後だった。

 一箇所しかない家の出入り口から陽光が差し入る。

「――っ」

 人影が一つ、怯えて引きつった声が姉から聞こえる。瞬間、陽光ではない閃光が火を伴って生じた。外で聞こえていた銃声そのもので、入ってきた誰かが団子になった家族五人に、それを差し向けて放たれた。

 母、兄、姉達から悲鳴に似た激痛に喘ぐ声が聞こえた。母と長姉が幼かった彼の盾に凶弾を受け、縋るように倒れる勢いに、一緒に倒れ込んだ。

 銃声が止み、動かなくなった五人を眺めた後。歩み寄ってきたソイツは足蹴にして母と姉の顔を確認し、目的外の人間であるという確認をした様だった。その時、確かに母と姉を足蹴にした人間と彼は目が有ったのだが、どうしてかソイツは踵を返し家から出て行った。

 幼い日の彼はその光景を鮮明に覚え、大人になった今も忘れては居ない。

 その日、家族は皆、死んだ。母、兄、姉二人。団子になって幼い彼を抱きしめて、四人は死んでいった。倒れ息絶えて行く母と姉に連れ立って倒れ、下敷きになっていた。

 肺に弾が当たったのか、姉と兄は血を吐きながら呻き、幼かった彼の手を握る力が段々と弱くなっていくことを、ただ薄暗闇の中に聴覚と感触に頼って彼は覚えた。

 四人の死体の中に一人、彼は紛れ込んでいた。冷たくなった母と姉兄達に埋もれて自分自身も冷たいモノになったような気がした。眼球は薄暗い家の天井を見つめていて、時折表から人の歩く足音が聞こえた。布張りの入り口から誰かが入ってくることも長らく無く、まだ昼なのか、もう夕方になってしまったのか。それすらもわからないままただじっとしていた。

「ああ、あ、ああっ」

 父が帰って来たのだと思う。狼狽えた父は母を抱き上げて死んでいる事を理解し、傍にいた姉、兄、そして四番目に彼は抱きかかえられた。

「どうしてこんな事に――」

 力一杯抱きしめられ、この時ばかりは彼も苦しかった。

「苦しいよ。お父さん」

「あ、ああぅ。うわぁあ」

 声を上げて父はその手に抱いた彼を兄と姉の上に放り投げた。生きているとは思わなかったのだろう。真っ黒に血塗られて、生きているか定かでない目のうろんさで、無表情のまま苦しみに声を上げたのだから幻聴か、亡霊かと父は錯乱したらしい。

 そのまま父は家から走り出て、それから帰ってこなかった。

 祖母は次兄と共に貧民街の銃撃戦で死んだらしく、彼よりも幼い乳児だった弟も隣の家から突き抜けてきた弾丸で死んだらしい。


 それを聞いたのは彼が成人する少し前で、父とは母達が殺された日以来一度も会っていない。どこに行ったかも分からず、まして生きているのかも定かではない。

 一人幼い彼はその後、養護施設に入れられた。真っ当な学習とは縁遠く、貧国であるが故に、施設は口減らしに一定年齢に達した少年少女を軍へ放り出す様な財政状況で、自分で生き方を決められる様な人生を歩んでこなかった。

 軍を退役した後、自分は何が出来るのか分からなかった。結局、居場所は自分で考える事は出来ず、傭兵や民間の警備会社に籍を置いて転々とした。

 その中の一つ、今属している「会社」は変わったところだった。

「あー、アイツら腹立たしいわ。サイ、飲みに行くわよ」

「……は、はい。ボス」




 事務机を人数分寄せ集めてそれぞれが机の上に資料書類やノート型のパソコンを広げていて、男所帯特有の小汚い風景の中、二人、彼らの前に立って挨拶を始めた。

「本日より、こちらで働かせていただきます。よろしく」

「……」

 一人皆の前で頭を垂れ、一礼の後に顔を上げた。

 仏頂面の集まり。こちらが話すと一応こちらを見るが、誰一人表情などの反応することはない。

 基本的に個人に対する興味がないのだ。それは人間が本来持っている興味ではなく、社会的興味と言ってもいいモノがこの場の全員から欠如していたし、自分もその興味を抱かなかったのは自然であり、不快ではなかった。

 個人に興味を抱くとすれば、それは生きているかそうでないかくらいだろう。

「彼の名はシュウ。私と組む事になった。そしてこれより、警視庁公安部の暗部を討つ」

 そう宣言したのは彼らの前に立っているもう一人。他の仏頂面から『リュウ』と呼ばれる、白髪交じりの銀縁眼鏡をかけた男だった。

 その男の一言で全員が立ち上がる。そこに一切の感情はなく、ただ仏頂面が居並んだ。


 公安部とは。国家に害を為す危険性があると判断された特定宗教団体や、反体制集団の監視。スパイ活動、テロ行為の防止、摘発などを国際的な協力を関係各国から得つつ実行し、国家の治安維持活動を行っている。

 その業務内容により公安部は機密性、秘匿性が非常に高く捜査員や捜査方法の一部に至っても公表されることはない。

 この国で最も組織犯罪への強行権限を行使できるのはやはり彼等であり、彼等の一般には関知されぬ行いは、やはり関知されぬ間に一般が最も享受している。

 見返りを求めない行為を誰かが自己犠牲と言った。それは求める術を知らない為に行われる行為か、見返りに価値がないからこそ出来る行為か。

 だがそのどちらも自己犠牲を言い表していない。

 自らの行いをもって他者の利益を、命を守る行為。それは、人間最大の自己陶酔である。

「国民を守る。その為に国民を監視し、逮捕する。そう決めたのは国民自身であり、それを運用するのもまた、国民自身だ」

 静かに笑う。その男はこう考えた。

 それならばもっと解りやすい方法で国民の正義を実現し、もっと解りやすい方法で国民を守ろうと。利益や命の為ではなく、国家の行く末の為に。

 浮動し、流動的な感情論を国民の有益である方向に誘導、強制、統制し、体系化する。そしてそれに沿わないならば、守ることを止めようと。

 それに異論を唱える人間が、残念ながら彼の傍には一人として居なかった。

 なぜなら、そんな彼等の行いは全て、自己犠牲という結果に伏されたからである。

「賢い王は常に愚民に翻弄される。だが私は王ではないし、賢くもない。だが、私は愚かな人間に最高の栄誉を与えられる。愚か者なりの、最高の価値を見せてやれる」

 庇護を受ける時、人は弱くなる。絶対に抗う時、人は強くなる。

 飼い慣らされた人間を、今一度、闘争の権化に。

 生きる意味を、今一度。




 勉強会と称するフランツの苦行がやっと終わったかと思えば、別に新しい苦行が始まっただけだった。良いように少女二人に弄ばれたリュウは明らかに不機嫌で、事実、それを隠さなかった。

「あんたのせいよ」

「そんな事を言われても……」

 前情報として説明不足だったのはリュウであり、フランツの不手際ではない。それに、すこし冷やかされたからといって別にあそこまで過剰反応する必要もないだろう。

 フランツからしてみればわざわざ申請して得た休みの日。勉強会と称した単なるお茶会を終え、フランツとリュウは彼女の自宅から会社へ向かっていた。だが時間は午後十時という、夜遅くになってからだった。

 年若い少女が夜遅くに歩き回っては補導の対象になるが、現在彼女の姿はスーツ姿だった。セミロングの黒髪はつや消しされた銀色の髪留めで後ろに纏められ、着慣れた感じが見受けられる黒の上下スーツ。第二ボタンまで開けたワイシャツで低めのヒールを履いている。顔を知り合いに見られる事も考慮して伊達眼鏡まで掛けて普段の柔和な面影はない。それを見て彼女が十六歳だと思う人間は周りには居ない。

 二人が連れ立って歩いているのには理由があった。緊急招集である。それも秘匿回線を用いた。

 一応だが、単なる株式会社である。その業務内容がいかに特殊で、法に触れる危険なものであろうとも簡単に機材や権利を保有できない。しかし、あの女傑は初めからこの会社に自衛軍用の軍用秘匿回線を得ており、「強行班」である特別営業部各個人に専用端末を携帯させていた。

 どういう理由でその様な軍事機密用途の機材や権利を得ているのかフランツは知らないが、この会社は本来『営利目的』ではないのだろう。これが意味するところは……

「フランツ」

「んあ、なんだ」

 住宅街から道を一つ折れて繁華街に差し掛かったところでリュウに名前を呼ばれた。おそらくコレが初めてだろう。あんたと呼ばれる事には馴れていたが、逆に名前を呼ばれる事の方が、違和感がある。それでも何故だろうなどと言う安直な疑問は口にしない。

 午後十時過ぎと言っても街灯や街の建物には光が有って別段暗くはないし、人通りもまばらだが他に比べて少ないわけではない。会社の近所にはバーやファストフード店があり、有る程度の集客を見据えた商業施設もある。そんな中でリュウが視線だけで示す先に、二人の男が居た。スーツを着て、ファストフード店の前で談笑している。

「おかしいわね」

「……ああ」

 夜十時。まだ暑い夏のその時間に着崩れていない、くたびれてもいないスーツを着た人間が居たら、疑問に思わないだろうか。その人は本当に会社帰りなのか、それとも今さっき、スーツを着たばかりなのか。

 夜勤の人間ならばファストフード店の前で暇そうに談笑するのは違うだろうし、鞄も何も携えていないのは不自然である。ただの普通のスーツに見えるがその実、機動力を重視したオーダメイドの装備品に見え、二人の立ち話は互いの死角をフォローし合う為の警戒用、監視、偵察用の陣形にしか見えなかった。

 こちらがその男達を不審に思うとほぼ同時、一人の男がリュウを一瞬目の端に捉えた。すると目線を外して話し続けるのだが、次の瞬間、もう一人の男が胸の内ポケットから携帯電話を取り出すのが見えた。

 目線で合図を出して、相方にリュウを目視したと報告したのだろう。相方はそれを受けて本部へ連絡。次にどう出るのか解らないが、そういう手合いは確実にこちらを良く思っていないはずである。

「こっち」

「……」

 リュウはフランツのシャツの裾を引っ張り、会社とは別方向の暗い、ビルの間に入った。

 男二人はすぐには後をつけない。恐らくこの辺りの詳細な地図情報を把握し、マッピングによる追跡方法をとるだろう。会社までのルートをパターン化して跡を追う。追い詰めてどうするのか、という所には幾ばくかの疑問があるが、大方あの女傑を「効率よく運用」するためにリュウを捕まえるつもりだろう。

 少し調べれば血縁関係は無けれども、リュウはあの女傑の養子である事はすぐにわかる。調べずとも実際、役所や学校には平然と養子として登記、説明してあるので別段機密性は薄いが、それでもそれを有用と考えたらしい事は容易に想像が付く。

 ゴミの散乱する、異臭漂うビルの間を少し進んだところで、リュウはとあるビルの唸りを上げる冷房の室外機の裏を漁り、なにやら棒状の物を取り出した。

「それは?」

「マンホール開けるヤツ」

 そう言ってリュウは近くにあったマンホールを開けるよう、フランツにそれを手渡した。もちろん、女性であるリュウに開けさせる手間よりも、一秒が惜しいのだからフランツが一気に開けてしまった方が良いので受け取るとすぐに蓋を開けたのだが……

「隠れるわよ」

「……」

 どうにもコレはブラフらしいが、それだと逃げた方が……

仕方ないので言われた通り、近くの暗がりへ身を寄せる。通路を挟んで向かい側にはリュウが同じように屈んで身を潜めていた。

予想通り、数分後男二人が現れた。もちろん、それがブラフだと言うことは一瞬で気が付いたのだろう。一人はそのまま奥へ進んでいき、もう一人は小型ライトで開け放たれた穴を確認している。確認事項は恐らく綺麗になっている部分を探すことだろう。ゴミが散乱していて綺麗とは言えない場所にあるマンホールである。降りる際、服の端でもどこかに擦れていれば結果的にマンホール付近を掃除した事になる。その痕跡を探しているのだろう。

もちろん、誰も降りていないのだから綺麗になっているはずが――

「てい」

「っ――」

 屈んで中を確認していた男が、突然尻を蹴られて頭から穴に落下した。

 もちろん、フランツはそれを眺めていただけで一切手を下し――足蹴にはしていない。

 男が落ちて中に敷設された鉄のはしごや、コンクリートの壁面に当たって汚い穴を掃除しながら落ちていった。痕跡を探す為に屈んだのに、結局痕跡になってしまった男が哀れで仕方ない。

 彼女に楯突いたとして自分がこんな風になるのは絶対に嫌だと心底思う。ギアやサイ、ヨシムラには過度な程に喧嘩腰で向かったりする。フランツは新参である為か、それほど被害を受けたことはないが、彼女の苛立ちや過激な行動の犠牲になると言うことはどういう事か、目の前の穴で得心がいったのだからなるべく穏便に済ませる事を固く誓うほか無い。

「この穴、なんなんだ」

「下水よ、下水。汚水って書いてあるでしょう」

 そう言いながらフランツに蓋を閉めるように、指さして命令するリュウ。確かに、マンホールの蓋にはフランツが読めない漢字で「汚水」とデザイン中に明記されており、ご丁寧にもフランツの読める「おすい」とひらがなでも併記されていた。これできっとフランツは「汚水」を忘れないだろう。勉強になった。

 落ちた男は恐らく外部に連絡できないだろう。当然下水道には水があって精密機器はダメになっているだろうし、携帯電話などの電波が届いている可能性も低い。

 これからどういうルートで会社まで向かうのかと話を始めようとしたが、リュウは先ほど来た道を戻り始めた。

「どこに行くんだ。説明してくれ」

「会社よ、会社」

 そしてリュウは元の通りには戻らず明確な目的意識を持って歩みを進め、先ほどと似たようなビルの間で立ち止まる。そこでやはり先ほどと同じように冷房の室外機裏を漁り始める。まさかとフランツは思ったものの――

「はい、よろしく」

 手渡されたのはまた、マンホールオープナー。だが、先ほどとは違い、今度開けた蓋には「おすい」とは書かれていなかった。開けて暗がりだったのは同じだが、先ほどのようなゴミ溜めの様な臭いはしない。

「ここは地下の電気関連敷設通路。インターネットのケーブルとか走ってるの。けどわたしが使いたいのはもう一つ下」

「下?」

 とりあえずその穴を二人降り、入ってきた穴を閉じる。深くはなく、三メートルほど降りた先にケーブルが通る通路があった。しかしリュウはその通路をどこ行くでもなく携帯端末で明かりを付けながら、降りてきた穴近くのケーブル下を漁り始める。なんとなく、嫌な予感がする……

「はい、頑張って」

「……」

 今度は先ほどの棒きれのようなオープナーではなく、両手で使える取っ手が付いたオープナーを渡された。ものすごく、嫌な予感がする。

 無駄に豪華な重たいオープナーを持って十数メートル歩かされた。ただ持って歩くだけなら良いのだが、ケーブルを優先的に敷設している為に狭いのである。先に使った小さなオープナー程度であれば問題なかったのだが、何故か両手で掴む為の取っ手が付けられるほど大きいので、ケーブルに引っかかる。もちろん全てのケーブルがこの辺りのライフラインとして機能しているのは事実で、一本でも引き千切れば大事件になる。

 歩くこと以外にも気を遣っているフランツを殆ど無視してリュウはずかずか進んでいってしまった。頑張ってというのはこういう事か。

 リュウの持っていた明かりが止まっていた。後ろからゆっくりと追い掛けていたフランツが追いついたのは微妙に通路よりは広い空間だった。そこでリュウはなにやら壁と格闘していた。冗談抜きで。

「むぅ~」

「……ぷっ」

 平手でコンクリートの壁をぺちぺちと叩いている。行動を見ていれば何か稼動する仕掛けがあるらしいが、右の頬を膨らませながら壁を叩く少女の様を見ると笑いがこみ上げて来た。もちろん、狭い通路で回避できない事を良いことに、すねを蹴られたが。

 幾度かリュウが壁を叩くと一度押し込まれた状態になり、それを反動にして手前にせり出してきた。壁が外れた。これがニンジャヤシキというものかと勘違いをしそうになるくらいに面倒な仕掛けで、インフラ設備にこんな面倒な仕掛けをするには理由があるに違いない。

外れた壁の向こう側には更に小さな空間があり、足下には予想通り蓋があった。

それをこじ開けるのはフランツの仕事である。絶対に。

 約五十キログラムの鉄の蓋を日に三回も開けさせられたのである。先の二回は軽く持ち上げて横に動かすだけで良かったが、今回は蓋を開かなければならない。一方に蝶番が付いていて蓋をそちらへ持ち上げなければならなかった。別に五十キログラム程度持ち上げる事は容易なのだが……

「――っ」

「……」

 リュウが無言のまま半眼でフランツの脇腹を指でつつくのだ。曰く。

「笑いたいんでしょう? 笑えばいいじゃない」

 完全に恨まれた、根に持っている。ちょっと年相応に可愛らしい事をしていると思っていたら、次にはこれである。さっきすねを蹴っただけではリュウの腹の虫が治まらなかったらしく、フランツが無抵抗である事を良いことにこれなのだ、既にある種の拷問に近い。

 こんな事をしているが追っ手から逃げている最中だ、流石に冗談で捕まってやる訳にはいかないので、とっとと開けて逃げ切りたい……

「ぷっぷ~」


「ここは?」

 あの壁を叩く特殊な壁を内側から戻し、開いた穴から更に降下した。もちろん、その穴も降りる際に閉じた。これで開けたままにしておくような下手を打つようならとっくに死んでいるだろう。

 リュウの後に備え付けられたはしごを下り、床に辿り着いた。

 先ほどの電気ケーブルの敷設トンネルと違い、煌々と明かりが付いていた。誰か居るのではないか……

「詳細は教えられないけど。まあ、うちのスポンサーさんが作ってくれた通路ね」

「スポンサー?」

「そ、スポンサー」

 それそのものを直接語ることはないが、恐らくこの国の自衛軍だろう。軍用秘匿回線を個人に持たせ、実際に運用しているのだからすぐに思い当たる。これくらいの勘ぐりは誰でも出来るにも関わらず、仲間内で秘匿するのは『そういう事実は存在しない』事になっているからだろう。

 仲間内で情報量に違いがあり、信頼感を築けないというのは単なる失敗時の言い訳であって、外部の人間が言う場合はこの職業を知らないだけだ。

「このトンネルはうちの会社にも繋がっているから、このまま行きましょう。こっち」

 二人並んで歩いても広く、余裕がある。余裕どころか、車がすれ違って走れるくらいには広く、高さも申し分ない。

 有事の際に用いられるのだろうが、女子学生が知っていて良い『場所』ではない事にフランツは言い知れぬ違和感と恐怖感を覚えた。

 あの会社がどういう会社かはおおよそ見当が付いた。

 ただ、このリュウと言う少女がどういう人間なのか、ワカラナイ。




 元来は地下鉄道用に施設されたモノである。計画され着工したまではいいが建設途中に計画が変更され放棄された。正確には金満時代の無節操さであり、傲慢に肥大した自尊心の醜悪さを誇示する場所でもある。

 都内の公共交通機関の混雑緩和などという大義名分に魑魅魍魎が寄り合って啜り合いが行われた結果何にもならぬその地下空間が生まれ、残された。

 作られたのだから使われなければならない。しかし、用途はどうすればいいだろうか。

 使うとなればそこに公共の利益が生まれなければならない。だが公共交通機関に権利を与えたとしてもコレを上手く使える企業があるはずもない。

 豪雨時の退避用地にしてはどうだろうか。元来移動経路として作られた構造物で内側から壁面へ圧力が掛かることを想定して作られたものではない。地下に流れ込んだ大量の雨水を貯蔵するための水圧に耐えうるような基本構造ではない。

 専用車道としての利用、地下街としての活用。備蓄倉庫に転用しよう。

 作ったからには使わねばならないと言う「安直な使命感」を引っ提げた人間が厚い面を突き合わせて負債の責任をなすりつけ合おうとする。

 そこに、無言のまま挙手した人間が要る。

「それ、うちで使いたいんだけどよ」

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