38話「すれ違う想い」
白崎の勝利が決まった。その瞬間は突然で、未だにこれが現実ではないのだと呆けている生徒すらいるくらいだ。
なんせあれだけの戦闘、それも相手が明皇学院だったにも関わらず、白崎の生徒に死者が一人もいなかったのだから。
「隊長……ばぁか」
「隊長ーよかったでありますぅ! 私心配で……じんばいでええ」
「あはは……私もあなた達の声がまた聞けて嬉しいですよ。これも佐藤さんのおかげですね」
死を覚悟した強行。それを救ったのは、爆薬の山に隠れていた佐藤だった。彼女は爆発の直前、運転席から隊長を引きずり出し見事教室棟の崩落から逃れ、薬による治療も施してくれた。
もしこの偶然がなければ、今頃は白崎唯一の死者になっていたことだろう。
「あう、ありがとうございます……でも私に気づかないまま車が走り出しちゃった時はどうしたものかと。雰囲気的に声かけづらかったですし」
「そもそも私が発注ミスしなければこんなことには……すいません、本当に」
「いえいえ、山田さんも佐藤さんも悪いことなんて一つもないですよ。おかげで道も切り開けましたことですし。えへへ、ともかくお疲れ様です、みんな」
セーフティエリアで各々が祝杯を上げる中、片隅でシロは泥まみれの相棒を抱いていた。
薬の作用のせいで気怠い今の身体では満足な整備はできない。帰ったら入念に手入れしてやろうと心に決め、今は軽くゴミや塵を拭き取りながら後に控える催しに心躍らせる。
と、一人白崎の生徒が近づいてくるのを察してシロは向き直った。両手に抱えるほどのケースを持って何かと首を傾げていると。
「あの、お飲み物いりませんか?」
「え? あ、え? 私に?」
恐る恐るケースの中を覗いてみると、そこには数種の缶とペットボトルのジュース。
ありふれたものだが、だからこそシロには手の届かなかった代物。
シロは一度手を伸ばし、ふと直前で止めると白崎の生徒を見つめた。
「こんな高価なもの私が頂いてよろしいのでしょうか……」
「えええ!? 普通にコンビニとかで売ってるやつですよ!? って、しかもなんで敬語。だ、大丈夫ですから貰ってくださいよう」
促されてシロは炭酸飲料の缶を一つ手に取り、ゆっくり丁寧に開けてまずは一口。
数年ぶりに身体に流れ込む清涼で高級な味に、シロは身を震わせてこの至福の感覚を味わった。
「はああ……味のついてる液体を飲むのなんていつぶりだろ。幸せ」
「お、お菓子もあるので食べてくださいね。……あっ、この後焼肉あるので食べ過ぎ注意ですよ」
「おお……おお……ありがとう、ありがとう」
涙を流しながら神に祈りを捧げるようなポーズで固まるシロ。
その場にいた白崎の生徒全員が彼女の日常に興味を示していたが、きっとそれは、触れてはならぬことなのだろう。みな一様にそのことで口を開く者はいなかった。
なにより、あげればあげるだけ口にお菓子を放り込みハムスターさながらに頬を膨らませ愛嬌を振りまくシロの前には、そんな疑問は掻き消えていたのだった。
その後の焼肉でも同じような光景が見られたのは、言うまでもない。
白崎の歓喜の声が上がる。
それも当然だ。なんせ白崎は勝利した。明皇学院に。
圧倒的な力量と物量。それを覆し、雪辱を果たすことが出来たのは彼女――四月一日のおかげだ。
勝利を祝しセーフティエリアの至る所で歓声が叫ばれる中、戦闘区域にはみ出した隅の一角。白崎の主要陣だけは神妙な面持ちのまま立ち並んでいる。
誰も口を開かず。二人を除く皆が、この場で発言すべき者の言葉をただ待っていた。
だが、おそらくこの自体にさせたであろう本人はどこ吹く風、ハンヴィーのルーフに腰掛け、薬液に濡れた制服の上着を片手に銀と白の混じった長髪をなびかせている。
ふと、皐月の視線が四葉を捉えた。
促す素振りを皐月は見せるが、当の四葉も突然のことで何を言っていいかわからない状況だ。
だがこれ以上の沈黙にも堪えきれず、四葉は意を決して。
「どうして……こんなことを? みこり……ううん、しーちゃん」
名前を呼ばれると、少女は笑った。
欺くことをやめたからなのか、それは四葉のよく知る彼女独特のどこか空虚で冷たい微笑み。
薬品で剥がれた彼女の仮面。だがこうなることすら想定済みだったのだろう。栞には動揺もなければ後悔した様子もない。そもそも、彼女にそんな感情があるかすら定かではないが。
「どうして……か。あなたが本当に聞きたいのは、別の事のように思えるのだけれど?」
四葉を見据えた瞳が酷く冷たくて、錯覚だと分かっていても身が強張る。
だけどその声音はどんな人よりも優しくて、空虚なはずなのに慈愛を感じてしまう。やはり、四葉に彼女を理解するのは無理なようだ。
「…………みこりんは?」
「殺されたわ。いつどこで……なんて、もう言わなくても分かるでしょう?」
突きつけられた事実に、四葉は息を飲む。
こうなった時点で察しはついていた。だが、いざ言葉にして言われると構えていてもとても平静を保てるものではないようだ。不意に流れた涙を拭い、四葉は震える声で言った。
「しーちゃんはみこりんの敵を討ちたかったから……あんなにたくさんのを一人で準備してたの」
「ええ、そうよ。だって、許されるはずがないじゃない。こんなことが」
栞の声音の変化を、四葉は見逃さなかった。いつもの彼女らしからぬ態度に、四葉は栞となるべく視線を合わせまいとそらしていた顔を向き直らせる。
聖母のような微笑みに、だがほんの少しだけの違和感。四葉の知っている栞のはずなのに、どこか栞らしくない。
今の彼女は、微かながらに感情の色が見えていた。
「わかる四葉? あの子の声が……無いの、無いのよ。家に帰ってもお帰りなさいの声が聞こえないの。戦いが終わってもお疲れ様って私に触れてくれるあの温かい手がないの。お姉ちゃん大好きって、ずっと一緒にいるってそう言ってくれたの。約束したの。守らなきゃいけないの。守らなきゃいけなかったのに…………でも、あの子はもういない。だから、だからだから私は!」
せっかく栞が初めて見せてくれた感情なのに。それを喜ぶことさえ出来ない。
彼女を慰められる唯一の人は、もういないのだ。
四葉ではきっと、彼女のかわりなど出来るはずもない。その資格すらも、無いのだ。四月一日栞にとっての全てが、四月一日命という存在なのだから。
「で、も……もう敵は討ったんだから、終わり……だよね? またいつもの――」
「まだ終わってないわ。敵を討つだけじゃ駄目なの。だって、今のままじゃまた次の明皇が生まれるだけだもの。だから……白崎が一番になるの。そして私達がすべての学校を支配して、管理して……そうすれば、誰も死なない。誰も泣かない。四葉の好きな平和な学園戦争ができるようになる。それで初めて私の目的は完遂される。心配しなくても私がいれば大丈夫よ、出来るわ」
ふわりと車から舞い降りて、栞は四葉の頬を両手で包む。
たったそれだけで神々しい一枚絵の風景を創り出す純白の少女。
けれどその指先はあまりにも冷たくて。彼女の言葉に悪魔のような恐ろしさを感じて。
四葉はそっと彼女の手を引き剥がす。それは優しくも、確かな拒絶。
「違う……よ」
「…………」
「私は馬鹿だから、しーちゃんのしようとしてることちゃんと理解できてないかもしれない。でも、でも分かるんだ。それはとっても恐ろしいことで、私がしーちゃんに教えてもらった学園戦争なんかじゃない! 辛いこともある、苦しいこともあるけど。でも楽しくて、みんなで笑って……そういうものだって、私はしーちゃんやみんなに教えてもらったんだ! だから、支配だとか管理だとか、そんなのは絶対に違うよ!」
「四葉……」
降り出した雨が、二人を濡らした。
果たして、四葉から離れる一瞬、栞の瞳から零れたのはただの雨粒だったのだろうか。
もはやそれを確かめるすべもなく、栞は俯いたまま――
「じゃあ、今後白崎はどうするかを決めましょう。学園戦争を行う生徒らしい方法で……ね」
数秒の間に、栞は一体どれほどのことを考え、何を想ったのだろう。
けれど再び見せた彼女の顔には迷いも悲しみもなく、もういつもの彼女に戻っていた。
だから四葉も、親友としてではなく、白崎学園の戦闘科生徒として答える。
「…………いいよしーちゃん。望むところだよ。一対一で勝負を――」
「ちょっと待った。ふふ、あなたの友だちの意見は聞かないの?」
言われて、四葉は振り返る。
だが、皐月も、修嗣も、紫藤も、全員の意思はすでに決まっていた。誰と共に行くかも、誰と共に銃を取るのかも。
今の四葉は白崎にとっての光。それも温かい太陽の光だ。
それに気づいていないのが本人だけだったのは、いかにも四葉らしいのだが――
「なーにが一対一よ。無茶言いなさんなって。私の相棒はあなたなんだから、戦うなら一緒に、よ」
「ええ!? 皐月ちゃんは俺とじゃねぇの……っと、ええと、その……な、なんつーか俺もよく分かってねーけどさ、命ちゃんは俺らに秘密なこととか最近多すぎだしその……け、喧嘩するなら俺は四葉ちゃんの側に回るぜ!」
「椎名四葉……俺はお前の盾だ。最後までお前に付き合う」
皆、理由は違えど意思は同じ。決意を込めた表情で、四葉を囲む。
こんなこと、決して望んでいたわけではないけれど。でも今は、やらないといけない。そう思ったから。
みんなの前に立って、四葉は一番の友であり、一番の敵に言い放つ。
「私達、白崎のみんなで……しーちゃんを倒すよ」
「…………ええ、受けて立つわ」
数日後。
白崎町は平日の昼間にも関わらず静けさを保っていた。
商店街の店はシャッターが下ろされ、白崎町の象徴とも言える白崎学園もまた、生徒の姿はなく廃墟のように巨大な白色の建造物が佇むだけ。
だが、この異様な光景の中でも白崎学園戦闘科が保有する屋外射撃場だけは、いつものように人で溢れかえっていた。
その中には白崎学園の校長の姿さえも見られ、これから起こることの重大さを物語っている。
前例はなく、正式な手順を踏んですらいない、この小さな町の中だけで行われる戦争。たった一人対大勢。白崎の生徒同士による、学園戦争だ。
「みんな、準備はいい?」
背後に控える皆は答えない。だが、その気持は伝わっている。
その想いを背に受けながら、四葉は机に置かれた栞からの贈り物を抱き上げた。
両腕にずしりと、銃の重さを感じる。これに詰まっているのは、彼女の想いの重さ、そして彼女の命の重さ。
それを抱いて、四葉は戦場へ。
「始めよう、私達の町の……私達だけの学園戦争を」




