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他サイトにも重複投稿。
(株)三上人材派遣会社 広報担当:左松直老「この前書きおよび本文はフィクションです。実在の人物、団体、国家とは一切関係有りません」
お願い:誤字、脱字がありましたら報告頂ければ幸いです。
注意:改稿版です。元の話とは話の流れは変わっていないです。
若干グロいけど18Gを付けるべきか迷う。
問題があれば付けようと思います。
個人的には問題ない範囲だと思っております。
フランツがこの会社に勤め、初めて所属する先の部長を見たのはあの日だった。
彼にしてみれば人材派遣会社など名ばかりであり、実際は特別な人間を擁する集団である。
表向き収益を上げるのは確かに人材派遣業である。個々に能力は違えども、相応に能力を持った人間が企業に派遣されて成果を上げる。安易に取引先企業からの報酬を中抜きするという「人材の使い潰し的派遣業」ではなく、完全に玄人を育成して取引先企業への人的戦力の貸与である。法的根拠に寄るところの「派遣社員」という形態とは違う。人材派遣業と言っても正社員を登用し、その正社員を企業に出向させるという形態で「人材派遣」会社という方法を用いて営利を上げている。
だがあくまでもそれは表向きの業態である。裏稼業とも言うべきそれは登記できぬ単純利益を上げている。それで主に収益を上げる方法は監査機関から依頼を受けた大手企業への内偵、他企業からの依頼としては潜入して情報収集等の産業スパイ行為。
そしてそれを行うのは元プロの戦争屋であり、元諜報員である。
部長と呼ばれている男は部屋の中で一人窓を背に、机に向かっていた。他四つは面を付き合わせるように並んでいて、一つ会議の議長席のように四者を眺める位置に陣取っているものの、彼は何か指示するようなこともなかった。直接的な指示と言えば女傑が行うものであり、彼はその命令におろおろして、頼りがいのある人間とは部署の誰からもあまり思われていない様でもあった。
他にいる人間は無感情の男。元々欧州の人間から見て感情の機微を把握しにくいアジア人の中でも、酷く無感情な眼鏡を掛けた中国系アメリカ人。
もう一人は部署内では比較的年若い。一日中自作のコンピュータやデバイスを机の上に広げて何かを作り続ける白人の、金髪のアメリカ人。
初めのうちは皆に対して良い印象を得なかった。誰も彼も協調性の欠片も無く、一人優男の部長が皆の顔色を伺っているだけで他に誰かとつるむような事もない。だがそんな彼らが或る意味で見解を統一し、事に当たっては協力関係を結ぶ時がある。
それは女帝が呼ぶ「プランセス」の存在があって初めてそれが成る。
「サイ、邪魔よ」
「……申し訳――」
「いいから、退いて」
別に無理矢理その経路を通らずとも行けるにも関わらず、わざわざその男の後ろを通って当たらずとも良いのに椅子を押し退けて、文字通り押し通るのが「彼女」である。
隠密行動を得意とし、特異な緊張状態でも無機質な表情を崩さない男が少女に足蹴にされて眼鏡の向こう側に困惑顔を隠せない様は信じがたいモノだった。その上、手に持っていた大量の書類束を部長席に放り投げ、判を押せと迫る様に過去近接戦闘の鬼と呼ばれたらしい部長は涙目になりながら隷従するという姿は、それはもうこの世の終わりかと思った。
「いつものだから、読まなくて良いからハンコ押して。ヨシさん」
「いやでも、ちゃんと書類見ないと――」
「え、いつもと同じって言ってるじゃないですか。違う書類だったらそう言います」
「ええっと、はい……」
年上としての貫禄がない。図体はこの部署で横幅が最も大きいのだが、年齢の半分も生きていない様な小娘に良いようにあしらわれていて、最終的には顎で使われるのだ。
部長の芳村が座を占める席から後ろを回って彼女が自分の席に戻る際、作業に没頭しているソイツの席を差し掛かるに、聞いてはいけないような何かを蹴倒す音が聞こえた。
それを見て凍り付いたのは二番目に若い白人の男だった。もちろん彼女に蹴倒されたのは足下に置いていた何かの基盤であり、機器に直角に刺さっていたであろう基盤が中間付近から綺麗さっぱりへし折れてしまっていて、明らかに動作など不可能なように見えた。
普通、壊された側が怒るのだろうが、この部署では彼女が「絶対」基準となるらしい。
「ギア、私物はロッカーの中のはずよね」
「すみませんデス、ハイィ……」
某国の国防省最高機密に進入し、クラッキングによる隠蔽の後に完全に逃げおおせた天才ハッカーは年下の少女に、自前の組み上げたコンピュータを蹴飛ばされ、更に邪魔だと誇張したいが為に蹴り回す。ギアの足下に砕け散った基盤と金属片が散乱する。更に隣の机に、彼女の机の上にまではみ出して、領域を侵犯していたモバイルコンピュータを彼女に奪われ、無力になる。
年上の人間にすら容赦のない様はいっそ清々しい。
片手で持てる軽量の小型コンピュータは彼女の手の中でそれこそ文字通り「終了」を待っているような状況で、ギアの次の言葉如何では二つ折りの機械的機能が四つ折りの破壊的不能に陥る危険性がある。
「もうしないデス……」
「よろしい」
精密機器であるコンピュータを片手でボールか何かのようにテンポ良く軽く浮かせるように手の上で弄んで居るのが、本来の持ち主であるギアを始めサイも芳村も、それを初めて目にしたフランツもが心穏やかではなかった。
あらゆる意味で彼女は同部署の「プランセス」に相違ない。
そしてその後日、フランツは彼女がその部内で誰もが口をつぐむ理由を知った。
少女の狙撃を間近で見てあれから早、六日。連日同じ事を同じように報道し続ける放送局各局は当局より圧力でも受けたのかと言うくらいに並列化された情報だけを垂れ流し、事件解決することは絵空事だという程ネガティフな内容に傾倒している。
フランツが見ていて不思議に思ったのはこの国の人間は「コトナカレ」とやら、責任の所在を宙に浮かせて正しい「総括」を行わない事が美徳であるようで、警察機関へ不満の矛先を向ける民衆の違和感が拭えない。
真に怒りと不信感を向けるのは犯人たるその者であり、警察機関や行政にすり替えることは情報媒体として、情報解説者として正しい行いなのかと思う。
そう思いはするものの選挙権もなければ長く居ようと思っている国でもない。民族自決の名の下に、フランツはそれらに関わろうという気概など全く持ち合わせては居ない。
蜃気楼のような国民の意思しかなくとも国家として成り立つのは、何故だろうか。
新入りたるフランツが彼女の能力を見て、数日の後。
「あら、ごめんね」
砂糖をたっぷり入れた冷たい緑色のお茶を隣の、ギアの机に盛大にぶちまける少女。
先日破壊された物を補うためにギアは新しいコンピュータを嬉々として組んでいる最中だったのだが、少女の無意識中の悪意によって妨害、阻害される。
年齢的には一番近いのだが、どう考えても不幸なのはギアの方であるし、この部署にあって少女の右隣に居るギアはこの部署の「下っ端」と言うのに相応しい有様だった。
一応、少女は放置することなく自分の粗相を片付けようとするのだが、精密機器には詳しくないのか『持ってはいけない場所』をむんずと掴んで拭き掃除をしようとし、案の定三万円ほどで先ほど購入し直したばかりのパーツをへし折った。
「わわっ」
「oh――」
既に濡れて使い物にならなくなっているであろうそれに対する追い打ちは、頭を抱えて悶絶するギア自身の心に重ねざるを得ないだろう。完全に、今日は不能だ……
そんな様子を自分と、自分の右隣に居る無機質な表情のまま中空を眺める男はその実、こちらに被害がないことを切に祈りながら傍観するしかなかった。ギアのように仕事と私事が混同しているようなことは他三名には無かったが、それでもこの少女をして何らかの被害を予想するのは致し方がない。
「ほら、これあげるから許して。ね?」
「――」
手渡されたのは三万円――などではなく、彼女的にはそれ相当らしい飴。ビニールの包装には可愛らしいとは言い難い奇抜な熊のイラストが描かれており、見るモノ全てを威圧する。明らかに謝罪の為に渡されたのであれば不都合極まりなく見えるのだが、この部署では暗黙のルールとしてその飴で、事は終了だった。
五人が五人、普段はぼぉっとしているだけの閑職。やることが有ればそれはもう忙しいのだが、全く依頼が回ってこなければ単なる暇人の集まりでもある。それもそうだ、表向きは普通の人材派遣会社であり、裏では産業スパイ。更にその中でも特別な部類に入る「強行班」と呼ばれる『情報処理部』だからこそ、平時は至って暇である。
強いてやることと言えば我らがプランセス、彼女のご機嫌取りくらいであるがそれも本人が勝手に喜怒哀楽を変えるものだから上手くはいかないのが常だ。
「ああぁ、あっついぃ」
隣の机にお茶をぶちまけたものの、自分の机は無害で済ませたそこに両手を伸ばしてべたーっと上半身を投げ出す。悲壮感のある虚ろな目でテーブルを雑巾で拭いていたギアも横目で彼女のその様を見るに、丁寧に拭いていた手が明確に粗雑になった。
フランツは聞き及ぶところ、日本の女性は思慮深く品行方正だと聞いていたがどうやら個人差は否めないらしい。
プランセスと言うには少々お転婆に過ぎて、自分の身を案じると言うことを疎かにしている節がある。現にギアがフランツの真向かいで鼻の下を伸ばして突っ伏す彼女の胸を横から見ている。日本人の女性は「慎ましやか」と漠然に把握していたが、多分に漏れる人間も居るのだと彼女を見て思い知る。
夏場の暑い盛りに無論上着など無く、学校指定のシャツ姿でそこに下着の線が見えていて、更に三次元的に押しつぶされた「それ」が窮屈そうに背中のシルエットから横にこぼれ出すように机の上に見えるのだから、目についてしまえば大抵の男は抗えないだろう。そんな魔性に魅入られたのだから手元が疎かになってしまうのはそれこそ「性」と言うほか無い。無論そればかり見て疎かにした手がつい隣の机にはみ出して、目にしたモノに当たってしまうのは無意識から来る欲求の賜だろう。
「…………ん?」
「oh――」
フランツの座る机から目の前に居るギアの左手の指先が若干それに埋まった。見ていたのは始終心配していたフランツ、無感情なようでいて実ははらはらとした内心で同様に見守っていたサイ。芳村は書類を持って頭を掻いて、不備がないか探しているようで目の前で起きた状況をまるで見ていない。
次の瞬間、机から上体を起こした彼女からギアは強力な肘打ちを腹部に受け、くの字に折れ曲がり、下げた頭を鷲づかみにされて拭いていた机に叩き付けられた。
見ていたフランツもサイもギアの自業自得であるとは思うものの、己の不注意で似たような状況下に置かれた際の末路のようで他人事とも思えなかった。
「次やったらマジで殺すから」
「――」
謝るだけの余力すらギアには残っていないようで、机に顔面を押し当てたまま動かなくなった。
「ああ、もう。暑い、あつぅいぃ! 暑いのにギアのせいで余計暑くなったじゃない。ヨシさんクーラーどうなってるのぉ……」
突っ伏したままでは何をされるか解ったものではないとばかりに今度は椅子へだらりと背を預け、車付きの事務椅子でギアから距離を取る。頭部を机に叩き付けられてからギアは全く動かなくなったがそんなものは気にも留めず、彼女は現状への不満をこの『情報処理部』の長たる芳村へぶー垂れている。
「そのぉ……ですね、ちょっと―― 予算的に無理が――」
本当は予算などと言う理由ではない。ただ単純にクーラーが壊れたのならばすぐに直して良いと許可が下りるのだろうが、問題はプランセスとサイによる喧嘩という名の一方的な争いによる破損である事だ。
先ほど芳村に渡した書類は、少し前に彼女が女帝に呼ばれて取りに行ったものである。呼ばれていたことを忘れていた我らがプランセス、リュウは苦虫を噛みつぶした様な顔をしてそれを思い出し、慌てて社長室に向かおうとして蹴破るように扉を開け、扉向こうにいたサイにぶち当てた。
彼女の行動は毎度のこと面食らう事が多いが、人に感情を悟られることの少ないサイですらリュウの行いには変面を余儀なくされる。
丁度入ろうとドアノブに手を差し伸べた時、内側から蹴破られるように突然開き、額を強打した。
そこで何故か不満に思ったのはサイではなく、リュウの方。彼女は何かが起こる前の感情に従うようで、自分が悪いことを承知していても焦りと怒りにまかせてサイを糾弾し始めた。やれ扉の前でちんたらしているのが悪いやら、元軍人なら華麗に避けて見せろだとか。
人前で無表情で居続ける、才能と言っても過言ではない能力を有しているものの、やはり彼とて人の子である。真に無感情などということもなく、長らく共にいるとある程度考えていることは顔に出るらしい。フランツには全くその機微は量りかねるが、彼女にはそれが手に取るように分かるらしい。
一瞬の変化を見逃すはずがないと彼女はサイに食ってかかり、逃げを打ったサイは気にしてないとばかりに彼女へ軽く会釈した後、脇を通り抜けようとする。
気にくわない。その態度が気にくわない。そうと言わんばかりに、彼女は今にも自らの席に座ろうとするサイを振り返って見る。苛立ちをこのまま母である女帝に晒すわけにはいかず、仕方ないので眼前に据えてしまったサイに向けようとしたらしい。
その後はフランツには良く解らない。とばっちりを受けるのは堪ったものではないとからになったカップを持って部屋を出たからだ。
情報処理部には飲食物を用立てする場所がない。無いのは単純に隣の部屋が休憩室であり、給湯室だから。そこには冷蔵庫もあり、コンロや一通りの調理器具が揃っている。中華鍋まで置いてあって、サイの「育てている」などという意味不明な理由から使わせて貰う事は一切出来ないが。
給湯室でカフェを淹れていると隣の部屋から断末魔の様な声が聞こえた。彼は自分の耳を疑ったのだが、間違いなくサイの悲鳴だった。えらく破壊的な音が隣の部屋から響いたと思ったのだが、まかり間違ってもあの男が負傷するはずもない。そのあたり心配には及ばないが、彼女のことは別である。
カフェを一口啜って味を確認した後、それを持って情報処理部へ戻るとそこには腰を抜かしたように床に座り込むサイと、ひしゃげたクーラーの直下に転がる事務椅子を見つけ、それらを芳村とギアが部屋の隅で二人眺めている姿だった。
彼女は年長者であっても呼び捨てにする。下に見ているとかバカにしているという訳ではなく、単純に愛称として呼び捨てる。それは誰も気にしないし、当たり前に思っている。
現に今も芳村にヨシさんなどと言ってクーラーを直すようにせがんでいたのだが、芳村の、日本人特有のコトナカレとやらに嫌気が差したのか彼女は矛先を替えた。
「ギア――」
「ヒィィィッ」
名前を呼ばれただけにも関わらず、何かやましいことでも――あったのだが――死人に鞭を打つ様な追撃を恐れ、感情がそのままギアの口からこぼれた。
その様子に流石の彼女も悪びれたようで、威圧感を与えないよう言葉を選びつつ続けた。
「えっと、クーラー直して?」
「無理デス。電化製品がなんでも同じだと思わないで下さい」
あくまでもギアの専門は情報処理関係のシステム構築、バックアップ用のナビゲーションであって、冷風制御や湿気除去機能制御関係の回路設計に明るい訳ではない。
自ら壊したクーラーを背に、椅子に大の字になって寄りかかる様を見て誰が彼女のことを、お姫様などと思おうか。
暑いと言うよりも別の理由だろう。フランツの隣には心穏やかならざるアジア人がいる。その男、サイは暑がる様子など無いのに額に浮いた玉のような汗が頬を伝い、数十分の間に何度も流れる汗を拭って落ち着かないでいた。
単純に自分の行いから破損したクーラーの事でまた彼女に難癖をつけられるのではないかと気が気でないのだろう。隣で見ていたフランツもカフェを啜りつつフランツは他人事のように眺めていた。
いつまた彼女という爆弾が炸裂するか分からない状況に、サイは恐々としている。次に彼女が動くとき、それは彼の終わりではないかとなんとなしにその部屋にいた男性陣が見解を暗黙の内に統一し始めた時、天恵がある。
フランツとサイは背後で扉が開く音を聞いた。
「サイとリュウはワタシと一緒に来て頂戴」
フランツの隣には、今の今まで少女一人に怯えていた男が居たはずだが、女傑に声を掛けられた瞬間、見知った人間に変わっていた。彼の人となりを知っていると言うわけでもなく、仲間内から来る知った人間のそれとは違う。
フランツと同じ場所に居た、見知った種類の人間がそこに居る。
長らく傍にいた種類の人間であり、最も同類が忌むべき人間でもある。
軍人というモノは駒。そしてその駒を使うのはいつも人間のふりをしたナニか。
それらの都合によって使い潰されるのはそう教育された駒の義務である。志願した人間ならば大抵、誰かを守りたいなどと言う動機により志すのだろう。だがフランツはサイを見ても彼自身、志願した人間には到底思えなかった。わざわざ民間の軍事会社に転職しているのだからそこに生きる意味を彼自身見いだした結果なのだろうと漠然と思い至る。
自分を棚に上げる様な思案の中、立ち上がった二人が部屋を出て行った。
自分の席に着席したまま見送るギアと芳村、フランス人らしく濃いめのコーヒーを啜るフランツもそれに倣うこととした。
ただその場に居合わせた老若は皆が皆、醒めた目で見送った。
居なくなった二人の分、幾分か室温は下がったかも知れない。
男が見つけたのは『極端すぎる集積』。
情報とは集積され、精査されるモノである。だが、それは必要な手順を踏んで収集、集積され、必要な権限を持って精査、分別されるべきモノであると言うのが最も正しい。
基本的に情報集約の長は政府機関であり、国家の行く末に関わる大事があれば決定権は内閣に存在する。対応策を検討する閣議が開かれ、そこに有識者や官僚を集め協議する。当然、必要なのは下から上がってくる情報であり、確度の高い情報を得る為には常に大量の情報を得続け、そこから拾い上げる必要がある。
法によりその情報収集権限を与えられた機関はいくつか存在する。警察、検察、必要ならば自衛軍にも。だが、国家を揺るがすような事態では、政府そのモノも情報集積の要になることが通常である。国際問題、災害時、事故発生時などに応して特別措置法案の草案を纏めるなどに、その情報収集能力を使用する。
今回の事件は「国会議員の暗殺」であり、その実行犯と思しき人物は全員死亡している。
単純に思考するならば「テロリスト」による「政治的謀殺」の可能性が最も高い。
その実行側の犯行声明が無い事がこの事件の不可思議性と難解さを顕著なものにしている。通常、テロリストとは政治的理由による「武力行使」を「手段」として使用し、犯行側は通常、自分達の成果であると声明を発表して己の「力」による「恐怖」や「思想」を誇示するものであるが、その場合「英雄」に成りうるであろう実行犯を殺害し、犯人側の規模を隠匿する事は行為における成果の誇示に反する。
政府とは国家の中枢であり、国民の安全や安寧を守る最高行政機関である。
テロリズムという脅威から国民を守り、国際的な平和活動に努める事は一国家としての義務であり存在意義の一つでもある。
しかし、男はそこに見つけた。
国会議員七名もが殺害され、実行犯と思しき人物まで死亡し、さらに実行犯達も殺害されたと類推されているにも関わらず、閣内には大雑把な情報のみ報告されているだけであり、ほぼ全ての情報は警視庁公安部に集積されているだけだった。
特定機関が秘密裏に情報を収集し、事態の収拾を図るのはまま有ることだが、人員を割いて警戒、警備に充てる事も必要になるはずだが、公安部以外に情報を提供していない。最も効率的に警戒、抑止に貢献できるはずの所轄へは一切情報開示が無く、明らかに人災の様を呈していた。
常に二人で行動する。それが自分の創設した課の決まりであるが、残念な事に男は一人だった。人員が足りないのである。正確には必要条件を満たす人間が居ない。
他の多くの機関と重複するようなこの課の重要性を理解できる人間が少ない事も一因とし、男の課には人員が自身を含め七名と、必要と認められた装備一式、高機動装甲車が一台有るだけ。
表向きとしては対テロ戦闘用特殊部隊の一部として予算が割り振られているが、本当の対テロ戦闘用特殊部隊に多額の予算が投じられ、秘密裏に創設された男の課には通常時の移動用に普通車両すら割り当てられる事はなかった。無理強いをして通したような課の設立そのものを疎んじられている思いだが、男には為すべくに立ったのだ。
上司の曰く『実績』が伴えば話は別らしい。
別に男としては成果を挙げるつもりはない。なぜなら彼等の成果とは国家に仇成す者を相手取ってこそ発生しうるもので、平時存在してはならないのである。
言わば『有ってはならない成果』をもって彼等の存在が認められると言う事だった。
願わくば自分達が暇を持てあます人間で居たいが、そこに属する彼等は、ただ願うだけでは叶わないと既に知っている者たちだった。
男は一人世間から見放された部屋で、モニタ越しに特異点を見つけた。液晶画面のドットの向こう側に。
「警視庁公安部」
その羅列を一人ほざいて、二人一組で三班に分割した人員を呼び戻す。いや、呼び戻すよりも自ら出向いた方が圧倒的に早い。合流点を指示し、平時用の装備を調え、男は征く。
圧倒的な人員、その物量において行われる広範囲の捜査能力を誇る警察機関に対し、男の部署にはその今最も必要な能力を羨む事態になっていた。しかし、それは単に隣の芝が青く見えているだけで、男の部署には警察機関では持ち得ぬ特権を得ている。
三つに分けた班には一応、目星を付けた公安部員をマークさせていたが、待機状態の公安部員は一切行動を起こさない為、敢えて潜入中、捜査中の公安部員に絞ることにした。
ただ、特別権限に因って得られた情報では数名の行方が不明だった。潜入中、捜査中であっても公安部員の行動は公安のネットワークに侵入できる事で掴めるはずだったのだが、数名の所在が不明であり、口頭命令か紙媒体の命令書だけで動いた可能性が考慮される。
そして如何なる命令が下ったとしても、現状において物事が決して好転することはないだろう。
情報集積の一元化は、絶対的な統制に違いないのだから。
悔いる暇があるのなら、次に悔やむ事がないように前を向け。
轟音の響き渡る、陰湿な暑さと澱む臭気を孕んだ高架下で見つけた。一人、倒れている。無抵抗のまま、心臓を一突きされ完全に失血性のショック死を遂げていた。
ただそれを見下ろす人間に、感情があったか定かではない。
足早に、七人の男がそれぞれ去ってゆく。
邪魔な人間を始末するのは、どこの世界でも同じだろう。
この事実を誰かが見つけ、警察に通報する。
彼等がその場に居合わせる事はない。そもそもここに彼等が居た事実もない。公安職員はその特殊な業務内容に則って欺瞞偽装を為すが、また男の行いも欺瞞と偽装の蓑を必要とする。この世に彼等の存在など無く、彼等に身分など無い。
男は、伊藤は歩道を歩いていると警察車両とすれ違った。けたたましいサイレンを響かせて大通りを伊藤が歩いて来た方向へ走って行く。伊藤自身、別段怪しい格好をしている訳では無いので不審に思われることもない。もし勘の鋭い警察が伊藤の存在に気がついたとして、身分を検められても一般身分の証書を差し出して終わりだ。
通常の警察官は通常の刑事事件を捜査するために存在していて、伊藤のような世間一般からはみ出してしまった人間は通常には戻り得ない。
歩きながらに伊藤は思案する。秋築昇と言う傑を欠いた今、通常の警察機関にはこれ以上の究明はあり得ないだろう。上層部と事を構えてなお社会正義を目指した人間が謀殺されたのだから後任は必ずこの件から手を引く者を充てがわれるに違いない。
そうなればますますもって伊藤の行いはこれから先、この国にとって重要な意味を持つことになると自負している。
気の急いた人間は視野が狭窄する。本当に優秀で、経験に則した人間ならば伊藤の歩みですら意識の端にでも止められた事だろう。しかしてすれ違う警察車両は赤色灯とは相反するように、青い人間だけが乗っているらしい。幾台かすれ違った乗用車もまた覆面の警察車両だが、やはり玄人のそれには至らない様だった。
警察機関が劣っているという訳ではない。むしろ杓子定規に過ぎて融通が利かない機関になっているだけのこと。伊藤からすればそれで恣意的な介入が防げるはずもないと考えているに過ぎず、当然与えられた権限や能力には別に羨望を送らざるを得ない。
しかし、その権限や能力は使える人間が居てこそのモノである。
伊藤の目は既に特定の人物に絞られた。警察庁長官へ直訴に行った秋築の行動が止められたのは警備上、公職の在り方として当然かも知れない。だが、縋るような思いで来た部下たる警視長の言葉を遮る必要性があったのか。
道徳的、道義的に見て言葉に耳を傾ける時間があって良いのではないか。
警視庁刑事部の長たる秋築には一つチームを付けて尾行させていたのだから始終の子細は聞き及んではいる。それでも納得できないのはあまりにも軽々しく刑事部長の言を遮ったことだ。事前に面会の願いを出さなかったとはいえ、国会議員殺害について捜査している刑事部の直訴をすげなくあしらうなど疑問に思わない方がおかしい。少しでも近況を気に掛けているのならその様な対応など出来うる立場にない人間である。
気になど掛ける必要がなければ、その行動に疑問を差し挟む余地など存在しなくなる。
警察庁長官は犯人を知っている。
もしくは自分自身、犯人に脅されている。
そもそも、共犯である。
伊藤の頭の中では確たる証もなくただ単純な思考の中にそれらが渦巻いた。そう疑念のを抱かざるを得ないのは、やはり伊藤自身公僕であるが故に違いない。
人間には必ず資質というものがある。それは仕事の向き不向きであり、職責を負うべきの是非である。だが公共官庁はそれが絶対ではない。人としての資質ではなく、その出自に因って人事が決まる。
件の秋築と警察庁長官のやり取りにも如実に出た。秋築が地方公務員出身者であり、警察庁長官は任官からキャリア組たる立場と、全く違う両者である。秋築が『優秀』だからこそ成り上がれたのに対し、現長官は無難に職務を為し、持ち回りの『順番』が来たから成れたのである。
既に故人となった秋築が彼の人の成りを知っていたかどうかは定かではないが、伊藤から見て組織人として生きる人間と、仕事人として生きた人間の違いを見た思いだった。
ただ仕事上、袖擦れ合う事もなかった人間の行いを見て、弔い合戦とそれを呼ぶなどおこがましい。ただ単純、純粋に或る男が追い求めた真実だけを伊藤は追うことに決めた。
過ぎゆく警察車両の紅が、男の銀縁眼鏡を撫でて過ぎ去った。
世界とは見える範囲のことだ。そして見えない場所は世界ではない。
たまに見も知らぬ場所や分からないことを指してそれが世界だなどと曰う輩が居るが、笑い話としても三流以下の妄言だ。自分の立っている場所の「確かさ」さえも知らぬ愚か極まりない輩が現実を見ずに使う言葉を、谷田喜十郎は障りのある言葉だとして酷く毛嫌いしている。
谷田喜十郎自身が立っている場所はどこか。物理的には警視庁公安部の我が椅子である。その椅子は選ばれた人間が座る椅子で、安易に回ってくるだけの椅子とも違う。出処がそも確かであるという人間だけがそこに座ることを許され、そこに座る人間は、人間の闇を見続ける。
特定の過激思想を持つ団体を監視し、我が国へ害悪を為そうとする団体、組織を捜査し、逮捕する権限を持つ。
長らく席を置いていた公安部からこの国の暗部を見てきた。だが明確な悪意をも我が国の法は無頓着に相違なく、谷田が思うに法はおろか、人としてもとる様な輩をみすみす逃してきた事実がある。
その始終を見たのは谷田をはじめとする公安警察官である。
ますますもって人の言う「世界」は狭窄した視野でのみの「世界」であり、現実に即した「セカイ」たり得ない。
安穏とした世界に住んでいると思っているのならば、国民にはその認識は改めて貰わねばならない。国会議員の殺害というセンセーショナルな事件を受けてこの国はどう動き、決断を下すのか。それを決めるのは有権者たる国民であり、彼らに選ばれた代議士達。
賢王が執政を為そうとも愚民であればその行いは無益となり果てる。対して暗愚たる者が執政を為そうとも民衆が賢く信念があるならば、必ずや国家とは興隆を為せる。
故事からも聞くように、求められているのは絶対的な指導者でも優秀な代議士でもない。真に、国家に求められ、そして「セカイ」に求められているのは賢者たる国民だ。
傍観者としてただテレビに映る報道を流し見て他人事のように、ただ事が過ぎ去って行く様に慣れてしまって貰っては困る。真贋の目利きのない人間がネットワーク上の情報に踊らされ、真実と悪意の糸にがんじがらめになって貰っても困る。
ならば見えるモノが「世界」であるのだから、公安警察官として公的な手段を用いてこそ「世界」を「セカイ」たらしめる為に情報を精査して与えてやる事が急務である。
国会議員七名の殺害と、被疑者と思われる死亡した七名、そしてそれを捜査していた警視庁刑事部の長、秋築昇の殺害犯を公安警察がその権限と威信を持って逮捕する事が今まさに国民に求められているのである。
賢い人間とは常に危機意識を持ち続ける人間だ。すぐ隣にある事実から目を反らすような人間は賢いとは言えない。見えている事実から目を背け続ける事は、現実から合理性を見失った事と等しい。見えている事実から逃げることは出来ず、ただ先送りにされた末に待っているのは事案に対する猶予時間が限りなく減っていく事に他ならない。
気がついた頃には取り返しのつかない状況に追い込まれている。
セカイが求めているモノは凡愚ではなく、探求する聖者である。