第7話 偶数へ愛をこめて
「で、何してたんだ?」
俺は逃げるエリをなんとか捕まえた。
かつてはどうだったか分からないが、罰で走らされまくったおかげで俺はエリよりも速く走れた。
エリも必死に逃げていたが、俺に結局追いつかれたのだった。
「……はあ……はあ」
エリは呼吸に必死で答えて答えてくれない。
「大丈夫か?」
声をかけると、エリの目から大粒の涙がこぼれ始めた。
「えっ!……ちょっ……どした!?」
俺の問いにエリは答えないで、泣き続けている。
テンパった。
エリとは言え、急に女子に泣き出されるとさすがに困る。
どうすべきなのだろう?
俺が困っていると、エリが俺の手を握った。
「しばらくこうしていてくれ……」
「……お、おう」
俺は素直に応じた。
さすがに断ることはできなかった。
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「……で、どうしたんだ?」
エリがようやく泣き止み落ち着いたところで俺はたずねた。
突然泣き出すということはよっぽど辛いことがあったんだろう……。
「……うぅ。笑わないって誓うか?」
「……誓う」
もう既に俺に恥じることがないくらい汚点を晒してくれている気がする。
今更、何を恥じているのだろう。
「……次の時間、私、実技訓練だったんだよ」
実技訓練とはいわゆる座学で習ったことを実際に試してみよう系の授業である。
まあ、簡単に言うと、実際に魔法を使ったりする訓練のことだ。
「それでどうしたんだ?」
別にエリが実技訓練で困ることは無いような気がする。
エリはエルフとハーフのおかげで魔法を扱うこと自体はそこまで問題ないのだ。
まあ、普通に使ったらだが……。
「あのな……お前らの実技訓練は知らないけど、私達の訓練は二人一組で行うんだ……」
「うん。大体分かった」
余ったのか。
大体分かる。
こういう時、エリが余る奴だってことは。
ギルドでの合同講習会を見ていたから。
俺も人のこと言えないが……。
二人組を作って余る人間というのは大体決まっているのだ。
それは環境が変わろうと関係ない。
余る奴はどこへ行っても余る。
それはこの残酷な世界の摂理だ。
「そうか。お前なら、察してくれると思ったよ……。ただ余るだけなら、別に良かったんだ。私だって慣れてるし……。問題はここからだ。……偶数なのに余ったんだ」
「……何……だと?」
そんなことあり得るのだろうか?
偶数は2で割り切れるはずだが……。
この世界では偶数を2で割っても余ることがあるのだろうか……。
いや、そんなはずはない。
この世界でも数字の概念は同じだった。
偶数を2で割ったら余り0のはずだ。
誰も傷つかない優しい世界。
それが偶数じゃないのか……?
ああ。分かった。そういうことか。
一つだけあった。偶数でも余る事例が……。
「……三人組があったのか?」
「……ああ」
エリが頷いた。
偶数でも余ることがあるのだ。
それが二人組における三人組の存在だ。
何らかの理由で三人組が出来てしまった場合、偶数でも余るのだ。
「どうやら最初に認識されなかったみたいでな……。そのまま、三人組が……」
なるほど、謎は全て解けた。
おそらく、エリは余った奴と組むつもりだったのだろう。
偶数だし待っていれば、勝手に一人、エリと組まざるえない奴が出てくるはずだ。
だが、実際は違った。
気付かなかったのだ。エリが余っているということに……。
だから、その本来エリと組むはずのやつは違う二人組に混ぜてもらったのだろう。
「それは辛かったな……」
「うぅ……。はやとおおお!!」
エリが再び泣き始めた。
俺は手を握ってやった。
泣いていい。泣いていいぞ。今は……!
エリの心中を慮る。
おそらく、最初にエリは人数を確認したはずだ。
最初の人数把握はぼっちの習性だ。
悲しい性だが、そこで覚悟を決められる。
奇数だから余る、と。
だが、エリは違った。
安堵してしまったのだ。
偶数だったから……!
おそらく、余った時の心のダメージは半端なかっただろう。
何の覚悟もできていない心に突き刺さるナイフ。
痛かったはずだ……。
だが、エリは耐えていたのだ。
少なくともこの講義が始まってから2週間。
耐えていたのだ。一人で。たった一人で……!
そんな彼女の姿を誰が笑えるというのだ。
「うぅ……」
気づくと、俺の目からも涙が出ていた。
過去の忌まわしきぼっち生活が思い出されたのだ。
「……ハヤト。……ありがと」
俺の涙を見て、エリが言った。
こうして、俺達は仲良く30分くらい泣いていた。
孤独の戦士は密かに泣く……!
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「探しましたよ! 先輩!」
俺とエリが泣き終わり、二人で空を眺めていたら、賢者さんが現れた。
「ど、どっか行け! この悪魔め!」
エリが賢者さんに向かって言う。
何てことを言うのだろう? このクズは。
よりにもよって賢者さんに向かって悪魔だなんて……。
「もう講義はとっくに始まってるんですよ」
賢者さんが頬を膨らませて言う。
「おいおいおい! 舐めてんの? 私がお前の講義なんて受けるわけないじゃん!」
もしかして、エリの次の講義とは賢者さんが担当していたのだろうか?
うらやましい! 何でこいつはこんなところで油を売っているのだろう。
「お前、早く行けよ!」
俺はエリの背中を押した。
「えっ……ちょっ! ハヤト、何なんだよ! さっきの涙はどこ行ったんだ!?」
「はっ!」
俺は思い出した。
そうだ。そう言えば、こいつはもう戦える心を持ち合わせていなかったのだ。
賢者さんと会えた喜びですっかり忘れていた。
「賢者さん……。申し訳ないんですけど……エリはもう……」
俺とエリが暗い顔になる。
いくら賢者さんの頼みでも、これ以上エリを戦わせることは出来ない。
「先輩、今日からアリサちゃんも一緒に次の私の講義を受けることになりましたよ! 前からの他の組は出来てて、一人みたいなんで、出来れば先輩に組んでもらいたいんですけど……」
「そうか! そういうことなら、仕方ない! 私も別に組んでる人はいたけど、三人だったし、私が組んでやるよ! しょうがねえなあ。もう!」
そういうと、エリは急いで行ってしまった。
何て変わり身の早い奴なのだろう。
共感して泣いた俺がバカみたいだ……。
賢者さんと俺だけが残された。
「……あの……じゃあ、俺も講義なんで……」
俺は急いでその場を離れようとする。
「ハヤト君。ありがとうね」
「えっ?」
突然、賢者さんが俺に話しかけてきた。
「な、何がですか?」
正直、賢者さんに感謝されるようなことは何もやってない気がする。
賢者さんが微笑む。
「先輩のことだよ。先輩がこうして誰かといられるのって今までなかったんだ。私が紹介しても、すぐそりが合わなくて抜けちゃって……」
そう言えば、前にもそんなことを聞いた気がする。
全くどうしようもない奴だ。
こんな優しい後輩に心配かけて。
「ほんとハヤト君とアリサちゃんとルナちゃんには感謝しかないよ。先輩のこと、ありがとうね」
「……多分、そんな感謝されるようなことしてないですよ。というか、一緒にいただけっていうか……」
正直、マジで感謝されるようなことはしてない。
ただ、一緒にうだうだしていただけだ。
引きこもってゲームしたりとか退廃的なことしかしてない……。
だが、賢者さんは笑顔のまま言った。
「いいんだよ。それで。一緒にいてくれる人がいただけでも、先輩は結構救われると思うから。結局、私はそれすらできなかったし……」
「いや、そんなことはないと思いますよ」
俺は賢者さんの後ろ向きな言葉を否定する。
「あいつ、多分、賢者さんのこと大好きですよ。暇な時、悪口ばっかりですけど、賢者さんのことばっかり話すし……。というか、エリ以外の俺達のパーティではエリが賢者さんのこと大好きっていうのは周知の事実っていうか……」
「ほ、ほんと?」
賢者さんが俺に詰め寄ってきた。
本当だ。暇な時に口を開けば、賢者がー、賢者がー言うエリを何度も見てきた。
俺達三人はエリがいないときに、エリは本当は賢者さん大好きだろ、ということで結論が出ていた。
というか、こんな賢者さんは初めて見た。
誰かに何かを求める姿を……。
ギルドで見る賢者さんはいつも誰かのために動き、誰かに何かを与えていた。
献身的でどこまでも優しい人だった。
今回もそうだったのだろう。
エリの余りを解消するために、エリが傷つかないようにアリサを移動させて影ながら解放させたのだろう。
その姿は眩しくて太陽のようだった。
俺はそんな彼女の姿に惚れてしまったのだろう。
でも、何か足りなかった。
彼女はそれで満たされているのか心配だった。
余計なお世話かもしれないが。
だから、俺は嬉しかった。
そんな彼女が何かを求めてくれている姿が。
「本当ですよ! あいつの話、聞いてると、もう悪口なのに一周してただの後輩の自慢っていうか……この前も……」
「ふふっ。ハヤト君は優しいんだね!」
「へ?」
突然、賢者さんが笑い出した。
優しいか。賢者さんに褒められるなんて……。
いやでも待て、優しいとか、いい人って特に褒めることがない人に使われる常套句じゃなかったっけ。
やっぱり、賢者さんとは脈なしか……。
俺が人知れずショックを受けていると賢者さんが言った。
「ありがとうね! 元気でたよ! その話の続きも気になるけど、私も講義しなくちゃいけないから行くね! ハヤト君も早く行かないと、また走らされちゃうぞ!」
「あっ! やべっ!」
俺は急いで立ち上がった。
すっかり講義の存在を忘れていた。
次の教官はそこまで厳しくなかったので多分、大丈夫だと思うが……。
「じゃあ、俺、行きます!」
俺はそう言って、その場を離れようとした。
「これからも先輩をよろしくね!」
賢者さんもそう言って、エリの行ったほうに向かった。
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「ハヤト、来たか! 待ちわびたよ!」
俺は何とかこっそりと講義室に入り込んだ。
一番後ろの右側にルナはいた。
俺が隣に座ると、ルナがでかい声を出した。
「ば、ばか!」
俺はルナの口を塞いだ。
だが、問題なかったようだ。
周りもそれなりに騒がしい。
この講義は魔法応用理論。
名前からして堅そうだが、内容はガチガチの自然科学でほとんど理解できない。
おまけにこの授業の教官は白いひげがぼーぼーに生えたいかにもな大魔法使いっぽいご老人であり、何を言っているのか聞こえない。
黒板の字も小さくて読めないし……。
その上、騒いでも一切注意しないので、生徒達はお喋りしたり、自分の武器を磨いたり全然関係ないことをしている。
なんかもう動物園みたいだ。
どうやら、異世界でも生徒の態度というものは変わらないようだ。
というか、誰も聞いてないんじゃないか? この講義。
「ハヤト! 凄いよ! この教官、きっと、相当の大魔法使いだ!」
ああ、一人だけ居た。
俺の隣の変態だ。
嬉々としてこの授業の内容を俺に話してくる。
「というか、お前、この講義の内容聞こえてんの?」
ただでさえ教官の声は小さい上に、周りがうるさくては本当に聞こえない。
さてはこいつ、聞こえてないのに噓をついてるんじゃないだろうか。
十分、ありえる。
きっと、俺に内容が理解できて凄いアピールしたいだけなのだろう。
「ふふっ。心配には及ばないよ! これがあるから!」
そう言うと、ルナが机の上に豆くらいのサイズの黒色の玉を置いた。
「なんだこれ?」
俺が疑問を口にするとルナが言った。
「これはね、もう片方の白色の玉とセットの魔道具なんだ! 白色の玉をどこかに設置するとあら不思議! 黒色の方から白色の玉の近辺で流れていた音を流してくれるんだ! しかも、録音もできるんだよ!」
「なるほど、盗聴器か」
「ち、違うよ!」
何が違うのだろう? もろ盗聴器ではないか。
犯罪御用達の必須アイテムではないか。
やっぱり、こいつ犯罪者の素質が……。
俺が憐みの目を向ける。
「や、やめろ! 僕をそんな目で見るな。これはれっきとした魔道具だ! べ、別に犯罪のために使おうとしてたわけじゃない! それに盗聴器だってちゃんと使えば、犯罪防止の道具になるんだよ!」
「……はいはい。それでいいよ」
俺は適当に相槌を打った。
もう、こいつに常識を期待するのはやめよう……。
最初から犯罪予備軍だったじゃないか。
「それでそれはどうしたんだ?」
いつの間に、そんな魔道具を手に入れたんだろう。
「ああ。僕が講義を聞こえないことを悩んでたら、エリが売ってくれたんだ!」
「あいつかよ!」
賢者さん。やっぱり、あいつはどうしようもないクズです。
あなたが心配するべきような人間じゃあないです。
俺がどうやってエリをとっちめるか考えていると、ルナが嬉しそうに話しかけてきた。
「それでね! 聞いてよ! この教官の魔法理論はこの世界の希望だよ! ハヤト、エントロピーの法則
は知ってるだろ。ものごとっていうのは崩壊に向かうのが自然なんだ。だけどね! 人体っていうのは存在するだけで循環系っていう秩序を形成してるんだ。つまり、人間が存在するにはそれだけでエネルギーが必要なんだよ。そのエネルギーを生み出す際に生じる余剰物質がMPという概念で……」
「そうか。うん。そうか」
教官、良かったですね。あなたの話に感動している人間がいますよ。
というか、何だ、こいつ……。
何を言っているのか、さっぱり分からない。
そう言えば、こいつ勉強は普通に大好きなタイプだったな。
変なところで真面目っていうか。
中学の時も、問題行動の割に授業だけは真面目に聞いてたな。
まあ、退学になったが……。
「そうだ! ハヤトがいない間に代わりにノートをとっておいてあげたんだよ。しかも僕なりにまとめておいたからすごく分かりやすいと思うよ」
そう言って、ルナは俺に一枚の紙を渡してきた。
そもそも俺はノートなんてとってないのだが、まあ、ありがたくもらっておこう。
俺は受け取った紙に目を落とした。
ありえないくらい見づらくて、汚かった。
何か色々、書いてあって、ごちゃごちゃしている。
全然まとまってない。
矢印があっちいったりこっちいったりしていて、パッと見て、どういう順番で読めばいいのか一切分からない。
というか、これならまだ教官の黒板の方が読める。
何をどうしたら、こんな汚くなるのだ。
完全に改悪ではないか。
「つーか、この鳥なんだ?」
明らかに講義の内容とは関係ない鳥のイラストが書かれてる。
しかも、妙にリアルで謎の存在感を放っている。
「ああ! これはね、マスコットキャラクターだよ。ただ、講義の内容を羅列しただけだと、面白くないと思ったからね! どうだい、可愛いだろう?」
「ああ、うん……」
ハッキリ言って、全然可愛いくない。
マスコットとかいう割には写実的すぎる。
むしろ謎にクオリティが高いせいで、凄く怖い。
というか、マスコットは必要だったのか?
マスコットを書く前にもっと必要なことがあるんじゃないか。
分かりやすい説明とか……。
とは言え、俺のためを思ってやってくれたことなので一応顔を立ててやることにした。
「……うん。個性的だな……。多分、他のやつには書けないよ……」
何か褒めようと思ったが、悲しいことに一切思い浮かばなかった。
個性的が精一杯の褒め言葉だった。
だが、ルナは喜んだ。
「ふふっ。ハヤト、よく分かってるね! 僕、自分でも先生に向いてると思ってたんだ」
あまりにも嬉しそうだったので、それは絶対無理だからやめとけとは言えなかった。
「そうだ! ハヤトは僕の渡したノートを見て、明日までに火炎魔法と雷魔法のエネルギー量を計算してくること! 先生からの宿題だぞ!」
賢者さん、俺は全然優しくありません。
こんなうざい仲間を許容できる自信はありません……。
やはり、全力で否定すべきだった。
その後、講義が終わるまで、ルナの教師ごっこのうざいノリに付き合わされた。
俺は激しく後悔したのだった。




