9話「ゲームの始まり」
人気のない路地を、命は一人歩く。
こつこつとブーツの底がアスファルトの地面を叩く音だけが辺りに響き渡った。
学園戦争。それは本物の銃を使い、定められたルールのもと互いに傷つけあい勝利を勝ち取る学生の戦争。
死人が出ることも稀とはいえず、だが過去本当にあった戦争に比べれば天と地の差がある。果たしてそれは戦争と呼ぶべきなのか、戦争を模しただけのゲームでしかないのか。もはや国が、そして世界が定めたこのルールは、たかだか一生徒の身分ではもうどうすることもできないのだ。受け入れることはできても、それを拒否する権利はない。
「……静かね」
命は誰に言うでもなくそう呟くと、ポケットに仕舞ってある金属製のケースを取り出し、スライド式の蓋を開けて中身を確かめる。
銀色に輝くケースの中は一定間隔で仕切られた六つの窪みがあり、そこに計五つの青いカプセルが並んでいた。一つだけ空いた窪みにかつてはめられていたカプセルは先ほど使用しただけで、失くしたわけではない。
これこそが、学園戦争という決まりが生まれた原因であり、戦闘科の生徒を条件付きで不死たらしめる魔法の薬。
まさに、画期的な発明だった。これを飲めばどんな傷でも瞬時に治り、また副作用や後遺症も起こさない。
ただし、そんな魔法の薬でも欠点はある。二十歳を過ぎると薬の効力が効かなくなるのと、生命が停止した場合も同様に効果がない。つまり、死んでいたり即死した場合はいくらこれを飲んでも無駄なのだ。学園戦争でも死人が出るというのはそういうことで、おそらくはそういった薬の効果を完全に把握するために犠牲になった者がいることは考えるまでもない。
だがまあ、これのおかげで二十歳までの人間の怪我での死亡率は格段に下がっているのは確かだ。
ただ、学戦で使用する物は市販品に少しだけ手を加えてある特注品のため、市販の薬局では買えず、学戦への参加権を持つ学校にだけ国が支給する形になっている。優れた効能があるわけではないので、特に誰からも文句が来ることはないが。
「久しぶりね……この空気も」
薬のケースをポケットに戻すと、命はスリングを使い背中に回したMk18ライフルを見、再び視線を正面に戻した。
まるでゴーストタウンのように閑散とした白崎町は異様な様ではあるが、ある意味で白崎学園戦闘科の者には慣れ親しんだ場所でもある。
今ここの区域には、戦闘科の生徒以外の者はいない。昨日笑顔で野菜をくれた商店街のおばさんも、応援すると言ってくれた魚屋のおじさんもいないのだ。
それも全て、学園戦争中は一般生徒及び住民は全員区域外へ避難することが義務付けられているからである。
「……早いな」
ふと、この心地よい静寂を乱す者がいるのに気づき命は足を止めた。
路地の先、開けた大通りで数名の生徒が走りながら白崎学園の方へ向かっていく。
命は一つ溜息をつくと、歩む速度を早めて自身も大通りに出る。視線の先には、三人の蒼生学院の生徒の姿。誰も命の存在には気づいていないようだ。
それもそうだろう、おそらく向こうはこちらの裏をかいたと思っているのだ。
白崎学園は白崎町のほぼ中央に位置し、白崎町は中心部に商店や住宅などが集中しているが、少しでもそこから外れればあとは起伏の激しい丘や田んぼがずっと広がっている。
今回の学園戦争のルールは拠点制圧戦。互いに拠点を決め、その場所を確保すれば勝利となる。白崎学園は白崎学園校長室。蒼生学院は白崎町商店街の最西端の場所だ。
蒼生学院の拠点から白崎学園にたどり着くには、迷路のように広がった白崎町の住宅地を抜け中心区に入らなればならない。白崎町をよく知らない者が立ち入れば、そうそう抜けられないのは目に見えている。だが、商店街から繋がる大通りはまっすぐ白崎学園まで続いていて、よほど方向音痴でなければ迷うことはないだろう。そこを通れば最短距離、最短時間で白崎学園に行くことができる。蒼生学院の生徒が攻めてくるならここだろう。
と、考えたところで、向こうもこちらがそう読んでくるのは承知の上で作戦を練ってくるはずだ。そこで、命が今いるこの大通りが問題となる。この通りは商店街のルートほど広くもないが、白崎学園の方を目指して歩けばなんとか迷わずたどり着ける程度には道も入り組んでおらず、またこちらの道は白崎学園の裏門に通じ、校長室も正門よりはよほど近い上に数人程度なら学園に植えられた樹木や部室棟の物資に身を隠せば簡単に校内に侵入できる。
商店街のルートに主力を全て回すように見せかけ、このルートで白崎学園に侵入すれば簡単に攻略できることだろう。
してやったり、時雨とかいう女がそんなふうにいやらしく笑みを浮かべているのが容易に想像できた。
まあ、それも全て見越した上で命はここにいるのだが。
「蒼生の黒リボンは一年生だったかしら? 私たちは練習相手にでもさせられたのかしらね。……嫌なヤツ」
そうつぶやきながら、命は視界に揺れ動く三つの影を捉えると手に握ったMk18ライフルをそっと構え、セレクターを回して安全位置からセミオート位置へ。
おそらく戦闘よりも機動性を重視したのか碌に防具も付けずに軽装で、それでもまだ慣れないのか装備を持て余しながらも必死に走る生徒の姿を命はダットサイト越しに見つめていた。
もっとも、最低限弾や銃弾を携行できるポーチ類のみで学校の制服をそのまま身につけた命が蒼生学院生の装備の事でとやかく言うこともできないだろうが。
「銃を持つ以上は、それが持つ力を……それが与える苦痛を知るべきよ。でないとそれは――だもの」
構えたまま静止していた命は、グリップを握る手の指先だけを僅かに動かしトリガーを引いた。視界が歪み、銃から肩へと反動が伝わる。視界が戻る頃には、突然倒れた仲間に困惑する二人の少女がいた。その内、命から見て右側の子の身体には既にダットサイトの赤い光点が合わせられている。
再度、トリガーを引いた。Mk18の銃声が白崎町に、命の体中に響き渡る。
二人目が倒れこんだのと同時に、やっと銃撃を受けていると脳の処理が追いついた少女が命の方へと振り向いた。が、咄嗟に持ったライフルを向けられる経験も知恵もなく、少女は呆然と命を見つめるだけ。そんな少女の腹に、命は躊躇なくMk18の5.56mm弾を直撃させた。
「張り合いがないわね……なんて言うのは酷かしら?」
身体をくの字に折って地面に悲痛な呻き声を上げる少女たちの方へ近づくと、命は彼女達の身体を弄って目当ての物を見つけ出す。
「これはもうちょっと取り出しやすくて弾が当たりにくい場所にしまった方がいいわよ? なくして失血死なんて、嫌でしょう? それと、これは事前に一つ飲んでおくこと。いつも友達と一緒ってわけじゃないのだから、一人でいる時に両手を吹き飛ばされたら飲めずに死んじゃうわ」
言いながら新品のケースを開いて青いカプセルを三つ手の平に転がし、それを一つずつ傷か命の言葉のせいか顔面を蒼白させた少女たちの口に放り込んでいく。
すると、5.56mm弾の直撃を受け肉が抉れて出血していた部位がみるみるうちに塞がっていく。
何の原理かこの薬は腕や足が欠損しても生えてくるのだから、少し気持ち悪い。
「あ……か、身体……が」
「ああ、しばらくは動けないから。でもそれだけよ。ほら、すぐに復活されちゃあ戦いが長引くだけでしょう?」
傷が完全にふさがりはしたが、少女たちが立ち上がることはない。薬で回復すると、しばらくは身体が動かなくなるのだ。少なくとも戦闘中にそれが治ることはないので、戦闘不能扱いである。倒れてもすぐに復帰されては決着もなかなかつかないので、この作用だけは市販品にはなく学園戦争で使用する薬に限ってのものだそうだ。
「さて、それじゃあね。また次、頑張りなさい」
路上に少女たちを放置すると、命はMk18に安全装置をかけてから身体を翻す。どうせ彼女達を襲うものはもういない。戦闘科の生徒達ならルール上もう戦闘不能の判定を受けた生徒への攻撃はできないし、白崎町の市民に道端に倒れている女の子を襲うような人はいない。そもそも一般人はここにはいないだろうが。
「んふっ……これからが本番よ。さあ、戦争を始めましょう」