37話「人が生んだ怪物」
鳴り止まない銃声。絶えず響く人の叫び声。弾丸が肉を抉り穿つ音。
この戦場は狂気に溢れている。それこそが明皇学院で、我々はそうであらねばならない。これからもずっと、すべてが終わるその時まで。
「……死にたい」
指揮所として用意された一室。そこにいくつか置かれた机の上に上半身を預け、侑李は戦いの終焉を告げる音が来るのを今か今かと待ちわびていた。
前回の戦闘ですでに戦力の大半を削いでいた。その白崎がなぜ息を取り戻し突然力をつけたか、それは定かではない。だが二度も明皇学院に生徒を殺されたとなれば、もしかしたら誰かが――そんな淡い期待を抱いてしまうくらいには、白崎という場所に侑李はそれなりの関心を抱いている。
これでも何も変わらないかもしれない。けれど、もしかしたら。そう思えば、死人のように枯れた心も少しは癒やされるというものだ。
「……ああ、なんというか流石です。めんどくさい……めんどくさいですけど、ちょっとすごいですね」
室内の空気が渦巻くのを感じて、侑李は制服の上着に手を入れる。
取り出されたのは、やつれた少女との組み合わせとしてはおよそ似つかわしくない大柄なリボルバー。市販される拳銃弾の内では最上位に位置する威力を誇る弾丸を撃ち出す暴力の結晶。S&W M500だ。
侑李は左手を腰に、右手だけでM500を保持すると、机に突っ伏しながらわずかに顔を持ち上げ何となくいそうな場所に銃口を向け引き金を引いた。
M500の発砲炎が照明となり、薄暗い室内は引き金が引かれる度に眩い光に包まれる。リズムを取るように規則的な間隔で5発。熊をも一撃で殺すと言われる弾丸は寸分の狂いなく狙った箇所を粉砕していく。
ロッカー、薬品棚、本棚。ことごとく全てを粉砕し、部屋に静寂が戻った。
「参考までに……どうやってここまで来たんです?」
「セーフティエリアから出る時に、おかしなトンネルを『偶然』見つけてね。それを通って戦闘区域に入ったらここに出ただけよ」
「あー……ほんとに潰す気なんですね。いいですよ……やりましょうか」
亡霊のように、侑李の数メートル先に突然銀髪の少女が姿を現した。
それに驚きもせず、侑李はM500から空の薬莢を引き出しスピードローダーを使って5発の巨砲の如き弾薬を装填する。その間も、四月一日命は決して動こうとせず侑李の手が止まるのを笑って待っていた。
どこか似た雰囲気を持つ二人の少女。だがその根底に抱く感情は異なる。
言葉は交わさず、しかし開戦の合図は前触れもなく訪れた。
小気味いい音を立てて、金属のぶつかり合う音が響いた。
始めに動いたのは四月一日の方だ。折りたたみナイフの刃が迫り、腰から振り抜いた侑李のマチェットがそれを弾く。だが間髪入れず繰り出された二撃目に侑李はやっと机から離れると、分厚いマチェットの刀身でナイフの軌道を逸しつつM500の照準を定めた。
耳をつんざく発砲音に、だが弾丸は標的を逸れ奥の棚を破壊する。
発砲炎に上着の裾を焦がされながらも、銃弾を意に介さず四月一日はナイフを振るった。三日月の軌道を描いて刃が空を裂き、横薙ぎに振るわれたマチェットにぶつかり火花と金属片を散らす。
やがて甲高い音を聞くと四月一日は後退。半ばから折れたナイフを捨て太腿のホルダーから新たなナイフを取り出し構えた。
「やっぱり安物じゃこの程度ね。……さて、私はあと3本。あなたはいくつ?」
「むぅー……」
半目で死人のような顔色の侑李を見据え、その視線と言動が彼女の琴線に触れたのか侑李は唸り声をあげた。
見たところ侑李の武装は両手に握る銃と刃の二つのみ。少女の体躯では隠し武器にも限度があるだろう。あと数度も打ち付ければマチェットも折れる。そうなれば、次は――
「ところで……」
「なに?」
「あなたは前回私が直接撃ったはずですが……なんで生きてるんです? まあ私もよく死体が歩いてるみたいだとか言われますけど、そういうレベルの話じゃないですし」
「ふふ、なんででしょうね?」
ふと、思わずナイフを握る指先に力がこもる。今過去の記憶を掘り起こしても意味はない。
人の命を奪う悪鬼の巣窟。それを束ねるこいつだけは――殺さなければならない。
「まぁいいです……めんどくさいですけどもう一度殺すだけですから。あなたを殺してさっさとこの戦い終わらせます」
「ほんと、それしかできないのね。あなた達は」
数度の掛け合いの後、前触れ無く繰り出される斬撃に四月一日は一歩身を引いて回避する。鼻先を掠めたマチェットの分厚い刃が虚空を薙いで、仄かに光を弾く銀糸の髪を僅かに揺らした。
まだ銃は取らない。右手に握ったナイフ、その切っ先を侑李に向けたまま次の一手に身構える。
袈裟に振られた刃を受け、突きをかわし、振り下ろされたマチェットをナイフで弾く。
目の前で飛んだ、指ほどの長さの刃が頬を掠めた。これで2本。まだ予備はある。
侑李のマチェットも相当傷ついてはいるが、刃が潰れてもあれだけの質量の鉄板が身体に触れればそれだけで致命傷だ。油断はできない。
息を整え、侑李を見据える。
体力にはお互い余裕がある。残弾も同様。
侑李のような狂人が他者を率いる立場にいるのは不思議でならないが、この実力を鑑みればそれも当然か。その才能をただ学戦のために使ってくれればどれほど良かったか。
もはやそれを嘆く時はとうに過ぎ去っているが。
「あなたはなぜ平気で引き金を引けるの?」
「ぅん? なんですか突然」
「あなたはなぜ人を殺せるの?」
「…………」
沈黙。同時に大振りのマチェットが四月一日を襲う。
側面を掠めたマチェットは背後の薬品棚の扉を叩き割り、砕けたガラスが宙に舞う。僅かに目を細めた瞬間腹部に強烈な蹴りを食らい、四月一日は棚に叩きつけられた。
上から降ってくる薬瓶が割れて四月一日に降り注ぎ、得体も知れない液体に濡れ、垂れて視界を塞ぐ前髪を指先で掻き分け侑李を睨む。
「平気なわけ、ないじゃないですか。こんなの、悪いことです。ていうか犯罪です」
「…………」
「……思い知らせるためですよ。こんなことをさせる連中と、何も知らずにこんなものを支持する連中に」
突然侑李は構えを解くと、俯いたまま肩を震わせた。
「学園戦争で勝てば勝つほど周りの人間は増え、奴らはさらなる富を望む。テレビは私達の戦いを娯楽として映し、学園戦争がまるでスポーツ番組かなにか。……でも、戦場で傷つき、血を流しているのは私達です。それを無知な屑共は私達の苦労も知らず、私達が命をかけて守り、得たものを当然のように奪っていくんだ!」
「あなたは……」
「……二年前、初めて学園戦争で友を失った戦いの後のことです。彼女を送った後で街の奴らが私に言いました。……やあ、侑李ちゃん今日もお疲れ様。おかげで今度は高級車が貰えそうだよ。侑李さんのお陰で新しい家が建てられるわ、でももっと勝てばいい家具も揃えられたりするのかしらね? なあ侑李、もうたくさん戦ってるのにまだ戦うのか? なんだ、戦いが好きなのか? ……誰もあの子を気にする人なんていなかった。あいつらにとって重要なのは、学校でも私達でもない。私達が命を賭けて得た勝利……それの恩恵」
気の緩んだ一瞬、侑李の拳銃のグリップがこめかみに直撃する。
歪む視界に、だが追撃はなく。
「……私は銃が嫌いです。こんなものがあるから学園戦争が生まれた。こんなものがあるから私達は戦わなくちゃいけない。だから、これを使って私は学園戦争をブチ壊す。半分も学校を壊せば、連中だって隠したままではいられなくなる。少なくともこの国からこんな馬鹿げたものはなくなるはずです。それまで私は……引き金を引き続ける。気が狂おうが頭がイカれようが、最後にそれで馬鹿な連中全部に思い知らせてやれるなら、みんなが銃を持たずにいられる日が来るなら……こんなの安い代償です!」
「…………あなたのこと、少し誤解していたわ」
「だったら!」
「でも、人殺しの貴女に殺されてあげる訳にはいかないのよ私は」
互いに繰り出した拳が頬を打ち抜き、震えた空気がガラス戸を揺らす。
既に両者とも武器はしまうか捨ててあり、両腕には拳が作られていた。
「いいですよ……正義の味方。なら悪党を殺してみせろ!」
「言われなくても!」
一方が殴れば、もう一方が殴る。それの繰り返しが何度続いただろうか。
ガラスの瓶を、机にあった工具を、あらゆるものを使って殴り合い、数分間に渡り攻め合うだけの防御を一切考慮しない闘争は、やがて幕を閉じる。
肩を揺らして、侑李は壁を背になんとか立っていられる状態だろうか。裂けた額から流れる血が彼女の右目を真っ赤に染めていた。
四月一日も口の端を少し腫らして、そこから桜色の唇と白い肌を伝って紅色の血が白崎の制服を汚している。
「ふっ……ぎ……は、ハハッ……化物みたいな、力。ほんと、もう……めんどくさい、相手です」
「生まれつき身体の安全装置が外れてるらしくてね……殴り合いじゃ負けないわ」
手の甲に刺さったガラス片を抜き取りつつ、四月一日は侑李の前で佇む。
もはや反撃する気すら起きないのか、侑李はその場で座り込むと血塗れの顔で四月一日を見上げた。
「あなたの勝ち……ですよ」
「そうね」
「気は、晴れましたか?」
「そうね」
「これで明皇は終わり。次は……きっと、あなた達の番」
「……そうね」
それだけ言って、侑李は目を閉じる。
首のペンダントは、何かの証だろうか。最後の力で彼女はそれを力一杯握りしめた。
「ごめんねえりちゃん。私、約束守れなかったよ――」
「……さよなら」
一発だけの銃声。それはすぐに戦場の声に溶けて消える。
力なく崩れる侑李の身体を受け止め、床に横たえるとペンダントに重ねるよう腕を組ませて顔に布を被せた。
これで勝敗はついた。だが、
「……ッ」
血塗れの腕が、机上に置かれた何かの部品を吹き飛ばす。
衝動的にこんなことをするのは、らしくない。それを理解しながら、止めることはできなかった。
この怒りはどこから生まれたのか。そもそも何に対しての怒りなのか、それすらも分からずに。
「私の……私は……」
仇を討てた。だというのに、心には一層の霧がかかったようで。
まっさらな心の中に、濃霧が生じた。だからもう――これを考えるのはやめよう。
「ええ、ええ……そうよ、私があなたの仇を討った。後は――」
「動かないで!」
――五分五分の賭けだった。どうせ最後は自分の手で下すのだし、どちらに転んでも困ることはない。
でも、どうせなら。そんな風に思っていたから、あの声を聞けた瞬間は思わず笑ってしまった。数日、いや数ヶ月ぶりだろうか、本当に心から笑いたいと思って出た笑顔。
それがどうも彼女からすれば異様なものに見えたのか、困ったような、それでいて悲しいようにも見える複雑な表情が返ってきて。
「あ……れ? みこり……え? どうして……そんな」
「…………お疲れ様、四葉。嬉しいわ、まさかあなたがちゃんとここに来れるとは思っていなかったから」
動揺する四葉が後ずさる。その理由はなんとなく分かっていたから、あえて何も言わずに彼女に微笑んだ。
開け放たれた扉から吹き込んだ風が、銀に混じった純白の髪を撫でて。
四月一日栞はため息をついた。




