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最終話「小さな町の学園戦争」

 突然鳴り出した携帯のアラームが、静寂を打ち破る。

 現在午前8時、栞が指定した開始時刻の30分前。

 前日に支度を終えていた栞は昨日の夜からずっと一人、家のリビングでテーブルに置かれた写真を一晩の間眺めていた。

 木目のフォトフレームの中に収められているのは、三人の少女の写真。栞と命、そして四葉。あの夏の、三人で撮った最後の写真だ。


『そんな顔するくらいなら、やめればいいじゃないですか。まあ……一度始めたのをやめるとかすっごくめんどくさいですけど』

「……かもね」


 ソファーの背もたれに体を預け、栞は天井を仰ぐ。

 いつからか、随分と背中が重くなったものだ。たまには背伸びもしないと、重すぎて疲れてしまう。


『お姉ちゃんは頑固で偏屈で完璧主義者だから、途中でやめるとか絶対無理だよね』

「前にも言ったけど、いくら私でもそれは普通に傷つくのだけれど……あなたってほんと私に容赦ないわよね」


 喉を鳴らして、栞は手を伸ばす。だが、その手を握る者はいない。

 宙に揺れる栞の指は何かを求めるように虚空を彷徨い、ここにはない何かを眺めるように、虚ろな瞳は一点を見つめていた。

 

「一度壊れたものは元には戻らない」


 目を伏せ、囁く。

 時を刻む針の音が静まり返った部屋の中で、やたらと大きく響いて聞こえた。


「元になんて、戻れるはずがなかったのよ……初めから」


 けれど止められなかった。栞が動かした車にブレーキは付いていない。

 運転手も乗った車も欠陥品。そんなものが出来もしないことを無理してやろうとするから、こうなるのだ。

 だからもう、止めるには壁にぶつけて壊すしかない。

 けれどきっと、優しいあの子はその壁にクッションを付けてくれるのだろう。誰も傷つかないように。


「けど駄目よ。欠陥品は捨てなくちゃいけないの。みんなと同じ場所にいてはいけないのだから」


 二度目のアラームが鳴り響く。これははじまりの合図。

 栞は銃を二つ手に取ると、青い弾丸の入った弾倉をゴミ箱に捨て、通常弾頭の弾倉だけをポケットに忍ばせた。もう、あの弾丸を使うこともない。これでいいのだ。

 それきり栞は振り返ることなく、静まり返った家を後にした。鍵だけは、忘れずにポケットへ。いつか誰かが、ここを開けるように。


「それじゃあ……行ってきます」





「時間じゃの」


 校長が腕時計を眺めると、生徒達が各々設定していたであろう携帯のアラームが一斉に鳴り始めた。

 先の明皇戦ほどではないにしろ、生徒達の顔色はよくない。何せ相手は白崎のエース、四月一日栞だ。

 ここにいる殆どの生徒が彼女の実力を知っている。その力が、ここにいる全ての人間の力を足しても及ばないことも。 

 だが、自体の発端ともなった四葉を恨む者はここにはいない。事情を知った彼らは、それでもなお四葉を信じてここに集っているのだから。


「もう私の望みの半分は、明皇を倒したことで果たされている。後のことは私ではなく、白崎の生徒である君達で決めなさい。君達にこそ、その資格があるのだから」

「校長先生……ありがとう。あ、あの、私は明美先輩の代わりにはなれないけど、これからは校長室にはなるべく行くようにするから」

「はは、気を使ってくれなくても構わんよ。娘も大して顔を見せてはくれんかったしのう。せっかく友達が大勢いるんじゃ、こんな老いぼれより仲間を大切にな。四葉君」


 校長に見送られ、四葉達は歩き出す。

 目指すは、皆を見守り、共に育ってきた小さな町。白崎町。

 小さいとはいえ人には広大すぎる場所で、たった一人の人間を探すのは難しい。ただでさえ考えを読めない栞が相手ならなおさらだ。

 

「ほら、シャキッとする。今はあんたがリーダーなんだからさ」

「さっちん……うん、ごめんね」

「……終わったら、その子(Mk18)の整備の仕方教えてあげるわ。大切にしなさいよ?」

「うん。これは私の宝物……だから。ありがと」


 四葉は笑って、Mk18ライフルを抱きしめた。

 冷たい鉄の感触。けれど、どこか温もりを感じる。


「よしよし、調子出てきたわね。んよっし! じゃあとっとと取り掛かるわよ! ほらみんな、状況開始状況開始!」

「あー!? さっちん私のセリフ取らないで!?」




 白崎町商店街付近。

 立ち並ぶ店舗全てのシャッターが下ろされ、どこか廃れた雰囲気を醸し出している。だがそれもこの一時だけで、戦闘が終わればまた活気が戻る。そういう場所なのだ、ここは。

 

「隊長、めっちゃ堂々と歩いてますけど大丈夫ですか?」

「狙撃とか超怖いであります。栞さんってそっちもかなり上手いでありますよ」

「まあそうですけど、なんとなくそういうのはないかなーって。勘ですけどね」


 白崎学園へと続く道路の中央を三人の少女が並んで歩く。前を歩く隊長を除き二人は周辺の警戒を緩めていないようだが、それを率いる隊長からすれば栞よりも先程下水溝で飛び跳ねていた緑の両生類の方が心配だ。


 圧倒的な数の差に、確実に敵を減らせる狙撃は有効かもしれない。だが、果たして栞がそんな選択をするだろうか。

 彼女は戦いの中で、どこか遊びを設ける癖がある。あっさりと済むはずの事にあえて隙間を作り出して付け入る隙を与えてみるとか、奇襲して決着がつくような状況でわざと敵の前に出て派手な銃撃戦を繰り広げるとかそういうものだ。

 彼女は戦いを楽しんでいる。それを狙撃や罠だけで済まそうだなんて、とてもではないがそうは思えない。


「どこから来るかもわかりませんし、どこにいるかもわかりません。そんなにガチガチにならなくても、案外向こうの方から――」

「来てくれるかもしれない……かしら? やっぱりあなた、いい勘してるわね」

「あおお……一応冗談だったんですけどぉ」


 見上げた空に、逆光で黒いシルエットにはなっているがあの純白の輝きを見紛うはずもない。

 四月一日栞。つい最近ぶりであり、数ヶ月ぶりでもある彼女の姿。

 思わぬ遭遇に狼狽する背後の二人を庇うように、隊長は一歩身を乗り出して交戦に備え銃に手をかけた。


「というか、なんかあれです。最初の犠牲は私達ーみたいなルールでもあるんですかこれ。誰か絶対運が無い人いるでしょう」

「え……そんなの隊長に決まってるじゃん」

「隊長以外いないでありますよそんな人」

「えー!? そんなぁ私今朝の星座占いで一位だったのに……」

「隊長は人生的にもう負けてるからね」

「負け組隊長であります」


 相変わらずの三人組に、栞は上品に口に手を当てながら肩を揺らしていた。

 屋根の上で笑うだけで絵になる少女。集団に紛れ込むと見分けがつかなくなる隊長とは大違いだ。


「てかどうすんの隊長。私らとか瞬殺じゃん。逃げる?」

「戦略的撤退であります」

「ノーです。見つかった時点でほぼゲームオーバー確定みたいなキャラですしせめて抵抗くらいはしましょう」

「え、隊長襲われてる間に私らは逃げれるんじゃない?」

「尊い犠牲であります」

「お願いですからもう少し私のことも大切にしてくださいね!?」


 ふわりと受け身も取らずに栞はコンクリートの地面に着地して、隊長は次の言葉を紡ぐのをやめて拳銃を抜きかけた。

 だが、彼女の装いと表情から、半身を晒した拳銃を再びホルスターへと戻す。かわりにポケットから抜いたのは、折りたたみのナイフだ。

 察した後ろの二人も口を閉ざし、後方に下がる。これで憂いもなくなった。


「私、格闘戦とか正直苦手です」

「ふふ、私もよ」

「全能力値オールSみたいな人の苦手と比べないでくださいよ……まったく」


 呆れ気味に嘆息して、隊長が構える。

 栞も応じてジャケットの裏に隠していた鞘からナイフを抜くが、構えはせずに握るだけだ。


(あの状態からパッと飛んでくるから読みづらいんですよねえ……うぅ、素直に銃使えばよかったかも)


 栞は微笑みを張り付けたまま少しずつ距離を詰める。

 既に彼女の間合い。このゆっくりとした動作からいきなり弾丸のように飛んで来るのだから、油断はできない。

 先に仕掛けても軽くかわされる。チャンスがあるとすれば、攻防の最中に生まれる隙を突くくらいなのだが隊長の技量では望みは薄いだろう。


(来たっ!)


 あと三歩のところで、栞は残りの歩数分を一気に詰めナイフを横薙ぎに一閃。

 片手で握っていたため吹き飛ばされそうになったナイフに力を込めてなんとか武器を失うことだけは回避し、返しで迫る刃は受けずに避ける。

 空振った栞のがら空きの脇腹、を無視して隊長は腕を狙い、浅く斬りつけるように二度の斬撃。


(狙ってくださいみたいな誘いには乗りませんよ……てか一撃でナイフの刃が歪んでるんですけどなにこれ怖!? 栞さん怖すぎます!)


 当てるつもりで振るったナイフも難なくかわされ、だがそれも予想済みだったので動揺せず隊長は繰り出された蹴りを身を屈めて避けきる。

 その後も蹴りと斬撃を交えての栞の攻撃に、隊長は後手に回りながらもなんとか凌ぐことだけは出来ていた。

 とはいえ一度のミスで勝敗が決する戦闘。話す余裕もなければ周りに注意を割く集中力もない。後ろの二人がどうなっているかもわからないし、もし切り合いながら栞が罠まで誘導していたのだとしてもそれに気づくことは不可能だ。


(やっぱ無理ですこれ無理! ていうかもう腕痛い! 明日筋肉痛です!)


 腕を弾かれ怯んだところを狙い、栞の回し蹴りが飛んでくる。

 かろうじて首をひねり頬を掠めるだけに抑えたが、同時に感じた寒気に咄嗟に隊長は左腕で顔を防御。


(あ、栞さん下着は子供っぽい――って、やばいやばいなんかやばいです!)


 左腕の袖口が赤く染まる。手首から生えたかのように、小型のナイフが突き立っていた。

 栞は蹴ると同時にベルトからナイフを取り出して、隊長の死角から投げ放った。防がなければ危うく首元を掠めていた一撃。よくやったと内心で喜びながら隊長は体勢を取り直して構え直す。

 が、ついに限界が来たようで、構えた瞬間隊長のナイフの先からぱきんと小気味いい音が。虚しく金属音を立てて地面を滑っていく刃に、口を結んで隊長は顔をしかめた。


「あらあら」

「うぅ……腕痛いしナイフ壊れるし筋肉痛ですぅ」

「勝負あり?」

「なしです! もー怒りました! まだセーフですからね私!」


 ナイフの一撃は貰ったがまだ薬が効く怪我ではない。隊長は壊れたナイフを捨て銃を抜き撃つ。

 当然のように銃弾はよけられて、ひらひらとかわしながら曲がり角まで去っていく栞に隊長は地団駄を踏んだ。


「むきー! 栞さんに遊ばれてます私!」

「なんだこれ……」

「シュールであります」

「あっ!? 見てたなら手伝って下さいよ!」

「いや、あんな近いと援護とか出来ないって」

「手榴弾なんて投げようものなら隊長だけ爆殺しかねないでありますよ」


 涙目になりながらも隊長はひとまず薄情な仲間を引き連れ、栞を追うことにした。

 栞が曲がった角の先に何があるかはわかっている。怪我で注意力が鈍っていようとも、地元の人間がアレに引っかかるはずがない。


「いたた……結構ブッスリいってる。うー、もう隊長疲れました。四葉さんに任せて帰っていいですかね」

「いやいや、隊長居なくなったら私らが栞さんにボコボコにされるから。ってかさ、もしかして隊長私達と訓練する時手加減してた?」

「隊長すげーつえーであります! レベル20くらいだと思ってたら80はあるであります!」

「何基準のレベルなんですか、もう……いいから気をつけてください。この先深淵の穴ですよ」


 罠がないのを確認して、隊長達は角を曲がる。

 待ち構えていたように、地面にポッカリと大口を開けた底の見えない穴が顔を見せた。白崎町では誰もが知っている、通称深淵の穴と呼ばれる危険地帯兼名物の一つ。

 下は用水路に繋がっているので大きな怪我をすることはない。だが目印もなければ柵もないので、学園戦争でうっかり他校の生徒が落ちてしまうのはわりとよくあることだ。


 穴を避けて進み、少し歩くと隠れる気もないのか栞は道路の真ん中で佇んでいた。

 笑顔で手招きし、怪訝に思いながらも隊長は二人を残して栞へと歩み寄る。


「手を出して。はい、これ」

「……? なんです?」


 言われるままに隊長は両手を出して、栞がその上に何かを置いた。

 彼女の細い指先が離れていくと、自分の手の上に乗ったものの姿が少しずつ見えてきて――


「あ、え……こ、あああ…………」


 ヌメッとした緑色のそれは、ぴょんと跳ねて隊長の手の平から胸に乗り移る。

 それから隊長の意識が消失するのには、そう時間はかからなかった。




 ふてくされ気味にずかずかと前を歩く少女の機嫌をなんとか直せないかと、修嗣はあまり豊富でない知識を総動員させてるようだ。

 どれだけ考えても、何より自分の存在が一番彼女を不機嫌にさせているのだということに気づけてないのは、さすが修嗣と言うべきだろうか。


「また私はアンタと。なーんでこうなっちゃうのかしらねー……ツイてないわー」


 わざと聞こえるように皐月は文句を吐き出しながら、しかし周囲の警戒を怠りはしない。

 何せ相手はあの四月一日栞。栞としての力を間近で見たことはないが、命として振る舞っていた彼女の実力はよく知っている。加えて、明皇の大将をも一人で倒してしまうような人物だ。とてもではないが皐月の敵う相手ではない。

 だが、皐月達の目的はあくまで栞と戦い消耗させること。どれほど屈強な兵士とて連戦に次ぐ連戦で全く消耗しないわけがない。というかそんなのは人間ではないだろう。


 皐月を含め、この戦闘に参加している生徒の役目は栞に勝つことではなく体力を使わせることだけだ。勝てないという理由もあるが、何よりも決着をつけるならふさわしい者がいる。主役の出番を奪う脇役などあってはならない。


「はぁ……もっと後ろを安心して任せられる相方とかどっかに居ないかしら」

「…………皐月ちゃん」

「ん?」

「俺さ、今は頼りねーかもしれないけど、絶対もっと強くなるから。その、せめて皐月ちゃんの背中守れるくらいにはなりたいっていうか……いや、なる! だから……」

「修嗣くん……」


 足を止め、振り返った皐月は修嗣を見つめる。あの目は本気だ。

 彼があんなにやる気を出した表情を見たのは初めてで、だから皐月は今の顔だけは見せられまいと前に向き直り歩を進める。


「……気持ち悪い。今後私の半径5メートル以内に絶対近付かないでね」

「えええ!? ひ、ひどい……俺本気なのに」


 嘆く修嗣を放って、皐月は拳銃を抜くと足早に商店街の方面へ走り出す。

 遠目に見えた影はおそらく栞だ。あの特徴的な神々しい白髪は目立つので間違いない。

 だが、いくら距離が離れていようとあの栞があっさりと姿を晒すだろうか。ふと考えて、皐月は一度足を止める。と、息を切らせて数秒遅れで修嗣が追いついた。


「……足手まといすぎる」

「うっ……ご、ごめん皐月ちゃん。もしかして俺、居ない方がいい?」

「うん、わりと」

「まあ、修嗣君は私達と比べるとちょっと力不足だものね。皐月一人の方が動きやすいはずだわ」

「なッ!?」


 まだ1キロ以上の差はあったはず。数秒でその距離を詰め、息すら乱さずにしれっと会話に参加してくる茶目っ気すら見せる栞に戦慄する。

 咄嗟に皐月は銃口を向けるが、腕を弾かれ狙いはつけられなかった。


「ふふ、あはは! でも二人はお似合いだと思うわよ?」

「なあ!? こんの性悪女見てなさい! 修嗣くんもほら銃出して! 蜂の巣にしてやるんだから!」

「出来るかしらね~? ほら、鬼さんこっちよ」

「あったまきた! 顔面グーパンよ!」

 

 鼻歌交じりにスキップで逃げていく栞に、鬼の角のように髪を逆立てて追う皐月。

 その後ろで、女の怖さに顔を青くした修嗣が皐月と5メートルの間隔を取りながら彼女の背中についていく。


 あっさりと追いつけると思ったが、狭い裏道や地元の者しか知らないような抜け道を駆使して栞は逃げ続け、皐月は見失わないようについていくので精一杯だった。さすがにここで生まれ育った者とでは土地勘が違いすぎる。

 だが、こうして走り続けるのも悪くはない。栞の体力も無限ではないはずなのだから。


「あ!? 待ちなさい絶対捕まえてやるんだから!」

「ふふ、ほらあとちょっとよ。がんばれがんばれ」


 曲がり角で減速する瞬間、それを狙って皐月は脇目も振らずに身を投げた。

 曲がった先で栞は振り返ると、笑顔で手を振ってくれる。しかし、見事だと褒めているわけではなさそうだ。


「バイバイ」

「――は?」


 皐月の身体を受け止めるはずの地面は、なぜかそこにだけ存在しなかった。

 ぽっかりと大きく開いた穴は、吸い込むように皐月の身体を飲み込む。

 底は見えなかったが、浮遊感は一瞬。衝撃に身構える時間もなく、ばしゃんと身体が液体に浸かるのを皐月は感じた。

 

「あはっ! 白崎の生徒で落ちたのはあなたが初めてよ皐月!」

「あんったほんともう……こんの! 次ィ会ったら覚えときなさいよ!」 


 穴の入口から顔を出して腹を抱える栞に、皐月はびしょ濡れのまま罵詈雑言を吐き散らす。

 この有様では他にできることもない。完全にしてやられた。銃もナイフも使わず、こんな方法で負かされたのは皐月も初めてだ。


「ふふっ、そうね。お詫びに次会った時は顔をグーで殴ってもいいわよ。……じゃあね」

「ばーか! ばかばかばか、ほんっとばか。……馬鹿女」


 少しずつ遠ざかる足音と少女の笑い声を胸に刻みながら、皐月は真っ暗な穴の底から見える群青の空を眺めた。

 いい天気だ。今日なら、水浸しでもすぐ乾くだろう。

 まずはここを出なくては。落ちた時にうっかり飲みかけたが、見た感じあまりいい水というわけでもなさそうだし。

 だからだろう、いま口に入った水滴も、ほんの少しだけしょっぱかった。




 椎名四葉。彼女と行動を共にしてまだ日は浅くとも、そこに秘められた可能性に気づくには十分な時間と機会があった。

 戦闘科の生徒というものは、その多くが初めからそうなることを想定し多くの準備をした上で入る、というのが一般的だ。実戦に参加できるようになるのは高校か一部の中学から。だから、それまでの間に銃の知識戦術の組み立て方を学ぶ。

 

 だが、椎名四葉は真っさらな白紙の状態からほんの僅かの期間で白崎の頂点にまで上り詰めたのだ。

 彼女には圧倒的な戦力差を覆す作戦を立てる知識はない。彼女にはこの世界に無数に存在する銃器の知識もない。

 けれど彼女には、天賦の才能があった。とにかく慣れるのが早い。使う道具も、周りの環境にも。

 

 高校三年の戦闘科ともなれば普通はベテラン。既に幾つもの戦場を駆け抜け、何度も銃撃戦に身体を晒し時に銃弾をその身に受けることもあったはずだ。

 一般的な戦闘科三年が、戦場で談笑し弾を受けても笑っていられることに不思議はない。ただ、今年から戦闘科に入っただけの四葉が、そんな連中と同じ反応を見せながら戦場に立っている事がおかしいのだ。

 紫藤でさえ一年の頃、頬を銃弾が掠めた日の夜は恐怖で眠れなかった。だが四葉はどうだ、迫撃砲で吹き飛ばされ、装甲車に轢かれてもなおあの陽気な態度が崩れることはなかった。


 しかも、銃など一度使えばそれの癖まで把握した上で使いこなしてみせる。知識がない分、操作や使用の面で拙く見える部分も多々あるが教えれば翌日には弾倉の交換から整備の仕方まで完璧に覚え、正確に狙った標的へ銃弾を撃ち込むのだ。

 

 加えて、四葉はあの性格からか周囲の仲間に好感を抱かれやすい。それ自体も彼女の武器だ。

 星条にいる紫藤の姉と同じ、自身も強大な力を持ちながら、それを支える優秀な者達が自然と周りに集まってくる。そういう力が四葉にはある。これもまた、才能なのだろうか。

 四月一日栞と同じく。椎名四葉もまた、紫藤にはとても巨大で恐ろしい存在のように思えた。


「……どーくん」

「…………」

「へい! しどーくん!」

「む……すまない、考え事をしていた。なんだ?」


 バイザー越しの薄暗い世界。それでも今日は快晴なためか視界はいい。

 だからか、四葉が頬を膨らませて紫藤の身体をぽこぽこと叩くのもよく見える。


「だからぁ、しーちゃんどこにいるかなーって! ほら、漫画とかであるじゃん、しどーくんみたいに強そうな人ってなんかそういうの感覚で分かっちゃうみたいな」

「さすがにそれは無理だ。そうだ、刻路皐月が言っていたぞ。お前の頭のそれはレーダーになってると」

「ただの癖毛だよ!?」


 紫藤の指差す先で、四葉の頭から飛び出た一本の髪が揺れていた。索敵中、ということだろうか。


「……何か思い当たる場所はないのか? 四月一日栞が好む場所、日ごろ通う場所。あるいは罠を張りやすい場所ということもあるか」

「うーん……ここって狭いから歩いていくらでも回れるし。だから色んな場所しーちゃんやみこりんと歩き回ったしなー」

「では学校はどうだ? 俺達のスタート地点とはいえ居ないとは限らん」

「うう、私達がぞろぞろ町の方歩いていくのを笑いながら屋上から見てるとかしーちゃんならありえるすぎるよ……でもかくれんぼしたいわけじゃないだろうし…………ぁ」


 その時、空を見上げた四葉の瞳に陰りが指すのを紫藤は見逃さなかった。

 だが追求はせず、四葉の言葉を待つ。


「……もしかしたら、あそこかもしれない」

「確かか?」

「分からない。分からないけど……三人でよく遊んだ場所なんだ。最後にみんなで写真撮ったのも」

「そうか」

「あ、でも合ってるかわからないよ!? ただの勘だし」

「いや……椎名四葉、お前を信じる。行こう」


 四葉が思い浮かべた場所。それは白崎の住人ですらあまり立ち寄らない奥まった地域に建てられた神社だった。

 四月一日姉妹と四葉の思い出の場所で、だからこそ栞はそこで待っているのだろうと。

 

「畑ばかりで開けているな。遮蔽物も少ない。狙撃されるかもしれん」

「ううん、たぶんしーちゃんはそんなことしないよ。私と戦いたいなら……遠くから撃つなんてしない」

「……そうか」


 黙々と畑と田んぼだけの景色が続く道を歩く。

 四葉は終始顔を伏せたまま沈黙を守り。紫藤もそれを妨げることはしなかった。

 だからか歩くペースも自然と早くなるのは必然で、目的地にたどり着くまでそう時間はかからなかった。


「この扉を進んで、ちょっと歩くと石の階段があるの。そこだよ」

「門が閉まっているようだが」

「うーん、いつも開いてたんだけどなぁ」

「……椎名四葉。ここからは俺が先に行く」


 案内役で先導していた四葉と入れ替わり、紫藤が前に出る。

 立ちふさがる鉄の扉を注視して、罠がないかを確かめながらゆっくりと両開きの扉を開けていく。反対側の方にもワイヤーの類いは見られない。考えすぎだったかと息を吐いて紫藤は背後の四葉に手で進んでくれと指示を出した。


「大丈夫なようだな」

「たまたま……だったのかな?」


 紫藤が手を離すと、錆びついた鉄の扉がぎし、と音を立てて閉まる。

 相当ガタが来ているようだ。あと数度も開閉を繰り返せば壊れてしまいそうな危うさすらある。

 それがある意味、幸運だったのかもしれない。


「四葉!」

「――え?」


 締まりきった扉。そこに貼り付けられていたのは爆弾。

 開ける時は見えず、くぐった先で扉が閉まってから初めて気づくことが出来るこの陰湿な手口は、設置者の性格が見て取れるようだ。

 

 どこかで見ていたのか爆弾は絶妙なタイミングで起爆。紫藤は四葉を庇うように抱き寄せ地面に伏せると、衝撃に備えた。

 響き渡る爆発音と、重い金属が跳ねる音。だがそれが止む頃には、無傷の紫藤と男の体重に押しつぶされてもがく四葉の姿。


「……すまん」

「しどーくんに殺されるところだったよ……まあいいや、大丈夫?」

「ああ……」


 爆弾は確実に紫藤を捉えていた。だが紫藤達はこの通り無傷。

 栞の誤算は、扉の耐久力を考えていなかったからだろう。頭部への直撃を避けるためかやや下側に配置された爆弾、それが爆発した衝撃で扉を固定する金具が限界を迎え、扉が倒れてしまったのだ。おかげで爆発は紫藤達を逸れ、飛び散った破片や内容物の多くは地面に突き刺さっている。

 爆発の威力は手榴弾にも劣る。だから大丈夫だろうと踏んだのだろうが、あいにく運はこちらに味方したらしい。


 ふと、爆弾の内容物を紫藤は確認。小さな釘のようだ。

 防弾装備を考慮したフレシェット。狙いは紫藤だったに違いない。

 つまり、本来ならここで紫藤は脱落しているはずなのだ。

 しばし逡巡し。やがて紫藤は一つの答えを出す。


「椎名四葉、すまない」

「え!? もしかして怪我したのしどーくん!」

「いや、大丈夫だ。大事ではない。だが俺がこの先に行くことはできそうにない」

「そっか……うん、わかった。ありがとしどーくん。ここから先は、私一人で行くね」


 服についた土埃をはたき落とし、四葉が立ち上がる。

 少し迷いが見られるが、彼女ならきっと大丈夫だろう。根拠などないが、なぜかそう思える。そんな考えは紫藤らしくないが、白崎にいる内に彼女達の雰囲気にあてられたのだろうか。少し、どこかが変わったような感覚は自分でも薄々と感じていた。


「椎名四葉。一つ、いいか?」

「うん?」

「俺と白崎の契約は四月一日栞によるものだ。明皇を倒した今、もうそれも切れている」

「そっか……じゃあ、これが終わったらお別れ……かな?」

「いや……だから聞く。椎名四葉、今はお前が白崎のリーダーだ。だから、もしお前が望むなら……俺はこのまま白崎に残っても構わない」


 以前の紫藤なら、こんなことは絶対に言わなかったはずだ。

 面倒事に巻き込まれた、だからそれが終わるまでの付き合い。それで構わないと思っていたというのに。

 なぜだか今は、白崎のこれからを――椎名四葉の進む道を見てみたいと、心からそう思う自分がいる。


「……うん! うん! 私しどーくんと一緒にいたい!」

「そうか……脆い盾だが、またよろしく頼む」

「うん!」

「ふ……では、任せたぞ」

「……うん。それじゃあ、行ってきます」


 もともと小さい背中は、すぐに石畳の階段に消えていった。

 一人取り残された紫藤は、さすがに傷を負ったと言った以上動くこともできずその場に座り込むと、ヘルメットを脱ぎ捨てた。

 木の合間を縫って吹き込む緩やかな風が、紫藤の髪を揺らす。そういえば、戦場で装備を解いたのはこれが初めてだ。


「変わったな、俺も」


 風に逆らうのではなく、身を任せて流され続ける生き方も今なら悪くないと思える。

 それを語った姉に意地でも別の方法で追いつこうともがいたが、いまだに紫藤は彼女の背中すら見えない場所にいるのだから。白崎という風に乗った紫藤なら、少しは姉に追いつけるかもしれない。

 もっとも、あの人は風に流されすぎて時々どの方向へ行ったかすらも分からなくなるのだが。


「今度こそ、俺は貴女に追いついてみせる……友奈姉さん」





 学園戦争で体力はついていたはずなのに、階段を上るのが辛い。

 理由は分かっている。胸に抱えた銃が、四葉には重すぎるのだ。どうしようもないくらい重すぎて、でもこれを手放すことは出来ない。

 

 二人を追いかけて踏み入った世界。けれど二人との距離が縮まるどころか、手の届かない場所へと行ってしまった。

 今はもう、この銃だけが彼女達と四葉を繋ぐ。だから、四葉はこの重さを支えられるようにならなければならないのだ。

 それは決して簡単なことではないけれど――


「……着いた」


 四葉を出迎えるように、二匹の狛犬が顔を合わせていた。

 あの時からそう時間は経っていないはずだが、前よりも少し汚れが酷さを増している。最近雨が多かったし、そのせいもあるだろうか。

 物言わぬ門番の前を通り、四葉は境内に進む。相変わらず静かで、大樹の枝から青々とした天井が広がり今日のような日でも少し薄暗い。


 木漏れ日と優しく頬を撫でる風を身体に受けながら、四葉は奥の建物へと続く石畳の床で立ち尽くし、目を閉じた。

 風の中に、透き通った匂いが混じっている。香水とは違う、人工的なものでは再現し得ない彼女だけの徴。やっぱり、ここにいる。


「おはよう」

「ぴゃあああああ!?」


 首筋に当たった冷たい感触に、四葉はその場で飛び上がった。

 少し水気を含んだ硬い感触。これには覚えがある。

 四葉は抗議の視線を向けながら、振り返った。


「まだ時期には早いけど、置いているものなのね。飲む?」

「……うん!」


 笑顔で四葉を見つめる栞。その手に武器はなく、指の間に三本、瓶のラムネが挟まっていた。

 二人は傍らの長椅子に腰を下ろして、同時にラムネの封を切る。音を立てて瓶の中で転がるガラス玉に、何を想ったのだろう、栞はずっとそれを眺めながら笑っていた。

 

「一つ聞いてもいい?」

「うん、いいよ」

「なぜ戦闘科に入ったの? 今まで通りでも、別に……」

「前に言った通りだよ。みこりん達にばかり大変な思いを…………ううん、それもあるけど、きっと私はみこりんやしーちゃんと並んで歩けないのが怖かったんだ。だって、前までの私は……二人を眺めていることしかできなかったから。手を伸ばせば届く距離にいても、私だけ二人と歩く道が違うから、一緒に並んで歩けないのが怖かったの」


 優しく包むように、栞の手が頬に触れた。

 冷たい飲み物を持っていたせいか、その指はいつもより冷たかったけれど――それ以上に、今日の栞は温かかった。


「そう……でも、私達三人はずっと友達なんだから、そんなに気にする必要はなかったのよ」

「……しーちゃん」

「だってほら、私達はあの時から変わってない。こうして一緒に並んでラムネ飲んでお話して……何も変わらないわ」


 そこで栞は思い出したように両手を合わせ、四葉の身につける装備を順に指差しながら彼女は笑って言う。


「ああでも、あなたが戦闘科に入ってくれて助かったのは本当よ。あなたがいると皐月達も楽しそうだしね。それに、四葉はちっちゃいからなんかそうやって装備つけると着せ替え人形みたいで楽しいわ」

「ちっちゃいは余計ですー! もー……って、そういやさっちん達には会わなかったの?」

「ふふん、みんなをからかってきてやったわよちゃんと。皐月はさっき深淵の穴に落としてきたわ」

「うわー……絶対さっちん怒ってるよそれ」

「ええ、顔面グーで殴るって言われちゃったわ。怖い怖い」


 皐月の相棒は今回も修嗣だった。二人共白崎の出身ではないから、あれを使うのは有効な戦法だ。

 四葉の脳裏に、穴の底で憤慨する皐月の顔が思い浮かぶ。相変わらず、ちょっと彼女は運が無い。


「さっちんといえばさ、ちょっぴりしーちゃんと外見似てるよね」

「あ! 四葉も思った? そうなのよね、でも中身は……」

「完全にみこりんだよね……みこりんの2Pカラーバージョンだ」

「あら皐月、来てたの?」

「ひゃああああ!? ごめんなさい今のは冗談ですさっちん最高ですぅ!」


 高速で椅子から飛び降りて石畳に額を付け土下座する四葉だが、いくら待っても皐月の怒声が飛んでくる気配はない。

 嫌味なくらいくすくすと、栞の笑い声だけが側から聞こえてくるだけだ。


「冗談よ。さっき落としたばかりだから、まだ上がってこれないんじゃないかしら。側にいたの修嗣くんだけだしね」

「もー! しーちゃん酷い!」

「ふふ、四葉はちょっと突っつくだけですごく反応してくれるから楽しいわ」

「私はおもちゃじゃないですー! じゃあ私も言うけど、しーちゃんのみこりんの振りって八割しーちゃんで全然似てなかったからね!」

「えぇ? 結構それっぽくしてみたつもりだったのだけれど」

「どこらへんだよう! 私てっきりみこりんがしーちゃんっぽくしてるかと思ってたのにまさか逆だったとは。ほんとそういうところお間抜けだね! 私の事言えないよしーちゃんも!」


 悩んでいるところを見ると、あれでも本気で似せていたつもりのようだ。

 抜けてるところは、とことんまで抜けている完璧超人もどきな栞らしい。これも何一つあの時から変わっていない。栞はどこまで行っても栞のままだ。


「ふっふん、やっぱり罰ゲームものだねこれは。ブラックコーヒーを一気飲みだよ」

「え、それは本当に勘弁してくれないかしら……苦いから嫌いなの知ってるでしょう?」

「ふへへへ、もっと直接的なものの方がお好みかにゃあ?」

「お、お手柔らかに」


 指先を意味深に動かしながら両手を構える四葉。さしもの栞も少し焦ったように眉を寄せていた。

 そんな二人の間を、急かすように風が吹き抜けていく。

 一瞬の間に、続いて二人は笑いあった。腹を抱えて、目に涙が浮かぶほどに。


「ふふっ……あはっ。……じゃあ、そろそろ始めましょうか」

「……うん、やろう。本気で行くからね」


 命のライフルを椅子に置いて、四葉は石畳の道へと進む。

 栞も、それに応じて対峙するように正面に立ち塞がった。立っているだけで栞は絵になるのだから、なんというかずるい。四葉は背も小さくて、顔もっぱっとしないし、これが映画か何かのシーンならさぞ画面映えしなかったことだろう。


「ライフルはいいの?」

「うん。しーちゃんとは、私の力だけで戦いたかったから」

「そう……嬉しいわ」


 言葉をかわさず、見つめ合う。だがそれも数秒。

 開始の合図もなく、二人は揃って動き出した。

 

 交互に撃ち出される弾丸。けれど、どちらの弾も当たることはない。

 なるべく長く、それこそ永遠にこの時間を味わうかの如く繰り広げられる攻防。積極的な動きはせず、だが力を確かめるように鋭い攻めが四葉を襲う。

 だが四葉は倒れることなく、それを凌ぎきった。

 まだ栞を負かせるほどの力はないけれど――もう四葉は、一人前の戦闘科の生徒だ。


「……終わり、か」

「はぁ……ふぅ……だ、ね」


 二人の拳銃が、同時に弾切れを知らせた。

 当然だ、どんなことでも終わりはいずれやってくる。永遠の時など、幻想でしかない。

 だからか、栞は微かに笑いながらも、どこか寂しそうに目を細めて。


「本当に強くなったわ、四葉。私、すごく嬉しい」

「――え?」


 栞の手の平には、一発の銃弾。

 最後の一発を自らの銃に放り込むと、気の抜けた四葉の腹部にそれを撃ち出した。

 小さな弾丸は、当たりどころが良かったのかそれほど痛くはなかった。けれどこれは、敗北を意味して。


「あ、う……しーちゃ」

「四葉……四葉?」


 一向に出血の止まらない四葉に、血相を変えて栞が駆け寄り四葉の身体を抱きかかえる。

 ふわりと鼻を掠める彼女の髪から、懐かしい匂いがして。色々とこの後の策を講じていたはずなのに、全部吹き飛んでしまった。


「もう、無茶しないの」

「えへへ、ごめん」


 栞が上着のポケットから青い薬を取り出し、四葉の口に運ぶ。 

 飲み込んだ瞬間、急激に身体が脱力して、栞はそれを確認すると四葉が頭を石畳に打ち付けないように気をつけながらそっと寝かせた。

 だが、栞はこのまま四葉のそばに居てくれるわけでもなさそうだ。それもそうだろう、まだ白崎の学園戦争は終わっていないのだから。

 

「ちょっと待っててね。すぐ終わらせて戻ってくるから」

「しーちゃん……」


 背中を向けて、栞はゆっくり歩き出す。

 皐月で駄目なら、もう栞を止められる者はいない。

 けれど、それでは白崎が、学園戦争が変わってしまう。それだけは――


「……あ」

 

 背中に感じた大きな存在。そういえば、命の拳銃を隠していたのだった。

 薬は効いているが、腕一本程度ならばもう動かせる。栞も、何か考え事でもしているのかゆっくりと歩いていて、すぐに立ち去ることが出来ただろうにまだ背中を四葉に見せている。


「ごめん……でもやっぱり、駄目だよしーちゃん」


 四葉は銃を抜いた。

 実は見られていて、構えた瞬間撃たれるのではないだろうかとも思った。けれど、栞は振り返ることなく空を見上げて。

 

 絶対に外せない。覚悟を決めて、四葉は引き金を引いた。

 乾いた銃声に、木の枝から一斉に鳥達が飛び立つ。きっとそれが、終わりの合図だったのだろう。


「しーちゃん……」


 片腕で地面を這いずって、倒れた栞の元へと急ぐ。狙った場所は悪かったが、拳銃の弾一発だ。あれくらい薬でなんとでもなる。

 四葉がたどり着くよりも先に栞の方が起き上がり、木の幹に背を預けて座ると彼女の方から手招きしてくれた。どこか嬉しそうな表情に、四葉も安堵して隣に肩を並べる。


「油断したわ……もう動けるなんて、ね。さすが四葉よ」

「うん……でも、みこりんの力を借りちゃった。えへへ、やっぱり私はまだみんなの助けがないと駄目みたい」

「いいのよ、それで。それが四葉の……いいとこ、だから……ね」

「……しーちゃん?」


 無理やり絞り出すような声音に、怪訝に思った四葉が身体を引き起こして栞の怪我を確かめた。

 銃創は癒えることなく、栞の命は穿たれた穴から流れ出していく。


「しーちゃんこそ薬は!?」

「あれしか持ってないわ。だってこれは、私の専売特許ですもの」

「あああ……どうしよう私、薬持ってない。……そうだ、しどーくんが!」


 無理矢理立ち上がろうとする四葉の手を、栞が握る。

 彼女は首を振って、ただ一言。


「一緒に、いてくれる?」

「……うん、いいよ」


 いつの日だっただろうか。こんな風に三人で眠ったまま、夜まで過ごしたことがあったような気がする。

 あれも確か、夏の日の出来事だ。蝉の鳴き声はうるさいし、日差しはきついしで今思えばよく眠れたものだとおもう。

 でも今日はそれほど暑くもないし、何より静かだ。だから、こうして隣りにいる栞の音もはっきりと聞き取れる。


「ねぇ四葉」

「なぁに?」

「笑って。あなたの笑顔、好きだから」

「えへへ、もぉー…………しょうがないなあ」


 四葉の得意技なのに、ちょっとだけ引きつったような、不格好な笑顔。

 けれど栞は満足気に微笑んで。


「ふふ、変な顔……ありがとね、四葉」

「……うん。ありがとう、しーちゃん」


 音のない静かな木陰で、そよ風が二人の髪を撫でた。

 



 

 某日。星条高校校舎前。

 白崎学園の校章を装甲に描いた兵器が並ぶ陣地の傍で、同じく白崎の証を胸に抱いた生徒達が集まる。

 変わらない仲間達に。変わらない戦い。けれど、先頭を歩く少女の笑顔だけは、変化があったようで。でも、それをあえて口に出す者は誰もいない。

 

「また男……またイケメンかよクソ」

「……俺とキャラが被っている」

「ぶふっ! 今の聞いた? 紫藤君面白すぎ。四葉、アンタまた紫藤君に変なこと吹き込んだでしょ」


 二人、新たな仲間を囲んで修嗣と紫藤、皐月といつものメンバーが騒いでいる。

 この調子だと、修嗣の扱いはもっと酷くなりそうだ。皐月からすれば、もうそれが彼の芸風ということらしいが。


「なぜこんなことに……本当にお前の仕業ではないんだな?」

「あらあら、疑り深いのね。でも私は何もしてないわよ? それより、星条相手なんだし潰す気でやっていいのよねえ、リーダー?」

「細目のおねーさんもその相方さんも本気出すの禁止! 禁止だからね! この前もすっごい怒られたんだから私!」


 なぜこう白崎には変人しか集まらないのかと嘆息して、四葉は無線機から聞こえる声に耳を澄ませる。

 きっと仕掛けた針に魚がかかった報告だろう。いや、この場合は鳥なのだろうか。


『四葉さん、焼肉で釣れました。星条の右翼は手薄になります』

「よしよし、万事おっけい。んじゃやるよみんな!」


 皆に笑顔を見せて、四葉は銃を掲げた。

 まだまだ仲間の力に支えられる頼りのないリーダー。だけど、四葉はそれでいいのだろう。

 傷つくこともある。苦しいこともある。でも、それも全部仲間と一緒なら――


「私達の学園戦争を始めよう!」

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