3話「戦闘科へようこそ」
「震えているの?」
白く細い指先が、妹の頬に触れる。
常に冷静、無表情を貫く栞はその時だけ珍しく感情を顔に出していた。
「明美さん……明美さんが!」
うまく言葉を紡げず、自分の目の前で起こったことに動転しただ犠牲者の名を連呼する妹の身体を、栞はそっと抱き寄せた。
服越しに栞の温もりを感じた命は、やっと落ち着いたのかそっと目を伏せる。
「大丈夫、大丈夫よ。あなたは大丈夫だから。だって、私がついているじゃない」
自他、とりわけ他者に厳しい栞が唯一その慈愛を向けるのは、妹ただ一人。
「でも、でも敵がここにも……」
「みんなが押さえてくれてるからしばらくは大丈夫よ。とりあえず一旦休みましょう? ね? いい子だから」
数回妹の頭を撫でた栞は、近くの棚を漁った。
栞がすることに間違いはない。そう信じてくれて、背後の妹はこれにはきっと意味があるのだと、座り栞の背を眺めている。
「ああ、あったわ。探してみるものね」
「……え?」
妹に差し出したのは、カップのヨーグルト。
呆けて首を傾げる妹に、つい栞は笑ってしまった。
「あら? 賞味期限は大丈夫だと思うけれど……別のがよかったかしら?」
「え? あ、いや……そういうことじゃなくて」
困惑する妹の唇に、栞の指が重なる。
「いいからそれ食べてなさい。今は戦いのことは忘れて……今は私と二人きりだもの。ね?」
「う、うん……」
「ほら、笑顔よ笑顔」
栞は口の両端を指で無理やり吊り上げて笑顔を作る。
明らかに自分でも理解できるほど無理のある行為に、妹が吹き出して笑い声を零した。
「もう、そこまで笑うことないでしょう?」
「あはは……ごめんね、ありがとうお姉ちゃん」
「おばちゃん揚げパン一つ!」
「おばちゃん焼きそばパン!」
前に並ぶ生徒がカウンターのおばちゃんに絶え間なく叫び続ける。
それを一言一句聞き漏らさず間違えもせずに捌ききるところを見ると、長年の経験で手馴れているのを感じさせた。
命が列の最後尾に並び十分ほど経過した頃だったか、購買にいる生徒も大分少なくなってきたところで命の番が回ってきた。
「富士の5.56mmを二箱と、AACの9mm一箱。あといつものヨーグルトで」
「ありゃ? いつものGEの弾じゃないのかい?」
「うん、今日は調整するわけじゃないから安いのでいい」
カウンターの上には、指定されたメーカーのライフルと拳銃の弾薬が計三箱。それとカップのヨーグルトが一つ。
あまりにも不釣り合いなその組み合わせに、周囲にいた生徒の視線を奪う。この学校ではありふれた光景でもあるが、どうにもこちら側の世界に興味がある、主に男子の一般生徒も少なくはないようで、命達戦闘科の学生を羨ましげに見つめる者も多少はいるものだ。
戦闘科専用のカードで会計を済ませると、命は購買から外に出て校庭を周り、白崎学園の射撃場へ。
屋内と屋外があるが、今回はライフルの射撃ということで屋外射撃場を選択した。屋内でライフルを撃つのは銃声がうるさい上に、命の相棒の銃はマズルフラッシュのせいで薄暗い屋内だと眩しくてそれがいちいち煩わしいのだ。
射撃場はといえば昼休みというのと、屋内射撃場の方が人気なこともあって生徒は少ない様子だ。この時間にいるのは、よほど下手か練習熱心な子達くらいだろう。
命は薄い板で仕切られただけのシューティングレンジに置かれたテーブルへ先ほど購入した弾薬の袋を置く。正面には、離れた位置に幾つか人型の紙が貼り付けてある木製の的が見える。簡素な射撃場だ。
命は踵を返して後ろの壁際に並んだ自分のガンロッカーから、今朝登校した時に放り込んだバッグを取り出した。
再びテーブルの傍に戻ると、バッグのファスナーを開け中から命の相棒であるMk18ライフルを取り出し、それをテーブルの上に置く。
備え付けられた椅子に座ると、命は60発入り5.56mm弾の箱の封を開けた。中には、10発ずつクリップにはめられた5.56mm弾。
それをMk18の30連箱型弾倉に流し込みながら、命はどこか上の空といった風に空を見つめていた。
弾倉2つ分に弾を装填し終わると、命は立ち上がりMk18に装填済みの弾倉を差し込む。
伸縮式ストックを体格に合った長さに二段階伸ばし、Mk18のハンドガードについたナイツのフォアグリップを握ると、右手でチャージングハンドルを目一杯後ろに引いてから指を離す。遊底が所定の位置に戻りながら、5.56mm弾を弾倉から取り出し薬室に装填する。
命は銃を傾け遊底が閉鎖されているのを視認し、銃を身体に引き寄せるようにして肩にストックを付ける。
レイルについたエイムポイントのダットサイトを覗き込み、中央の赤い光点を30mほど離れた位置にある的に照準を合わせた。
グリップを握った手の親指でセレクターを回し、安全位置からセミオートポジションに切り替える。
隣で、一心不乱に的を撃ち続ける生徒の銃声が聞こえる。命はそれを無視して、目の前の標的に集中した。
人差し指が軽くトリガーに触れる。鉄の冷たい感触が指先から伝わり、ゆっくりと命は息を吐き出す。
30mならまだ頭を狙える。標的の胸を捉えていたダットサイトの赤い光点を少しだけ上にずらす。
周りの雑音から意識を遠ざけ、サイトが捉えた標的のことだけを考える。
「ばん」
命はふと口から可愛らしい声を漏らす。が、銃は依然沈黙を守ったままだ。
「何をやっているのかしらね、私は」
肩を揺らして嘆息すると、それまでの準備を無にするかのように雑な構えでそのままトリガーを引く。
10.3インチという短い銃身が災いし、派手なマズルフラッシュが一瞬命の視界を遮った。
役目を果たし、排莢口から飛び出た空薬莢は壁に跳ね返ってくの字の軌道を描き床に落ちると、命の靴に当たってその動きを止めた。
しかし、命は撃つ直前と変わらぬ姿勢のまま標的を見据える。
ダットサイト越しに見える標的の頭部には、命が撃った5.56mm弾が開けた穴がほぼ同じ場所にまとまっていた。
「次……」
息を整えて命はさらに奥、50mにある標的に銃口を向ける。この距離になると人の頭部はかなり小さく見え、実戦のように動いているような状況で初弾からヘッドショットを決めるとなると、それはもうこの銃の役目ではない。
ゆっくりと銃を下げ、今度は標的の胸の辺りに狙いをつけ間髪入れずにトリガーを引く。
発射の反動で視界が歪み、それが直る頃には銃弾は命の狙い通りの場所に着弾。多少バラけてはいるが、殆どが心臓を撃ち抜いているので及第点だろう。むしろ遊び撃ち専用とすら言われる安価な弾でこれだけできるのだから上出来だ。
「おー……すごいすごい」
横で、四葉がテーブルに腰掛け備え付けの双眼鏡を覗いていた。おそらく命の撃った的を見ているのだろう。
「四葉、何してるの」
「いやぁー、全部頭と胸。さすがですなぁ……あれ? でもそこって撃っちゃいけないんじゃなかったっけ?」
「ええ、即死してしまったら治療できないからね。でもここじゃ相手はただの的だもの。別に構わないでしょう?」
なるほど、と頷く四葉。それを一瞥して命はテーブルにMk18を置くと、ベルトにつけたヒップホルスターから拳銃――92FSバーテックを取り出す。
「それで、なぜここに? 一応戦闘科以外の立ち入りは厳禁のはずだけれど」
「あ、あー……それはそのですね」
横目に命が四葉を見ると、彼女は気まずそうに頬を掻きながら視線を逸らす。この様子ではなにか理由があるようだが、命には言い辛いといったところだろうか。
命からすれば別に居て困るわけでもないし、教員に報告する気など毛頭ないので彼女の気が済むまで放置する。
92FSバーテックの弾倉に黙々と弾を込めていると、ついに耐え切れなくなったのか四葉は意を決したように拳を握り締めると命の肩を叩いた。
「ん……」
「えとえと、その……し、椎名四葉! 本日を以て戦闘科に配属となりました! よ、よろしくおねがいいたしましゅ!」
びし、とまるでロボットのようにカクカクとした動きで左手で敬礼しながら、四葉はじっと命を見つめた。
「――え?」
さすがの命も一瞬呆けてしまい、詰めそこなった9mm弾が手からこぼれ落ちてテーブルを転がる。
「えっと、あの……ごめんなさい、もう一度言ってくれないかしら」
「えぇー!? だからぁ! 私も今日から戦闘科なんだってば!」
ぴょんぴょんとその場で跳ねながら眉を吊り上げる四葉。命は額を軽く手で押さえると頭を抱えた。
「あぁ……なんて間の悪い。というかなんでまた急に」
「うー、だってだって、前の戦いでみこりんもしーちゃんも怪我して……それでも学校を守ってくれたって。でもでも、もう私やだよ……友達にばっかり戦わせて自分だけ見てるのは」
10センチばかり命より小さい四葉は、詰め寄ると上目遣いで懇願するように涙を浮かべる。
命はそっと四葉の肩に手を添え身体を離すと、笑みを浮かべながら彼女の頭を撫でてやった。
「あなたがそんなに気負う必要はないのに……仕方のない子ね」
「ぁ……えへへ」
書類上で決まってしまったことなら、そもそも命が拒否したところで結果は変わりはしない。
ならばこそ、今は新たな仲間の誕生を祝うべきなのだろう。共に戦場を歩く戦友として。
「四葉……戦闘科へようこそ」