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34話「ホワイトフェザー」

 真鍮色の空薬莢が宙を舞い、それが地面に落ちる間にもう一発。

 その繰り返しを三十分。教室棟の部隊はこちらの奮闘虚しく――とはいえもとより狙撃手一人では出来る事に限りあるのも事実、むしろよくやった方だと言えるだろう。だからスコープ越しに照準をつけながら、自分を褒める。


「右……屋上、重機関銃に三人」


 砲声に合わせて引き金を引く。地面を抉る迫撃砲の着弾に合わせ、明皇学院屋上で三人が揃って床に倒れ込んだ。

 

「左……LMG射手が二人――んぅ」


 僅かに射撃姿勢を変えた瞬間、横に散らばっていた空薬莢が勢いよく爆ぜる。はね飛んできた金属の欠片が頬を裂いた。


「流れ弾……? 違うか」


 頬を伝う血を手で拭い、姿勢を低く保ってシロは立ち上がる。

 これ以上深追いは禁物。相手は手練、数も相手が圧倒的。この状況で無理は得策ではない。

 

「いっそ私だけで突っ込むか……いや無理かぁ。せめてマニが一緒だったらなぁ」


 独りごちるシロだが、決して周囲の警戒は怠らず次の一手を思案する手を緩めることはない。

 教室棟組はほぼ全滅。訓練棟も上手くことが運んでいる今、役目はほぼ終えたと言ってもいい。

 これ以上追撃を加えれば、屋外に設置された銃砲兵士全てがシロを襲うことになるだろう。


「まあ、それもそれでアリ……か」


 シロに注意が向くということは、それだけ校内が手薄になるということでもある。

 この戦いは勝利で終わらせなくてはならないのだ。なら勝率は少しでも高い方がいい。


 シロは一度大きく息を吐き出すと、身を屈めながら次の狙撃地点へと移動する。

 下手をすれば死ぬ。脳裏にそんな考えがよぎり上昇する心拍を深呼吸して押さえ込み、即座に移動できるよう膝射の姿勢でM70ライフルを構えた。

 まずは厄介な迫撃砲と機関銃。200mほどの距離で案山子のように並んだ敵の胸を狙って引き金を引く。一瞬遅れて肩を打つ.30-06弾の反動に耐え、敵が反応する前に照準を合わせて連射。

 熊すら打ち倒す弾頭重量180グレインのジャケット弾は吸い込まれるように敵の防弾ベストを貫き、必殺の一撃を叩き込んだ。


「次、兵器棟の――ッ!?」


 シロは銃を構え、しかし背後から聞こえた音にゆっくりと派手な動きを抑えながら地面にうつ伏せになると、這って近くの水溜りに身を浸す。幸い女一人程度なら完全に水没してしまうくらいの深さの泥水ということもあり、隠れるにはもってこいの場所だった。


(冷た……でも我慢我慢。こんなの真冬の裏路地に比べればどうってことないどうってことない)


 泥水に身を預け、付近に感じた気配が去るのをひたすら待つ。

 目立つ帽子の白羽根をポーチに押し込んで、息を殺し自然と一体となったシロに敵は気づいていない。


「スナイパーがここらへんにいるはずだが」

「移動したのかなー? ざーんねん、このマチェットで腕の2、3本切ってやろうかと思ったのに。銃でふっ飛ばしたことはあっても切ったことはないんだよねぇ私」

「おいおい腕は2本しかないだろ。どんな化物だよ」

「あはっ、そっかぁ。っと、およ?」


 ぱしゃりと、一人が水溜りを踏み抜いた。ブーツの硬い靴底がシロの右手に打ち下ろされ、痛みに一瞬開いた瞳に流れた泥水にぎゅっと目を瞑る。


「どうした?」

「うわー泥水じゃん。ブーツ汚れたしぃ、最悪」

「装備を汚すなよ。はは、でも案外こんな場所に隠れてたりしてな」

「ウケる、どこの映画の特殊部隊よそれ」


 それから程なくして声は遠くに去っていき、新たな気配がないのを注意深く確認してからシロは顔を水面から出して新鮮な空気を取り込んだ。

 再度周囲を確認し、軽く息を整え顔についた泥水を拭うと、シロは水溜りから這い出て訓練棟の入り口を目指す。


「痛ってーなクソ、人の手踏みやがって。あいつ絶対後で撃ってやる」


 毒づきながら、草を掻き分け這うペースは緩めずに右手を眺めた。少し腫れているのが気になる。狙撃に支障がなければいいのだが、今はそれを確認するより移動しなければ。

 目的地は訓練棟入り口。考えついたシロの目論見が上手くいけば、追っ手がこれ以上増えるのを防ぎつつ本命の連中への増援を断つことが出来るはずだ。

 

「侑李さん、訓練棟の敵まだ発見できません。どうしますか?」

「我々も出よう。あの馬鹿共には任せられん」


 だが、たどり着いた先には二人の生徒が陣取っていた。気取られないようにシロは気配を殺しつつ、草の影から様子をうかがう。

 両名とも武装は大口径の突撃銃に、制服の上からはボディーアーマー。無線で誰かと話している女もだが、その隣で佇む男も相当な手練だ。動きに無駄がなく、付け入る隙がない。


(ヤバそうな奴ら……このままどっか行くのを待つか)


 なるべく動きを抑えつつ、シロはぬかるんだ泥に頬を擦り付けるようにして身を伏せる。地面と同化した自分を見つけられるはずがない。だから後は、二人が去るのを待つだけだ。

 冷たい土と草の床に、だが生じる不快感はもう水に入ったことでいくらか薄れている。ここまで汚れればもうどうなってもいいというやつだ。

 と、ふとそんなことを考えていれば、二人は揃って歩き出していく。それもまるで見当違いの方向に。

 まだ安心はできないが、内心ほっとしながらシロは二人が去るのを見送る。すると、


「……ねぇ」

「…………ああ、なるほど。流石だ」


 一瞬。本当に一瞬の出来事だ。

 まるでゴミをポイ捨てするかのように、あまりにも自然且つ流れる動作で女はベルトに引っ掛けた手榴弾を投げ、男はそれに合わせて瞬時に銃の装填を済ませた。

 シロの目の前にピンの抜かれた手榴弾が落ちて転げ、反射的に立ち上がった視線の先では男の構えたライフルの銃口が覗いている。


(――避けても殺られるッ)


 手榴弾から逃れようとも男のライフルが狙いを定めている。逆に銃を避けようと伏せれば手榴弾の餌食。

 立っても伏せても銃口がこちらを狙い、半端に動けば手榴弾の破片が襲ってくる。ならばどうする。刹那の間にそれを考え、実行まで踏み切れたのはやはり積み重なった経験がなせる業だったのだろう。

 もっとも、それは相手も同じなのだろうが。


 転がった手榴弾を手ですくい取り、シロはそれを二人に向けて投げ返す。きれいな線を描いて狙った場所に飛んでいく手榴弾に、思わず拳を天高らかに掲げたくなる衝動を抑えてシロは横目に二人を捉えながら、訓練塔の入り口まで駆け抜ける。

 だが、それで終わるほど甘くはなかったようだ。

 投げ返されることも見通していたのか、男は顔色一つ変えずシロに照準を合わせ続け、女は軽くジャンプすると冷静に手榴弾をキャッチして明後日の方へと放り投げた。

 

「ちょっとくらい焦ろって――ぬわッ!?」


 舌打ちしたシロの腹を衝撃が襲う。7.62mmの弾丸が左脇腹を貫き、身体を突き抜けた弾丸が白い壁に赤い飛沫を飛び散らせる。

 急激に脱力するのを感じて、シロはようやくたどり着いた訓練棟の入り口で膝をついてしまう。


「うぐ……ぉ……今死んだら死ぬ、今死んだら死ぬ……」


 ライフルを支えに、シロは立ち上がった。

 薬が効いてくるまであと数秒の間はあるはず。ここで倒れれば学戦としての死ではなく本当の死が待っているのだ。

 だから、後がないなら全力で。

 

「まだ……まだぁ! 私は勝って……お腹いっぱい焼肉を食べるんだぁ!」


 足がもつれて前のめりになったシロの後頭部を銃弾が掠める。幸か不幸か不規則な動きが男の狙いを狂わせたのだ。

 だが彼の弾倉には何十とシロを殺せるだけの弾がまだ入っている。一瞬でも止まれない。

 再び走り出すシロの目指す先は、切り立った崖。その20m下には硬い土の床。窮地には変わりないが、頭を撃たれるよりはましだ。なにより、


「届け――痛ッ!?」


 訓練棟と教室棟を結ぶ連絡通路。その上には大量の爆薬と機関砲が設置されている。

 シロは崖に身を投げると体を捻り、ポーチから引っ張り出した手榴弾を放った。

 ここまでは順調。のはずだったが、手榴弾から手を離す瞬間、鈍い痛みを右手に感じて目当ての場所に投げそこなってしまう。

 

 空中でそれを呆然と眺めながら、シロは体が落ちていく感覚に身を任せる。

 だが上空に未だ留まる手榴弾に、小脇に抱えた相棒を構えた。


 チャンスは一度。当てる角度に位置、その他全ての条件を完璧に満たした上で成し得る技。それを、落下しながら行う。

 我ながら頭のおかしい作戦に、シロの口元が不意に綻ぶ。

 どれだけ難しい人間離れした技だろうと、撃つのは自分で、使うのは最高の相棒。だから、失敗なんてするはずがない。絶対に。


「根性ォ……見せろ!」


 銃声鳴り止まぬ戦場で、だが狩人の放った気高くも鋭い銃の雄叫びだけは、誰もが聞こえていたという。

 放たれた弾丸は正確に手榴弾を弾き、爆薬の詰まった箱に転がると空気を震わせ黒煙と眩い閃光をほとばしらせる。

 いかに補強されていたとはいえ真上で大量の爆薬が一度に炸裂し、脆くなった通路の天井は乗せていた機関砲に潰され二棟の繋がりは完全に遮断された。訓練棟の生徒が他の棟へ援護しに行くにも、丘を下る必要がある。

 少なくともこれで、役目以上のことは果たせたということだ。


「へへ……ざまぁみろ。やっぱり私が最強……だ」


 降り注ぐ瓦礫と装備品の残骸に勝利を確信して。

 役目を終えた相棒を庇うように抱き、シロは迫る衝撃に備え目を瞑った。

 



 

 訓練棟へと続く丘の上から見える、連絡通路から立ち上る黒い煙に女ははっと吐き出すような笑い声を立てた。

 校庭へと続く緩やかな斜面から一部の生徒が戻ってくるのが見えるが、もはや手遅れだろう。狙撃手を見逃したのもそうだが、対応が遅すぎる。

 そして、削り取られたように切り立った崖の下ではあの惨状を一人でやってのけた少女。薬が効いているのか、まだ生きているようだ。

 女はホルスターから45口径の拳銃を取り出すと、その銃口を少女へと向けた。


「…………っふふ」


 だがトリガーに指先が触れることはなく、沈黙したまま拳銃は再びあるべき場所へと戻される。

 だからか、無愛想な男が隣で一瞬目を丸くした。女から漏れた笑みの理由がそれだった。


「いいのか?」

「侑李さんからは、白崎の奴らを殺せとしか言われてないから」

「……そうか」


 男の視線が校庭で倒れる少女、その胸に描かれた星の刺繍に向けられた。

 どんな手を使ったにせよ、星条の生徒まで持ち出して来るのは予想外だ。やはり、白崎のリーダーはあの時と何ら変わらない狡猾さを秘めている。だから――


「それに」

「む?」

「中立行きなら、今からでも私達は身の振り方を考えるべきだわ」

「ほう、お前はそう読むか」

「ええ、だって彼女が相手なら二度も負けるはずがないもの。それも、怒ってるなら尚の事ね」

「……そうか」

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