36話「無名の王」
黙々と階段を歩く大男を前に、四葉は片方の頬を膨らませて影ながら密かに抗議した。
当然それを男が見るはずもなく、彼の視線は上階へと向けられている。
背後から聞こえる銃声が途切れぬ内は安心できるとはいえ、銃撃戦など一瞬で決着がついてしまうのだ。こうして考え事をしている間にも皐月達の銃声が途絶えてしまわないだろうかと、不安は尽きない。
「椎名四葉」
「はにゃっ!? な、なに?」
不意打ち気味にヘルメット越しのくぐもった、それでいてはっきりと聞き取れる静かな声に四葉は虚を突かれ上ずった声で応答する。
それをからかうことも笑うこともなく、紫藤は続けた。
「銃を抜け。敵がいる」
「あ、う、うん!」
腰から下げた学生用のカバンほどのサイズもあるホルスター。そこに鎮座する銃を四葉は慣れぬ手つきで抜き取った。
数度試し撃ちはしたとはいえ、拳銃以上の銃をまともに使うのは初めてだ。いつも使っているM93Rも連射機構は付いているとはいえ、バースト射撃。対してこのMP7は引き金を一度引くだけで弾倉内の弾薬が尽きるまで発射するフルオート。闇雲に撃てばあらぬ方向に銃弾を放ち、最悪の事態を招く危険すらある。
「椎名四葉」
「うん、なにしどーくん」
「それの弾を俺に当てるなよ」
「はひぃ!? い、いえっさ……」
おそるおそる四葉はMP7のレバーを押し下げ、安全位置から単発射撃位置へと移動させる。MP7はレバー周辺にどの位置にセットすれば安全か単発か連射かを示す銃弾の絵が描かれているので一目瞭然。銃の知識に疎い四葉にも分かりやすく、親切な設計だ。
「敵は見えるだけで5。部屋の中に隠れているものもいるだろう。俺が囮になる、お前はここで狙い撃て」
「だ、大丈夫なの!?」
「俺はお前の盾だ。問題ない」
言って、紫藤は四葉を階段に残し一人二階への通路へと進んでいく。
すると、待ちかねたと言わんばかりに弾丸の雨が紫藤に浴びせられた。
だがそれを物ともせずに、防御の姿勢すら取らず紫藤は歩みを止めることなく一歩また一歩と進んでいく。
そうして彼が歩を進める度に明皇の生徒の陣が引き、彼の異常性に皆が動揺し始める。当然だ。これを目の当たりにした四葉でさえ、引き金を引くことを忘れ彼の背中を呆然と眺めてしまっていたのだから。
「な、なにあれ……しどーくん実は未来から来た機械的な」
唖然とする四葉に痺れを切らしたのか、ついに紫藤は敵陣へと切り込む。
武器は拳銃のみ。だがそれすら使わず、紫藤は己の拳だけで明皇の生徒を薙ぎ倒していった。それはもう圧倒的で、我に返った四葉が援護射撃をしなければと銃を構えた頃にはもう敵は数えるほどしかいなくなっていた。
まさに一騎当千の活躍に、見とれていただけの四葉は無言のまま少し振り返った紫藤に申し訳ないと目をそらして頭を掻く。
「す、すまねぇしどーくん」
「……問題ない。だがおかしい、手薄すぎる。それほど教室棟と訓練棟に人員を割いたということか?」
互いに気の緩んだ一瞬の間。それで反応が遅れた。
紫藤の傍の窓ガラスが割れ、外から大きな黒い塊が転がり込んでくる。それが人間だと理解し、体勢の整わぬ内にと二人は拳と銃口を向けるが、一歩早く相手は床を蹴って距離を取り銃を抜いていた。
早すぎる対応に紫藤は実力を察し両手を構え、四葉も気を引き締めて階段に半身を隠しながらMP7で狙いをつける。
「あら……ちょうどいいところに入っちゃったみたいね。ライフル、置いてこなければよかったかしら」
「椎名四葉、気をつけろ……こいつは出来る」
嘆息して、一度構えを解き拳銃を揺らす女はどこか余裕が感じられる。
着込んだボディーアーマーには各種グレネードや大口径ライフルの弾倉、その他四葉の知識にない道具が無数取り付けられ、他の生徒のように高校生らしいアクセサリーなどは一切ない実用一辺倒の装備に、さしもの四葉も紫藤の忠告がなくとも彼女が他と違うのは瞬時に理解できた。なにより、
「細目の人は絶対強い! しどーくん気をつけて絶対その子ラスボス級だよ!」
「む……う?」
「ふふ……面白いわね、あなた」
口元は笑っているが内心では微塵も笑っていない、そんな女の表情に四葉は身を縮こまらせる。しかも紫藤には伝わらなかったようなので、完全に場の空気を悪くしただけの失言である。
軽く唸ってから首を振り、四葉はいつもの調子を振り払って女へと照準を定めた。
幸いにも女の視線は紫藤へと向けられている。今なら、そう思い切って引き金に指をかけ、だが同時に感じた寒気に指先が固まった。
「撃たないの?」
「あ、う……」
紫藤だけを見つめていた女がふと吐き出した言葉に、四葉は喉で息をつまらせたように口を開いては閉じ言葉にならない声を漏らした。
撃っても絶対に当たらない。なぜだか、そう思ってしまう。単に気圧された精神がそう思わせるのか、そうなるという予感を感じたのか定かではないが、既に四葉はこの時女に呑まれかけていた。
「呑まれるな。お前は強い」
「しどー……くん」
だからか、紫藤の言葉は乾いた土に水を流すように染み込んで。
一人なら砕けていたであろう四葉の心を、再び奮い立たせた。
「やろうしどーくん。私達は……進まないといけないんだ」
「……いいわね。あなた達みたいなのは好きよ」
その時、女が本心から僅かに口元を緩めたのに二人は気づかなかった。
ほぼ同時に繰り出された紫藤の拳が四葉の視界を遮り、紫藤もまた戦いの闘志を内に燃え上がらせ些細な感情の変化など気にもとめなかったからだ。
「ぬッ!?」
鉄板すら貫く剛拳。弾丸のような速度で迫る拳に、だが女は素早く紫藤の腕に手を絡めて投げ飛ばした。立て続けに、地面に背を打ち付ける紫藤の胸を45口径の弾丸が襲う。
聞いただけで身が竦む大口径弾薬の銃声に身を強張らせ、だが四葉は射線から紫藤が逃れたこの機会にMP7の引き金を引いた。
ストックと補助用グリップのおかげか感じる反動は予想よりも小さい。初弾は牽制のつもりだったが二発目以降を当てるつもりで照準に女を捉え再度引き金を引く。だが、
「的当て、上手いのね」
素早く横倒しになったロッカーの影に入り、女は銃撃を回避。
射撃の直前まで女は背を向けていた。普通の相手なら十分当てられると踏んだ上での判断だったが、やはりこの女は今までの相手とは違う。
慎重に、隙を見せないよう四葉は階段から通路へと上がるとロッカーに狙いを定めながら横目で紫藤を確認。45口径の弾丸は潰れて彼の胸に乗っている、貫通はしていない。
程なくして起き上がった紫藤は手で四葉にその場で止まれと指示を出し、一人ロッカーの傍へ。四葉は援護のため片膝を床につけながらMP7を構える。
「あなた達が勝つためには侑李さんを倒さなければならない」
「知っている」
「あの人も、そこそこ強いわよ」
「まるで自分ほどではないとでもいいたげな言い方だな」
ロッカー越しに、女が笑った。
「試してみる?」
再び通路へと躍り出た女の手には拳銃とナイフ。ロッカーを飛び越え着地し、屈んだまま紫藤の頭部めがけ引き金を引く。
しかし、銃弾は紫藤のヘルメットを貫通することはない。が、着弾の衝撃で彼の大柄な体躯は首から大きく仰け反り、そこに付け入る隙を生む。
女は床を蹴り、数メートルの距離を一瞬で詰めると素早く紫藤の背後に周り膝裏にナイフを突き立てた。
「……防刃もか」
囁いて、女は牽制に四葉へ向けて何度か発砲した後、体を捻りながら紫藤の後頭部へ回し蹴りを食らわせる。低く、重い音が響いて彼の身体が壁に叩きつけられた。傍から見ても、その威力が紫藤の拳と同等のものだということはすぐに理解できた。
銃撃で体勢を崩した四葉も即座に援護できる状態ではなく、女は一息吐いて息を整えると拳銃の弾倉を交換しスライドを引く。静かな通路に、未使用の弾薬が虚しく転がった。
小さく呻き声をヘルメット越しに漏らして、紫藤は頭を振って壁から背を放した。どうやら無事のようだが、無傷とはいかないらしい。少しふらついているようにも見える。
それを女が見逃すはずはなく、敵を喰らうべく大口を開けた巨大な銃口が紫藤を捉えた。
だが、あの銃では紫藤の鎧を貫けないはず。なぜ――と、四葉は床の上で鈍く輝く弾丸に気づいた。
あれはただ弾倉を交換したわけではない。あえて使用していない弾薬を排出したのは、再装填ではなく弾の交換。それもおそらくは貫通力を高めたもののはずだ。
「紫藤君!」
叫ぶやいなや、地面に這いつくばった姿勢のまま四葉はMP7を乱射。当たらなくてもいい。とにかく、女に銃を撃たせてはいけない。
四葉の援護もあって、女の銃から発砲炎が瞬くことはなく、彼女は再び遮蔽物の傍へ。あちらは上半身こそボディーアーマーに守られているが、下半身はスカートのみ。無数散らばる弾は、正確に撃ち出される一発の弾丸よりも彼女にとって脅威となる。
「私が援護する! 行って!」
微かに、彼が頷いた気がした。
姿勢を整え立ち上がって四葉は銃を構え、紫藤が女に突貫。
迫る紫藤に女も隠れたままではいられず、銃で応戦しようとするが紫藤は器用に女の銃を腕で弾いて銃口を絶えず身体に向かないようコントロールしながら逆の腕で攻撃を与える。
全く隙のない。少なくとも四葉には何年かけても避けられないような連撃。加えて一撃必殺のそれが幾度となく繰り出されるが、軽く体を捻り、時に上半身を逸らすだけの最小限の動きで女はその全てを回避していく。
1メートルも離れていない至近距離でこれだけの攻防が繰り出されていては、四葉も手出しはできない。だが人間である以上体力には限界がある。むろん、それで紫藤に分があることも承知の上でだ。だからこそ、一瞬の機会を逃すまいと四葉は引き金に指を触れさせたまま、ひたすらそのチャンスが訪れるのを待った。
「ぬぅ!」
「さすが、Sランクは伊達じゃない」
しかし、四葉の読みをあっさりと裏切って、女はこの戦いに勝ってみせる。
わざと持久戦に持ち込ませ、少しずつ動きを重くしながら疲労を偽装。女は紫藤の攻撃が大振りになるのを誘うと、見事渾身の一撃を引き出してはそれをあっさり受け流し、180以上はあろう彼の巨体を上下反転させてみせた。
紫藤が床に身体を叩きつけられるのと同時に女は飛び退いて、直後金属の重い塊がごとりと床を転がる。円筒形の物体に、四葉は瞬時にそれが何かを理解して。
「紫藤君、しゅりゅう――」
言い切るより早く、通路は白い閃光と銃声全てをかき消し脳まで震わす不快音を奏でて炸裂した。
視覚、聴覚。五感の一部が麻痺したことに混乱し、四葉は必死に紫藤の名を叫び続けた。完全に無防備な状態。強烈な爆発音は四葉の思考能力を遮断し、この後に迫る最悪の事態に備えるだけの時間すらをも奪っていく。
そして感覚が戻ってくると、淡々と冷たい声だけが四葉の側から囁かれた。
「ゲームオーバー」
こめかみにあてがわれた硬い感触に、四葉は身を硬直させた。
もはや為す術はない。指先一つ動かせば――いや、もはや四葉の命は彼女のものだ。女の裁量一つで、四葉は次の瞬間には物言わぬ肉塊に成り果てるのだから。
「あ……ぁ……」
「すまない。俺は……」
今際の際に沈む二人に、女はまた顔に小さく偽りの笑みを貼り付けた。
これで終わり。なんともあっけない。所詮、新人の四葉に出来るのはこの程度だったのだ。命にも、栞にもたどり着けず、外野からただ眺めているだけの――
「なかなか楽しかったわ。やっぱり、あなた達は面白い。……今度は、もっと傍で見てみたいものね」
ふと、胸を締め付けるような重苦しさが消えた。
頭を上げれば、そこに女の姿はない。まるで最初から存在しなかったかのように、彼女はどこかへと去っていた。
ただこれは夢ではないと、紫藤の足に穿たれた銃創がそれを示している。あの一瞬で女は銃撃すら放っていたのだ。
既に傷は薬による治癒が始まり、半ば治りかけだがつまりそれは紫藤の脱落を意味する。
仲間の無事に安堵し、だが頼れる味方の損失に四葉は複雑に顔を歪め、だがそれも瞬きする間ですぐに笑顔を作る。
「よかった、しどーくん無事で」
「ああ……だが、すまない。俺はどうやらここまでのようだ」
紫藤にしては珍しく、感情の乗った低い声を出し彼は床に大の字に寝転がる。果たして彼が見ているのは天井か傍らに立つ四葉かは暗いヘルメットに覆われ知る由もないが、彼なりに不満があるのはなんとなくだが感じられた。でなければ、彼が駄々をこねる子供のような真似をするはずがない。
「まったく……俺はどうも女運が無いらしい」
「うん?」
「いや……何でもない。…………椎名四葉」
「うん」
「ここからはお前一人だ。やれるか?」
僅かに目を伏せ、だが四葉は銃を握りしめる。
盾は壊れても、まだ四葉の剣が折れたわけではないのだから。
「やれる……と思う。……ううん、やるんだ」




