4話「新兵教練」
「その……そればかりで大丈夫なの?」
黙々と肩を並べながらヨーグルトを口に放り込む妹に、栞は呆れ返ったような顔をしていた。
一週間以上続く戦い。食料ももう残り少ないとはいえ、まだまともな食事くらいは用意できるのだ。
だが、最近の妹の栄養源といえば、それはほぼヨーグルトになっていた。
「最初に勧めたのは誰だっけ?」
「あの時は……はぁ、まあいいわ。身体は壊さないでね。それと、そろそろ時間だわ」
泥沼と化したこの戦場にも終わりの時が近づいていた。二人がこれから挑むのは、この地獄に終止符を打つための、最後の戦い。
「早く終わらせて、また四葉の機関銃みたいに飛んでくる世間話でも聞きましょう。あれは唯一私を殺せる武器だわ」
「あはは、確かに」
二人は銃に弾を装填する。
周囲がざわつきはじめると、姉妹は互いに顔を見合わせた。
「始めましょう、戦争を」
「……終わらせよう。たとえ一時でもいいから……こんな、戦争を模しただけのゲームは」
そして二人は口にする。それぞれが違う想いを抱く、あの言葉を。
「さあ、戦争を始めましょう。命」
「ええ、ゲームを始めよう。お姉ちゃん」
「はいこれ、戦闘科の制服」
「ありがとうございます四月一日軍曹殿!」
つま先を揃え、左手の敬礼をしながら四葉は命から戦闘科の制服を受け取る。
といっても、一般科のものに少しだけ加工を施しただけのものなのでさほど変わりはない。せいぜい襟に戦闘科の紋章と、申し訳程度に生地を変え防弾と防刃性能があるくらいだ。
「別に軍隊ではないから敬礼はいいのだけれど……というかなんで軍曹?」
「えー? 教官って言ったら軍曹じゃない?」
言いながら四葉は無邪気に笑う。
命も一応は生徒なので、教官的な役を務めるのは教員の仕事だ。もっとも、技術的な理由で四月一日姉妹が生徒に教えたこともなくはないが。
「いつも通りみこりんでいいわよ」
「えー? みこりん軍曹ちゃん?」
「軍曹はいらない」
軽く流しつつ、命は屋内射撃場の最奥、まるで銃砲店のように多種多様な種類の銃器が陳列された空間に向かう。
命の後ろからひょこっと顔を出して驚く四葉はとても初々しいが、これからはそうしてもらうのでは困る。どんな銃でも、とは言わずともある程度は慣れてもらわなければ困るのだから。それが、戦闘科になるということだ。
そこで、ここのレンタル銃の出番というわけになる。命はカウンターの方に進み、暇そうに頬杖を付いている男性教員に話しかける。
「こんにちは。えっと……そう、ベレッタM93Rと弾倉を3つ貸してほしいの」
「あいよ。って、んお? 命ちゃん暴れるタイプの拳銃好きじゃないだろ? いいのかい?」
「私が使うわけじゃないわ」
命が背後で銃に見とれている少女を顎で示すと、カウンターの男性は納得したように頷いた。
「はは、なるほどな。じゃあちょっと待ってな」
「うん」
命はM93Rを受け取ると、必要書類に名前を書いてからカウンターを後にした。
四葉はというと、まだ並んでいる銃を見つめて顎に手を当てている。
「ねぇねぇみこりん! これ使いたい! ばばーんって!」
「えぇ? M60はちょっと……機関銃よこれ」
「こうさ、ほら弾を体中に巻いて……」
長くなりそうなので、命は四葉の手を引きシューティングレンジへ。
不服そうだが、今あれを四葉が使いこなすのはどう考えても無理だ。
「とにかく、拳銃だけでも使えるようになりましょう」
「おお! ピストル! どれどれ~?」
命はM93Rのスライドを半分ほど引き、薬室に弾が入っていないことを確認してから四葉に手渡す。
「うおおん!? 意外と重い! なにこれ重い!」
両手で保持するも、予想外の重量だったのか四葉の上体が一瞬沈んだ。
それを持ち直すと、四葉はくるりと身体を反転させ標的がある方を向く。
「撃つ直前までトリガーに指はかけないで……そう、これが安全装置。解除する前に構えてみて」
「は、はわわわ……」
背中から密着するように命が四葉の身体を支え、手ほどきをする。
ぎこちないが、最初はこんなものだろう。張り切りすぎて暴発させるよりはよっぽどいい。
「そう、スライド先端の突起が後ろのへこみに合わさるように……トリガーを引くときは指先じゃなくて余裕を持って腹の辺りで。でも力を入れ過ぎないでね」
四葉の伸ばした両手が震える。銃の重さからか、初めて持つ実銃に恐怖があるのか。どちらも慣れないといけないので、とにかく数をこなして今は撃てるだけ撃ってもらうのがいいだろう。
「う、撃っちゃって……いいの?」
「ええ、どうぞ。スライドを引いて、親指のところにある丸いレバーが安全装置だから、ゆっくり解除して」
恐る恐る四葉はM93Rのスライドを後部を掴む。セイフティを解除を解除する指も危なっかしい。
四葉は深呼吸するように何度も息を吸っては吐いてを繰り返し、その度に小さな肩が揺れた。
両側で結った茶色の髪の先が命の鼻先を掠めると、意を決したのか四葉は真剣な眼差しで、15m先にある木の年輪のように同心円上にサイズの違う円が広がった的を見つめた。
集中力だけなら一端の狙撃手のようだ。周囲で集中を乱すあらゆるものを遮断して、目の前の標的だけを狙う。だが拳銃は近距離での使用が想定されたものだ。周囲に敵が居ないかを確認し、それを排除してくれる相棒のいる狙撃手とはわけが違う。
命は四葉の指がまだトリガーにかかっていないのを確かめてから、彼女の頬を軽くつねった。何の抵抗もなかったのは、集中しすぎて命の手が見えていなかったからだろう。
「ひゃわん!?」
「今はいいけど、実戦では周りにも気を配ってね。それを使う場面では、敵は目の前に見えてる奴だけじゃないかもしれないから」
「はぁーい。難しいのぅ」
「それじゃあ、今度は邪魔しないから撃ってみて」
四葉は頷いて再びM93Rを構え直す。彼女の目はしっかりと銃のサイトと標的とを捉えていた。
細い指が、M93Rのトリガーに添えられる。そっと四葉は息を吐き――命が注意することもなく、力まずに滑らかな動作でトリガーを引ききった。
M93Rの先端部、スライドから突き出た特徴的な形の銃身からマズルフラッシュが迸り、反動を受けきれず額に打ち付けそうになったM93Rから虚しく空薬莢が排出される。
銃は既の所で押し留めたようだが、壁に跳ね返ってきた薬莢が四葉の頬に当たり、一瞬呻き声を上げてから涙目で命に何か訴えるような視線を向けてきた。
「……Xリング。いいね、上出来」
「あうあう……え?」
しかし、命の視線は四葉の撃った的に向けられていた。
M93Rから放たれた弾丸は的の中央、一番小さい円の内側やや左上に着弾していた。初弾で、しかも初めて銃を撃った者でこれは文句のつけようもない。
この的の中心円の直径は5mm。そこから円が大きくなっていくごとに一から十まで番号が点数として振られている。銃に慣れてもらうのもそうだが、ついでにどこまで四葉がやれるのか見てみるのも一興だろう。
「すごいよ四葉。じゃあ、弾は私が込めるからとりあえず一箱分撃ってみようか」
ちょうど先ほど買った9mm弾が一箱ある。このメーカーのものは実戦で使いたくはないし、使いきるにしても後の整備の事を考えると量が多くて面倒だ。わざわざ部品の寿命をすり減らすくらいなら、彼女に使ってもらった方が弾のためだろう。
「ひ、一箱って何発?」
「100発」
「ひええ……」
この世の最後を知ったかのように目を向く四葉に、命は微笑みながら新たな弾倉に弾を込め始めた。