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スマートフォンのロック画面の写真に見知らぬ女の子が出現した件

作者: 立木 隼

突如、スマートフォンの画面に出現した少女。


主人公が少女に出会ったことでちょっとずつ変わっていく話です。

 ホラーだと思った読者諸君。

 少しだけ落胆するかもしれないが、先に言っておくとこれは特に怖い話ではない。

 むしろ、日常の中でふと出会った、小さな非日常の体験であり、とてもありふれた話だ。

 ひょっとすると心温まる話かもしれない。

 

 突如、見知らぬ少女が私の携帯のロック画面に出現した。


 正確にいうと、私がロック画面の壁紙に採用している、『写真』に、一人の少女が入り浸るようになったのである。


 今、少女は、携帯の写真の中、部屋のソファで寝そべっている。

 まるで、自分の家であるかのようにくつろいでおり、少し眠たげな表情が液晶の画面越しに伺えた。


 少女について説明する前に、この携帯の『写真』について触れておかねばならない。


 私には「いつかこういう部屋に住みたい」という理想の部屋があった。

 一般的には北欧式、とカテゴライズされるような部屋である。


 白を基調とした壁、洒落っ気の利いた木製家具、異国風情あふれる町並みが収まった写真。

 そして部屋全体に優しげな光を投げかける暖炉の灯。私はこうした北欧風の部屋に強く心が惹かれるのであった。

 

 考えても見てほしい。

 家にいるだけで、どこか異国を旅しているような気分になれるのだ。

 それは、きっと私にとって、現実空間から隔てられた『秘密基地』そのものだろう。


 そして私は、スマートフォンのロック画面に、理想の部屋写真を設定した。

 立身出世し、お金を貯めて、いつか自分の『秘密基地』を作るのだ。 

 そう自分を奮起させるための『願掛け』である。


 そんな私の『秘密基地』に、今、少女が佇んでいた。


 最初は目を疑ったが、慣れてしまえばなんのことはない。

 私の『秘密基地』に、もともとこの少女も被写体として写っていたかのような錯覚すら覚える。

 少女はただ、溶け込むように、部屋のインテリアの一部と化していた。

 

 そう、少女は基本、静止画だった。

それは、部屋の中の家具が動かないのと同様に、少女自身も静止していた。

 

 しかし、少し目を離してもう一度ロック画面を開くと、少女は少し動いていた。

 目を離す前に居たはずの場所から、少女は華麗に移動していたのである。


 壁に立てかけられた絵画を眺めていたかと思うと、目を離したら腰掛の椅子に座っている。

 はたまた、逆立ちの練習をしているのか、三点倒立をしていることもあった。


 まるで、子供遊びの、「だるまさんが転んだ」をしている気分である。

 

 私がスマートフォンから目を話している隙に、少女は写真の中で活動する。

 そして、私が目を戻したときにだけ、だるまさんの鬼が振り返ったときのように、ぴたりと静止する。

 少女は遊びをしているつもりなのかはもちろんわからないが。


 一度面白半分に、まぶたを閉じて1秒後に開ける、ということを繰り返してみた。

 目を画面から離して、また戻す。

 そのサイクルを上げると、どうなるかが気になったからだ。


 結果、少女はまるで、パラパラ漫画のように少しずつ動いていた。

 なるほど、目を離した隙に、少しずつでも動くのか。

 これはこれで面白い、と私は思った。


 ――この少女は一体何者なのだろう。

なぜ私のスマートフォンの画面に現れたのか。 

 そもそも、どこから私の『秘密基地』にやってきたのか。


 よく観察すると、液晶内の少女は、私の『秘密基地』に居心地の良さを感じていた。

 黒いソファでうとうとと船を漕いでいる様子や、ベッドの上で横になっている様子が非常によく見受けられたからだ。


 その様子は、どこか安心しきっているかのようだった。

 どこか疲れた体を回復させるために長時間寝ているようにも見受けられる。

 何かから逃げてきて、ふとたどり着いた場所がここだった、という連想が浮かんだ。


 いらぬ詮索はするべきでないが、少女がきっとなにかを抱えているのかもしれないと私は思った。

 そう考えると、まるで親心が芽生えたかのように、少女に対する愛着がいくらか湧いたのである。



 それから、私の日常に少しだけ彩りができた。


 ふと何気なくあけた携帯の画面に少女がいる。

 そのことが時折私に小さな安心感を与えてくれるのだ。


 会社に行き、いつも通りの業務をする。

 電話口でクレーム対応をし、納期の短い案件の処理を死に物狂いで行う。

 今の時期は、繁忙期で、私の職場は戦場そのものだ。


 ふと、一息つこうとタバコを吸いに喫煙室へ行く。

 一服して、おもむろにスマートフォンを開く。

 そうすると、少女が『秘密基地』の中にいるのが見える。


 今は、しゃがみこんで、部屋の暖炉の灯をぼうっとみつめているようだ。


 何の心配もないような、弛緩した少女の姿を見ると、私まで体の緊張が緩むような気がした。

 娘ができたらこういう気持ちになるのか、それともある種ペットのような感覚なのか、私にはわからない。

 ただ、いつも少女が液晶の中にいるという事実に、私は一欠片の安堵を感じ取っていた。



 ある日、少女が写真の中からいなくなっていることに気づいた。


 私は焦った。

 少女はどこに行ったのだ。

 現れたときも突然だったが、居なくなるときも忽然と急にいなくなるのか。

 それとも、私の『秘密基地』に飽きてしまったのだろうか。もう少し御洒落なインテリアの部屋にしておくべきだっただろうか。


 しかし、ほどなくして少女は見つかった。少女は、私の部屋に飾ってある「ポスター」に移動していたのである。

 今は亡き、米国のミュージシャン、デビット・ボウイの来日ツアーライブで入手したポスター。

 私の部屋に唯一飾ってある壁掛けの中に、少女は居たのである。


 少女は、デビットボウイのギターをしげしげと見ていた。

 しかも、デビットボウイの寸法に合わせて、少女の身長も大きくなっていたのだ。


 ここで、私は少女の外見をまじまじと見ることができた。

 茶色がかった髪の毛をぼさぼさに伸ばし、肩から下にかけて花柄のレースが入ったパジャマのような服を着ている。

 どちらかと言うとやせ気味で、顔の造詣は整っているように見えた。


 一見すると日本人ではなく、ゲルマン系の顔たちをしている。ドイツ人の少女、といった風貌であった。


 私は少女を見つけて、とりあえず安心した。

 そして、ポスターに移動することができる少女を見て、思った。


 少女は近くの平面図に移動することができるのだ。


 私は少し考察をしてみた。

 今まで、テレビをつけていたことはあるが、少女はテレビの液晶内に移動することはなかったはずだ。

 とすると、あくまで少女は、2次元の静止画の中だけで活動することができるのではないだろうか。


 ためしに、世界遺産の写真がついた絵葉書を郵便局から買ってきた。

 ピサの斜塔を上から撮影している写真である。

 おそらく、ヘリコプターかなにかでピサの斜塔を上空から撮影したものだ。

 

 その写真を、少女がいるポスターの近くにおいておいた。

 するとどうだ。

 少女はその絵葉書に移動したのである。


 移動した先は、ピサの斜塔の最上階であった。

 やはり、写真の中の縮尺に合わせて、背が小さくなっていた。

 少女はピサの斜塔の屋上から、しげしげと下を見下ろしていた。


 私は、この少女の存在がなんとも不思議に思った。

 と同時に、私の『秘密基地』に少女がやってきた方法が分かった気がしたのである。


 おそらく、この少女は、平面の中を移動して、旅をしてきたのだ。

 私の携帯のロック画面に来る前は、別の写真の中にいたのであろう。

 たまたま私が通りかかり、少女は私の『秘密基地』に移動してきた、というわけだ。


 少女が平面で移動できることを知ってから、私は少し怖くなった。

 少女がまたいつ、私の元から離れていってしまうかわからないからだ。

 どこかからやって来たのであれば、またどこかへ行ってしまうかもしれない。


 しかし、それは杞憂だった。

 ふと目を離せば、少女はまた私の携帯のロック画面に戻っていたし、それから1週間ほどしても居なくならなかったのだ。

 どうやら、西欧の血筋を感じさせる風貌の少女は、私の部屋が心底気に入ったらしい。


 それは、どこか懐かしさを感じているからだろうか。

 少女は白人の雰囲気があるので、もしかしたら海の向こう、ヨーロッパのどこかの国からこの日本まで来てしまったのかもしれない。

 見知らぬ異国の地で、偶然に慣れ親しんだ部屋の造りを見かけ、居ついてしまったのではないか。



 しかし、ずっと同じ部屋に閉じ込めておくのも申し訳がない。

 そう思った私は、少女を美術館に連れて行くことにした。

 というのも、美術館なら絵がたくさん置いてある。

 少女が移動する先の絵で面白いものがあるんじゃないかと思ったからだ。


 訪問したのは、17世紀から18世紀頃に、西欧世界を席巻したらしい、バロック絵画の展示会である。


 私がこの展示会を選んだ理由としては、 なんとなく少女が好みそうな、西欧風の部屋が描かれている絵が多そうだったからだ。

 私の『秘密基地』の佇まいが好きであるなら、きっと同じようなインテリアが描かれているものがよいのではないか。単純な理由である。


 果たして、美術館に足を踏み入れ、絵画を物色した。


 血み泥臭い絵画もあれば、当時の貴族の生活を描いている絵画もある。

 部屋で酒を片手に優雅にくつろいでいる貴族、なにやら帳簿のようなものをつけている商人の絵。


 ロック画面内の少女を見たところ、部屋の窓の外を見ている様子が伺えた。

 私が絵画を見て回っているように、少女も窓の外から見える美術館の絵画を見ているのだろうか。


 ふと、目を離した隙に、少女が携帯の画面から消えていることに気づいた。

 少し焦ったが、道を引き返してみると、程なく少女が絵画の中に居るのが見えた。


 それは家族の写真だった。

 父親が子供を抱き、母親が編み物をしている。

 おそらく、比較的中流の庶民の暮らしを描いた絵だろう。 

 その絵の中の子供をあやすような仕草で、少女はその絵の中に佇んでいた。


 子供をあやす少女の横顔は、懐かしいような、はたまた喜んでいるような、そんな雰囲気を感じさせた。


 この少女にも家族がいたのだろうか。

 いるとしたら、日本からは遠く離れた海の向こうにいたのだろうか。

 平面の間を移動する少女も、ひょっとしたらどこかに家族を残してきているのかもしれない。



 ふと、横で話し声が聞こえた。


 「あれ?この絵画、ムリーリョよね?こんな女の子描かれていたかしら」


 声のする方をみると、少女が移動した絵画をしげしげと不振そうな顔でみている初老の女性がいた。

 

 私は冷や汗をかいた。少女をみられてしまったのだ。

 少女の服は現代におけるパジャマのそれである。

 明らかに絵画の中の世界観にはそぐわない。

 

 一見すると、明らかに少女の存在は不自然だ。

 加えて、この初老の女性は、この絵画を以前に見たことがあるようである。

 私は心臓の動悸が高まるのを感じた。


 「これ絶対おかしいわ。絵画がすりかえられてるんじゃ」


 初老の女性は周りの人に聞こえるぐらいの声を上げる。

 初老の女性の様子をみて、なんだなんだ、と人が集まってくる。

 あっという間に野次馬の集団が絵の周囲を囲んだ。

 警備員を呼ぼうとする人もいる。


 これはまずいことになった。

 私は一人うろたえた。


 少女は人に見られている間は、絵画を移動することができない。

 にもかかわらず、すでに10人ほどの目線が絵画に集まっている。

 これでは、瞬きなどを考慮しても誰にも見られていない時間はほぼ1秒だってないような状況だ。


 警備員がこちらに歩いてくるのが遠くから見えた。

 本格的にまずいことになる。

 私は意を決して、行動にでた。

 少女を救うためにはこれしかない。


 「あああ!!!」


 私はあらん限りの声を張り上げて、別の絵画のほうを指差した。

 野次馬たちは驚いた顔でこちらを見る。


 「こっちにもへんな男が絵の中にいるぞ!!」


 私はわざと大きな声をだして群集の注意をひいた。

 思ったとおり、「え、なんだ? 他の絵にも変なものが?」と言って、私が指差している絵画のほうに野次馬たちが集まってくる。


 しかしながら、出たのは落胆の声だ。


 「なんだ。なんの変哲もない絵画じゃないか」


 私が指差していたのは、代わり映えのない、人間の姿すら描かれていない風景画だった。

 そこには殺風景な田園風景が広がっており、私が口に出した「へんな男」はどこにも描かれていない。


 奇妙なものをみるような目で、私をみつめる野次馬たち。

 そして、程なく、最初に少女を発見した初老の女性が声を上げた。


 「あら!?へんね、女の子が…」


 皆、先ほどまで注目されていた家族の絵画の方に近寄る。

 すると、初老の女性の言うとおり、絵に変化が起きていた。


 ご想像の通り、少女が忽然と絵の中から消えていたのである。


 「ごめんなさい、通報者はどなたですか?」


 警備員も遅れて到着して、事情を聞き始めた。


 「はい、私です」


 初老の女性が手を上げる。

 しかし、彼女も、狐につままれたような、呆けた顔をしていた。

 彼女は警備員に説明をしだしたが、言っていることと実際の絵が違っているのだから、警備員も首をかしげるばかりである。


 野次馬たちも「なんだったんだ」、「おかしいな、おれも確かにこの目で見たんだが」と口々に言って、散っていった。


 私はこの一連の状況をみて、ほっと一息をつき、胸をなでおろした。

 危なかった。

 そして、人目を盗んで携帯のロック画面を開く。


 そこには、いつもどおり『秘密基地』でくつろぐ少女の姿があった。





 美術館の一件があってから、私は人目がつく写真展や美術館に少女を連れて行くことをやめた。


 代わりに、自分のカメラで写真を撮って、少女に遊び場を提供することにした。

 自分で撮った写真なら、人目につかず自宅で写真を並べられる。

 少女には思う存分好きな写真に移って遊んでもらえる。


 私は、以前家にあった古いカメラを取り出してきた。

 デジタルカメラではない。

 いまどき珍しいフィルム式のカメラだ。


 昔と違って、今はデジタルカメラが主流だ。

 そのため、現像用のフィルムが買われなくなっており、以前と比べて値段が高くなっていた。

 しかし、これを機に写真を趣味にしてもいいかもしれない、と思い、そこそこに値が張るフィルムを購入した。


 それから色々な写真を撮った。

 近所の公園にいくこともあれば、海に出かけることもあった。

 そして写真を撮っては現像し、携帯の横に写真を並べた。


 予想通り、少女は私が現像した写真の中に移動した。

 一人海に入ってはしゃく姿や、不思議そうに建物や看板を眺める姿が、私の目によく映った。


 気をよくした私は、写真を撮るためにしばしば遠出もした。


 最初は、鎌倉に出かけた。

 高徳院の大仏やら、有名な寺の写真やら、たくさんの写真がとれた。

 季節柄、美しく咲いていた長谷寺の紫陽花(あじさい)の写真が少女には好評だったらしい。

 現像した紫陽花(あじさい)の写真によく移って、花同様に明るい笑顔を輝かせながら見入っているのが伺えた。


 なるほど、花の写真がよいのか。そう学習した私は、遠出をして花を撮ることが多くなった。

 こうした撮影生活が続く中、私の人生にも一つ、小さからざる変化がおきた。


 恋人ができたのである。


 事の発端は、まさにこの撮影生活であった。

 私はいつもどおり、花を撮りに出かけていた。

 訪れたのは日立海浜公園。

 その時の目当ては美しい青色を開かせるネモフィラであった。


 一面に咲きわたる、どこか優しい青の色。

 儚げで、思春期の少女を連想させる花びらが色づいていた。


 そんな風景を撮影していた私に、話かけたのが、後に私の恋人になる女性であった。


 「熱心に花を撮るなんて、珍しいですね」


 ふと、振り返ると、美しい女性がいた。

 白く、かさの大きい帽子をかぶり、肩には私同様にカメラをぶら下げていた。


 「私も、ネモフィラ、好きなんです」


 彼女は、薄く、透き通った青が好き、と言った。

 そして、自分が好きな花について、語りだした。

 私はすこし戸惑いながらも、自然に、そうですか、と相槌をうっていた。


 それから、その日は、二人であちこちを回り、帰りを予定していた時間をすぎて、写真を撮った。


 彼女の笑顔に惹かれ、流されるままについて周った。

 私も彼女をつれて、自分で見つけた絶好の撮影場所を案内した。


 帰路に着く際も、お互いのことを話し合った。

 彼女もよく休日は花の写真を撮りにこうして出かけるらしい。

 趣味が合う人と出会うと、自然と話に花が咲く。


 家についても、私は少女の脇に写真をおきながら、彼女のことを考えていた。


 「また会いたいな」とひとりごとをこぼして居る自分に気づく。

 ふと目を落とすと、帰りに現像してきたネモフィラ畑の写真の中で、少女はすでに駆け回っていた。

 無邪気にはしゃいでいる姿が見える。


 少女は青がお好みだ。

 それは青自体が、儚げな少女を連想させることも少しは関係しているのだろうか。


 そして、ほどなく、私と彼女は連絡を取り、よく会うようになった。

 距離を縮めて語りあう仲になるまで、そう時間はかからなかった。


 気づけば、私と彼女は恋人になっていたのである。


 それからの日常は一変した。

 彼女と写真を撮りに行くことが増えた。

 お互いに写真についてああだこうだ言い合うのは楽しかった。

 常に笑いが絶えなかったように思う。


 また、彼女が映っている写真を撮ることが増えた。

 私の取る写真のリストは、以前は花の写真が多かったが、最近は彼女が被写体であるものが多くなった。

 少しずつ、私の生活も、心境とともに変化していった。


 そんな中ある日、少女がロック画面から移動していることに気づいた。

 映った先は、ネモフィラの花畑を背景に、私と恋人がカメラの方に向かって微笑んでいる写真だ。


 私がちょうどこの写真を見た時、少女は、カメラに向かって微笑む私と彼女の間に、挟まるようにして立っていた。


 知らない人が見れば、少女が、私と彼女の子どもであるかのように見える。

 まるで家族3人で撮られたともいえる写真になっていた。

 なかなか趣き深い絵面だった。


 目を離すと、少女はすでに私と彼女の間から移動していて、ネモフィラの花畑の間を駆けまわっていた。


 少し気になったのは、まぶたの裏に残る、私と恋人の間に立っていた少女の表情である。


 どこか寂しげでもあり、それでいてどこか満足していたかのような、そんな複雑な表情をしていたような気がする。

 少女の心の揺れ動きを、少しだけ感じたような気がした。

 私もなぜか、少し複雑な気持ちが湧く。


 あとから思えば、この時に私は予感していたのかもしれない。


 守るべきものができた私と、少女の関係はおそらく、前のようなものではなくなって来ていたのだ。





 そして、少女は私の前から、姿を消した。





 ある朝、少女がロック画面からいなくなっていることに気づいた。

 職場に行く満員電車を降りて改札をくぐり、ふと携帯の画面を確認したところ、いつもいるはずの少女が消えていたのだ。


 その時は、部屋のどこかの写真に少女が遊ばせたまま、私だけ会社にきてしまったのだろうかと思った。

 それほど、心配しなかったのだ。


 しかし、家に帰っても、どの写真にも少女はいなかった。

 現像したあらゆる写真を探したが、少女の姿はどこにもなかったのである。


 少女は、忽然と私の前から姿を消したのだった。

 戸惑った。ふさがらない心の隙間ができたような気がした。


 しかし、私には心の半分ほどをすでに埋めてくれる存在がいた。

 恋人だ。

 少女の失踪に、しばし喪失感にかられた私を満たしたくれたのは、彼女の笑顔だった。


 少女がいなくなったことに慣れるのに時間はかかったが、やがて私は前を向いて、少女のいない新しい生活を送るようになった。

 もともと、恋人が出来てから私は前を向くようになっていたのかもしれない。立ち直るスピードも早かった。


 部屋も引っ越しした。

 彼女と同棲するためだ。

 以前から北欧式のインテリアコーディネートがなされた部屋に憧れを抱いていたので、これを機会にと、私好みの部屋に改造した。


 完成した部屋は、あの部屋にどこか似ているな、と私は思った。

 そう、いまだに私の携帯のロック画面となっている、『秘密基地』に、である。


 大きく違うのは、住んでいる人間が違うということ。

 この部屋に住むのは、私と恋人。

 かつて『秘密基地』に住んでいた少女は、もういない。


 やがて、私は段々と少女を思い出さなくなっていった。




 ある日、私はいつも通り満員電車に揺られていた。

 今日も不快なほど社内は人で密集している。

 私はこの混雑をやりすごすために、イヤホンで音楽を聴いていた。


 そんな中、私はふと目を動かした。

 視線の先は、ちょうど目の前に立っている、20代後半程の女性のスマートフォンの画面だ。

 

 たまたま、こちらから見える角度であったのだ。

 それは本当にたまたまだった。

 偶然、奇遇。


 そういった単語で表現するにふさわしいくらいの確率だったように思う。

 

 私の目に飛びこんできたのは、あの少女だった。


 なんと、あの少女が、目の前の女性の携帯画面の中にいたのである。

 それは、私の携帯から忽然と姿を消した、まごうことなきあの少女だった。


 その携帯画面には、一面が石の壁で覆われている部屋の写真が設定されていた。

 ほのかに灯る暖炉によって、写真全体に暖かな雰囲気が漂っている。


 部屋の中央で、少女は猫を膝に乗せながら本を読んでいた。


 私は驚愕し、歓喜した。

 あの少女だ。

 私と数ヶ月、時間をともに過ごした少女。


 再び少女をひと目見ることが出来て、私は少し感極まってしまった。

 突然居なくなって、心底心配していたし、一時は喪失感に心を満たされていたのだ。


 私は、声をあげようとした。

 携帯を、その携帯を私にみせてくれ、こちらによこしてくれ。私に…。


 しかし、私は数瞬のうちに、踏みとどまった。我に返ってしまったのだ。というのも。


 「ふふっ」


 携帯の主、私の目の前の女性が、突如携帯の中の少女をみて笑ったのだ。


 ふと携帯のほうを覗き見ると、少女が猫にかみつかれているところだった。

 きっと、膝に乗せた猫にちょっかいをかけようとして、猫を怒らせてしまったのだろう。


 私は、おや、猫も動くのか、少女以外で動いてるものにでくわしたことはなかったな、と単純に驚き、そして気づいた。


 この少女と、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 私は思った。もう少女は、居ついているのだ。私の()()()()()()()()()()()()()()()()に。


 きっとそこは、少女にとっての新しい『秘密基地』なのだろう。かつて、私の携帯画面の『秘密基地』が、少女にとってそうであったように。


 なんだか妙に、私は納得してしまった。

 そうか、少女はきっとそういう()()なのだな。


 そのままなにも言わず、女性に声もかけずに、私は電車の中を出た。







 いつもどおり、私はホームの階段を上って会社に向かう。

 込み合う人。

 皆急いで、道を行く。何一つ変わらない、日常の風景。


 私は脳裏に思い出す。

 先ほど再会した、新しい『秘密基地』で猫とじゃれていた少女の姿。


 少女の新しい『秘密基地』の主である、あの女性も、きっと、少女に初めて出会ったときに、こう思っただろう。


 ―――少女はまるで、最初から写真の被写体だったかのように、上手く部屋に馴染んでいた。


 それは、私が、初めて少女と出会ったときに感じた印象と、きっと全く一緒だったのだろう。

 彼女は次第に、少女の存在に一欠片の安堵を見出しはずだ。

 日常の中に灯る、小さな命。不思議と和んでしまう、小さな小さな存在。


 彼女は、見る人に安堵を与え、少しばかりの幸せを届けてくれる。

 少女はたぶん、ずっとそういう存在だったのだ。


 きっと、()()()()、色んな人に、ささやかな幸福を与えてきたのだろう。

 そうして、彼女は平面の上を、渡り、渡って旅してきたのだ。

 

 その旅は多分、今後も続く。

 しらずしらず、周りに微笑みを与える旅路。

 私の『秘密基地』は、旅の単なる通過点にしかすぎなかったのかもしれない。彼女はどこまで行くのだろうか。



 私は、携帯の画面を何気なく開いた。

 今でもかわらずそこにある、私だけの『秘密基地』。

 白を基調とした部屋。洒落っ気のきいた木製家具。暖炉。絵画。


 何度も見飽きたその部屋を眺める。

 どこか、懐かしさと寂しさが、私の心にこみ上げてきた。


 そこで、部屋を見渡して私はあるものに気づいた。


 「あっ」


 携帯画面の部屋の隅に、見慣れないものがあったのだ。

 部屋の隅には、よく見ると花瓶がおいてあった。

 その花瓶には、青い花が一輪挿してある。


 ネモフィラ。

 思春期の少女を思わせる、淡く、青に染まる花。


 今になるまで気づかなかった。

 いや、気づかなかっただけで、もしかしたら以前からあったのだろうか。

 それとも、先ほど、たまたま再会してしまった少女がすれ違いざまに()()()いったのだろうか。


 そういえば、少女は花が好きだったな、と思いだす。

 ネモフィラ、私がかつて撮った花。

 恋人と出会った場所で咲いていた。


 それは別れの餞別か。それとも単なる部屋飾りのつもりか。

 答えはわからない。


 しかし今、私の中にあるのは一筋の安堵。

 そして、彼女が、これからも無事に旅を続けられるといいなという、ささやかながらの祈りの想いだった。











最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。初短編です。


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