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他サイトにも重複投稿。
(株)三上人材派遣会社 広報担当:左松直老「この前書きおよび本文はフィクションです。実在の人物、団体、国家とは一切関係有りません」
お願い:誤字、脱字がありましたら報告頂ければ幸いです。
注意:改稿版です。元の話とは話の流れは変わっていないです。
若干グロいけど18Gを付けるべきか迷う。
問題があれば付けようと思います。
個人的には問題ない範囲だと思っております。
荒々とした灰色の群像。乱立し、また離れ難い距離を保って寄り添う。
本日の天気は曇り。高度六十メートル。南南西寄りの南風、瞬間風速二メートル弱。
平行を眺めれば誰も居ない、灰色の群像はさながら人間の絶えた近未来。
けれど、覗き見る世界には愛想笑いをした、庶民とはかけ離れた男。
その男が壇上から見下す笑顔の大衆を見ようとも、彼女には何の感情も湧かない。
少女はただ、引き金を引いた。
今の時刻が何時なのかも解らない薄暗い部屋に入り、一礼の後、開口一番に男はこう言う。
「警視庁警備部の働きには敬服致します」
男には何の感情もなくただ皮肉だけを放ち、また話しかけた相手はそれに対して当たり前のようにただ、曰う。
「与野党合わせて七人目か。何が狙いだろうか…… 国家転覆か、超国家主義者の陰謀か、はたまたこれは宇宙人の仕業かな」
椅子に座り、前のめり気味に机上の端末に映る画面情報を見て、心躍るような声で語る男は正対に佇む男の皮肉に茶化して返す。そんな子供のような男を前にして、ただ黙して「本題」を待っていた男は遮るように言う。
「局長」
机の前に立つ男は、ぶっきらぼうで、ひたすら事務的に役職を呼ぶ。
「解っているよ。こうなってしまっては我々の面目は無きに等しい…… 完全に後手に回っているが。それでも?」
PCのモニター画面に映るあらゆる不都合な事実もが、面白い話の種だとでも言うような冷淡な薄ら笑いを浮かべ『局長』と呼ばれた男は画面に顔を向けたまま、一瞥もくれずにその男に問いかけた。
「ええ。総意です」
暗がりから時たま光るのはそう返答した男の、銀縁の眼鏡。少ない光量であっても磨き上げられた銀縁の眼鏡は、薄闇の中でも光を受けて返す。
「解っているだろうが、新設されたキミの課は実績というモノがまだ無い」
「承知しております」
「許可を出す為の判もこの世には存在しない」
「承知しております」
「我々は、如何なる事態になろうとも関知しない」
「承知しております」
四十過ぎの銀縁眼鏡の男が、白髪の散見される頭を深々と逆光に一度垂れ、その鋼のような背を一字に据えて、踵を返して退室した。
聖マリー私立女子高等学校。そこに通う半数は各界名士の息女達で、もう半数は一代で成り上がった者や苦労して金を工面した者達の子女。
初等科、中等科の入試倍率は年度ごと、常に定員数を遙かに上回る人気校である。
初等科より中等科、高等科、大学までエスカレーター式に進学出来るという事も倍率を上げる一因ではあるが、なによりも各界への強力な「つながり」を設けるために彼女らはそこに通うことを「家」から求められる。
もちろん学生としての本分である学業や部活動等に寄り、彼女らは必ず高い素養と聖マリー私立女子高等学校学生または卒業生としての社会的地位を得る。
いわゆる「淑女」を育て、更にどこへなりと行こうとも「一個人」としての大きな財産となるのだから、彼女たちもまた聖マリー私立女子高等学校へ自ら望んで入学する。
「ねえねえ」
これから先、上流階級へと仲間入りを果たそうかという少女達の、他愛のない時間。
三限目と四限目の間。三限の化け学に「真剣に取り組んだ」少女達と、どこの学校にも現れる「そうではなかった」少女達が四限の体育の為、教室内で着替えをしていると、ある少女が自分のおなか周りを確認しながら友達に話しかけ始めた。
「ん、なに?」
シャツのボタンを全て外さずに「バンザイ」して脱いだ横着者。やや赤毛の、肩まで伸びるソバージュヘアの少女が若干鬱陶しそうに声に応える。
「わたし、最近太ってきたよね」
「そんなこと無いよ。るーちゃんは細い方だよぉ。太ってるっていうなら私の方がぁ――」
移動授業で急がなければならないのに未だ一つとして着替えに手を付けていない腰まで届く黒髪の小柄な少女が友達の仕草に応え、当人は着替えそっちのけで腹を摘んで見せる。
「ていうか。これはなんじゃい、これはっ」
「ちょっとっ! やめ、やめなさいぃぃぃ」
赤毛の少女は「るーちゃん」と呼ばれた少女の豊満な胸を正面から鷲の爪の如く掴み、その形を好き放題変え始める。流石に同じ教室内で行われるその「淑女」からかけ離れた行いには皆、日頃から皆辟易しており今更それへ注意する者などもう居なかった。
女生徒だけの園を見目麗しいモノだけが映る世界のように夢想する諸子もあるが、人間の世が桃源のような理想を具現する場所でないことは奥底では皆、理解している。
「付くところにはこんなに付けてっ! お腹周りなんてこんなに細いのにっ! 何が太ったじゃあぁぁぁっ!」
「ごめん、ごめんなさいですから許して。痛いっ!」
真っ白なシャツ、黒と白のチェック柄のプリーツスカート姿。着替えの為に上着を脱ぎ、赤いタイを外したところで件の話を始めた黒髪セミロングの少女が、自らの発言を悔やみつつも、その胸の痛みには納得がいかず抵抗を続ける。
個人の成長の差違など一女子高生である彼女らにはどうしようもないが、この状況から脱する為には取り敢えず謝っておく他ないと思っての行動だった。だが謝ったところで物事が安易に好転するという訳でもない。
「ゆ・る・さんっ!」
その愛憎入り交じった言葉と共に「魔の手」とその界隈で呼ばれるその右手が、るーちゃんと呼ばれた少女の背に迫る――
プラスチックの留め具が小気味よい音を上げ、背中部分で分離した事を教えてくれる。
「……」
「……」
「……くっ! オレの右手が、暴れやがるぜ」
自称「賑やかし要員」だというソバージュの少女は己の右手を左手で抑えながら、などと犯行理由を供述した。
この技能は曰く、女子しか居ない空間で「スキンシップ」を図る為に身につけたモノだと言う。方々で親しくなった女生徒相手にその技を繰り返し、磨かれたモノだと言い張っていたが、彼女は高校になってから入学してきた「後入り」と生徒達の中で言われる人間であり、初等科より中等科を経て長らく在籍する生徒達からすれば新参者である。
そんな外様だった彼女が環境に馴染むために選んだのは強硬手段たる「こういうキャラクター」であり、その強硬手段を忌避すれば他の生徒達のように遠巻きに彼女を眺めたろう。それでも、変わり者を受け入れる人間もまた居るのが世の中の面白い所だ。
当の「るーちゃん」は淡々と、外されたブラのホックを服の上から簡単に戻した。
これが、彼女ら「しゅくじょ」の日常茶飯事だと言わんばかりに。
「正確無比とはこの事だ。惚れ惚れするね――」
身長おおよそ二メートル。精悍な顔立ちの三十を過ぎた頃合いの、異国情緒たっぷりな大男が灰色のコンクリートに俯せに寝そべっている。
双眼鏡で事の始終を観測した後、そう感想を漏らした。
「口ばかり動かさない。手、動かす」
深緋色の小さなネクタイにエクルベージュ色のカーディガン。モノトーンのプリーツスカートを穿いた少女が、格好には不釣り合いな大きな得物を携え、男の隣に座って睥睨している。
少女はその携えた得物を手際よく解体し始める。それにも男は関心を示したのだが、少女は男の態度が気にくわないのか、隣に座り直した男を軽く足蹴にして指示通りにやれとせっついた。仕方なしに、男は作業の手伝いを始める。
「はいはい」
男は全く臆面無く面倒くさそうに返事をして、仕方なさそうに黒い革張りのケースへ部品を収納してゆく。
実際、現実を目の当たりにして、ふて腐れている感はどうしようもない。彼が今まで培ってきた何もかもを否定されているように感じてしまう心と、どうしようもない憧憬に板挟みされた様なモノだからだった。
「ハイは一回だけ」
軽い返事に不満げに怒っている少女は、とてもではないが非道な行為を行ったという事実とは乖離するような、あまりにも幼い怒り方をする事に違和感を拭えなかった。
「アイ、マム」
「その返事、嫌いなの」
そもそも男の方が年上で、彼女は正確には上官ではない。それにフランス人の男がわざわざ英語で彼女をそう呼んだのだから、バカにされていると感じても彼女の被害妄想などというものではないだろう。
「わかりました。センパイ」
少女は俯せになったときに膝を擦らないよう敷いたハンカチを拾い上げ、丁寧に畳みながら男へ更に文句を言う。
「素直じゃないけれど。解ったのなら、いい……」
男にはちょっとした皮肉のつもりだったのだが、思うに彼女の方が殊更素直な性格をしているのだろう。
ぷくっ、と右の頬を膨らませるのは少女が少しご立腹だから。男はこの少女の癖がいたく気に入っていた。らしいといえばらしく、不釣り合いとも言えば不釣り合いに過ぎるこの癖が。
男は、いたく気に入っていた。
予想通り、警察の初動は彼らの思い描いたとおりだった。
傍受した警察無線では弾丸入射角方向、近隣数百メートルの狙撃位置の再検索。近隣の主要交通路に検問を設けて不審者、不審車両の炙り出し。典型的な後手を踏む捜査方法だった。
彼女らは仕事を終えた。
左右対称に湾曲した革張りのケースは少女が携え、男は繁華街に行けば有象無象に紛れ込める様な服装。このまま彼女らが街の中に消えたところで、誰も見咎めることはない。
実際、事の成った時点で既に彼女らの思惑通り。定時に帰投し、定時に帰宅するだけ。
どれだけ早く警察が対狙撃犯の包囲網を敷こうとも、現実的には想定し難い一キロメートル範囲外からの狙撃に対応できるはずがないのだから。
店内で会計を済ませ、少女と男は店員や客の邪魔にならない壁際で耳打ちするように会話する。その様は若干怪しいものを感じさせるが、年上の外国人が彼氏で、制服を着た少女が彼女であるように見紛えて貰えれば二人には都合がよい。
幾ら世間様から見てお嬢様学校の制服を着ていても、そこは「女」であると勘違いしてくれれば彼女には不都合はない。
男の方は少女をたらし込むような不誠実さは見られない姿であり、別段いかがわしい関係性には見えなかったろう。先に店内で行われた二人の行動を見て誰が文句をつけようか。
「わたしが出てから十分後に出なさい…… うぅ、会社に帰投するのは今から、一時間後」
「アイ―― 了解した……」
「よろしい……」
そう言って若干顔色の良くない少女は某有名料理店兼喫茶店から一人、堂々と通りへ出た。
少女の身なりはチェロケースを携えた有名私立女子学校の女学生そのもので、誰もがその立ち振る舞いからして『大事』を為した人間だとは気が付かない。その少女自身、立ち振る舞いは淑女そのもので、すれ違う奥様方は少女の立ち振る舞いに一目を置くという、無言の感嘆のみをもって少女を見送った。
しかし、ともすれば昼間は奥様方のランチとお茶会に賑わう店内に、どうにも不釣り合いに見えるなにやら具合の悪そうな外国人の大男が一人、取り残された訳だが……
「あら、あなたどこからいらしたの?」
化粧の濃いいかにも「オバサン」な雰囲気を漂わせる女性が彼に声をかける。具合の悪そうな外国人が店にいて、店員が声も掛けないのだから、お節介好きには格好の餌食である。
「フランスです。綺麗な奥様に心奪われて、お声をかけるのが躊躇われました」
カラスもかくやと言う光り物をぶら下げたオバサン相手に、誰がどう聞いても皮肉と解る返事をする。これを皮肉でなく口説きと取るならそいつは感性が死んでいるかも知れない。
「あんら、フランスから。日本語お上手ね。けれど、お世辞は下手ね」
「……」
ダメかも知れない。そう心の中でつぶやくことしばし五分。
男は十分との命令を逸脱して、店から戦略的退散を選んだ。
国会議員連続暗殺事件。与党国会議員の射殺事件から大々的に報道されるようになってから一月が経過。報道当初から被害者はさらに増え続ける惨事となった。
ただ今のところ殺害されているのは国会議員に限られており、一般市民はある種、リアルタイムで進行する物語の観劇者でしかなかった。
恐ろしいなどと感じようも、個人にはどうしようも無い事件である。特別、人より力が強かろうが、人より頭脳が優れようが、結局の所は一般人である限り個人の思いは鬱屈するだけである。
国会議員七人目が暗殺された次の日、世間一般は隔絶された訳でもない世の中でありながら、ただただ平然としていた。その一端である、聖マリー私立女子高等学校。女子高校生達の昼下がり。
「昨日で七人目だよね。早く犯人捕まらないのかな……」
すこし落ち着き無く、苛立たしげに小柄な少女は女子高生のお昼の話題にはかなり重たい一石を投じる。その話題を振った事には何ら臆面はない。むしろ暗に彼女に関わりのある話だからと、その話を聞いて欲しくて昼食に大々的に報じられる殺人事件を選んだ。
「るーは昨日、近くに居たんでしょ」
女性用としては少々大きめな真っ赤な弁当箱の、なかなかに手強い内部圧力と格闘する赤毛の少女が問いかけ、あだ名を呼ばれた少女と小柄な少女はその始終を「またやっている」と、時間の経った弁当より冷めた目で見る。
四限目の体育の授業で一人、人一倍はしゃぐようにバレーボールで暴れ回った彼女には弁当箱を開けるだけの余力が残っていないのかも知れない。
「近くって言っても一駅分? 歩いて十分くらいあるから近くなのかどうか……」
「ふーん。ていうか、あんなに派手に人殺しして犯人捕まらないなんて。警察仕事しろよなぁっ」
弁当箱がなかなか開かなくて苛々し始めた怒気を、なんとなしに発した言葉に乗せてしまった。放言の後に気がつきはしたものの、それはあまりも無思慮なものだと思い至って反省し、弁当箱への苛立ちなど友達の心労に比べれば取るに足らないものだと思い知った。
「頑張ってる―― と、思うよ……」
「ああ、ごめん。つくのお父さん警察官だったね……」
「う、うん。事件の捜査している訳じゃあないけれど、お父さん最近あんまり帰ってこないし……」
苛立たしげな小柄な少女。石川つくしの苛立ちは、赤い弁当箱を力ずくで開けた赤毛の少女の言葉に近いモノを方々聞く機会が多い事から来ていた。警察官とは正義の人との羨望で見られる以外に結果が伴わない限り、無能な集団と見なされる絶対表裏の職業でもあった。そもそも犯罪さえ起こらなければ必要とされず、必要とされれば無能の誹りを受けるというジレンマを抱え、当人達の気苦労を知ってか知らずか、彼らの庇護を最も受けている民間人は不満のはけ口に使う。
その親の仕事上、小柄な少女はどうしても敬意と軽蔑の両面を幼い頃から見てきた。
石川つくしが人一倍、気遣い屋で、臆病になったのはその父の影響かも知れない。
「……」
押し黙ってしまったつくしに申し訳ないとでも思ったのか、赤毛の少女は咀嚼していたご飯を大急ぎで飲み下して話題を逸らす。
「それより、るーは学校サボって午前中なにしに行ってたのよ」
「チェロのメンテナンス。前日に電話したら午前中しか空いてないって言われたの」
口に入れた物を右の頬の中に溜め込み咀嚼しながら話す癖のある、るーと呼ばれた少女、三上流以は、昨日自分が学校を午前中休んだ理由を語る。
昨日学校に訪れたのは午後の授業が始まった頃で、どうして午前中に休んだのかと他の友達にも訊かれ、今日もこの二人に話すのを回数に入れれば十回以上は同じ話を繰り返していた。
「それは、それは。さすがユウトウセイな『るー様』ならではの、タイギ有るサボりですね」
成績で見れば中の上。優等生と呼ばれるにはいささかばかり学業の方が伴っていないが、それでも皮肉混じりに「優等生」と呼ばれるには間違いのない人徳者である。
三上流以は成績優秀者ではないものの、学校側、先生や理事に及ぶまでに顔が利く。顔だけでなく、学校内での「政治」にまでこの少女は関わりを持ち、次期生徒会役員への参画を期待された生徒でもある。当人は忙しいとの理由でこれを断ったが。
開けたばかりだが、女性にしては大きめの弁当箱を半分も掻っ食らう様にむさぼり食う姿に周りにいる他の生徒達は、日比野秋、その人への淑女としての期待を誰もが捨てている。
「まあね、抹茶メテオも食べたし。とても有意義でした……」
有意義と言った割に、あまり嬉しそうではない流以。
「えっ、アレ一人で食べたのっ! さすが抹茶大王……」
「うん…… 結局食べきれなかったけれど――」
大王などと呼ばれているにもかかわらず、それへの反論はない。彼女自身既にどうしようもないくらい類似した認識が学校内に知れ渡り、あまい物好きの先生までも店舗情報の共有を図ろうとするのだ。これに抗っても、もう本当にどうしようもない。
抹茶メテオとは、某有名料理店兼喫茶店が大盛りブームに乗っかって、喫茶として繁盛時間中にのみ販売される特大の抹茶パフェである。
八分の一カットされたメロンが皮ごとでーんと乗り、リンゴ一個分のカットリンゴが中央の特大抹茶アイスクリームを取り囲み、これでもかと生クリーム、あんこを乗せた、某有名料理店兼喫茶店の抹茶アイス好きにはたまらない一品である。
だがその実、いままで「個人」での完食者は居ない。
おいしいからと言っても、熱量に弱い生乳製のなめらか抹茶アイスがくせ者だからだ。
おどろおどろしく少女は語る。
天頂部から食べ進めていくと、どうしても時間が経過する。そしてアイスクリームは溶け始める。その溶けたアイスクリームは完全に液状化し、あんこと生クリームを沼底に沈め、カットメロンとカットリンゴをその緑色の深淵に引きずり込む。
深い緑色に染め上がった夕張メロンはさながら溺死体で、深緑色の中にところどころ飾り切りの赤が見えるカットリンゴの皮面は、緑色の湖面に浮かぶ眼球のように見えるらしい。
そして抹茶アイスクリームのおいしさを求めて注文したはずのパフェであるが、メロンとリンゴの甘味が抹茶汁と化した溶けたアイスクリームの中に混ざり合い、甘味の地獄絵図とあい成る。そのくどい甘さは本来の抹茶好きを徹底的に苦しめるらしい。
右の頬に未だ昼食の、自身お手製弁当のからあげを溜め込みながら、最後に少女は言う。
「アレは苦行よ、八苦という言葉であれが表現できるのだから。きっとお釈迦様もアレを食べたに違いないわ」
大きめの弁当箱をものの数分で平らげたソバージュ赤毛髪の少女、日比野秋はその言葉を聞いて、返す。
「るーは歴史苦手なはずなのに、どうしてそう言うことは覚えてるの。いや、そもそもウチの学校、キリスト教系の学校よね……」
学校の経営母体が宗教法人ではあるが、そこに通う生徒の信心は自由ではある。秋は全くもって宗教などどうでも良いのだが、流以の無駄知識に突っ込まずにはいられない性分だった。
そして二人が楽しそうに会話するのに耐えきれず、割って入るのはつくし。
「じゃあ、イエス様も苦行を乗り越えるべき。っていう事?」
そわそわしながら小柄な少女は二人に尋ねたが、
「「そういう話じゃないから」」
「ふぇっ?」
小柄な少女は、しゅんと小さくなった。
一ヶ月の間に、七人もの国会議員が暗殺されるという事件。それは当然の事ながら、あらゆるメディアによって大々的に報じられる。
被害者は与野党の別なく、国会議員である事。被害者達の政治信条や主義主張は全員が合致する様なものではなく、政治的理由または謀略ではないのではないかと憶測され、更に犯行声明等も公表されていない。公表されていないのか、そもそも声明自体が出されていないのか。その情報すら不確かで、メディアが各々『有力情報』と称した誤報が飛び回り、日本国内情報にソースを置いた海外メディアも誤情報を乱発するという前代未聞の事態にまで発展した。
情報統制できない理由は警察機関を通した情報伝達よりも、個人の憶測によるデマやガセネタの流布に因るところが大きく『自称警察関係者』『公安関係者』などという、不確かな情報が電子媒体により個人間を瞬く間に駆け巡った。
誰かの不幸は蜜の味と言ったものだが、情報伝達の加速度化における弊害故、一人の不幸は大衆の娯楽に成り下がった。ならば、この事件も大衆が自身には何一つ関係のない事だと割り切って、その話題性と不可解性を愉しむのは、誰しも既知の事実である。
「犯行現場には狙撃犯と思われる者が居ました」
広い会議室にも関わらず、与えられた末席に座ること無く、始終ずっと起立して待機していたその男はメモ紙を読む。そこに集う皆は一様に、既に一ヶ月、方々を尋ね歩いて疲労困憊の態である。
「狙撃犯を特定できたのか」
警視庁。特別捜査本部、捜査会議内での一幕である。
「はい。ただ…… 被疑者は死亡――」
三十過ぎの捜査員が、苛立たしい色を隠さない警視庁副総監に渋々報告を上げる。
「死亡っ? どういう事だ、初動にミスが――」
報告に狼狽えるのは副総監ただ一人で、特別捜査本部が設置された大会議室に集まる他の面々には苦渋と疲労の色しか浮かんでいない。自身こそが次代の警視総監であると憚らない男の保身による言を遮って、一捜査員はメモ紙の内容を続ける。
「被疑者は全件別人。全員、狙撃位置と思われる場所で左胸部を撃ち抜かれ死亡。死亡した被疑者は元自衛軍隊員、現役警察官、環境保護団体員、新興宗教信者、フリーター、大学生」
被疑者全員が死亡。左胸を撃ち抜いた弾丸は完全に体を貫通しており、警察の捜索能力を持ってしても行方知れず。使用された銃器の特定には至っていない。
「残りの一名は」
「身元不明です」
議員暗殺の被疑者。全員に共通する事項は、同じ様な黒い服を身に纏っており、胸部には弾丸が心臓を射貫いた痕跡が残っているだけだった。
そして何より、最も注目すべき点は議員達を殺害した凶器である『銃』が近辺から見つからない事だった。
殺害された議員七名は同一の銃によって射殺された事は解った。それは遺体そば、もしくは体内から発見された弾丸の旋条痕から確認出来ているものの、肝心の銃本体が見つからない。
狙撃位置と思われる場所で発見された被疑者である人物の遺体は全員、銃を撃ったときに付く硝煙反応が残っていた為、被疑者として死亡したまま確定される事となったが、遺体の傍には硝煙反応以外、何一つ物証は残っていなかった。
それ以外に被疑者達には共通点が無く、関連しそうな点も、被疑者達に面識があるかどうかさえも解らなかった。
明らかに複数犯だとの状況証拠が『そこ』に存在するが、この一連の事件に関連する情報が乏しく、警察の大規模捜査ですら手合いの大きさを測りかねていた。
自分は優秀な警察官である。前職警察庁警備局長から昇ったキャリア組の自負はこの「警視庁刑事部」に居ても揺らぐことはない。
だがその自負は現場にいる人間から見れば無用の長物であるし、幾ら高次元の職歴を有したところで彼ら現場の捜査員達に光明をもたらすわけでもない。
自分が疎んじられ、進展しない捜査の苛立ちから裏では捜査員達による罵詈雑言の掃きだめの対象にされているとも知らず、警視庁副総監様は仕切ったつもりで怒声を浴びせる。
「議員殺害時に残されていた弾丸と、死亡した被疑者を撃ったと思われる弾丸は一致したのか」
「見つかっていません」
「何っ」
「被疑者を殺害したと思われる弾丸は見つかっていません。ですから、議員を殺害した銃と同一の物か特定できません」
通常、弾丸は体内に残るか、体を完全に貫通したとなってもどこかに落ちているはずである。射殺された被疑者全員が屋外の、それも屋上に居たこともあって突き抜けた弾丸は行方知れずになっていた。
警察の大規模捜査における最大の利点である、大量の捜査員投入で発見できると思われていた。だが、その地道な捜査努力も虚しく、全ての被疑者死亡現場より弾丸は発見されていない。
議員射殺時には緊急で検問や人員配備が行われたが不審者などは見つからず、七件すべて警備体制、捜査体制の不備を問われた形となった。
警察はこの七件すべてが偶然に因って弾丸の行方が知れないと思っているが、その実そうではないと理解できる者は一人としてこの場には居なかった。それが彼らの限界であり、その理解という限界の向こう側に殺人者が居る。
こうして前代未聞の事件に完敗を喫す形となった警察は、完全に手詰まりとなる。
そんな中、警視庁刑事部、特別捜査本部に忌むべき者が訪れる。
「捜査情報の開示を求めたい」
「これは、これは。事前に何も察知できなかった公安部の皆様ではありませんか」
別部署からの来訪者で、警視庁副総監はその場を退出した。ただの一言、無能な刑事部を侮蔑して。その一連の警視庁副総監の行動をその場に居た刑事部全員が無視して、忌まわしいモノとの対峙を優先した。
「それは事前に危険箇所を予測、保守出来なかった無能な警備部に言ってやれば良い」
「怠慢の押し付け合いでもする気で? そもそも公安部と警備部で何とか出来ればウチには回ってこなかったヤマです」
「この件に関して我々は長官より任された」
偉そうに『任された』などと平然と言い放ったが、詰るところ『長官に任されるまでは事前察知は出来ていなかったどころか、捜査においてすら刑事部の後塵を拝した』訳である。
当然、この事件に関連する情報収集は事件後、いち早く乗り出した刑事部が筆頭と言うことになる。
いかに警察庁長官という警察機関最高責任者の命があろうとも、この状況下であれば優位性はいまだ刑事部に有る。
当然、国会議員が暗殺されるなどと言う大失態を犯した公安部に、強権を発動できるだけの面目は既に無く、刑事部長が強く打って出るのはこの場に居合わせる刑事部捜査員達の総意でもあり、怒りの表れでもあった。
「もちろん、長官命令が有る限り公安部の要求は正当な物だが、諸手を挙げて情報を提出できるほど納得している訳ではない」
「どうしろと」
「こちらにも情報の開示を要求する」
「それは無理な話だ。既に国会議員連続暗殺事件の捜査全権は我々、公安部に委譲されている」
つまるところ『もう関わるな』という事だ。しかし、最初の事件から一ヶ月あまり、地道な捜査を続けて来たのは刑事部の捜査員達である。当然、彼らが簡単に納得出来るはずもない。
「刑事部は国民に対するアピール集団ではない。公安部の尻ぬぐいなど真っ平御免被る」
「それは命令を無視すると言うことか」
憎むべき相手の言葉に、特別捜査室の空気が澱む。
この特別捜査本部の旗揚げをいち早く行ったのは他でもない刑事部長本人だった。
下から上がってくる情報を精査する前に、いち早く事態を重く見た刑事部長が捜査一課の人員を多数割いて作られた特別捜査本部。
前任の自己保身と権益だけを求めた刑事部長とは打って変わり、ノンキャリア、現場から叩き上げで上り詰めた人望と人徳の塊の様な男だった。
その男が、着任後初めて問われた。保身か、命令違反を辞さずして捜査員の意思尊重における捜査強行か。
男の態度は、次の言葉に集約されるはずだった。
「とんでもない、命令には従う。国会議員連続殺人事件に関しては情報の開示を約束しよう」
公安部の人間が『暗殺事件』と言ったものを、敢えて『殺人事件』と言い直した。だが、どうあれ情報の開示は刑事部の捜査打ち切りの合図。
そう、誰もが捉えた。
どうあっても男は刑事部を纏める役職に居なければならない。もし自分以外の者がここに収まれば、現場を駆けずり回る捜査員達の枷になると、身をもって体感してきたのだから。
だからこそ、
「だが、我々刑事部は、特別捜査本部はこれまで通り捜査を続ける。我々刑事部が追っているのは議員を射殺したと思われる人物。元自衛軍隊員、現役警察官、環境保護団体員、新興宗教信者、フリーター、大学生、身元不明者を殺害した犯人。連続殺人事件の犯人だ」
「ふざけるな。国会議員暗殺に関与した可能性が高い。その犯人も我々公安部が押さえる」
「残念ながら国会議員を殺害した銃と、国会議員暗殺犯と思われる人物を殺害した銃は同一だと判明した訳ではない。故に、我々刑事部は別の犯罪である可能性を考慮して捜査を続行する。そもそも、入り口を見たか?」
単なる屁理屈を並べた言葉。どう足掻いてもこの刑事部長の言葉の中には無理が多々存在する。客観的に見ようとも、主観で語ろうとも、この捜査事由は本来なら認められない。
しかし、ここは刑事部特別捜査本部。異論を唱える人間は異物である公安部の人間だけだった。
「この事は監察官に報告させて貰う」
「世の中、ギブアンドテイクが原則だ」
秋築昇、五十六歳。階級、警視長。役職、警視庁刑事部長。
年の割には黒々としすぎて逆に目立つ、テキトウに白髪染めをした漆黒のオールバックがチャームポイント。
この男。定年まで大人しくしているなど、性に合わないらしい。
公安部の人間が数人、特別捜査本部から段ボールに入れた書類束を持ってぞろぞろと出て行く。最後尾にいたのは警視庁公安部、谷田喜十郎。
喜十郎は一人、荷物など持たず、言い知れぬ屈辱だけをそら手にぶら下げて廊下に出た。
喜十郎の目には安いコピー紙に『特別捜査本部』とだけ油性のマジックで手書きされた紙が映った。今はその汚い字で手書きされた文字すら忌々しい。
秋築の言葉の意味を今もって理解した。『特別捜査本部』とは書かれているが、何を捜査しているのか具体的には記されていない。国会議員の暗殺捜査なのか、殺人容疑者が殺害されていた事の捜査なのか。国会議員が殺されたという事で捜査が行われるならば部長が安いコピー紙に手書きなどして捜査本部と銘打ちはしない。
少なくともマスコミ用に「おしゅうじ」ごっこの過ぎる事案名を明確にした銘を掲げるに違いない。
屁理屈の証を見て腹立たしいのが収まるはずもなく、喜十郎は気付けば握り拳をその紙に叩き付けていた。
その始終を目撃した女性職員は驚いて逃げ出したが、喜十郎の目には、殴りつけて皺寄った『特別捜査本部』の文字しか見えていなかった。
余談だが、この紙を書いた人物は秋築昇。しかし、喜十郎は知る由もない。