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 他サイトにも重複投稿。


(株)三上人材派遣会社 広報担当:左松直老「この前書きおよび本文はフィクションです。実在の人物、団体、国家とは一切関係有りません」


 お願い:誤字、脱字がありましたら報告頂ければ幸いです。


 注意:改稿版です。元の話とは話の流れは変わっていないです。

    若干グロいけど18Gを付けるべきか迷う。

    問題があれば付けようと思います。

    個人的には問題ない範囲だと思っております。

「未成年がタバコ吸っちゃあいかんだろう」

 今年はどこだかの街で最高気温が何度まで上がったとか、クダラない情報でニュースの天気予報の時間を浪費していた夏が遠い昔のように感じる程にクソ寒くなったある日の夜。

 歩いているのは脳内に花畑でも広がっていそうな馬鹿面をした酔っぱらいと、調子に乗ってこれもまたバカ騒ぎしている大学生の様な輩だけの、明かりが目に痛い通りから一本外れたシャッターの降りたショボイ商店の前、薄暗い寒空からその言葉は来た。

 点いているのがやっとと言うくらい薄ぼんやりとした外灯の下、黒っぽいスーツを着たオールバックのおっさんが火の付いたタバコを素手で俺の口元から奪い取った。熱いだろうに、平然と素手で火をもみ消して、すぐ傍にあった自販機横のゴミ箱へ放り投げた。

 軽くて小さな吸いかけのタバコが、見事に箱に収まる様を五人アホ面して見送った。

 当たり前だが呆気にとられた。なんせあの火は熱い。火傷するくらいには熱いはずだ。

 それを素手で掴んで消したのだから、驚くのは無理もない。

 そう驚いたのは無理も無いことだったのだ――

「ほら、箱出せ。箱」

 ガタイの良いおっさんが分厚い手を差し出してタバコを箱ごと要求する。酷いカツアゲだ。未成年だと解っていて偉そうにそんな事を言いやがったんだから。

 そもそもどうして未成年と解ったのか定かではない。見た目に若いからと言って未成年であるとは限らない、にもかかわらずオレ達の方に歩み寄って上から手をひらひらと振ってくる。

「るっせぇよ。関係ないだろ」

「んだよ、おっさん。ああ?」

 その態度から子供っぽい印象をくみ取ったのかも知れない。ここで成年していれば身分証を出せば良いだけの話で、当然、未成年だったオレ達には見せられるような身分証など有りはしなかった。

 普通、五人もソコーの悪い野郎がたむろっていれば普通のおっさん達は逃げていくのだが、このおっさんは違った。全く引く様子などその姿から見て取れなかった。

 整髪料で固まったオールバックは夜も見事に整っていて、少ない外灯の明かりを受けてギンギラに輝いている。その輝かしいオールバックは、唾を飛ばすように言葉をぶつけてきた。

 握り拳。そこからピンと一本、親指を立てて自分を指す。近所のメイワクなどお構いなく、耳の悪いどんなマヌケにも聞こえるようにバカデカイ声でこう言った。

「俺はうるせえよ。ああ、黙らねぇよ。黙って欲しいならさっさと全員、タバコ出せ」

「ああっ? てめぇが出せよ。金もってんだ――」

 ヤスケが立ち上がり、オールバックのおっさんとそう変わらないタッパで威圧し、売られた喧嘩を買ったついでに、ヒキギワってヤツを教えてやろうとした。大抵のリーマンはこれでビビって引き下がる。ついでにヒキギワをワキマエているのならそれ相応にセイイってものを見せてくれる。

 が、

 目の前で人が、飛んだ。

 びっくりしすぎてその瞬間が、遅い。

 いの一番に食ってかかったヤスケが四人の眼前で、もの凄い体勢で宙に浮いていた。手をバンザイしたまま、ダッサイ格好で干からびたカエルの様に、商店の真向かいに置いてある自販機くらいの高さまでふっとんだ。他の三人全員が唖然としてバカみたいに口を開けていて、俺も同じくらいバカみたいに口を開けて眺めていた。

 それはもう、酷い一本背負いだった。


 一時の記憶がない。

 クソ寒い事は覚えている。革のジャンパーが擦れて格好悪くなった事も覚えている。あちこち痛くて、辛くなった事は覚えている。

ハッキリと覚えている事はその後。気が付いた時にはもう一人、人の良さそうなおっさんが居て、オレ達を放り投げたあのオールバックのおっさんはその人の良さそうなおっさんに叱られていて、必死に頭を下げていた。

タバコを素手で消し、ヤスケが投げ飛ばされた後、ぶちギレて何の考えも無しに突っこんで行ったオレ達を軽々と投げ飛ばした、そんな化け物みたいなオールバックのおっさんが、もう一人の優しそうなおっさんに怒られている。

『やり過ぎだ』『責任を取らなければ』『保護者に』断片的だが、聞こえてくる。

自販機の横、座った姿勢の人形のように、オレ達五人は壁にもたれていた。背中と腰が痛い、あと左の肘も。ひんやりとした空気で顔がぴりぴりと痛く、目には外灯の白が痛い。記憶が飛んでる間、ずっとここに座っていたのか、クソ寒くてしかたがなかった。

アスファルトに打ち付けられてよくもまあ、大きな怪我もなかったものだと思う。まあ、派手に見えはするがあの人の投げ方は実際それほど体にダメージを与えなかったと言うのが正解か。辺りを見回せばゴミ箱が倒れていて、中のゴミが散乱していた。たぶん、アレに向かって投げられたんだろう。何も考えずにただ喧嘩腰に向かっていったイキがったガキに掛けてやる大人の余裕など、ただただオレ達が惨めに思えるだけだった。

 ケンカをしたって何が変るわけでもない。が、それしか出来なかった自分達が、それも出来ないまま呆気なく座ることを余儀なくされた。もう、座るしかない。

 腰も腕も、痛くて立とうにも立てない。

 やり返そうっていう気力も良いように削がれてしまっていて、他の四人も、オレ達全員が『あのおっさんには早くどっかに行って貰いたい』と心底願うくらいには酷いモンだった。

 けれどその期待には応えてくれず、オレ達が気がついた事を確認しておっさん二人がこちらにやってきた。

「悪いなボウズ。このガキがヤンチャでこっちも困っているんだが、お前達のやった事は一応犯罪だ。金出せって言ったんだからな」

 話しかけてきたおっさんは一見して優しそうには見えたが、オレ達を投げ飛ばしたおっさんよりも遥かに恐ろしい感じのある人だった。見た目には優しそうだが、実はヤバイヤツなんて事は珍しいことでもない。現にオレ達が絡んでこうなっているんだから間違いない。それにいつだったか、センパイ方にも口うるさく『見た目に騙されんな』と言われてきたのだから、今更後悔しても遅かった。

「……」

 言い返す気力なんて無い。そして何より――

「解ってると思うが、俺たちゃこういうもんだ」

 やっぱり。黒い革の手帳のようなものが出てきた。それには金色のバッチが付いていて、紛う事なき警察官の身分を証明するモノだった。

「けどな、いきがったガキのお守りなんてしたくはないんだよ。課が違うからな。ほとんど『無かった事』にしてやるが、タバコだけ没収な」

 そう言ってオレ達を投げたおっさんを叱り付けていたもう一人の、優しそうだが絶対にヤバイおっさんがオレ達からタバコを取り上げ、あのオールバックのおっさんにタバコを全て渡した。

「お前が持ってろ。ショー」

「はい……」

 頭が上がらないのか、センパイに怒られた様な感じだった。どんな人間にも勝てない人間というモノは必ず居るんだろうという事は流石にバカなオレ達でも分かっては居るが、こうも簡単に目の前で小さくなられると、ますますオレ達のこのザマが惨めに思えて仕方ない。

 手に持った箱とビニールのソフトケースに入ったタバコをまじまじと外灯の下に見つめ、何か考え込んだ後、オールバックのおっさんはタバコを六つ持ってゆっくりとオレ達の前に来た。

「お前らいくつだ」

「あ?」

 未成年だと解っていてタバコを獲った割に、歳を聞いてきた。

 壁を背に、だらしなく五人して座り込んだ真ん前。さっきまで俺達がタバコを吹かしていた様に、がに股でソコーの悪い輩がよくやる屈み方で目線を合わせてきた。

 暗がりでも解る少ない光量でもギンギラに光るオールバックにの面構えにはおそらく眉間に皺を寄せている。これで、答えないという選択肢は持ち合わせていなかった。

「じゅうはち」

「全員同い年か?」

「三月卒業だよ」

 卒業という言葉に、オールバックの反射光が揺らいだ。一瞬、おっさんは動揺したのかも知れない。その動揺の後に、そんなふざけた事を言い出す。

「二年したらこの自販機んとこ来い。コレ、返してやるよ」

 タバコの箱を五人全員に見えるよう一箱親指と人差し指で摘んで振って見せてきた。

 バカバカしい。そんなもんいつでも買えるし、返して貰わなくてもタバコになんて執着しない。返すだなんて事を真に受けるヤツだって居るわけがない。子供の小遣いですら買えるようなただの嗜好品に、二年待つだけの価値なんて有るわけがない。

「お前らに吸うなって言うんだ。俺も吸わねぇよ」

 そう言ってオールバックのおっさんはスーツの上着、内ポケットから取り出した年季の入ったオイルライターを俺に投げて寄越した。タバコを取り上げておいてライターを渡すなんてこのおっさんは何を考えていたのだろう。

「……あんた、バカだろ」

「俺がタバコ返すんだ、お前はそれ返せ。いいな?」

「……」

 ふざけんなよ、暴力警察官が。




 あの一件以来、五人揃ってアッタマの悪い事はやらなくなった。正確にはやれなくなった。五人それぞれやりたいこと、やらなければならないことが違った。それに目の前に与えられた日々に追われるという高校三年の三学期をそれぞれが過ごし、五人が五人ともそれぞれの道を歩んだ事によって、自然と集まる事も減った。

 一番最初に絡んでいって、一番手酷い反撃を受けたヤスケは実家の電気店を継ぐために工業系の大学に入った。当然だが、ヤスケはそれほど頭が良くない。学校のコネ……とも言うべき推薦を得て受かった。それでも最低限の試験を受けるには違いないが、ヤスケですら入れるのだから、少子化とは世も末を表しているんじゃないかと先生方に笑われた。

 確かに笑われたものの、ヤスケ本人は受かったことに安心していた。何より遊びほうけて先のことなど考えていない様な息子を一番に心配したのが他でもない電気店の店主、ヤスケの父親で受かったとき、父親が一言だけ「よかった」と言って泣きそうな目をしていた事に、ヤスケは感じるところが有ったと言う。

 ヨウジは学校に来ていた求人の中から、何故か個人で経営しているイタリアン料理店を選んで就職した。良く解らないがヨウジの持論では「旨いモノを作るヤツに悪いヤツは居ない」とのことで、頭の悪さをこれでもかと詰め込んだ持論を元に『自分で作れるようになったらオレ、セイギのミカタじゃね?』などとこれまた良く解らない結論に辿り着いてそうなった。まあ、本当のところ、その料理店の娘さんに一目惚れしたと言うのが正解かも知れない。


 ケンスケはバイト先のバーでこの先も働くと言っていた。服飾関係の専門学校に通うために自分で学費を貯めたいらしい。これまでもいくらか貯めたらしいがそれでも目標額には足りないという。母子家庭で経済的余裕がないと言っていたが、ケンスケが服飾の仕事に就きたいなどと言う話は卒業間際まで知らなかった。

 前々からバーの店長にはその話をしていたらしく、俺達四人がケンスケに訊いたのは既に決まってからの事だった。一年ほどは学費を貯め、まとまったお金を入学金として数年働きながら学校に通うらしい。

 どうして服飾なのかと訊けば、照れくさそうに何年も同じ服を着回す母親に自分が作った服を着せたいと言っていた。

 コウは意外にも普通に受験をして最寄りの私立大学に受かった。頑張ってこつこつ勉強した――という訳でもなく、受験前はヒィヒィ言いながら詰め込むように丸暗記と反復でなんとかなったという感じで、教育系の学部に入ったらしい。

 元々教育熱心な家庭に育ったコウは一年の時はそれなりに優秀な方だったらしい。それが二年になって最初の試験で酷い点数を取って親と大喧嘩したらしく、当て付けのように遊び回るようになって俺達とつるみ始めたらしい。

 元からバカではないコウはそれこそ「死ぬ気で」やれば何とかなる様なヤツだった。昔のようにすまして涼しい顔をした「受験生」ではなかったものの、這いつくばって手に入れたコウの道を俺達は応援した。

 そしてかく言うオレも四人と変わりなく進路というモノにぶち当たっていた。

 ただ誰かに言われたからだとか、必要に迫られたとか。断じて自分でその道を行こうと思って決めた訳ではなかった。何となく、進学はしないもんだと考えていたし、それだけの学もない。ただ就職するにしても何が良くて、何が悪いのか。何が合っていて、何が合っていないのかなど高校三年のバカなオレにはさっぱりだった。

 なんとなく高校に来ていた求人の中から選んだだけで、受かるなんて考えもしていなかったし、そもそも自分が何になるのかなんてその頃は考えもしていなかった。




「バカじゃね……」

 赤銅色のオイルライターを右手に握って二年前のあの時と同じくらいの時間に、あの自販機が有ったところに来ていた。まあ、二年もしたら自販機は無くなっていたし、二、三件有った建物が壊されて新しいビルが建っていた。

 何月の何日かなんて、ちゃんとは覚えていない。

 オレが記憶しているのはクソ蒸し暑かった日々が終わって、冷たい風が吹く日の方が多いくらいの季節のはずだった。

 今年も夏にはどこそこの街で過去最高の記録的な暑さだとか言ってニュースで中継を打って、タレントや局のアナウンサー達はよくもまあわざわざそんなところに行くモノだと半分感心し、半分バカにした夏が過ぎ去った頃。街路樹の辺りは枯れた葉が渦巻いているし、歩いている人間の装いも半袖なんていやしない。

 外灯も同じ場所にあるが新品なのか、やけに眩しい青白い光で待っているのが苦痛になる。


 たぶん午前一時、それくらいにここにオレ達はいたはずだった。けれど、それももう過ぎるくらいの時間になった。バカバカしい話だし、こんな冷たい金属を持って棒立ちしているのも面倒になったそんな頃合い――

「おい、何で居るんだよ」

「……あ?」

 それはこっちの台詞だ。あのオールバックには見覚えがある。デカいビルの看板照明と傍にある外灯のおかげで、あの特徴的な髪型がギンギラにテカっていて正直笑いそうになった。

 黒いスーツにオールバックの出で立ちなのに、なぜかスーパーでよく見かける半透明のナイロン袋にタバコを六箱入れて手に提げていた。

「あんた、マジでまだ持ってたのか」

「お前こそ、本当に来たのか」

 じゃあ、あんな事言うんじゃねぇよと言ってやりたかったが、それは来たヤツが言える台詞じゃない。二年して互いに雰囲気は相変わらずという感じだが、いかんせん経年というものは有ったのかもしれない、二年前に見たときよりもスーツはくたびれているし、靴も革張りに皺が寄って酷く荒んでいる。

「だ、だってこのライター高いやつだろ」

「……人に金要求したヤツがライター一つで何言ってんだよ」

 このおっさん、記憶の中だと警察官のはずだけれど、パクられる事を前提にしてオレに寄越したのか……いや、そもそもあの時、金を要求したのはオレじゃあないはずだ。

「あんた、わけわかんねぇよ」

「お前が俺に言うか?」

 そんな身も蓋もない事を……

「……礼が言いたかったんだよ」

「は、なんで?」

 オールバックをギンギラに輝かせたおっさんが、深夜一時過ぎ、半透明の袋にタバコを入れてキョトンとした顔で尋ねてきた。面白すぎる、このおっさん。

「オレ、今工場で働いてるんだよ。小さい街工場。そこで金型作ってる」

「ああ、それで?」

「あの時、決まってたんだよ。そこに就職するって」

「へぇ」

 聞く気があるのか、冷やかしたいのか、そんな無関心な返事をされて少しこのおっさんに対する有り難みが失せた。

「あのときのコトを事件にされてたらオレ、内定取り消されてたんだ」

「そりゃあ、そうだろ」

 昼の対談番組くらい薄っぺらい相槌をかましてくるが、なんとなく馴れてきた。

「だから、その…… ありがとうって――」

「はぁ? そんな事の為に来たのか? タバコは?」

「い、いらねぇよ。そんなもん今更」

「……えぇ、じゃあ何で俺、タバコ机に入れっぱなしにしてたんだよ」

 それはオレの知った事じゃあ無いよ……そもそも一度開封したタバコなら湿気でやられているのではないか。蒸し暑かった夏を二度ほど思い出してあのナイロン袋の中身が若干恐ろしい。最悪渡されて腐っていたら速攻捨てようか。

「オレ、あれ以来吸ってないし。捨てて良いよ」

「どうして?」

 あんたのせいだよ。投げられたあの後、ずっと背中が痛いままで呼吸する度に痛かった。もしかしてと思って病院に行ったら一本、肋骨にヒビが入っていた。とてもじゃないが呼吸する度に痛いのに、タバコを吸う余裕はない。中途半端なひびの入り方で、治るまで三ヶ月を要した。その間一切吸わなかったら、そもそもタバコを吸おうという気が無くなった。

 それだけの話。

 言いたい文句……いや、始めから特に吸う必要もなかったものを止めるきっかけになったと言うだけの事。わざわざ説明しなくても良いだろう。

「――とにかく、吸うのは止めたんだ。これ、返すよ」

 手の中で弄んでいた赤銅色のオイルライターを投げて返す。青白い光を反射し、回転しながら赤茶色の光を辺りにまき散らす。

「ほいっ」

「はっ?」

 それをまた、おっさんが同じくらいの放物線を描く様に、ライターをオレに投げ返してきた。

「俺は、元々タバコは吸わないんだよ」

「じゃあ、何でこれ持ってたんだよ」

「貰ったんだよ、人に。卒業祝いだ、もらっとけ」

「二年も前だよ」

「じゃあ、就職祝いだ」

「それも二年前だっ!」

「ごちゃごちゃうるさいガキだなぁ」

 自分だって大事にタバコなんて保管していたくせに、細かいのはおっさんの方が圧倒的だろうが。

「それにな、お前に礼を言われる筋合いはない」

「なんで」

「市民の『安全と安心』を守るのは、警察官の責務だ」

がははと笑いながらナイロンの袋を手に提げたまま、街の闇に去っていくおっさん。

やっと解った。タバコを返して貰いたい訳じゃなかったけど、ライターを返したい訳でも無かった。オレは、このおっさんに会いたかったんだと。




 特に目的も理由もなく、そこに道が有ったから進んだだけという主体性のない時間を経て、オレは小さな町工場に就職した。

 プラスチック樹脂やゴムをプレス加工したり、溶かした材料を流し込む為の金属型を作る会社だった。そこではコンピュータで設計された大きな金属の塊を作り、職人とも言うべき作業員達が金属の塊を削り、仕上げを行っている。

 そんな会社に就職したのだ。従業員数は十八人程度で、元の金型をコンピュータで設計する技師や工作機械を動かす技師が半分以上で、三人ほどの事務員と四人ほどの営業や広報担当の人が居た。

 そんな中にオレが放り込まれた。他人事なのはどういう仕事がオレに向いているのかさっぱりだったからだ。事務の仕事には事務の資格が必要だし、コンピュータだって詳しくはない。工作機械なんて熟練の技師達が黙々と与えられた作業をこなしていて、ド素人のオレが簡単に手を出せるような仕事ではない。使えない新人の仕事と言えば言われた通りに荷物を運ぶことと、工作機械の周りに落ちた細かい金属クズを掃除することくらいだった。

 仕事を始めて一ヶ月程経った頃、工作機械の単純作業を任された。ただ回転するドリルを上下に動かすだけという単純作業。上がる最大位置は決まっていて、金属を掘って進む下がる最大位置も決まっている。しっかり上げてしっかり下げるだけで作業は終わり。自分で考えた自発的な仕事とは到底思えない様な作業が与えられた。

 確かに新人にはコレが一番良いかもしれない。商品に下手な関わり合い方をして注文してくれたお客に失敗したモノを渡すわけにはいかないからだ。

 それでもその作業には達成感など無い。箱の中に有る鉄材をセットしてドリルを下げて穴を開ける。開け終わったらドリルを上げて細かい金属クズを取って加工済みの箱に入れる。淡々と作業を続け、昼には飯を食い、午後からはまた残りの穴開けと荷物運び、掃除をする生活になった。

 与えられた仕事がある。日々に目的と目標がある。一日に一箱の成すべき事がある。


 だが、何かが足りない。


 それを一番初めに見抜いたのは、オレではなく技師のセンパイだった。

「ニイチャン、楽しいか」

「え」

 その人はこの会社で一番長く働いている人だった。年齢は七十二歳。定年のない会社だが、本当は六十五歳で引退しようと思っていたらしい。だが誰かに必要とされる人間は居るモノで、そのじいさんも「必要とされる人」だった。

 一際古く、油に汚れた工作機械を一人あやつり、他の誰にも出来ないような事をする。

 コンピュータの設計通りに金属は加工される。だがそれはおおよそその通りに出来ると言うだけで、実際に精度を人間の目と手で確かめてみれば絶対ではないという事が解る。

 商品を求めているお客には多少の差違を許容しろと言うわけにはいかない。金型を作っているのだから、求められた製品を仕上げねばらなない。納品先の客も金型を使って作る製品には原材料に予算が掛かるのだから、不揃いの金型で作るモノが出来ては困るのだ。

 コンピュータで作れるところまではコンピュータさえ使えれば誰でも良い。だが、一点ずつその差違に気を留めて調整する技能を有する人間は貴重なのだそうだ。

 会社内で長老であり、最高の工作機械技師のじいさんがオレに楽しいかと訊いてきた。

 一番、解っていそうな人間が、一番解っていない人間に向かってそう訊いてきた。

「仕事なんで、楽しいとかそう言うのは――」

「仕事にも楽しいか、そうで無いかくらいあるだろうに」

「――解らないですよ」

「ほん、そうか」

 工作機械の前に立って、油に汚れた火気厳禁のシールがそこら中に貼られた作業場で当たり前のようにくしゃくしゃに曲がったタバコを吹かしている。

 誰も文句を言えない。機械の動作に影響が出るかも知れないからと、オレが入社する前から張ってあったらしいがこのじいさんはそんなものは気にも留めない。

 言い訳としては「三十年前から機械の前で吸ってるが、なんてこたぁない」と経験則が優るとでも言いたいらしい。

 人の忠告を聴かないじいさんがなぜか、他人に楽しいか楽しくないかと聞き訪ねて来て、更に何事か考え込んでからこう言われた。

「ニイチャン、そう言うのは俺みたいなじじいになってから言うもんだ。ニイチャンにはまだ早い」

「はあ……」

 機械に寄りかかって煙を振りまいているじいさんは、腰辺りに過重厳禁のシールが貼られている事なんておかまいない。


 仕事をしていて楽しいか。やりがいを感じる、達成感が、誰かのためになっている。

 言わんとしている事は分からないでもないが、それを自分の事として捉えるのは難しいのだ。自分がやっている仕事は誰かの為という言葉よりも、目先にある生活や納期に追われる事の方が人間には現実的かつ即物的な成果を尊んでしまう。

 他人から評価される基準も結果たる利益に集約し、日々に謀殺されることが美徳かのようなこの世界に放り出されて、それを楽しいかと判別出来るだけの余裕など無い。


 入社して一年と少し経って、じいさんにいわれた言葉をそれほど気にも留めることはなく、いつもの様にいつもの仕事を繰り返していた。仕事をすることに意味があるのか無いのかと問われれば簡単に「ある」と答えられるが、楽しいかと問われたのならそれは個々人により、オレはそう楽しいとは思えなかった。だが簡単に楽しくないと断言するのも違うと思ったのだ。楽しいか楽しくないかなんてある程度働き続けてから解る事だろうと思ったから、その場での返答を渋った。単純に好き嫌いで判断して結果から楽しい楽しくないと言う結論は簡単に出すべきではないと、そう思ったのはじいさんに尋ねられたからというのが一番デカイ。

 オレの人生そのものよりも働いている様な人に、ちょっと手伝い程度の仕事をしただけのオレが仕事の何を知ったような口ぶりで楽しいとか、くだらないとか言えるだろうか。

 だがそれは覚えてはいても、毎日自問するような日々ではなかった。


 それを思い出したのは他でもない、四人に久しぶりに会ったからだ。


 会ったのはたまたまだった。会社の同僚達とクソ暑い炎天下を歩いて昼飯を食いに、外に出た。そして三人してヒィヒィ言いながら辿り着いた店で、偶然にもケンスケが先にいて飯を食っていた。

 入るなり互いに見つけて「あ」と声を出し、同僚達には一言断ってからケンスケと同席した。

 小汚い中華料理店でケンスケはラーメンとギョウザなんてモノを食っていたが、オレはチャーハンと中華スープを注文した。ここのラーメンはクソまずいとオレが教えてやれば、もう知ってるとケンスケは半笑いで答え、更に店の奥から俺達に怒声が飛んできたが構いやしない。

 数分待ってからオレの注文分が来て、割り箸を箸立てから引き抜いたとき、ケンスケは尋ねてきた。

「最近、誰か会ったか」

「んあ、いや」

「なら今度休み合わせてみんなでどこかで遊ぼうぜ。久しふりによ」

「ああ」

 そんな軽い感覚で学生だった頃のように約束をして、下らない話を少しして飯を終え、その日はそれで別れた。


 五人、すんなり休みを合わせて集まった。元々学業よりも遊ぶことを優先させるような人間の集まりだったからこそ時間の作り方くらい屁でもない。

 一年して対して代わり映えのない街中をうろついて、ゲーセンの新しい景品を冷やかしたり、横並びでガンシューの筐体で一回死んだら交代で連コインしてクリアを目指したりした。

 一通り高校生だった頃の自分達を懐かしんだ後、どこか別の所で飯でも食おうとそこらを歩き回った時だった。

「あ、おまわりだ」

 大通りの歩道をだらだらと歩いているとパトカーが脇を通って行った。それをみてヤスケが珍しいモノでも見つけたかのように声を上げて、俺達の気を引いてみたりする。白と黒で天井に赤灯を付けたセダンタイプの、普通のパトカーだったが何故かヤスケはそれをまじまじと眺めて見送った。

「なにしてんだよ」

「なにって、ご苦労様ッスって――」

「ご苦労って、公務員じゃん。俺達の税金で飯食ってるんだから……」

「そっか、シュウは税金払ってんだよな」

「あ? みんな払ってんだろ」

 何かに付けて税金など皆払っているモノだと思っていた。消費税もそうだが、タバコや酒にも税金はかかっている。まだ十九の身の上で来年の一月に成人式を迎える未成年だからそういう税金は払っていないタテマエになっている。

 しかし、ヤスケの言う税金とはそれではなかった。

「所得税だっけ、働いてると払うヤツ」

「あ、ああ」

 給与明細に支給満額と、年金や所得税を引いている項目があったのを思い出す。一万数千円も取られている事にイラ立ったりもしたが、考えても見ればそれは自分が国のために払っている金だ。ヤスケはまだ大学生で、バイトをしていても税金は引かれていないらしい。うろ覚えだが稼ぐ金額が一定以上でなければ払わなくても良いはずだ。そう考えると税金を支払っているのはオレと料理店に就職したヨウジだけだった。

「税金から給料が出たとしても文句ばっかり言われる仕事なのに、なんでおまわりなんてなろうと思ったんだろうな」

 同じく働いているヨウジが唐突に、公務員様の警察官になろうなんてヤツの気が知れないと言わんばかりに毒づいてきた。最近、車の免許を取ってスピード違反でパクられたらしく、自分の不始末をなぜか警察のせいにしてイラついている。

「そんな事言われてもな、ここになろうなんて思ってるヤツが居ねぇし」

「確かに」

 警察官本人に、それか警察官志望の人間にしかわからないのだからここで愚痴っても仕方ない。

 これでこの話は終わりのはずだった。それを続けたのは後ろから四人を眺めて歩いていたコウだった。

「訊けば良いんじゃない」

「訊くって誰に」

「ほら、アレ。去年? 卒業前にボコられた警察の人に」

「……」

 歩きながら飯屋に向かっていた全員の足が止まった。大通りの人が行き交う歩道のど真ん中で若い男が五人、いや一人を四人が見つめて足を止めた。

「ほら、ライター返せって言ってなかった、あのオッサン」

「言ってた。てか、あのライター持ってるの誰だ」

「オレは持ってねぇわ」

「俺も」

 その時、気が付いたがあの日ライターを寄越されたのは他でもないオレ自身だった。それを四人に告げると、ライターを返しに行くついでに、何で警察官になろうかと思ったのかお前訊いてこいの合唱が始まり更に訊いたら後で報告しろと来た。

 何でそんな事になったのか良く解らないが、オレ以外の四人の中では決定事項になったらしい。この後行った店で食った飯の味は、覚えていない。


 それから数日してあの警察のおっさんに会うことにした。なんの事はない。ライターを預かっただけなのだから、返さなければ泥棒になってしまう。今日日、オレが働いているのはあの粋がった子供の頃のオレ達を厳しくも見逃して諭してくれたお陰だった。

 だから一言、礼を言ってライターを返さなくてはならない。

 だから会うことにしたんだ。そう、理由はそれだけだった。


 後日、仕事中にまたじいさんに話しかけられた。

「ニイチャン、最近楽しそうだな」

「はっ」

 素っ頓狂な声が自分の口から漏れ出た事にも驚いたが、仕事中のオレを見て楽しそうだと言われた事には意味が解らなさすぎて変な音が口から出る程、驚いた。

「楽しくは無いですよ。でも、働いている意味は何となく解ったかも知れないです」

「ほぉー、意味。俺にゃあまだ解らんぜ」

 けらけら笑いながら遥か長い年月を働いて生きてきたじいさんに「解らない」などと言われたのだ。働いている意味なんて人それぞれで、自分で決めた理由に納得できればそれが働く理由で、意味なんだとオレは思う。

「そう言えばニイチャン、名前なんていうんだ」

「俺の名前は――」

「ああ、いいや。どうせここ、辞めるんだろう。そんな顔しとる」

「どういう顔ですか、それ」

「今のニイチャンみたいな顔さ」

 その後、二人して笑った。




 それから少し時間が経って、あのおっさんに会った。

 あのときは二週間くらい、あの場所に毎日来ていたらしい。結局おっさんも正確な日時を覚えていなくて、それくらいの季節に居ただけだった。

「テキトウだ―― ですね」

「るっせぇよ、ガキが」

「巡査ですよ」

「ああ、そうですね。黒木秀司巡査どのっ」

 やっぱり、オイルライターはくれるらしい。祝いだそうで。

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